四十三話
屯っていた竜たちは上空を徘徊中であり、戻ってくる気配はない。時折響く鳴き声が大気を振るわせ、私の心臓をドキリとさせる。見上げるが、帰投しない様子なのを確かめてほっとする。
――――物陰からこっそりと砦を見詰めた。異変なし。
(今の所……大丈夫そうだ)
騒いでいない竜の動きから察するに、ルキゼは見付かっていない。
頭を低くして、付着した草の葉を落としながらゆっくりと。
しかし迅速に進む。
ミランダと爽やか青年から離脱した私は、瓦礫の山という山の隙間を慎重に掻い潜り、ようやく砦の壁にたどり着くあたりになると私の服は泥と埃にまみれてしまった。擬態するにはちょうど良い汚れだ。
砦以外はすべて駄目になってしまった周辺域。
竜の炎に焼かれた建物、井戸だって不浄だ。金目のものはすっかり持っていかれてるし、隠れるにはちょうど良いものばかりだが、こと、長くこの場に留まる場合においては……、
慌てて蹲る。ぎゅっと我が身を丸める。
が、やはり。
ぐっと腹筋に力を籠めるが、腹の音は鳴ってしまった。冷や汗が流れそうになるも、さほど大きな物音にはならずに済んで安堵する。するが。
(……駄目だなやっぱ)
お腹をさすりながら、今後に思いを馳せた。
まず、食べ物問題である。
大問題である。
お金は手元にあるが、旅の途中ならばともかく宿に食料は置いてけぼりだ。私の大事な鞄だって木端微塵であろう、暴れまわった跡地に果たして原形を留めているかどうかさえ怪しい。加え、竜に見つからないように注意深くここまでやってきたが、食べ物の気配だってなかった。
お蔭で私の胃は腹が空いたと訴えている。
水だって必要だ。
人は一週間生き延びるために最重要なのは水分である。我慢するにも限界がある。
今の私は手ぶらそのもの。水不足で倒れておじゃん、だって在り得る危機だ。
(無事であればいいと……)
いくらルキゼが心配だとはいえ……自分が思っている以上に、あの猫耳が気になっていたのかもしれない。準備が足りなさすぎるにもほどがある。この状況を打開するためには……、
――――砦の中には食糧があるはず。
それと水も。大きな体躯の竜は砦の中に入れない。となると必然的に無事だろう。長丁場に耐えられるよう置いてあるはずだ、兵らが突発的に持っていくにしても全部は持ちきれないだろうし。
危険を承知で侵入か、あるいは餓死。逃げるという選択肢もないではないが、ルキゼを一目でも見ておかないと私は不安に苛まれて仕方ないのは間違いなく。
たらり、とした冷や汗が湧く。
(覚悟、決めなきゃ駄目かな……)
ごう、と暴風音をまき散らしながら過ぎ去る竜の大きな影は怖いけれど、このままだと私は野たれ死ぬのは間違いなかった。
緊張に我が身をこわばらせながら。
砦の壁際を仰ぎ見るや、立派な蔦が垂れ下がっている。どうやら竜の炎に焼かれなくて済んだようだ。ぐいぐい引っ張るとその丈夫さが手の平に伝わる。頭についた葉をひとつ、毟る。
(……やるしかない)
怖気づきそうにもなったが……実際、竜に喰われたくはないし……、死ぬ覚悟はあったとしても痛い思いはなるたけしたくはないのである……右往左往したくなるが目だけできょろきょろと蠢かし、ぐぐぐと声にならない声を上げ。
ルキゼの顔を思い浮かべ。
(見捨てる選択はある。だが、ここまできて……いや、ここまで来たからこそ、
もう後戻りはできない選択だ)
私は出来うる範囲のことをやった。
これ以上はもしかしたら蛇足かもしれない。無駄、になるかもしれなかった。代償は私の命。まさしく路傍の石になるかもしれない自分。誰も私を見返したりはしないだろう。
(……ミランダと、あの青年には……、
申し訳ないけれど……)
これで終わりかもしれない。私の旅は。
でも、それでも後悔しないように……しておきたい。
命かかるものだから、余計に。
いいんだ、別に。私の命だもの。
きゅっと唇を引き結ぶ。
そうだ、まだ生きているんだ、諦める訳にもいかない。
ぐ、ぐ、と蔦に手の甲を絡め。まずは一歩、踏み出した。
私は砦に勤めていた。日給だったけれども、どこに食べ物が貯蔵されてるとかおっさんたちの憩いの場がどこにあるのかとか、水飲み場とか、おっさんたちの暇つぶし場所とかおっさんがサボるために眠る仮眠部屋がどこにあるのかとかとか……、私がおっさんを一通り把握しているのは、おっさんばかりの職場であったからだ。若い女性はいるにはいたが、私のような部屋の隅でぼうっとして日向ぼっこを趣味とする魔法使いとは縁がない。喋ろうと思えば喋るだろうが、ミランダが心配でそこまで陽気にもなれなかった。防衛の任についてはいたのだ、どこの階層が歩きやすいとか逃げやすいとか。一通りは把握していた。
竜たちはこの砦には入らないはずだ。ガタイが良いし、入れるはずもない。
(もしかすると、誰かがひっそりと息を潜めているのかも)
逃げ切れなかった人たちがいるかもしれない。が、どうってことはない。別に、どうでもいい。
焼け焦げた匂いはいつも、私がこの世界で異物であることを証明せしめる。
どうも、この理不尽な暴力は苦手だ。得意とする者もいるかもしれないが……。
正義が理不尽に貶められるのを何度、目の当たりにしたことか。
……殴られるのも、痛めつけられるのも嫌だ。見るのも……お断りだ。けれど、私がその暴力を振るっている。魔法という力は便利だが、人さえも殺してしまう。私は……感情が麻痺するのを体感した。
でもそうしないと私は生き延びることができなかった。仕方なかった。
そんな人でなしの私が、ミランダを助けるとか、善意の押し売りのようなことをするなんて。
(滑稽だ)
自嘲する。
もしかしたら、やむを得ぬ事情を持った人だっていたかもしれない。相手は私に立ち向かってきた輩ではあったが。
謝罪なんて、相手が受け入れなければ意味はなく、死人に口なし。
何度考えたことか。
命の終わりを。
自分が死ねば悩まなくて済む。気楽だ。
魂まで日向ぼっこするようになるかもしれない。彷徨い、ぼうっとして。
(ひとりぼっち……)
足元から落ちる、か。どこへ。
ふと、我に返る。
今はそんなこと、感傷的になっている場合ではない。
ぎし、ぎしと腕の力と、靴の先にひっかける壁の隙間のつるりとした感覚にぞくりとしたものを感じつつ、ゆっくりと登っていく。
高所恐怖症ではないが見返すと怖い。手の中に汗をかきつつ、ぎゅっと蔦を強く握り。少しずつ、少しずつ上昇していく。
人ひとり分の高さでも怖いものがある、下を見たらキリがない。ころりと落ちる石つぶて。恐ろしい。
ひゅう、と頬や背筋を触る風の強さが気になるばかりだ。
片足の重心をしっかり気にしつつ、力を籠める。
次にもう片方の靴の裏を踏ん張る。交互に進め、そうして。
無音になった。
「……っ」
頭上に影がかかったのに気付いた。
ざっと、血の気が引く。竜が。きっと、私を覗き込んでいる。
なんせ、私の視界が丸々と暗くなったのだ。誰かが私の上にいるのは間違いない。
(くっ……)
魔法、使うべき時が来たのか。
先手必勝、それが私の行動パターンだ。あまり大柄でも小ネタを持ちあわせているでもない私が出来ることなんて、こんなワンパターンのみだ。
強張りそうになる我が身を奮い立たせ、片手で蔦を思いっきりつかみ。魔術書を行使しようと試みた。不安定なのは致し方ない。ない、が。選択を誤った。いつものケースではないというのに、馬鹿なことを仕出かした。つるり、と。足が空を掻く。
「あ……」
重心移動が上手く運ばなかったようだ。つま先立ちのみになっていた我が身が、よろ、と。
片手だけで自分を支えようとしたが片足がはがれてしまった以上、片腕だけの力で支えられるはずもなく。ひ、という引きつった声が喉の奥から零れた。勝手に。手の内側が熱い。擦れたようである。その痛みにも私は耐えられなかった。苦痛に歪む顔が、私の顔だ。
「あ、あ、あぁ……」
くらりと、枯葉のように私は宙へ放り投げ出された。
片手が青空へと伸ばされる。やはり、届かない。それでもと、私はあがいた。
(不味い!)
私は真っ逆さまだ。
自然と顔が空へと向かう。
誰がいるのか、それを確かめようと。腕も、もっと伸ばした。
まるで蜘蛛の糸、だ。
誰も垂らしてはくれやしない、私は……、それだけのことしかしてこなかった。
人のために生きてこなかった。全部、私のために生きてきたことだ。
そんな私を、誰が助けるというのか。
私の手は、そのいずれも、何も掴めなかった。
――――聞き覚えのある羽ばたきを耳にするまでは。




