六話
なんとも感慨深いものである。
久しぶりの文化芽生える人の街にやってきた。山の匂いとは異なる文化圏。うーん、素晴らしい。
私は早速、小汚い我が身を振り返り風呂屋へいってさっぱりしてきた。サウナタイプの風呂ではあったが、苦手な人間の住まう街の近くでじりじりと待ち構えている生命体のことを思えば、そうゆっくりもしていられない。擦っても擦っても捻り出てくるアカ汚れも満足にとれないうちに、たっぷりの水を頭の先から浴びて風呂屋から飛び出す。脳裏にはやっぱりあの金髪青眼の天使。気だるげそうに、かといって不満そうに毛布を纏って、茂みの中で蹲って私をじっと見詰めていたのを思い出す。
ただ単に食糧買い求めるだけだというのに、猫が尻尾を動かすように羽を微細に蠢かし。振り返ると少しまた動かしている。たまったもんじゃない。
(まあ……頼れる存在が、私だけじゃあねぇ)
あの調子では、もし最初に出会った人間が悪人であったのならあっという間に利用されまくって悲惨な最後になりそうだ。
(純粋? というか、世間知らずというか)
良く分からないが、人間様が作った地図に村の記載がなかったのだ、人間に遭遇してはいかん! なんていう村のルールがあってもおかしくはなかった。
もし私が村長であったのなら、人間がどれだけ悪童非道であったのかと子供の頃から言い含める。実際、奴隷狩りなんてけったいなものがあるし。
私だって被害者になりかけた。
(……あいつは、野菜が大好きだったな)
もしかしたら果物も好物かもしれない。
ひとりであったのなら、乾物で移動時舐めるようにして噛み含め、ちょっとした空腹程度ならばいくらでも我慢して次の村のために体力を温存する歩き方をして、自分と折り合いをつけていけるのだが、今回は二人旅。
そう、30年云々。
今まで生きてきた中で、私は何人かと連れ添いはいたが、いずれも場当たり的な仕事をするうえで組んだだけであって今回のような人助け。否、天使助けは今までしてこなかったものだから。
普段使いの鞄には、一人分だけでは収まらないだろう。
(お金、かかるなあ)
まあ、仕方ない。
「拾った以上……、飼い主の役目だし」
言いながら、私は広々とした場所に建ち並ぶ市場にて、
「おや、お買い物かい旅人さん!」
「ええ!」
元気よく、愛想よく。
商人たちにゴマすって、少しでも安く食料を得られるよう生き延びるのであった。
情報収集も忘れない。
「あの、こっち来る前に煙が……」
怯えたように言うや、彼らも気にしていたようだった。
顔立ちは、日本人というよりは東南アジアの面差しのある彼ら、私に対して特に忌避感はなさそうだった。このあたりの地域は、私と似たような人種、に近いというか。私と同じ顔をしていてもおかしくはない。黒髪も多い。だから埋没しやすいが、だからといって甘えてはならない。いつまでも同じ場所に居続けると違和感を抱かれる。
「あぁ、あれはね……、
北からやってきた国の王様がやったことだよ」
「この街に寝泊まりして。
あっちへ。南へ向かった」
(へえ)
私の隣で商品吟味をしていた白髪交じりの、恰幅の良い女性が話に加わる。
「うちの隣の向かいにある宿屋に宿泊してったよ。
金払いは良かったねぇ、
どんちゃん騒ぎさ、ただ……」
「ただ?」
「そのねぇ……」
「……何か気になることでも?」
「その、ねぇ……ふふ、いやね、その」
「そういえば、私、これ、道すがら手に入れたんですが。
どうです?」
前の旅路で、手に入れた指輪だ。
不要の代物だったが、捨ててもついてくる不吉なもので、俺はいらないからお前持ってろとばかりに無理やり渡されたもの。
私はこれ幸いと、押し付けることにした。
「あら!
これは良いものね……、
ふふう、実はねぇ……」
満足そうに鼻息荒く。
噂好きの奥さまは私に思う存分語ってくれた。
「はぁ……」
さすがに、野菜は重かった。
食糧が重くて歩く足がもつれる、ってどういうことだろう。
(……今度買い込むときは、もう少し減らそう。
それか、果物とそれ以外は干物に……)
街から出てそんなことを考えている自分に、はっとする。
なんで私、あの生命体のことを考えているんだろう。
(これじゃまるで楽しんでないか?)
丘の中ほど、街道の途中、頭だけ動かして見返す。
区画整理はまったくもってされていない、街道沿いに育っただけの商売のための街だが、しかし、異文化としかいいようのない尖がった屋根があちこちから顔を覗かせている。
煙は黒く、黙々と上がり。
パンが主食だったな、なんて。
(そういや、あの生き物はパン……)
小麦食べられるだろうか、と思う。
不思議なことに同じ人間だから、だろうか。この異世界、私の住まう世界と食べ物の種類は似通っていた。そして、名称も同じ。
(もしかしたら、この世界。私と同じような異世界の人間がいるのかな)
言語も共通。だが、よくよく聞いてみると、どうも違う気がするのだ。
私の脳が、彼らの言語を都合よく把握しているかもわからない。だから、本当に私は私と言う人間なのか。そも、私はかつて日本人だったという人間だったのだろうか。もはや、分からないでいる。
(研究者でもなし)
もはや確かめる術はない。何も伝手がないのだ、実に。
ふぅ、と嘆息し。諦めた世界の端で、私は、私の興味の赴くがままに。
また歩みを進めた。新たに手に入れたカバン、そこにたらふく入れ込んだ野菜を携えて。
ここで待ってるように、と伝えた場所にやってくると。
そこに、奴はいなかった。
「あらら」
私は、なんだか肩すかしな気持ちになる。
茂みのほうを探すが、いない。
もしかしたら飛んでるかも、なんて見渡すが気配もない。
「……」
なんだか分からないけれど。
私は、非常にがっかりした。
疲れてもいたので、抱えていた食料を床にカバンごと置き、地べたに座りこむ。
今、私の脳内で弾きだしているのは、無駄に消費してしまったお金のこと。
そして、野菜をどうすべきか。買いすぎたし、私はここまで食べない。
思えば、私は。浮き足だっていたのかもしれない。
そう思うと、なんだか。気恥ずかしい思いだ。
頭のてっぺんを掻く。
緑の、さわさわとした風が木の葉を吹き慣らし、過ぎ去る。
木立の側で、私はまた、ぼうっとしていた。
かつて、この世界にやってきたときのように。
誰かが助けてくれると、思っていた。
でも。そうじゃなかった。
私を乱暴に引っ張ったのは、ボロ馬車の野郎どもだった。
私を助けてくれる王子様的な存在では、なかった。いるはずもない。
なんだか、惨めだった。