1-1 冴えない主人公の育て方
高校2年生、天音葵は自分に自信が持てない。勉強も運動も人並み以下で、自分は世の中の全ての人間に何かしら負けている部分があるのだと信じている。親しい友達もおらず、部活にも委員会にも所属していない。朝に1人で登校し、学校が終われば1人で家に帰る日々を繰り返している。
刺激など別に欲しいとは思わないが、ひどくつまらない毎日だと思う。学校で勉強し、家ではネットやゲーム、漫画などで暇を潰す。そしていずれやってくる大学受験や就職活動に怯えながら日々を過ごすのだ。
こんな性格をしているからだろうか。周りの一部の人間が幸せそうに見えてしかたない。彼らは人生をこれでもかと謳歌している。今が最も幸せなんだという時間が永遠に続いているように見える。そんな彼らを見ていると、なんだか自分が惨めに見えてくる。
昼休みを告げるチャイムが鳴る。葵は弁当を持って教室から出る。自分のクラスの中にも存在する幸せな奴の幸せそうな甘ったるい雰囲気で胃もたれを起こしそうだから。
本来は立ち入りを禁止されている屋上に向かう。禁止されているというのに屋上へ続く扉には鍵もかかっていない。生徒は律儀に校則を守っているのか、屋上には誰も来ない。先生ですら見回りに来ない。だから屋上は1人になりたい時には絶好の場所だった。
「最近は雨で屋上が使えなくなる事はないな。ずっと晴れてら」
階段を上りながらぼそりと言葉が口から出る。1人でいると独り言が多くなる。少しでも家族以外の人の気配がすると決して何も喋らなくなるが。
屋上へと続く扉の横に、大きな鏡が置いてある。なんとなく鏡の前に立って見れば、そこには冴えない男の姿が無情に映される。目にかかりそうなまでに伸びた前髪、暗い表情、猫背、自分の見た目を構成するありとあらゆる要素が自分のダメさを表しているようだった。ちょっぴり自己嫌悪しながら、逃げるように鏡から目をそらし屋上への扉に手をかける。
ギィィとうるさい音をたてて屋上の扉を開ければそこにはいつもの誰もいない空間がある。下からは校庭でサッカーでもして遊んでいるであろう生徒たちの声が小さく遠く聞こえてくる。
立ち入り禁止のハズだろうに、誰が用意したのか分からないベンチに座って弁当を食べる。箸と口を動かしながら、ぼうっと考え事をする。
昔はこんなんじゃなかった。小学校中学校に通っていた自分は友達もいたし学校でも普通に笑って過ごしていた。高校では表情はほとんど変えない。自分はこんなにも笑わないヤツだっただろうか。
中学から高校に進学するにあたって、自分の交友関係はリセットされた。仲の良かった同級生は皆違う高校に行ってしまった。なんだかんだ中学でも新しい友達は出来たし高校でも友達は1人くらい出来るだろうと思っていたが甘かった。運が良くない限り、積極性の無い奴に友達など出来る訳がないのだ。そして今、ぼっちで高校生活を送っている。
だが、クラスの人間と仲良くしようとは思えなかった。周りに自分の幸せをアピールしている奴も、その周りで楽しそうに笑っている奴らも、それ以外の生徒達も、誰1人として好きにはなれない。嫌っている訳ではない。妬んでいる訳でもない。ただ、違和感を感じるのだ。理由の分からない違和感がこの上なく気持ち悪い。
ごちゃごちゃした喉に引っかかるような気持ちを頭の中から消すように、葵は昼食を飲み込んだ。
「ただいま」
家に帰って来た葵に返事を返す者はいない。両親は共働きで夜まで帰ってこない。だから晩飯はいつもスーパーで買ってきた惣菜とおにぎりだ。
晩飯を食べ、明日の昼飯を作っておく。しばらくすると「ただいまー」と少し離れた所から声が聞こえてくる。声からして母が帰って来たのだろう。なら、父ももうすぐ帰って来るか。そんなことを考えながら作った料理を弁当箱に詰め込んで冷蔵庫の中に入れる。
風呂に入って体を洗い、自室でパソコンの電源をつける。メール覧を見るが誰からもメールは来ていない。もっとも、メールをよこすのは両親か通販サイトくらいだが。携帯にも何のメッセージもない。
パソコンでネットの掲示板や動画サイトを見たりして暇を潰す。時計を確認するともうすぐ12時だ。
「寝るか……」
ベッドに横になって布団を被る。葵の1日は大体いつもこのようにして終わる。
「明日、午後から体育か。やだなぁ……」
運動は嫌いじゃないが、先生が準備体操で2人組を作らせるのが嫌だ。いつも自分が余ってどこかに入れてもらうのだ。2クラス合同の体育だが、何故相手のクラスは男子が偶数でウチのクラスは奇数なのだろう。誰か明日1人休まないかな。じめじめとした考え事をしながら、葵は眠りにつく。
◇◇◇
「行ってきます」
翌日、誰もいない家の中にそう言って扉に鍵をかける。両親はもう仕事に行った。葵も歩いて高校に向かう。
栄民高校。葵が通っている高校の名前だ。家から1番近いという理由でこの高校を選んだが、別にエリート高校という訳でもなければ進学や就職に特別力を入れているという訳でもない。平凡で普通で特徴の無い高校だ。
教室に入れば黙って席につき、本を読みながらホームルームが始まるのを待つ。そして、「2人ペアを作って」とか「グループで話し合って」などと先生が言わないことを祈りながら授業を受ける。
昼休み。いつものように葵は屋上へ向かう。
「次は体育か……気が重い。その後は……数学、もっと気が重い」
考えれば考える程に重くなる気持ちを引きずって、葵は屋上への扉を開ける。
屋上には先客がいた。女子生徒が屋上のフェンスに体を預け、校庭を見ていた。
「おや?」
うるさい扉の音でこちらに気付いたのであろう女子生徒はこちらを見る。女子生徒の顔を見たその瞬間、葵の心は奪われた。綺麗なその顔は、まるで蛇のようだと思った。鋭い目はこちらの外面も内面も全て見透かしているようで、心臓に手を触れられているような気分になる。体内に毒でも入れられたかのようだ。
「どうしたんだい?ここは生徒は立ち入り禁止のハズだよ?」
「え、いや、その、すいません……」
自分だって屋上に上がっているじゃないかとは言えなかった。高校に入ってからまともに人と会話をしていないのだ。誰かと話すことでさえ勇気がいる。
「君は、随分とつまらない顔をしているね」
「は?え、そ、そうですか?」
余計なお世話だ。なぜ初対面の人間にそんなことを言われなければならないのか。そんな言葉を目の前の女子生徒に面と向かって言えればいいのだが、そんな度胸はない。
「おっと、起こらないでくれ。言葉を間違えただけんなんだ」
顔にでも出ていたのか、女子生徒は困ったように笑いながら手を合わせる。
「君の顔がつまらないと言いたい訳じゃないんだ。君がつまらなそうな顔をしていると言いたかったんだ」
女子生徒はただでさえ鋭い目をさらに細めて、鋭利な刃物のような視線でこちらを見つめる。
「この世界は嫌い?」
目線が、言葉が、匂いが、彼女を構成するありとあらゆるパーツが自分の中にねじ込まれるような、外側から浸食して内側を支配されるような感覚。
気がつけば、葵は女子生徒の質問に頷いていた。
「そう。何故、嫌いなのかな?理由は?」
続けて女子生徒は質問する。
「わ、分からない。ただ、なんとなく……違和感を感じる」
自分の心の奥底が引きずり出されるように口が勝手に開く。声が勝手に出る。何がどうなっているのか分からない。
「そう……きっと君は、気づかないままに気づき始めているんだね」
勝手に1人で納得する女子生徒。普段ならば学校の中で最も心の落ち着く場所であるこの屋上が、今すぐ逃げ出したくなる程に今は気味が悪い空間へと化していた。
「それじゃあちょっと、君の感じる違和感を取り出してみようか」
その言葉を聞くと同時に、葵は背中に気配を感じて振り向く。
そこには、学校の制服を着た化け物が立っていた。手や頭、制服から出ている人間のパーツが真っ黒く変色していた。まるで昔のゲームの画面がバグったように、葵の視界がバグっている。
いや、バグっているのは視界ではない。そこに立っている生徒そのものだと、葵の勘がそう告げている。
「だ、誰、なんだよ、これ」
やっと自分の意思で出た声は、なんとも頼りなく震えていた。
「誰って、見覚えないかい?君のクラスメイトだよ」
「し、知らない、こんなの、知らない!」
確かになんとなく見覚えのある顔をしているが、彼がクラスメイトだなんて信じられない。初めて大きな声がでるが、やはり情けなく震えている。
「それじゃあ、頼むよ。名もなきNPC君」
女子生徒がそう言うと、真っ黒な生徒はさらに姿を変える。真っ黒な人間のパーツが黒い霧となって形を変え、再び実体を持つ。
そこにいたのは、制服を着た、人の形をした竜だ。青緑のウロコに太陽の光が当たって輝いている。オレンジ色の目がギョロリとこちらに向く。
「は、ひ、ひぃ⁉」
目の前でこちらを見下ろす化け物に、恐怖で体が動かない。動いたら殺される。背中を見せたら殺される。
だが、実際には動こうが動くまいが背中を見せようが見せまいが関係ない。竜は葵の首を片手で掴んで落ち上げると、そのまま勢いよく前方に投げつける。ノーバウンドで屋上のフェンスに体を叩きつけられ、地面にうつ伏せに落ちる。体中が痛い。苦しい。怖い。嫌だ。みっともなく涙が出てくる。
起き上がろうとして、頭を踏まれた。顔が地面に叩きつけられて鼻血が出てくる。そして腹に蹴りを入れられ、仰向けに転がる。竜がこちらを見ていた。
「ご、ごめ……なさ……」
理不尽な暴力を前に、何が悪いのかも分からないままに謝ろうとする。だが、声が出ない。何も言わない竜はただ拳を握り、葵の顔面めがけて振り下ろす。
「もういいよ」
その瞬間、女子生徒はそう言った。拳が顔面に届くギリギリ前、ピタリと竜の動きが止まる。
「もう十分、ありがとう。さあ、次は体育だろう?もう行って着替えないと間に合わなくなるよ?」
女子生徒の言葉に、竜は黒い霧となって人の姿に戻ると、屋上から出て行った。
「良くも悪くも君は一般人だね。ちょっとでも戦おうとか思わなかったのかい?」
女子高生は倒れている葵のしゃがんで葵の顔を覗きこむと、軽い調子でそんな事を言った。戦う?出来る訳がないだろう。涙と鼻血が止まらない顔で、葵は女子生徒をじっと見つめる。
「その顔は、考えもしなかったってトコかな?仕方ないか。普通の人間は化け物相手に戦おうなんて考えないものね。山から出てきたクマや動物園から逃げたライオンにだって、君は同じ運命を辿るのだろうね」
女子生徒はポケットからハンカチを取り出して葵の顔を拭く。正直、痛くてしょうがない。
「あんた……だれ……」
顔を拭くことで葵と女子生徒の間に沈黙が生まれる。その間に最初からの疑問を口に出す。やっぱり上手くは喋れなかったが、勝手に1人でどんどん話を進めるこの女子生徒にようやくまともに話しかけることができた。
「私?そうか、お互い自己紹介もしてなかったね。少し急ぎ過ぎたみたいだ」
一瞬、目を丸くすると、女子生徒はまた困ったように笑った。
「私の名前は蛇乃目真。この栄民高校の生徒会長だよ。よろしく、この世界のイレギュラー君」
そう言って、真と名乗った少女はにっこりと笑う。その笑顔は美しくありながら、毒々しさも感じさせるものだった。
「だけど、この話はまた今度にしよう。もうすぐ昼休みが終わってしまうからね」
真が葵の頭に左手を乗せると、途端に眠気が襲ってくる。
「君にはイェドの加護と、毒を与えよう。毒が薬になるか、毒のままかは君次第だよ」
ぼんやりと聞こえてくる真の言葉を最後に、葵の意識は眠りについた。
◇◇◇
目が覚めると、懐かしい天井が見える。
「ここは……」
寝起きで働かない頭を振って、起き上がって周りを見回す。見慣れた机に、本棚、パソコン、テレビにゲーム機など、見知った物が次々と目に映り込んで来る。どうやら自室にいるらしい。ご丁寧にベッドに寝かされている。机の横には教科書やノ-ト、筆記用具を入れたバッグが置いてある。
だんだんと意識がハッキリしてくる。さっきまで学校にいたはずだが、どういうことだろうか。誰かが自分と自分の荷物をここまで運んでくれたのだろうか。
そういええば、さっきから痛みを感じない。手で顔を触ってみるが、どこも怪我をした様子はない。あの出来事は悪い夢だったのだろうか?出来れば夢だと思いたい。そこまで考えて、葵は気付く。自分が学校の制服を着ていることに。そして、自分の服が血に汚れていることに。
やはり夢ではなかったのだ。何がどうなっている?とにかく落ち着かなければ。とりあえずベッドから出よう。そう思ってベッドに手を置こうとした時、手に何かが触れた。
見ると、枕の横に明るい水色のゴーグルが置いてあった。