五十話
アウフィエルはしっかりとやり遂げてくれた。
「わ」
「リア……っ、」
ふわ、と浮き上がる身体に、天使が覆いかぶさってくる。
後ろから回された両腕は私の胸や腹回りをがっちりと固定しており、痛いほどである。肺も軋むが――――瞬く間に、くるりくるりと回転しながらの空中投下。たっぷりの浮遊感に身が竦む。
(なんてこと、)
眩しすぎる青空世界に、ぽいっと私たちは放り投げられていた。
それも、今までで一番、とんでもない高さ。真綿のごとき白い雲が靴の下で流れていき、風が冷たく感じられるのは竜の唾液が身に染みついているからか。心許ない足元に気もそぞろになるし、全身が鳥肌立つ。
とにもかくにも眼下に広がるは、砦の全景だった。
声にもならない声が、喉の奥でひっきりなしに騒いでいる。眩暈もした。先ほどから、ずっと、天地がくるくると入れ替わるせいで。もう少し地面に近いところでペッと吐き出して欲しかったが、希望は叶えられなかった。
――――不幸なことに、私はタフだった。
空中飛行はすでに経験済みだ。私を羽交い絞めして一生懸命翼を動かしてくれているアウフィエル、くるくるとした遠心力に負けず、必死にもがいている。私を振り落とさないように、生き残ろうと。
(頑張って、くれている……)
密着する彼の表情を伺うが、頬を伝う汗の量が凄い。真っ赤な顔で踏ん張っている彼は、決して、私を手離したくはないようだった。
「アウフィ……」
必死だ。ばさばさ、と背の翼を蠢かしてくれているが。地面へと近づくスピードは収まる気配がない。ゆっくりと降下しようとしてくれているが……、前回のようなことになるだけなのは、明白だった。
私を抱えるがゆえに二の腕がぷるぷると痙攣している。その麗しの顔は鼻水と涙ですでに酷いことになっている。涎も合わさってベタベタになってしまって、金糸の長く綺麗だった髪でさえベタついて絡まり、酷いダマになっており哀れでさえある。
――――だが、どれだけ努力をしようにも、どちらか一方しか助からないのならば、そう。
私は、やにわに口開くが。
「リア、それ、以上は許さ、ないから、な」
悟られていた。
(困った)
さて、時間がない。
悩んだ。一瞬。
このまま二人とも墜落したらまずい。
アウフィエルは私を手放さない。ならば、私は人でなしの罪を被り、彼のこの踏ん張って繋いでいるであろう私の命、この腕に噛みついて。反射で離す、のを試すしかなく。
私を落とすように仕向けねばならない。
だが、それでは。この、ここまで私の為に頑張ってくれた彼を貶めてしまうことになるのではなかろうか、と別の疑問が浮かぶ。この天使、数えるほどしか会話はしてはいないが、ちょっと話しただけでも分かる通り、いやに善人というか。人の良い性格をした天使だ。人ではない人だが。
真っ直ぐで、清純なる外見を裏切らない、真っ直ぐな中身を持つ。
(もし、ここで私が落下してぐっちゃりな死体になってしまったら)
トラウマになるのは間違いない。
私だってそうなる。だから、魔法でなるたけ自分の目の届かない場所へ吹き飛ばしたりもして、人を始末したわけで。
(おまけに伴侶とか)
もしそれを本気で口にしていたのなら。
番いだと、私を本気で望んでいるというのなら。
神鳥、という種であるらしいが、それほどまで思いつめた人であるらしい存在を失ったとき、その後の彼の人生を思うと、なんとも……、
(いや、あのエルフがいるんだから、)
けれども、言っていたではないか。
あのマスティガは。
――――とはいえ、弱い鳥だ。身体もそうだが、愛する相手がいなくなったら、
たちまちに死んでしまう。引き裂かれると弱るんだ。
愛に生きる鳥、一途な鳥、という訳でな。
俺は、友であるアウフィエルのために、
その番いになるかもしれない女……、
つまりは、お前を探してきたんだ――――
(何故、こんなときに思い出したんだ、私……)
顔がしかめっ面になるのを自覚する。アウフィエルが必死なのは。
私を、喪うのを恐れていたから、か。
本当に、私を、アウフィエルはますます私を離さぬとばかりに、ますます羽交い絞めにかかる。抱きしめる力の強さは、少しずつ弱くなっていったけれど。
「嫌だ、リア、わたしはリアを離したくな、い……、」
合間合間でもって、鼻水まで聞こえる。
泣いてもいるようだ。
「まだ名前だって教えて貰って、ないのに……、
リア、の本当の、名前、を……、」
ぐず、ぐずと鼻を啜る音が私の首筋から響く。
「リア、リア、わたしの唯一。
わたしの、たった一人の愛しい、番い、
もう、嫌だ、一人は……、
一人で待ち続ける、のも、」
腕が千切れるのではないか。懸念した。
私は、彼の二の腕を掴んでいたが、しかし、少しずつ撫でるようにして、労わってやれば。力が抜け落ちてしまうのだろう、勝手に離れていく。指を剥がしてやれば、私の力でも彼の指先は一本一本、簡単にとれてしまった。
彼は自らの意志でもって、これ以上は、我武者羅に私を抱えることができない。
「リア、嫌だ、うしな、うのも、」
(ありがとう、)
「リア、……!?」
大地には未だ遠く。
アウフィエルの両腕から抜け落ちた私は、神鳥たる彼、アウフィが、驚愕した顔でいるのを見つめた。
彼は、私を追いかけようともがく。
しかし、体力の不足さが目に見えていた。少しずつ距離が出来る。
私は、彼の青き双眸が絶望の色に染まるのを見上げ続けた。重力に引っ張られ、この身が大地へ叩きつけられるであろう、その刹那を予想した私は最期の、息を吐き出した。
もう、酸素を吸うことはできないだろう、そんな悲壮な覚悟を受け入れようとして。
(泣きじゃくる、誰かの声が聞こえる)
「どう、して。
どうして、俺を置いていなくなる」
「我は死ぬ。
せむかたなし」
「じゃない!
なんで……、なんで、俺、騙されたのに。
それなのに……、う、ぅ」
「諦むな。
絶望すな」
「どうして、俺を憎まない?
恨まないんだ、ピンちゃん……、
あいつら……、俺が、神の代理だからって。
俺を騙すためにトカゲのピンちゃん、苛めてたんだぞ、あいつ……」
(懐かしい、声)
それは、慟哭だった。
同胞たる人間に騙され、桃色の竜を死なせてしまった。
それを、悔いている一人の神人の懺悔だった。
竜は血だまりに身を伏している。
体中が痛々しい傷跡だらけで、生々しいものだった。とてもじゃないが、すぐに治る、といったものではなかった。何もかもが抉られていたし、竜の身は、そのどれもが美しく素材になり得るものだった。生き残るためには、必要な措置でもあった。たとえそれがどれだけ神人を悲しませ、苦しめる行為だったとしても。
次第に竜は眠くなったものか、その縦長の瞳孔を閉じる。
無言になってしまった。竜からは温かみが消えていく。その静けさは寒々しく身が竦むほどではあったが、それでもなお神人たる青年は、喉を詰まらせながらも話しかける。
「俺じゃなくて、俺の妹だったら。
きっと、ピンちゃんを殺さずにいられただろうな。
あいつ、冷静だし。変な所で我慢強いし。
頑固だけど、メスのお前の異変だって、気付けただろうな。
同じ女だし。機転が利く。きっと、気が合った。
ピンちゃんの子が攫われたことぐらい、悟っただろうな。
俺が、駄目な奴だから。
俺が、ただ、言われるがままの、神人だったから……。
俺が、もっとしっかりしていれば。
俺が、もっと……俺、が…………」




