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四十八話

 息を呑んだ。

なんせ、それはあまりにも……、

 

 「……綺麗」

 

 勝手に、私の唇から零れ落ちてしまった言葉。

 たちまちにアウフィエルはきょとん、とした表情をしてみせる。

瞬く私。黙した私はいったい全体、今何を考えたのかと我が心中を振り返る。彼の、その美しいかんばせにのっていた儚さがとろけてしまったが、ふいを突かれたのは私も同じ。

 慌てて立ち上がり、アウフィエルからは距離をおいた。

でないと、


 「リア……?」

 「なんでもない」


 気のせいだ。

――――そう思いたい。きゅっと口を引き結ぶ。

 天使がはっとして、天井を見上げた。

 

 「外が騒がしい」


 竜の雄叫びが聞こえる。

 気のせいだ。

――――そう思いたい。

 




 どうやら本当に異変が起きたようだ。

ルキゼだろうか。猫耳が発見され、竜たちが歓喜の咆哮でも上げているんだろうか。かつてないほどの騒々しさだ。つんざくような竜の叫びに私たちの会話なんて掻き消えるほどである。耳が痛い。おまけに砦も震えているように感じる。石造りの建築様式もこれまでか。

 魔術書を抱えひた走る。靴音は竜たちの狂乱のごとき騒々しさで相殺されているのでなりふり構わないが、問題は体力のないアウフィエルだ。彼はすっかり息切れを起こして青ざめている。私より貧弱な神鳥だ、飛ぶにしては羽が広げられるほどの十分な広さは砦にはなかった。しかし声をかけてやる余裕はない。数秒にも満たない後方確認をし、彼がちゃんと足を動かしているのか確かめる程度だ。

 焦る気持ちを抱えるがゆえに、立ち止まることはできない。たまに落ちてくる埃や石つぶてに顔を顰める。

 ――――私たちは見晴らしの良い屋上へ向かっている。かつての私の日当職場。危険は百も承知だ。

最上階は投擲や矢じりなどの攻撃を防ぐための設備がある。ただの壁といえば壁だが、そこからの覗き穴があった。元職場にいた私が居座っていたところだ。そこから魔法攻撃を仕掛ける、といった業務内容であったが、かつての職場もたまには役に立つものである……竜によって破壊されていなければ、の話だが。

 息切れをしながらも駆け抜ける先、そこに私は一縷の望みをかけた。

ぐっと抱える魔術書に意識をしつつ。階段を一段一段勢いつけて登り、眩しい光の下へ。

 想像通りなら出入口から対角線上に現存しているはずである。地上からは見えづらく敵から攻撃しづらい物陰、そこに滑り込むようにして身を低くくして進めば――――屋上へ、一歩踏み出す。

 たちまちに、ふわ、と広がる青空。砦の中を揺蕩う重苦しい空気が一気に晴れやかになり、清々しい。

あまりの眩しさに目を細めるものの体力は存分に削られた。敵がいない広々とした屋上であることを認め、背を丸める。心臓がばくばくと脈打っている。肺も、また。

 (熱い……)

 汗が頬を伝う。両ひざに手を当て、後方にて階段をゆっくりと昇ろうと頑張っている足音を耳にしながら、はあ、はあと絶え間なく息を整えるが……。


 「へぇ。やっぱ居たか人間」


 ぎょっして声のするほうへ、顔を上げる。

 晴天直下誰かの嬉しげな声がしたのだ。それも、

 (男!)

 誰かが、私の後ろに回っていた。

私の汗が飛び散ってまで振り返る、ほどの間もなく、


 「……っ」


 自動的に魔法壁が発動する。


 「おっと!」


 誰かの驚きが、涼やかな音色と共に遠のいていく。

何者かが距離を置いて空に舞い、しゃらん、と涼やかな音色が大気に響き渡る。跳び退る人影に注意を払うが、と、っと。

 まるで猫のように足音立てずに眼前にすっと降り立つ、立派な体躯の……。

 青年?

 私から距離を置いて仁王立ちをする男は、


 「魔法か。小賢しいな」


 人間ではない。

金色の頭部、そのてっぺんには見覚えのある形の耳が生えていた。

 凝視する。何度見ても、やっぱり……。

 猫耳である。

それでいて衝撃だったのは、黄金のリング。黄金色の輪のピアスだ。彼の特徴といってもいいほど、大きめの輪っこが猫耳に穴を開けられ、垂れ下がるそれ、明らかに。

 混乱しているが、なんとか現状把握に努める。 


 「……奴隷?」


 疑問形ながら告げるや、彼は楽しげに口角を上げる。


 「この俺に向かって奴隷とは。

  まあ、あながち間違ってはいないか……」


 その造詣。見目は、美丈夫な男だった。

立ち姿もすらっとしている。鋭い目つきは金色の瞳。金髪。褐色肌の。

 酷く既視感のある男だ。その笑顔。獰猛な笑みだが、あのお菓子大好きな猫耳とほほ笑みが被る。ほわほわとした空気を醸し出す、少年。

 (……まさか、)

 刹那、背筋がぞくりとした。ゆらりとした大気の揺らぎ。

 再び、魔法障壁が発動した。埃が散る。


 「く、」


 とんでもない衝撃だった。

目の前で泰然としている男の攻撃ではないのは分かる。

 (ま、魔法の壁ごと私を押しやるほどの力……)

 未だかつてないことだった。

 魔術書を掴む指に力を入れて原因であろう真横へ見やれば私の防御魔法に、件の竜がその鋭い歯で噛み切らんとしていたのだから。

 (ひえっ)

 巨大な舌が、艶めかしく私の魔法壁を舐めている。

竜の鋭い歯の羅列が間近に目の当たりにしてしまい、気が遠くなりそうだった。歯肉までくっきりと拝めるうえ、火の粉がぱちぱちと竜の口から散っている。

 (まずい)

 集中力が途切れそうになると同時に、魔法壁も薄まる感覚に襲われて竦んでしまう。

 慌てて気持ちを切り替え、壁の厚みに努めねばならなかった。食い破られてはたまらない。私こそがぱくり、だ。


 「頑張るなぁ。

  けど、どこまで持つかなそのやせ我慢は」


 ははは、と空に木霊したあざ笑い。

 (集中しろ集中しろ集中だ、集中しかない)

 だが、私の魔術書のページが。ぱらぱらと消えていくのを感じた。その重みも。

はら、はらと。風に揺れる程度には、ずいぶんと。あと、数ページしか残っていない……。

 ここでようやく、私は脂汗をぶわっと。全身の毛穴に湧いたのを自覚する。

今までなんとか平気でいられたのは、この防御魔法に自信があったからだ。いざとなれば守られている、と。だがここまで圧倒的に配慮してこない敵となると。今まで出会ってこなかったぶん、ピンチといって差し支えがないであろう。味方は頼りない天使である。幸い、まだここまで至らないようだが、

 (うう……)

 気が急いてたとはいえ、アウフィエルから距離を稼いで正解だった。

あの鳥は、こんな状況に飛び込むほど馬鹿じゃないはずだ。

 じゃないと……、


 「リア!」


 (逃がすことができない)

 酷く疲れ切った美しきかすれ声ではあったが。

一生懸命登ってきたのであろう、今にも死にそうな口調だった。いや、本当に死ぬかもしれない、このままでは。後ろを振り返る余裕もなかった。


 「来ちゃ駄目、」

 「リア!」


 (く、)

 駄目だ、喋るだけでも意識が飛ぶ。ちかちかする。

想像以上に、この竜の口は凄まじい攻撃力である。私を喰らおうと、何度も魔法壁を角度を変えて噛みついてくれるのでそのたびに魔術書の文字が薄まり、消滅していく。

 

 「おいおい、これはこれは、」


 猫耳の男が何かを言っているようだが、私の耳には入らない。

何か驚いているようだがそこに目を向ける余力さえなかった。


 「駄目……」


 無駄、かもしれないが。

はあ、とため息をつくような、そんな吐息をひとつ。

 両腕に抱えた魔術書が薄まる気配に。

私は、私の旅の終わりが近づいていることを認識する。

 目を閉じ。

魔術書の残り僅かな力を把握しつつ。

 アウフィエルのために、最期の力を使うことにした。

 (でないと、彼の幼馴染みにも悪いからね……)

 魔法は、同時に使えない。

ならば、一か八か。

 魔法壁を解き、攻撃するしかなかった。

 (空を飛べる天の使いならば。大丈夫)

 それしかない。心臓を守るかのように位置する魔術書はとかく時間を要する。

 (アウフィエル……だったね、彼の名前は)

チャンスは一度きり。

 伝えられるほどの時間は無いけれど、顔を見てやるぐらいなら。

 (伴侶とか、なんとか騒いでいたけれど)

 最期に、私の心を揺らした彼の笑みを見たかったな。

そう思えば、恥ずかしい事でもない気がした。

 吐き出した吐息と共に目を開ける。

 相変わらずの竜の攻撃であるが……。

私は振り返る。よって、彼の姿を目にした。それは一瞬のことだったけれど、彼は額に前髪を貼りつかせてまで私を、その美しい青き瞳で追っていた。顔色は悪い。まさに土気色だった。白い翼ははためかせ、今にも空を飛びたがっているようにも見えた。ローブの裾を棚引かせ、金色の髪が膨らみを持たせ風に流れる。

 彼はまた、私の名前を叫んだ。また、手を伸ばそうとしている。

 これは私の望んだ結末ではなかったけれど、でも。

 (これで良かったのかも)

 骨は墓に入れて欲しかったなあ、なんて。

竜の生臭い息を頬に感じとりながら、私は引きつる頬に強張る自分に叱咤しつつ。

 本当の最後になりそうな、人生の終わりと共に風の魔法を竜の口の中へ放った。

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