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五十一話

 意を決し見開けば、固いものに覆われていた。

太陽に照らされてキラキラと光るそれ。隙間があった。それはそれは大きな隙間だ。強い風が吹き抜けてくる。顔全体に襲い掛かってくる強風を我慢してじっと凝らせば、茜色の空が斜めに移動していた。千切れる雲が移ろいゆく。否、あの艶やかな色彩が変化しているのではない、私が北国の首都から南方の国境沿いへ旅立ったように、私自身が移動しているのだ。顔を上げれば黒い毛先が揺れる。どうやら私は何者かによって運ばれているようだった。竜の手によって。

 仰ぎ見れば、

 

 「目が覚めたか。

  神人の」


 黄金の瞳が、遥か高みから見下ろしていた。鋭い瞳孔がぎょろりと私を見据えている。

 (でかい)

この竜は目玉が一際大きく、美しい色をしていた。どこか、あの黄金色を持つルキゼを思わせる色味だ。


 「これで神鳥も大人しくなろうて」


 ぶふー。

鼻息と共に、竜の呆れの滲んだ声が響く。

 (アウフィエル?)

 ぽかん、と開いた私の口。視線に誘導され、顔を上に向ける、と。


 「あ」


 竜の頭頂部、毛の合間。こんもりとした人影。何かが這い蹲っているのを見つけた。疲れ切っているのか、ぐったりと横になっているが。私の声にぴくりと微動した二の腕に、意識の在り処をみた。


 「こやつ、本当に見目と違って活発な鳥よ。

  先祖からして弱いところを刺激しよる」





 夜も更けた。

私たちは、竜の翼によって遠い場所に運ばれた。


 「どこ?」

 「わからん」


 方向音痴に輸送され、岩だらけの合間に私たちは潜んでいる。

巨体を大きな闇夜に馴染ませるかのようにひっそりと巨体を納めたお喋りドラゴン、首を傾げてくあ、と大きな口を開けては閉じ。


 「我は眠い」

 「……そう」


 ぶー、と鼻息ひとつで遥か後方へと手近にあった大岩複数を吹き飛ばし、剥き出しの前足二本に喉元を乗せてお行儀良くお休みのポーズをとった。潔いその体勢、まるで近所にいた犬を彷彿とさせて既視感あまりある。


 「リア、ここは南だ」

 「南?」

 「南のほう、へ向かったはず」


 多分、などと呟く神人の鳥、私の身なりをぱたぱたと指先で触れて確かめてきた。すっかり乾燥してこびりついてしまっている汚れ。なんだか生臭いものがまとわりついているようで、正直言って気持ち悪い。さっぱりしたい。小汚い恰好でもそれなりにこらえ性のある私でさえもそれほどのものなのに、あえてでもいうべきか、アウフィエルは私の身を案じて調べようとする。真剣だ。丁寧に頬や額を調べ、さも壊れものみたいに扱ってさえいる。似た汚れが付着してもなお美しさが損なわれぬ容貌の彼のほうがガラス細工のようで、こっちが冷や冷やする思いだ。満足するまでペタペタと確認、用済みになったところでようやく一歩距離が空いた。


 「怪我、はしていないな。リア」

 「あ、あぁ、うん。

  私よりも、アウフィエルは?」

 「大丈夫だ」


 翼を持つ鳥人だからか。空中移動はお手のものらしい。

純白の翼が、ばさりと宙を打った。したたかに響く羽音。

 次いで――――沈黙。

 (……ん?)

 頭を傾げる。彼が無言でいるので、私も同じく口を閉ざしたが。

 (なんだろ?)

 この空気。淀んではいないが、天使、妙に威圧的に私を睥睨としているではないか。ずっと。

これでは当初の出会いの再来である。

 (私のほうから話しかけるべきか)

 長い静寂のあと、悩ましく噤んでいた私に痺れを切らしたものか、話しかけてきたのはアウフィエルからだった。見た感じ、桃色の唇には未だ茶色い土粒がくっ付いている。


 「で、わたしが言いたいことは、分かるか?」

 「ぜんぜん」

 

 何やら白い顔をさらに漂白色にして、暗闇上に晒した。

やはり元気がないらしい。ため息さえつかれた。


 「……本当に分からず屋だ。どうして、そうまでして生き急ぐ」

 「何を急に」

 「それはわたしの言いたいことだ。

  ……石に、岩にかじりついてでも、生き延びたいと思わなかったのか」

 「え」


 呆れの滲んだ声に驚いた。

 (意外だ)

まさか、説教くさいセリフを突きつけてくるとは。

睨みつけてくる鋭い青眼を、まじまじと見返し続ける。


 「……どうして、わたしの指を解した。

  何故、しがみつかなかった」

 「いや、どうして、って。

  死んじゃうでしょ二人とも」


 あのままなら、私たちは共倒れだった。

 なら、可能性を掴んだほうがいい。第一、この神鳥にしがみついたところで助かる見込みはない。だから、私は自死を乞うた。アウフィエルには翼がある。私がいなくなれば飛べるはず。


 「伴侶が死んだら、わたしだって死ぬ。

  どちらにしてもわたしは死んでしまう」

 「……いや、そもそも私は伴侶じゃないのかも、」

 「リア!」


 唐突な響き渡る怒声に、びっくりして肩が浮いた。

後退りしてしまったが、被せて寄ってくる。


 「なんだいったい」

 「何故、そうやって! リアは、諦めようとする!」

 「な、いやまあ、そう、かもわからないけど」


 諦めとか。

 (何を言い出すんだ、)

 勇気とかそういった事柄によって生じる理不尽への怒り、憎しみ、この無駄に苛立たせる世界への気持ちを、私は必死に呑み込むことによって……我慢してきたのだ。

 (そういった重苦しくて煩わしい感情から、

  私はやっと、解放されると思ったのに)

 死は、魅力的な生き物だ。


 「リア、わたしは、あなたには生きていて欲しいと!

  共に居たいと思っている!」

  

 がばりと、勢いよくアウフィエルによって抱擁される。

が、私は違和感を拭えなくて棒立ち状態。困惑するしかなく。

強く強く抱きしめられるたびに、

 (いや、違う、これは……)

 ふと、私は宙ぶらりんになっている己の腕、その先を見た。

掴むあてのない私の人差し指が、震えている。


 「リア。

  わたしは神人の伴侶として生まれた神鳥。

  いずれは死ぬとしても……、この鳥は、

  神人を違えることはない」


 愛した者が神人である、なんて耳元で囁かれるも、 

 (そんな馬鹿な……)

 しかし、抱きしめる力はなぜか力が入らなくって拒絶できないし、顔全体に当たるアウフィエルの胸板は案外とそれなりにあった。一般男性のごとく逞しくはなかったが。

 しかし、熱い。熱い何かが伝わりそうだった。

 おかげで、ほんの少しだけ冷静を取り戻せた。唇を引き締める。


 「そんな理由で、ドラゴンの口の中にまで飛び込んでくるなんて。

  私が浮かばれないでしょ」

 「リアには翼はないだろう」

 「それはそうだけど」


 (そういう意味ではない)


 「リアは神人だ。

  でなければ、わたしはいつまでたっても独り身だ」

 「……あのね、その。

  神人なんて、良くわからないけど。

  私、そんな大層な人間じゃないよ」

 「いいや、神人だ。

  でなければ理由がつかないことが多すぎる」

 「あのねぇ……」

 

 アウフィエルを少し押してやれば抱き込む腕の力が緩んだので、しっかりと天使の両目を見据える。


 「……よくわからないけど、ごめん。

  私、知らない間にあなたに、求愛してたみたいで」


 胡乱げな天使。


 「私、あなたたちの慣習とか知らなくって。

  だから、そういった良くわからないけどさ、

  そういった、その。なんていうの?

  誤解してるんだよ」

 「は、」

 「私があなたのためにやったことって、少々のこと。

  私はね、あのとき死んでも別に、構わなかった」


 その言葉は、アウフィエルにダメージを与えたものらしい。

どこか憂いを含んだ痛々しい表情を垣間見せ、薄い唇からは物悲しくも麗しい声を紡ぐ。

 

 「……リア。

  あなたは、自らを傷つけることに頓着しないようだな」

 「いや、私だって痛い思いはしたくないよ」

 「なら、どうしてあんなことをした。

  あなたと一緒なら、わたしは……、

  共に死ぬことさえ、構わなかった」


 瞬く。いや、もう瞬くしかない。


 「リア。

  わたしは確かにか弱い鳥だ。

  だがそんなわたしにだって、あなたの役に立つことぐらいある。

  先祖のように無聊を慰めてやるし、見世物のように歌をうたっても構わない。

  舞だって踊って楽しませてやるし、空は……、

  あなたを抱えて飛ぶには心許ない翼だが、少しぐらいは飛べるだろう。

  神人によって約束された神鳥だが、

  いくらでもあなたのために我慢できるし、

  いつだってあなたと出会うために生まれてきたのだと、

  噛み締めることができる。

  リア……、どうか、わたしを見てくれないか」


 視線の交わる青い双眸が、私の心の奥を覗き込んでくる。


 「認めて欲しい。

  わたしがリア、あなたの番いとなることを。

  ……あなたの本当の名前を教えて欲しい」


 もごもごと、私の唇が蠢く。


 「……本気? いや、正気?」

 「リア、ここまで言っても分からないのか」


 端麗なる顔を持つ、宗教画の中から飛び出してきたかのような御仁は、その翼をばさりと動かしながらも、私を求めると。

 (と、いうことらしいが)

 いや、確かに彼は美しい翼を持つ人の形をした鳥だ。

生えている純白な羽よりも青い目は長い金色のまつ毛で隙間なく、私をじっと、何やら熱のこもったもので潤んで覆われているような気がする。


 「真実の名前ではない。”リア”では、伴侶としてわたしには響かなかった。

  ……わたしはあなたを心底愛おしいと思っている」


 普通、ここまで言われる身分なんてありえない生き方をしてきた異世界人の私には、この状況下においていったい何を考え、口にすればいいのか分からなくなってきて頭の中ががらがらとばらばらにはじけ飛んだ積木を見下ろしている感覚に痴れた。


 「いきなり、だと思うか?

  わたしは、あなたと出会った瞬間から。

  もはや、止められないものだと思った。この感情の行き先というものは。

  伴侶という約束があったとしても、わたしはあなたを望むのだろうな」

 「ねぇ、待って」

 

 混乱する――――息が、しづらい。

 (いや、確かに私を求めるようないじらしい言葉ばかり、聞かされてはいたけれど)

 

 「リア。

  いや、神人よ。

  名前を教えてくれ。あなたの、本当の名前を」

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