人ならぬ人の王<猫耳王>
昔、とても遠い昔、猫耳の王は神人に遊んでもらったことがあるらしい。
奴隷になる前の話だから、微かな記憶でしかないが。
(母の死相がちらつく)
自然と、口の端がにやりと上がる。
周囲にいたはずの配下がこぞって怯え始めた。その吊り上った黄金色の瞳を直視できる獣耳どもはおらず、大概は恐れをなして逃げるものだが祖父たる竜王にはとんと通じなかった。さすがは王。竜の中の王、泰然としている。
招集に応じ、空を飛んできた竜王の系譜は猫耳王の話をしっかりと聞きとり、果ては笑って見せたが、その長大かつ大きな口からは鋭い歯が見え隠れしている。悠然としているので平素と変わらぬと思いきや、ギラギラと輝く黄金の瞳は明らかに怒っていた。体格に大幅な違いがあるものの、祖父と孫の間に血が通っていると分かる瞬間でもあった。
さて、行くことになった人間大陸。猫耳一家、配偶者を除き勢ぞろいである。
猫耳王の口角は上がりっぱなしだ。なんせ、行こうと思ってももったいなくて行けなかった大陸である。本当はいつだって準備していたが海という境界がある以上、億劫だった。猫耳王は、水が苦手だった。それに、楽しみはいつまでもとっておきたいタイプだった。
フクロウたちはあらゆる大陸に生きる知識の源、賢者である。
賢く、言葉を理解する。
神人との約束によって、そうなった。人ならぬ人になる可能性もあるにはあったが、知恵を持ったフクロウはそれを断る。望まなかった。それよりも頭が良くなって、英邁になりたかった。そうすることにより、これ以上世界が終わりを迎えることを阻止したいと考え抜いた結果でもあったようだった。これには他の賛同者、特に耳長エルフたちが大いに喜んだ。彼ら耳長たちもまた、世界の異変を憂う者だった。ただ、彼らは生まれながらにして人の形をした耳長ではあったが。森の奥深くに住まうことを美徳とし、生活を送ることを望む者たち。森の賢者、とは彼らのことを指す場合がある。何故ならば、彼ら耳長はフクロウと会話をすることができるからだ。同一視されることもある。
それは黒耳長も同様であった。
黒耳長たちもまた、フクロウの言葉を解する者たちであった。
ただ、彼ら黒耳長のエルフは竜王に傅く者たちでもある。現人神ならぬ、現竜神をことのほか慕っている。竜王の系譜たる竜、この竜、長く生きた神々しく渋面を持つ古の竜であるが、いい加減歳である。年齢が年齢だ、今回の招集を受けた際うっかり山ひとつ潰してきたうっかりぶりである。
猫耳王は二の腕を組ながら、祖父の頭で胡坐をかく。思慮する。
(祖父はとうとうボケたか)
ばさばさと風を力強くさばききる竜王の翼に目を細めながら、
「いや、千年は生きてるんだから、やっとか」
(少しは弱くなったか?)
などと失礼なことを思ったが、幸いにもその祖父竜は可愛いひ孫が心配で心配で、それどころではない。
「さあもう少しで到着だぞ、
小さくて可愛いメルキゼデクを取り戻すのじゃ!」
「……大丈夫そうだな」
「大丈夫でないから助けに行くというに!」
しぎゃあああ、などと竜王の叫びが木霊する。
と、他の続く竜たちも雄叫びを上げて背に乗る黒耳長たちを大いに驚かせた。
この孫と祖父は大概において騒がしい。
人間どもからダークエルフとも呼ばれる彼らの又聞き話によれば、特徴的な猫耳を持つ少年は確かにいるらしい。しかも確認できたと。竜王と黒耳長たちは大いに歓声の声を上げた。しかし、父たる猫耳王は違う感想を持った。
(……人間が傍にいる?)
違和感を持った。
「それで、その人間はどういった奴だ?」
「メスだということだそうで、へい」
黒耳長がそう言いながら、嬉しげに目元を擦っている。竜王のひ孫が無事なのだから、黒耳長たちが歓喜するのは当然ではあったが感動しやすいのが玉に傷である。
(メス……)
対し、父たる獣耳は平然と疑問を呈する。
「女、か?」
「へえ、そのようです」
フクロウたちの情報を黒耳長たちは簡単に拾ってくる。
人間たちの砦を占拠した猫耳王、鋼の鱗を持つ竜たちを筆頭にして黒耳長たちを使い、この大陸のど真ん中にてドンパチ、おっぱじめていた。定期的に息子、メルキゼデクの情報を宣伝しているがいかんせん、なかなか集まらない。むしろフクロウたちのほうが簡単に息子の情報を持っていた。
曰く、黒い髪に黒い瞳。初代と似通っていて匂いもなんとなく似ている、とのこと。
(ふむ……)
神人の気配を察知した竜王配下の黒耳長たちが騒いでいる。見たとか見なかったとか。黒い髪、黒い瞳なんて、人間には数多にある特徴のはず。奴隷人間たちの一部にもその特徴はあった、それぐらいは知っていた猫耳王、この大陸へ初めて来たんだからましてや神人なんて会うはずもないと叱りつけてやれば、今度は神人には恩があると騒ぎ、普段は静かにしている獣耳配下どもでさえオロオロとうろつき出す始末。神人に会ってみたいものらしい。
ふむ、と猫耳王は沈思する。
(もし、それが本当なら)
非常に厄介だ、とも思考を巡らす。
傾ければ、しゃらん、と。耳に飾られた黄金のリングが涼やかな音色を奏でた。
祖父である竜王も、母である竜も、父であった獣耳も。
皆が皆、神人を大変懐かしそうに見つめているのを幼心に知っていた。
温かな陽だまりの中に、彼はいた。周囲はいつだって獣耳や人ならぬ人で溢れ、普段はしかめっ面をする竜王でさえ嬉しげにしている。皆、誰もが彼を受け入れていた。
(といっても、とても、遠い遥か昔の話だが)
神人の力もあってか、父は長生きをした。
しかし、もはやこの世の人ではない。竜王の系譜に連なる猫耳王は父よりもさらに長生きするだろうことは自分自身のことだから分かりきってはいたが、しかし、もう少し神人の話は聞いていたかった、とは思う。なんせ、自分がこれほどまでに人間に固執するのは。
――――人間に奴隷にされたから、ということもある。
幼い子供の頃、奴隷として酷い目に遭った。あまり思い出したくないことだってある。ただ、中には面白い人間がいた。彼は人間どもの頭領息子で、最後の最期まで少年だった猫耳王をずいぶんとコケにしたが、決して勝負に怖気づくとかそんなことはしなかった。卑怯な手で猫耳をずいぶんと傷めつけてくれたものであるが、人間には可能性があると期待した。が、所詮は人間だった。竜の血は獣耳少年の傷跡を瞬時に癒し、たちまちに成長を促した。現在、その人間どもをそれなりに追い詰め、それなりな場所に置いてじりじりと遊んでやってる最中である。彼らは初め強かった。だが、猫耳王より弱くなってしまった。
己の強さを実感してしまった瞬間でもあった。
いざ振り返れば周りに自分より強い者はいなかった。否、竜王ぐらいだ。身内だから勝負の数に入らないが、だが、もっと強ければならないという意識に囚われていた。
(そう、強くなければ)
神人よりも。
(そうすれば、俺は)
「……救われただろうか」
神人は優しい手で、頭を撫でてくれたことは記憶している。
優しい眼差しを持ち、何故かいつもため息をついているような男だった。家族自慢をしていて、帰りたいと零していた。子供だった自分の前だったからこそ、そのようなことを言っていたんだろう。普段はぽやんとしている男だったが、決して本心は吐かなかった。子供の前だからこその本音だと思った。温かな日差しは、この砦にも振りかぶってくる。
――――あのとき、神人は溶けるようにして消えた。真白い粒のような、灰のようなものになって風に攫われた。
彼は、ずいぶんと母の死に苦しみ抜いていた。
切なげな声を上げ、赤い血だまりに身を横たえる母竜に縋るようにして嘆いていた。あれほどまでに心苦しくなる泣きごと、少年だった猫耳王は今でも聞いた覚えがない。あれ以上の慟哭は。
(俺は……あのとき、何をしていたかな)
怯えていただろうか。
それとも子供らしく泣いていただろうか。母の血にまみれ、立ち尽くしていたがとんと記憶にない。
見渡せば、人間大陸はどこもかしこも廃墟だらけになりつつある。竜が大暴れをし、黒耳長たちも同調したからだ。獣耳たちはあちこちに身を潜ませている。他、続く配下の者が、妻が用意した船に乗って続々とやってくるはずである。
「さて、可愛くない孫よ。
どこまで暴れるつもりだ?」
意外と抜け目のない祖父は不躾に伺ってくる。
猫耳王は鼻を鳴らして言った。
「この大陸の隅々まで。当然のことだ」
朝焼けの光は美しい。
あの陽は、この人間大陸でも優しい光を与えてくれる。
顔にまで降りかかるこの温かみは、まるであのときの神人の手と同じだった。




