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四十九話

 「リア!」


 魔法発動と同時に、ふっと弛緩した私の身体。

アウフィエルの悲痛な声が途絶え、

 

 「リア、……!」


その蒼白の美しき顔が視界から消える。


 同士討ちは覚悟していた。

 (軽い予想範囲でしかないけど、)

発生する痛みは脳天どころか私の心臓を抉り、折れ曲がった骨が竜口の隙間からはみ出るだろう……腕や手足なんて千切れるだろうし被害は甚大かつ悲惨。竜の口に咥えられた私は放たれた魔法によって、同時に空へと吹き飛ばされてバラバラになるであろう。うわグロい。想像するだに酷い。

 それだけ、竜の猛攻は凄まじいものがあった。

さて、コンマ数秒での私の脳内シミュレーション。どうなったかというと。

 私の視力が遮られてしまったが、それでも必死にこねて放った風の魔法。

 ――――やはり間に合わなかったようだ。

残り香のような風が、私の指をさらりと撫でた。

 世界が一瞬で暗くなる。私の、世界。まるで冥府の入り口にでも立たされたかのように生温かくって、湿っぽい空気が、疲弊して重たくなってしまった私の両手足を嬲る。

 (……喰われた)

 液体のようなものが、びちゃりと顔にかかる。

唾液、か。

思わずぎゅっと両目を閉じ、顔を守るかのように両腕で頭を抱えた。ぬるぬるとして気持ち悪いが、そんなことよりもやって来るであろう激痛に備えなければならない。竜に喰われる覚悟。

 ――――少々の残念さが我が心の隅っこに、置き土産みたいに残った。

息苦しい思いだが終了、だ。

 (……さようなら)

 そう、さようなら、だ。さようなら。嗚呼、相応しい。

何もできなかった私。

私の人生は、これにて一件落着。いなくなる。肉片は私から切り離され、腐るだろう。

 ただ、それだけのことなんだ。

 (もう少し……生きていたかったな)

 覚悟はしていたはずだ。どうなるか分からない旅。

 でも。

いざやってくるとなると、動揺するし。

 やりたいことだって、少しぐらい頭に浮かぶ。

 はあ、と。

息をする。

 (……思えば、どうってことのない人生だった)

 異世界へやってきてしまった以外は。

なんとなく、家族の顔があれこれと。

 両親は嘆くだろう。私に良く似た兄弟も、まあ。悼んでくれる、か。

そうだと嬉しい。

 ところで。

 (回想、って。

  こんな、に長く出来るものなんだろうか)

 足の裏、揺れてない?


 「……?」


何故、息ができるんだ。

 

 「え……あ?」


 覚悟していた衝撃がない。訪れるであろう激痛に備えていた私の意識は途絶えるはずだった。まさか、すでに胃の中へぺろりんと行く方向だったか? 

 ゆっくりと両目を開く。頭部を守っていた両腕もゆっくりと解す。

ついでに、顔全体に付着していた唾液らしき液体を二の腕で拭う。やっぱり生臭いから、竜の唾液だ。それでいて、

 (いやに熱い……)

 残念ながら確かに私は喰われかけ、であったようだ。

なんせ竜の柔らかな舌上にいるのだから。靴の舌がゆらゆらと安定しないのは、丸呑み体勢であったからのようだ。竜の喉仏が眼前に少し距離を置いてぶら下がっているし。小骨に引っかかっている状態の、小骨が私、か。これはいづいであろう、竜が。


 「わあ」


 私の周囲は、歯茎と思わしき真っ赤にそびえる横壁からびっしりと生え揃っている刃に囲まれている……我が身は鋭い竜の歯からは飛び越えたものらしい。幸いといえば幸いだ、……手も足も動く。痛みはない。血も流れていないようだ。噛まれていないのは僥倖だが、息を零してしまった。顔を顰める。

 (だからどうだというのだ)

 そう、助かっていない。

結局、丸呑み一歩手前にしか過ぎない。

 じわじわと足元を濡らし尽くす唾液。唾液腺は竜にもあるらしい。

生臭くって、湿気が酷い。熱いのは、火炎を吐く気道上にいるということと、空気が籠っているそのせいか。

 喉仏の奥はきっと強烈な胃酸がある。

ごくり、と生唾を呑みこむ。

 いや、私だって飲まれそうになっている。このままだとそうなってしまうだろう。嫌に決まっている。だが、現状、私の武器は。

 両手にあったはずの魔術書。ぺらぺらになってしまった表紙だが、竜の唾液と共に私の手に貼りついていた。

 (き、気付かなかった)

 それだけ必死だったということの裏返しだが、しかし、あったとしても役に立たない。なんせページがない。無いのだ。全力で魔法を放ったのだ、当然といえば当然かもしれない。

 がっくりとした気持ちのまま本の体裁の整っていないそれを眺めていると、白い染みのようなものを見付け、目を見張る。

 そして、それは少しずつ、じわじわと範囲を広げていった。

 (え、なんだこれ)

 しばらくすると、表紙の端っこから、さらさらと砂のように流れ落ちていった。

  

 「え、嘘」


 呟いて粒を拾おうとするも、やはり無理だった。

指の隙間から落ちていく粒をどうやって守れば良いのやら。

 呆気にとられる。指を動かすが、さらさらとした粒は私の手の内側に留まることはなかった。

 (いや、こんなことをしている場合じゃない)

 そう、少しは抵抗しなければならない。

魔法が大した影響を与えることができなかったというのなら、別の方法で時間を稼いでやらなきゃ。でないと、私が喰われる意味がない。天使の飛行時間ぐらいなんとか捻出しないと。


 「……あとは」


 私の胸にある魔術書ぐらいだが――――


 「うわ、」


 がくん、と膝が落ちる。

ついでに首も痛い。

 なんだなんだと見上げれば、竜の口のおとがいが下がってきていた。

竜の上顎が、下がってきた。つまりは呑みこもうとしている。

 (これはヤバい)

 竜の胃液がどれだけ丈夫か不明だが一気にじゅっていけば意識は簡単に失えるだろうけれども、肌からじわじわとヤラれるのは勘弁願いたい。 

 (どうしよう)

 ぐぐぐ、と下がってくる竜の肉壁に抗うために手の平を上に向けて踏ん張る。

が、竜の舌は絨毯みたいに柔らかい。ついでに分泌液たる唾液によって滑る。べったりと私の身体全体に付着して滑りやすくなってしまった。やばい。動くな。

 (……かみ砕かれ、あっという間に意識失うはずだったのに)

 出血多量のとんでもない瞬時な痛みは覚悟していたが、じわじわ胃液で溶かされるとか。そんな舐められ方は覚悟していない。私は、ちら、と。喉仏方面に視線を走らせる。

 ぶらぶら。

 イラッとした。

 こっちは死にかけているというのに。

 あるいは、なんらかのダメージを。それこそ、引きちぎるほどの痛みを与えてやれば、唾液まみれにぺいっと吐き捨てられるかもしれない。

 (だけど……動けないな、これ)

 こめかみに汗がたらりと、流れる。ちょっと飲まれたら、それで終わりだ。足元がさっきからぱしゃぱしゃと唾液のプールになりかけている。

 ――――やはり、無理かもしれない。

私は生き残ることが出来ないのではないかと。


 「諦めるな!」


 いや、本当にそうなりそうなん……。

 (何だ?)

 やけに近いところから声がする。聞き覚えのある……。

はっきりとしたその元凶へ振り返ると、もぞもぞと動く者がいた。

 竜の口が閉じかけている、その隙間。向こう側から。

 外の光を背中に背負い、這い蹲ってくる何か。

 ……正直、馬鹿かと思った。

両目を見張った。


 「ア、アウフィ、……」


 這い蹲ってでも、私のほうへ近寄ってくる天使がいた。

腹の底が冷える。むくりと持ち上げた麗しの顔。間違いなく、天使だった。


 「ど、どうして」

 「どうしてもこうしてもない!」


 竜の口の中は圧迫感で満載である。

なんせ私はといえば腰を落とし、背を丸めている。それでも懸命に、私は迫りくる上の壁を両腕やら背骨によって抑えていた。もはやマッチ人間である。折られたら終わりだった。

 痛いし、辛いし、苦痛。ついでに生臭い。ねっとりとしているし。

肝心のアウフィエルが、どうしてこんな所にやってきたのか理解に苦しむ。

 飛んで火に居る夏の虫、ならぬ天使だ。


 「早く出なさ、」

 「嫌だ!」


 馬鹿な。

呆気にとられる。

 (きっと、心配してきてしまったんだろうけれども)

 怒鳴りつけたくなる気持ちを抑え、相手のために殊の外優しく、それでいて短い言葉を使う。


 「アウフィエル、貴方には羽がある。

  いつだって逃げられる!

  私のことは、いいから……」

 

 今からでも遅くはない。

私の必死な形相にも負けないぐらいの酷い面構えで、アウフィエルは反撃してきた。

 喚いた、といっていいぐらいの口ぶりだった。


 「嫌だ!

  私は私の伴侶の側にいる!」


 その綺麗に刺繍されたローブの服を。べたべたにしてまで。

流れる金色の髪をぐちゃぐちゃに汚してまで。

土気色の顔でいる彼は、いっそ熱心な匍匐前進で私のほうへ近寄ってきた。


 「リア……」


 そして、ずるずると近づいてきて今にも押しつぶされそうな私の身体にたどり着き、両手でがばりと抱きしめてきたではないか……唾液によって私の肩からずるりと下がってしまったが。腰回りを抱かれ放題である。


 「あ、アウフィ」


 思わずつい、口にすると。


 「ふふ……私の愛称だ。

  嬉しいな、リア」


 くっ付いて、はにかんでいるが。

 (生臭い)

私の身は新たなる唾液を擦り付けられ、余計に臭気漂う身になった。

 泣き笑いしたくなった。というか、私の顔面はそうなっているであろう。泣きっ面に蜂というか。

しかし現在、そんなことしてる暇はない。

 私は目線で辿る。

ほんの少しだけ、生乾き状態の翼を。うつ伏せで彼はやってきたから、少しは稼働することを期待する。


 「……アウフィエル、その」

 「なんだ」

 「……私ではなく、後ろの」

 「ん?」

 「そっちに、抱き着いてくれない?」


 ――――閃いたのである。

言うや、アウフィエルは少し残念な顔をする。


 「翼は濡れていない? 動かせる?」

 「あ、ああ、動けるが」

 「後ろのあれを抱き着いて、攻撃して欲しいんだ。

  噛みついてもいい」

 「か、噛みつくのか」


 ちら、とアウフィエルは喉にぶら下がるそれを見やり。

とても嫌そうな顔をした。


 「……私にはそういった力は皆無で……」

 「なら、羽で」

 

 所詮は柔らかな喉の器官だ、異物感を出せば良い。

言うや、アウフィエルはもっと嫌な顔をしてみせた。しかし、私の意図は把握したようである。

 翼を動かして、狭い気道を細い鳥ガラのような身でなんとかふわり、と。アウフィエル本人よりもでかいそれに貼りつき。

 結果としては――――


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