四十五話
ぶわり、と裾を翻して飛び上がった私たち。
神鳥は打ち合わせ通り大きく翼を広げ、落下傘のごとくゆるりと羽ばたいた。右往左往するかと思いきや、ちゃんと狙い定めて飛行。薄暗い窓辺へぐっと腕を伸ばし、掴んだ窓枠に力を籠めた。
正直、落下しそうならばまた魔法を使わねばならなかったので戦々恐々ではあったが、飛行角度の微調整さえしてくれたアウフィエル、想像していたよりも優秀であった。
開放的な窓から白いリネンのベッドが二つ。砦の中は仮眠室のようである。
匂いもそうだがどことなく、くたびれた感がある狭い部屋だった。
後ろから一歩踏み出し、きょろきょろと辺りを興味深そうに見回す神の鳥。
人ならぬ人。落ち着きがない。
「……ふむ、これが普段、人間が住みつく部屋か。
机も椅子もなく、彩りの花さえもない。
華やかさの欠片もない……こんなものでは夜は寒いのではないか?
羽もないのにどうやって生活しているんだ」
聞けば、人間の住む私室的な場所に足を踏み入れるのは初めてだという。
(……まあ、あんな森で生活していたようだから)
人間の目を気にして隠れ住んできたのだろう。ならば、知らないのも無理はない。この砦の意味も。
建物の造り自体、イマイチな認識のようだ。
「ここは最前線だからね、戦うのが基本の場所なんだよ」
「む?」
誤解のないように説明すると、なるほどと頷かれた。
「……そうか。
人間たちは同族であるくせに互いにいがみ合い、殺し合うために砦を作ったのか。
面妖な」
長々と喋って解説したはずだが、面妖な、の一言で切り捨てられた。
質素なベッドを見下ろしながら見当違いながらもある意味正しい感想を述べる神鳥は置いておくとして、問題は食糧確保だ。最優先事項である。
固そうな石で積み上げられた石畳の順路を、脳裏に蘇らす。冷たい風が吹き抜ける、夜は凍えて朝は寒い、昼は温かな太陽の光で日光浴をしなければやっぱり凍えてしまう夜なべの門番職務を思い起こしながら、
(確か、この階層ならあの隠れ場があったな)
おっさんたちがひっそりと隠してある酒もあるにはあるが、一兵卒のおじさんもこっそり噛んでいるその部屋にはツマミや食料が少しぐらい置いてあるはずである。夜中暇だからね、見張るのも。どうしても人の動きをつぶさに観察してしまうものである。
(逃げる際、わざわざ抱えて逃げるなんて難しいだろうから……)
なので、あるはずだ。
ベッドに腰を下ろして座り心地を確かめているらしい優雅な神鳥に、私は今後の方針を告げる。
「これから食料を探すから、静かについてきてほしい」
「静かに、か?」
「うん」
ちろりとアウフィエルの背にある羽が蠢いているのを見詰める。
ばさばさ、ばさばさ。
(……動いてる……)
綺麗に毛羽先だっているのが人間型から生えている、なんて。不思議なものだ。不可解だ。だから、体重が異様に軽くて、空を飛ぶことに特化しているんだろうが――――目立つのは間違いなく。
隠すにしても、ここは白いリネンしかなく。
頭から被ったところで、目立つのがさらに目立つだけ。頭隠して翼隠さずになる。できれば、どこかに。たとえば、
「その翼、収納できない?」
体の中に。
瞬間、真顔になった人を久しぶりに見た気がした。
「……面妖な」
飛行も禁止したので羽ばたきによる羽音もしないはずだが、どうにも背後の天使は自ら発光している気がしてならない。
「なんだ?」
「いえ、なんでも」
小声である。
私たちがいるところは砦の中でも中ぐらい。石で敷き詰められた廊下の所々に落ちてる兜や盾の類を慎重に見極めながら、踏みつけて大きな音をたてぬように慎重に進む。
あちこちから斜陽がかる光が差しこんでいる。オレンジ色だ。
(お腹もすいたし……)
埃が舞い散り、時折掠める太陽の光を眩しく思いながら、それでも私たちは足を止めずに目的場所を目指した。
(人の気配がまったくもって、無い)
鳴き声はする。竜の。外から響く声は反響し砦の中にも響き渡った。
そのたびに、少々ビクついてしまいそうになるが一人ではない。
ちら、と視線を走らせるが、天使はまったくもって竜を恐れていないようだった。
「なんだ?」
「いえ、なんでも」
(……私がビビり過ぎてるだけか?)
いや、やっぱおかしいよな。
まあ、翼生えてる人だから。普通とは感性が違うのかもしれない。文化圏も違うだろうし。
(いや、そもそも奴隷という存在がある時点で、
この世界はおかしい)
としか言いようがないが。
もっといえば、頭に耳生えてるルキゼも妙だ。どういう進化を遂げたのか。
(……)
悩みは尽きない。
ようやく、私は足を止める。
階段の影。裏側に細い道がある。
私は行き先を指を差し示し、顎でしゃくってついてこい、と不遜な態度丸出しで伝えた。
猫の足のように、ゆっくりと。
しかし、確実に進めば小さな扉があって。木造りの戸は鍵がかかっていないので、ゆっくりと開くことに成功した。それに、天使は、ほお、と言わんばかりの表情を浮かべた。
アウフィエルの翼を見やる。
彼の双翼は仕舞い込むことはできないが、コンパクトに縦にしておくことができるようだ。前から常々思っていたが、彼の背にあるそれは猫の尻尾のような立ち位置なんだろうか。
(……ヒゲ、は生えてないけど)
つるつるの肌は剥きたての卵のようだし、天使の羽のごとく純白だ。美しい顔立ちはどっからどう見ても宗教画の人だ。性格はツンケンしてるが、素直についてくるあたり、真面目な性質ではあるんだろう。
何故か私が先導し、行きがかりこうやって仲良く砦で食糧確保を務めることになってしまったが、なんとも妙な縁ができてしまった、と。改めて、ルキゼも含めて思う。
(さて、期待するものはあるかどうか)
暗くて湿っぽい扉の先にある暗闇。
私は、特攻した。慎重に、しかし、絶対に。食べなければならないからだ。
(ひもじい思いだけは勘弁)
胃の痛みとは、常連といってもいいぐらいに仲が良い。
昔から一人ぼっちだった私は、食べ物だけは。
本当に、やめられないことだった。いつどうなるか分からない身の上というものは、実に、みじめで。しかし、生きねばならない苦しみと戦わねばならない。
(後ろの天使には、不幸がいっぱいあった)
人間たちに仲間や家族、友人を殺されたようなものだ、いや、一部は……。
悲しいことである。
そして、私は。
(私もまた、不幸のどん底だったな)
いや、ある意味今もそうなのかもしれない。
いつ終わるか分からない、旅路の果て。
知り合ってしまった人々。彼らとは、旅をするたびに会話をして。仲良くなってはいったが。私の寿命が思いのほか長くて、また、いつまでも歳をとらない年齢詐欺の外見によって一か所に留まることは難しい。この世界の人間の平均寿命は六十、七十ぐらい。
(このような闇の中を、暗中模索するばかりの人生だった)
灯りがあるはずである。
私は、足元にあったロウソクを発見し。火打石の入った黒塗りの木箱から、取り出して部屋の中を明るくすることにした。




