五十五話
「ほほう、すごい囲まれておるのう」
「笑いごとか、竜王の」
アウフィエルがやや引き気味であるが、千年竜は幹のように太い首をぐるりと回し愉悦そうに笑った。私が見る限りでも、岩間の隙間にひょこひょこと何者かの人影が見え隠れしている。なまじ竜、という巨大な生き物が居座っているせいで、彼ら不届き者はなかなかこちら側に近づけないでいるようだった。
しかし、このまま手をこまねいていては、じりじりと時間が経過するだけでなにも解決しない。
(アウフィエルの翼がひっきりなしに騒がしいし……)
ばさばさと蠢かすので、抜けた羽が私の鼻腔をくすぐるので忙しい。アウフィエルはアウフィエルなりに、私を守るようにして翼を使っているが相変わらず私をクシャミ地獄に陥らせる。我慢をするにも限界があるというのに。現在、心配であるらしいアウフィは翼だけで私を囲っているが……防御面において心許ない。また、いざというときは私を抱えて飛ぼうと思っているらしく私の腕を掴んでいるが、二度あることは三度ある。
その心意気は買ってやりたいが、落下したくない。
(死因、ぐしゃり! は嫌だな)
ただ、彼の美麗なる横顔は真剣そのものなため、水を差すわけにもいかず。いくら諦めの死を受け入れているからといって、ひょろひょろと飛んで重たいからと落とされるのは情けない気がする。
美しき神鳥が睨みつけている先を、転じて見詰めた。
怪しげな人影は、あちこちの岩陰からこちらを伺うままだった。たまに動くため、ひょっこりと見える頭の形から察するに、彼らは獣耳たちではなさそうである。人影が明らかに人間っぽいのだ。獣耳たちはとんでもなくすばしっこいので、少なくとも猫耳ではなさげだ。そう、あの猫耳の青年っぽいのはいなくて、心底ホッと息をつく。さすがにあれは別格過ぎた。魔術書もない以上、戦えない。
しっかし、一体何をしに、こそこそとあちこちに人間っぽい何かを配置してるんだろう。戦略、にしては、竜の息吹であっという間に終了しまいそうなのに。
(誰だろ)
分からないが、こちらには山一つ潰してきたと豪語する竜がおられる。
戦う術がない今、頼りになるのは知り合ったばかりの竜王様だけ。
思えば、異世界にやってきた経緯も唐突であったし含めてしまえば、私の人生、行き当たりばったりにもほどがある。どうしようもない。
(決してアウフィエルが頼りにならない、ってことじゃないけれど)
彼は彼で私の為にその身を犠牲にしようとしてしまうところがあって、下手に頼れない。弱い鳥だと言うが、実に弱い鳥である。頑張りすぎて、どこかしか複雑骨折しそうで怖い。
(でも……)
私の為に行動してくれた、一人だ。
(いや、一人というか。鳥というか。一羽?)
こうして私の腕を絡めて一蓮托生にも思える行動をとってくれる、貴重な神鳥だ。彼本人も、奴隷になってもおかしくないほどの貴重な種族だがそんな危険を顧みず、人間たる私の為にあれこれと手助けしてくれた。良い鳥である。それでいて、
(……なんといか、)
心の中が、ほわ、っとするというか。
――――私のことを考えてくれたというか。
家族や友以外に、いただろうかと思う。
そんな、人。今まで、この世界を流離ってきたからこそ、実感することだけれど。
(ずっと、死と向き合っていたから)
諦めていたんだよなぁ、ずっと。
理由はどうあれ、私にあれこれとぶつけてきてくれる人がいて。
まじまじと、純白の頬を持つアウフィの美しき容貌を見詰める。
と、視線の強さに気付いたものらしい、ん?、と瞬く神鳥さん。
「リア、どうした」
「え!」
たまに勘が鋭い、きょとん顔のアウフィエル。
じーっと見返してくる麗人の視線から逃れるため、ちょっとだけ目が泳いでしまった。
「い、いやなんでもない、よ?」
「そうか?」
「う、うん、そうそう」
おまけに身動きできないというのに、突発的な強風が吹きつけてきたため、棚引くアウフィの金髪が思いのほか私の顔全体を嬲ってきた。
「おや、誰かきおる」
頭上の竜が、実況してくれた。
凶悪そうなぶふー、っという竜の鼻息をものともしない輩が出てきたということか。何という度胸。
「失礼! 我々は、南の国の者です!」
(なんと)
さて、誰がやって来たかと思えば意外な国の名前が出てきた。
アウフィの髪をさらりとした髪質を手で避けて視界をしっかりとクリアにすれば、確かに。南の国の兵士の恰好をしたガタイの良い男が仁王立ちしていた。北の国の人間からしてみれば、彼らはやや地味目な見目が多い。特に国境沿いは私ととても似通っているアジア系だ。勿論、中には派手な見目もいるけれども、基本的に色素は濃い。
「敵対者ではありません!
それが証に、我々南の人間は神鳥たちを保護し、
偉大なる南の王の指示のもと、
ずっとこの大地を、神人の約束の為に大切に守護して参りました!」
(神人の約束? ……神鳥?)
もう少し見ようとして身を乗り出そうとする興味津々な私であったが、ふいに、細腕が、離れないようにと強く引き留めてくる鳥がいた。
「あ」
とはいえ神鳥は体重がやはり軽いので、私の一歩にずるずると引きずられた。
仕方ない。体重は私のほうが重いのである。現実は非情である。
「ごめん、アウフィ」
地面に筋道を作りつつも、神鳥は私から離れないようだ。
「……近づくな、危険だ」
神鳥は私の腕に縋りつきつつも、私を覗き込んできた。
う、と私は喉に続く言葉が詰まる。至近距離で私は直視してしまったのだ。
「駄目だ、リア」
その鮮やかな青の色彩をぐるりと巡る長いまつ毛がばさばさで。どれだけ汚れが付着しようとも間違いなく儚さを隠しきれていない美しい見目。縋りつく両手のきめ細かな肌の質感に、改めて、とんでもない人の形をした人ではない人に、アプローチされているんだと今更な認識を改めた。
かつての神人のために、用意された伴侶。
ぐっと、胸に迫る何か。
私は、見なかったことにした。
(……何故、怯えるんだ私)
慌てて思考の波に捉われないよう、腕を外してもらおうともがく。
「アウフィ、離して」
「断る」
「え」
断言されてしまった。なんでだ。
「リアにとっては人間なんだろう。
しかし、わたしにとってはリアを除き、
見知らぬ他人。人間だ」
「私も人間、」
「リアは知っている人間だ。だから良い。
だがあれは駄目だ。
見知らぬ人間は信用できない。騙されるぞ」
私の進路を邪魔した理由は、見知らぬ人間はアウトってことらしい。
まあ確かに、いきなり奴隷にされてしまいかねない危険があるし。もしかしたら、あの言動は嘘で捕まえるための方便かもわからない。
(けど、あの恰好と雰囲気。嘘じゃなさそうだけれども)
根拠はない。
ただの勘である。それも頼りない。
南の王の使いっぽい兵士は棒立ちである。天使を引きずっている私を観察するかのような視線が岩陰からもびしばし飛んでくるのが感じられるし、堂々と宣言してきた南の兵個人からの目線も、何らかの答えが欲しがっているようで、唯一の人間である私をじっくりと見据えている。何あれ、怖い。歴戦の勇、といった風だし。
さて、どうしよう。
古の竜は、どうするのだろう。私が答えて良い問題なんだろうか。
いや、そもそも南の国って信用に値する国なんだろうか。分からない、ただ世界を旅しただけの私には。判断できない。
ということは、やっぱり私にどういう行動もとれず。腰に据えていた本を失ってしまった私は、おろおろとただ、手をこまねいて時間が過ぎるのを待つばかり。アウフィは嫌だとばかりに、私があちらへ行って話をするのも望まないようだった。
と、竜王様はひとつ、こう着状態を飛ばした。
唐突だった。
「わ」
それは風の攻撃魔法のようなものだった。
(す、すごい風……!)
鼻息だけど。
ばさり、と今度は天使の羽に私の身は早々に包まれた。どうやら天使に羽交い絞めにされた瞬間、竜の懐へと突風によって飛ばされてしまったものらしい。がっしりとした鱗に私の背は当たった。ちょっと痛い。だが、問題発生していると、私の脳の、冷静な部分が指摘した。
なんせ、アウフィも共に竜へとぶつかったのである。
緩衝として、地味に羽が私を防護していた。アウフィの男らしさに感動するも、同時に神鳥の翼がやっぱり複雑骨折してないか不安になった。頑張って薄目を開ければ、すごい必死な形相でアウフィは私を抱きしめにかかっている。羽交い絞めにされたお蔭で吹き飛ばされても少々の痛みで済んだが、アウフィ当人はどうなんだろう。骨が細っこいし……などと、別の心配をしつつ、結果を知りたくもあったので南の兵が仁王立ちしていた箇所を見る、と。
――――凄かった。
ごう、と唸るそれに竜巻のような突発的強風に南の兵たちはその場にある岩に両の手でしがみつき、吹き飛ばされないよう踏ん張っていた。彼らの両足が宙に浮いていたけれど。
(うわあ)
私は情け容赦のない竜の攻撃に、ビビった。
アウフィはまったく気にも留めず、慌てふためく私をホールド状態のままだが。
「リア、大丈夫か?」
「あ、あぁうん、平気というか。大丈夫。
それより、アウフィは?
手羽先とか背骨、折れてない?」
「折れてない」
緊張感のない私たちの話の合間も、竜の試練は長くその場に渦巻いた。
そう、南の人間たちは、見事、竜の鼻息に耐えきったのである!
(何人か吹き飛ばされ……たように見えたけど)
竜はそれ以上、何をするでもなく静かになった。無言だ。
しかしその表情はとても穏やかである。認めた、ということなんだろうか。分からない。
ただ、ひとり、また二人と続々と姿を現し……無事だったようで、ひょこりと現れた生き残った兵士らがぞろぞろと集まってきた。
(竜が怖くないんだろうか?)
彼らは歴戦の勇らしく直立不動であった。
そして賢明にも竜の真ん前ではなく、少々脇に逸れて立ち尽くしていた。ブレスを気にしている?
いや、違った。別の方面に、気を向けていたのである。
「殿下のおなりだ!」
野太い号令が発せられ、ざ! と衣擦れの音が決まった。
全員、揃って敬礼し始めたのに驚きつつも身構える。
(え、何、でんか?)
アウフィの、私を抱く指の力が強まった。
先ほどから神鳥はこのようにして私を懐に入れている。そして頭上にいる竜が太い首をぐっと持ち上げて、その大きな翼でもって私たちを内側に置き続けた。二人ともその羽を使い、私を大いに囲っていた。
「ほお、これはこれは」
古の竜が、面白そうに喋り出す。
そう、南の兵らが皆、頭を垂れる存在である人間が姿を現したではないか。
側近らしき兵らを引きつれた人影が、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。
ごくり、と私は唾液を呑みこむ。
なんせ、あまりにも――――
「竜よ、お初にお目にかかる」
まず、その場にそぐわぬ可愛らしい声だった。
「妾は南の国の王の娘。
唯一の王位継承者、
次期女王としての教育を受ける王女にございまする」
凛とした顔立ちの少女であった。
女の子用の鎧を纏っていて、腰には宝石のついた短剣。背中には弓が張り付いていて、明らかに戦いに来ました的な威勢の良い姿勢である。
真っ直ぐに私を見据える眼はいささかの迷いなんてものはなく、小さな女の子だというのに圧倒的な存在感であった。貴族、の家で働いていた私には奥様とはあまりにも格差があり過ぎる気品に、びっくり眼だ。
(そうか、本当の貴族ってこういうことなんだ)
と、納得させてしまう何か、を少女は持ち合わせていた。
竜を仰ぎ見て、貴族らしく背筋はびしっと決めていて。大の大人をそこいらに転がしている子供。いや、武器を携えているからこそ、もう子供とはいえないのかもしれない。立派なレディ、にしてはあまりにも堂が入っている。
「別大陸の、偉大なる古の竜に御目にかかれ、
妾は幸せ者にございます。
ご立派な鱗、美しい黄金の瞳!
まさしく、伝承の通りの壮麗な御姿でございますれば」
彼女は、その立ち振る舞いからしてしっかりと古の竜と対話をし始めた。
まるで映画を見ているかのようなワンシーンだった。なんたって覚悟を決めたと見ゆる立派な若武者姿の少女がいっぱしの口をきいているのである、あの砦の大人たちでさえ逃げ惑う竜を相手にしているのだからとんでもない絵面だった。
竜も、そんな彼女をいたく気に入ってしまったようだった。
ふうむ、と小さく息を零すのみである。
「可愛いメルキゼデクの嫁に……」なんて呟いているが、誰だそれ。ひ孫探してるって口にしていたから、でっかい体付きの竜なんだろうなと思っていると。
「そして、神人よ。
お初にございます」
前ふりもなく話しかけられた。リアル王女様に。
唐突過ぎてびくりとビビる。そんな恐る恐るといった私の目に、少女はくすりとした笑みを年齢の割に艶やかな唇に形作った。
明らかにそれは、対外的な。表面的な笑顔であった。
「リア様。
我ら南の者たちは、いえ、人間たちは貴女様のお出ましを、
まだかまだかと、待ちぼうけておりましたゆえ、
数々の不肖をどうぞ、お許しくださりますよう」
アウフィエルに抑えられてはいるものの、稼働領域の範囲である手首から先の手が、わきわきとあっちらこっちらと動き回る。どうしよう、と困惑のしきりである。
なんで、私の名前を知っている?
強い視線を注がれた私は、うろたえてしまう。
「どうやら伴侶様とも出会えたご様子。
我ら、貴女様を南の都へご招待したく存じます」
それに反応を示したのは、神鳥たるアウフィエルだった。
嫌悪の感情を隠そうともせず、リアル王女様を睨みつけた。
「ふん、リアを?
神人を連れて行くなどと」
「しかし、ここはもう南の城には目と鼻の先でございます。
いささかのお食事をご用意させていただきました。
ささ、どうぞ、我が南へご滞在遊ばされては。
神鳥様ご垂涎のお野菜、今年も育ててございますので」
「今年?……餌付けされてんの?」
「んな、ち、違うぞリア!」
必死に抗議されたが、
(涙目で説明されても……)
良くわからないが、アウフィエルにとっては不服であったようである。




