四十七話
警戒はしたが、私たち以外不審者は現れなかった。
砦に取り残されていたであろう酒飲みは当面の食糧があるにも関わらず発狂、ダッシュで入口を飛び出してたまり場と化した広場の竜たちに発見されてしまいぱくり――――というのが一番の楽観論だが、いくらなんでもあんな巨大生物の目と鼻の先に躍り出る勇気は酒の力を借りるにしても難しいのではなかろうか。かといってどこへ消えたのか。酒瓶の転がり具合からして、そうとうキメてるのは間違いない……、私もまたその可能性を秘めてはいるが、アウフィエルがいるのでそうはならないはずである。
逃げたければ、ひっそりと翼にあやかって逃げれば良いし。細身だが、現状、私よりも生存能力のある天使だ。竜にも怯えず平然としている。
食べ物もしばらく持つ程度はかき集めた。
これで砦のどこかでひっそりと隠れることができるようにはなったし、食糧とは腐るものである。神鳥のための野菜はあるが火は起こせないし。煮ることも焼くこともできない……いずれにせよ断腸の思いで、あるいはアウフィエルが元気なうちに脱出しなければならなくなる。
「……リア」
「ん?」
(……結局、私は一人ではこの砦の中にさえ侵入できなかった)
思案ゆえに伏せていた顔を正面に向けると、ぱちぱちと瞬きながらも、じっと。
私を見つめ続ける美しい顔の神鳥がいる。自称迷い鳥。
忍んでいるこの部屋には空気入れ程度の穴が頭上にしかなく、それも小さい。はっきり言って何もない部屋だった。ベッドもなく、机も無い。石の部屋。ゴミもないし、潔癖なアウフィエルがここがいいと選んだところでもあった。他人のベッドで眠りたくはないらしい。ごもっとも。
ここは不浄からも近く、彼が食べられる野菜倉庫に階段下りればすぐ取りに行けるし、階層端っこに位置するので敵がいればすぐに判明する。悪い部屋じゃない。ただ本当に何もないだけで。
天使のごとき清廉な美しさを目の当たりにする私は、だらしなく体育座りだ。
「何?」
彼は、何故か横座りだ。
優美な趣のある華奢な体付きであり、どちらかというと彼のほうがプロポーション的にも女性的だ。
前とは少しデザインが異なるが、似たようなゆったりローブを纏っている。
「寒くはないか」
「え、うん。少し」
急に尋ねてきたのでなんだろう、と思ったら。
彼はすっくと立ち上がって私の隣に居座った。
(なんだなんだ)
と、彼の急な態度を見守っていると。
ふわ、と。なんだか温かなものに包まれた。翼だ。
既視感があった。
柔らかな羽は私たちを優しく収縮する。空気を内側に閉じ込め、温めるために距離を短くするつもりなんだろう、身体は触れあった方が寒さを凌げる。
当然のように二の腕を掴まれて私の頬は薄い胸板に当たって変な顔になった。さすがに、抱き寄せるにしても急だった。舌が回らない。
「アウフィエフ」
「アウフィエルだ」
分かっている。
驚いたが、羽毛は変わらずの高級感たっぷりであった。
(羽の内側というものはこういう風になってるんだなあ)
触ると、寄り添う彼は身じろぎした。暇だったので、定期的に指先でなぞるようにいじってしまう。
「なんか、前と同じだね」
「ああ……」
静かな暗闇だった。
私のぽつりとした呟きに、彼はぼそりと耳元に答える。
「……これぐらいしか、出来ることはないからな」
ちら、と横目で確認すると俯いている。
細い金糸がはらりと彼の頬や顎のラインに滴り落ち、その苦悩を見てるこっちが悩ましくなるほどの美しさだ。
「そう? すごい、助かったよ」
「……お世辞はいらんぞ」
「でも、おかげで私は一人ぼっちにならずに済んだ」
神鳥は、はっとして顔を上げて私を見詰める。
「ありがとう」
「そ、そんなことはない、ぞ……」
苦笑すると、彼は恥ずかしそうに斜めに顔を背けた。
「……始祖は元より鳥だ。それはそれは、とても小さな鳥だった」
ぽつぽつと、間を挟みながら喋る夜。
アウフィエルの先祖たる神鳥たちは、空を舞って踊ったり、歌をうたって楽しませたり。
話し相手になったりと、神人の従者としての立ち位置であったものらしい。
(なんか楽しそう)
神人は神鳥たちを寵愛した。
そしていつしか鳴き声ではなく、神人と喋りたいと思うようになった。どういう経緯でそうなったかは不明だが、結果、人ならぬ人になったという。美しい姿はことのほか、神人を喜ばせた。空を舞う翼に感嘆の声を上げ決して神鳥を傷めつけるなと、神人に従う者たちへ約束させたという。
「神鳥の者は見目が良くて華奢な体付きの者ばかりだ。
マスティガは頑張れば頑張るほど、
努力をすればするほどに強くなるかもしれないと
言っていたが、少なくとも私には……無理だった。
誰しも苦手なものはあると慰められたが悔しい思いをした」
この羽鳥、見た目に反してガッツがあるらしい。
「そんなに強くなりたかったんだ」
「当たり前だ。
……馬鹿にされたりもしていたから」
「え」
「伝承は伝承に過ぎない、物語は物語に過ぎない、
夢を見ていないで現実をみろ、
女みたいな顔をしているんだ、女として生きれば良いとか」
どうやら、この鳥はずいぶんといじめられていたようだった。
(とてもそうは見えないが……)
彼は綺麗な顔をしている。女性のほうが確かに生きやすいかもしれないが、彼にとっては屈辱的ではあったんだろう。まあ、そりゃそうか。いくらなんでも女っぽいからって女として生きろなんて性別の強要はつらい。
「酷いね」
「ああ、まったくだ」
悲壮感はないが。
「私は、伴侶を愛したいと思っている。
たとえ、それがいつまでたっても迎えに来ない人だったとしても。
逆に、迎えに行くつもりだった」
きっぱりとした言い方ではあった。
だが、その決意の籠った青い瞳は、とても美しく力強かった。
(過去形、か)
「諦めたの?」
訊ねると、うっ、と言葉に詰まり。
じわじわと、目元を赤く染めた。
眠りは浅い。
だが、むせ返るような花々の。たとえば入り乱れるような色彩豊かな花の匂いがすっと鼻の奥に入り込んだ気がして、そう悪い目覚めではなかった。
真向いの壁は昨日と変わらない。
ただ、気付けば私は足を投げ出す形で横になって天使に寄りかかっていた。
彼は、開いた小さな空気入れから細い細い、こよりよりも糸のように垂れ下がっている太陽の糸をじっと見上げ、眺め続けていたようだった。
「――――あぁ、リア。起きたか」
身じろぎした私に気付いたものらしい。
「あ、うんごめん。
重くなかった?」
「いや、軽いものだ」
昨日の重たい発言は一体。
身を起こそうとしたら、彼は穏やかな表情で私の頬を撫でてきた。そのすべすべの指で。
「え、あの」
「すまない。
だが……、あの猫耳は、本当にリアの……心に住み着いているな」
目を動かして見やれば、彼は切なげに微笑んだ。
「私がどれだけ、この気持ちを伝えたいと思っても。
貴女は、あの猫のために傷つくのか」




