五十四話
「他にも神人は現れたことあったの?」
「いたが、この時代ではリアだけじゃな」
竜王は千年以上は生きてきたと自称している。
(そっか……)
知恵袋さんは生きる知識袋さんでもある。四つ足だが、蓄えた量は半端ではないだろう。
神人は確かに時代時代にその姿を現したようだった。
だが、いずれも野に屍を晒したそうな。
「……わたしのような、伴侶が迎えに行かなかったからか?」
少し、罪悪感を滲ませながらアウフィエルは竜に尋ねる。
「いや、そうではなかろう。
運が悪かったのだ。ただ、それだけのこと」
「そうか……」
苦しそうに頭を振る天使。
中身も天使である。
しかし、私は思う。
なら私が生き残ったのは、たまたまだった、と。
ラッキーだっただけなんだ、と。
(……魔法の力が無ければ私も食べ物がなくて、
道を走る馬車に乗せられなくて。
殴られなければ、現実を知ることはなかった)
どう考えても、私は神に見捨てられてるような身の上である。
(それが、神に認められていたなんて)
信じられない。
中には神人として立派に振る舞った者もいたらしいが、古の竜曰く、
「世俗に詳しいフクロウ経由でではあるが、黒耳たちによれば、
どうも初代に功績を吸い取られているようじゃな」
歴史の改修は都合よくされているものである、ということか。
生き残る率が何故か低いらしい、神人。神の代理人。
(まるで神の玩具ではないか)
嘆息する。
(残念だ)
遠い山脈の隙間から、朝がおはようございます! とばかりに顔を覗かせている。
オレンジの光線眩さに目を細めながらも、私たちは夜通し話し合った。
神人のこと、伴侶のこと、約束のこと。
(……想像以上に、この世界って脆いのかなぁ)
神人もどきの私たった一人のために、隣の大陸の竜が唸ったり、神鳥が右往左往したり。
朝日がつらくて両目を閉じるも、実感がない。不思議だ。
そもそもの話、私がこの世界にやってくる過程が過程であった。
何時の間にか存在してたし。神々しい蠢く何かに出会った記憶もなし。放り投げられただけのような気がする、ゴミみたいに。いや、それならそれでこの世界の栄養にいずれなるだろうけれども。
ただ、言葉の壁はなかった。
話せば、帰ってくる流暢なる日本語。いや、私がそう聞こえていたり思っているだけで、実際は違うのかもしれない。なんせ私はこの世界の言語を書くことができない。地図で書き込めるのはやはり日本語である。思えばこの世界を流離っていた当初、それを疑問に思っていた。どこでも通じる会話力。便利だし、書物を読み込むことができることも不思議だけれども。深刻には捉えていなかった。
それと魔法の力。
この世界のすべての人間が、魔法を使える訳ではないのだ。お蔭で私は泥棒になることもなく、道半ばで飢餓に苦しみ倒れて屍にならなくて済んだ。
――――胸にある、この魔法の書物だけは気になるが。
さらりと服の上から触るとちゃんとある。唯一のもの。
(……使ってはならない)
ふいに蘇る、耳長エルフの囁き。
マスティガ。
「リア」
さて、彼は知っているのだろうか。
いやどうだろう。幼馴染みだと言っていた。
「わたしは、ただの鳥だ。
正直、甲斐性というものはあまり……、だ、だが、
その……、頑張るから!
細い身だが、貴女を思う心は生まれながらにある!」
両腕をがっちりつかまれ、アピールされている最中である。
それを竜王は面白げに眺めている恰好だ。
「神鳥の。そなたはそれ以上どうしようもないと思うぞ」
頭上からの一声にぐぐぐと歯噛みをしつつも、決して私から視線を逸らさないアウフィエル。
ローブの袖口から覗く腕は色白で、ちっともたくましくない。力仕事は出来そうもない。甲斐性とはなんぞや。
(でも、)
私の為についた傷はあった。女一人を離さぬように踏ん張った傷跡。残らなければ良いのだが。私はそれをちらりと気取られぬように見やり、もったいない気持ちにもなった。
「ねぇ」
斜陽にかかった光が、アウフィエルの青眼にかかる。
美しい色味。瞬く金色のまつ毛に彩られた色彩が艶やかで、私のために生まれた存在だと言われてもピンとこないし、哀れに思える。
「どうして、私を? 私は本当に人間だし。
あなたの嫌いな人間なんだよ」
「人間は嫌いだ。
だが、貴女は違う。
……愛おしいから」
「そればかりだね」
アウフィエルの目を見ていられなくて、土くれの地面に視線を落とした。
「ね、やっぱりあなた、本能に惑わされているのよ。
約束とかさ。そんなもの、すっぽかせばいいじゃない。
憎い人間に、あなた、騙されている」
(……)
返事がない。屍、ではない生きている鳥なのだから喋るはずなのだが、神鳥の影が少しずつ私の靴にかかるだけ伸びるだけで全然、はっきり言って微動だにしなかった。
仕方なく、気持ちをぐっと決めて伏せきっていた顔を上げると。
(……呆気にとられた天使の顔ってのも面白い)
あんぐりと、唇が綺麗に開いていた。
その薄暗くて間口の狭そうな口の中に、何かを入れてやりたくなる。
「……驚いた」
アウフィエルは一言、そう呟き。
私の顔色をじっくりと見詰めて、斜めに傾けた角度ゆえに神鳥、流れてきた邪魔そうな金髪を気にも留めず。
「……リアには。
わたしの言葉が、まったく伝わっていなかった」
「え?」
どこか、感情を押し込んだかのような。ぐっと我慢したものをみせ。
「確かに本能は刺激するさ。しかし、それ以上に、
わたしは貴女の、そのすっとぼけた所、
見た目に捉われぬ親切さ、
優しさに。わたしは救われたのだ。
貴女は、わたしをこの手で」
掬い取るようにして、私の両手は持ち上げられた。
そして、アウフィエルは自らの額に、私の重ねてまとめた指をくっつけた。
「――――引っ張り、野良地から。
厭わず、助けてくれた。危険を顧みず。
……わたしがいなくなったあとにも、
食べ物を残して。わたしが戻ってくるかもしれないと、
心配して置いてくれたではないか。
わたしに毛布をかけてくれて。
わたしのために、貴女はたくさんのものを与えてくれた。
…………すまなかった。
ずっと、一人にしてしまって」
温かな呼気が、私の手首にかかる。
声が震えそうになるけれど、押し付けるために堪える。
「アウフィ……」
「……すぐに、戻るつもりだった。
だが、間に合わなかった」
長いまつ毛の間が、ぴくりと動いている。
「貴女は、一人で世界を彷徨いすぎたのだ。
だから、いつも寂しげな目をする」
死ぬ覚悟をしていた気持ち、悟られていたのだろうか。
あれは、寂しくて、悲しくて。嫌なものだ。でも、心地よかった。
(誰にでも訪れる静寂)
そう思えば、寂しくはなかった。
「……そ……んなことはない、けど」
(嘘だ)
寂しかったよ。死ぬときは一人だというけれど。
間際を看取る人もいない、ただの道端の石になんて、なりたくはなかった。
「なら、どうして自ら命を捨てるようなことをする。
わたしのために、なんて言わないでくれ。
わたしは貴女を失ったら生きていけぬ神鳥。
……弱い鳥なのだ、生まれながらに貧弱で。
人ならぬ人だが、何をやっても駄目なことは駄目だった。
出来ないことは出来ない。どれだけ努力をしても報われない。
憎々しいと思っていたが、
今、このときほど後悔したことはない。
どうして、わたしは。
貴女を、早く迎えに行かなかったのか、と」
ぐっと押し込まれる指先。
静かに。
私の指間を縫うようにして、温かな雫が伝わってくる。
「アウフィ……」
私は、彼のその握られたままの指で、彼の目元へと寄せ。
そっと、拭った。指腹にも、彼の生暖かな涙が流れゆく。
「……泣かないで」
(泣かれたら、私、どうしたらいいの)
困ったな。
でも、私も。
「……リア。同じだ、お揃いの涙だ」
私もかよ。
って、突っ込みたくなるくらい、私だって泣いていた。
ぎゅっと目を瞑れば、他称神人の目元をそっと拭う仕草がやけに優しい。
頬を両手で覆われ、触れられる指の温かさに鼻の奥がつんとする。柔らかく包まれ、熱が伝わる。
優美な手の平。そう、確かに彼は美しい見目ではあるけれど。心根までもが、優しい。私と違って、人を殺したことのない、手。清らかで。何も知らない、でも。
私を、助けようと。寄り添ってくれる、この手に。
苦しい。このままだと。
(何か、言わなければ)
しかし、心臓のバクバクとした音とは違うものに気を取られてしまい。
――――何度も幾度も瞬きを繰り返し、異音に耳を澄ます。
(なんだろう)
何かが、近づいてくる。
(破滅の足音? それとも……)
「……神人よ、神鳥よ」
ただ黙って私たちのやり取りを見守っていた古の竜、ぐっと顔を上げて明け方の空の、遠い地平線を見据えた。睨みつけるように、その黄金色の瞳を輝かせる。光を浴び、ますます光明のように輝いて見えた。
「どうやら、迎えが来たようじゃ」
「迎え?」
指を離したアウフィエルから一歩、後退して。
ぐしぐしと、二の腕で目元を擦りなが仰ぎ見る。
「そうじゃ。
敵か、味方か。分からぬが。
……何者かが、近寄っている」
竜の投げた視線を追いかける。




