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四十一話

 私は、その声に応えるべきなんだろうか。

だが答えてはならない、というこたえも私は知っていた。

 ――――世界をさすらってきた日々。

そのひとつひとつが、今現在の私を形作っている。ぴくり、と私の指が緩慢に動いたが。重ねようとしたミランダの、長年苦労したであろう彼女の手を、私は……とらなかった。


 「……それが、答えなのね」


 ミランダは寂しげに、浮いた指先をゆっくりと下ろした。

そして、彼女はすぐに膝を地べたにつけ、私を前にして腰を落として祈りの誓いを立てるかのようにして膝まずいた。


 「ミ、ミランダ……?」


 呆然と立ち尽くす私をしり目に、彼女は言葉を尽くした。


 「お迎えに上がるのが遅かった。それなのに御自らのご来訪。

  御心に感謝いたします……リア、尊きお方」


 伏せた顔を前にし、立ち上がって私と対峙するミランダ。

凛とした、堂々とした立ち振る舞いだった。とてもじゃないが娼婦奴隷だとは思えぬ態度である。このような目に遭うなんてことが無かった私を戸惑うだけ戸惑わせるミランダ。どこか、纏う雰囲気さえ気高い。


 「貴女は、気付いてないようだけれど。

  貴女は沢山の選択を持つのよ。

  それは、どんな人間にも与えられるものだけれど。

  いえ、逆に狭めているのは人間のほうかもしれないわね」


私が理解できないとばかりに頭を横に振っていると、ミランダは己の胸に手を当てて応える。

  

 「リア。

  わたくしは、告げる者」

 「告げる……?」

 「ええ。

  真実を知らしめる告知、といったらよろしいかしら。

  これでも、分かりづらい?」

 「……そうだね」


 私の困惑に、彼女は言葉を紡ぐ。


 「わたくしの家は代々続く古い貴族の家だったの。

  没落したけど祭祀の家だったわ」

 「祭祀?」

 「そう。貴女を迎えるための家よ。もうなくなって久しい。

  わたくしで最期、になってしまった」


 (最期……)

私の唇だけの動きに、ミランダはコロコロと笑う。


 「ふふ、そうよ、貴女を手厚く迎えるために存在していたのよ。

  人間側が有利になるために。

  貴女の存在はそれほどまでに大きなものなのよ。

  貴女が嫌だといえば、すべてが終わるし。

  良いといえば、良くなるのよ」

 「何、それ……」


 何を、言っているんだろう。

天変地異でも、聞いているんだろうか。


 「――――かつて、人も獣も神も同じ世界で暮らしていたの。

  でもね、とても遠い昔……、人間はあまりにも傲慢だったから、

  神様に愛想を尽かされてしまった――――」


 急に湧いて出てきた、神々の話。

 チンプンカンプンではあったが、おおよその話の流れとしては、神は人間の行為に非常にがっかりされたという。だから、神はこの世界からいなくなった。見捨てたのだ。神話の時代が喪失。

 (そもそも、神様って複数いたのか)

 良くわからないが。けれども、魔法のある世界である。月の女神様は居残り組、といえば良いのだろうか。あるいは、神という存在自体、何かの隠喩かもしれない。いずれにせよ、そんなこと判明したところで……私に、いったい何の関係があるというのか。

 

 「――――だから、わたくしたち人間はもう二度と捨てられないように」

 「現に、我々は見捨てられそうになっていた」


 声がして振り向けば、覚えのある青年の影。

と同時に。すべての物音が耳に届き出した。瞬く。

 (そういえば、私は何処にいた?)

 見回せば、あの掘っ立て小屋だった。かがり火があちこちて焚かれていて。ふいに鼻をつく薪の匂い。そうだ、私たちは外にいた。彼は眉を顰めて暗がりからその姿を現した。端正な顔が、明るい灯に照らされて浮かび上がっている。

 

 「リアさん。

  僕たち……、いや、俺たち人間は約束を守っている。

  神人と」

 

 どくり、と心臓が一際大きな音をたてた。


 「神人……」


 時折、キーワードのように飛び出てくる神話の人だ。

私のぽつりとした呟きに青年は涼やかな目元を薄らと細め、さらりと語る。


 「俺の先祖は、神人と約束して土地と権利を貰った。

  この大陸を海に沈めないで欲しいと願った。

  代々受け継いだ地盤を守ってきた。

  だが……、神人にとって奴隷は禁句のようだ」


 まるで当たり前のように、彼は話を続ける。


 「ミランダ、といったか。

  神人を惑わす毒婦か、それとも破滅の誘いをかける魔物か」

 「あらら、……わたしが魔物ですって?」

 

 楽しげに愉悦そうな笑みを湛えるミランダに、青年は苦しそうにこたえる。


 「……そうだ。

  貴殿の不幸は知ったばかりだが。察しに余りあることだ。

  だが……貴殿のあえてしてきたことは、神人の判断を揺らがせる」

 「ふふ、何をおっしゃりたいの?

  リアをさも大事そうにして」


 青年は私を背に、ミランダの視線から遠ざける。


 「……当たり前だ。

  俺だって、伴侶を求める人間だ……」

 「婚約者がいらっしゃるようだけれど」

 「……くそ、だから告げる者というのか」

 「お耳が痛いみたいねぇ……ふふふ。

  真実を知るのは辛いようね、閣下」


くすくすと肩を揺らした後、頬を片手に乗せてふう、と零すミランダ。


 「いずれにせよ、決まったこと。

  定まった末来は覆されることはないわ。

  神人は平和を望んでいらっしゃるそうよ。

  お分かりになられるわね、誇り高き貴族ならば。なおさらに」


 彼はミランダの言葉を丸っと受け止めてしまい、その顔を蒼白にしたが。しかし、次第に深い深い嘆息めいたものを吐き出した。


 「……俺だって、初恋はするんです」





 他、いくつか。彼らの間で話し合いが成されていたけれど。

私にはそのどれもが理解できないものばかりだった。


 「いいのよ、貴女は分からなくて。

  そのために、私がいるもの」


 ミランダはそのようなことを宣う。

何故そうなるのかは、分からないけれども。

 青年は疲れ切った顔をしつつも、ミランダを買い取った。奴隷の身分を、青年がどういう訳かあの業突く張りから。


 「仕方ありませんね。リアさんのためです。

  決して、ミランダという女のためではありません」

 「ふふふ、可愛らしいことをおっしゃる」

 「……わざとらしい」


今にも怒り出しそうで我慢していた青年、一呼吸おいて平静さを取り戻す。


 「真実を語るなら、これからも役に立ってもらうからな」

 「ええ、喜んで」


 ふふふ。

 はあ。


 二人は大概において、このような塩梅だった。間で挟まれる私はどうすればいいのか分からず困ったままだが。砦からは、また新たなる声があちこちでざわめいて騒いでいた。ドンパチが始まってしまっているようだった。脳裏にあるのは猫耳のこと。ルキゼだ。

 (大丈夫かな……)

 まあ足は速いから逃げ出せるだろうが――――掘っ立て小屋から出て歩いていた途中、空を見渡しながらも青年は何かを見つけたものらしい、私にそれなりの情報を教えてくれた。同じ見解ではあったが。


 「どうやら、南がやってきたようですね。

  昨日は余裕を持って撤退していましたから、

  ここもそう長くは持ちません。そして……」


 青年の言葉が続く前に。

それは、降ってきた。大きな、大きな陰影。私たち三人組を通り越し、あっという間に最前線へとそれは飛んで行った。


 「え」


 私の目を眇めたのは、その飛翔する生き物の顔が細長くて。力強かったからだ。

 どん、と激しい物音がして、地面が揺れた。

そして、人々の狂乱も同様に大気を震わした。


 「見たことがない!」

 「なんだ、あの生き物は!」


 だいたいがこのような感想ばかりを述べ、火を吹くトカゲが! なんて誰かの混乱が、遠方から甲高い声で響く。走り回る人々が通り過ぎていく。がちゃがちゃと、傭兵たちが鎧を鳴らして立ち向かいに。力を見せつけにいくのだろう。なんという死にたがり。一方、必死に逃げ出す一般商人たちもいる。砦の儲けに縋っていた者たちもいたが、彼らは身軽でたちまちに駆け足である。荷物を抱えるがゆえに道幅がさらに狭くなっていく場面にも出くわしたが。


 「あららん」


ミランダ、ますます笑みを深めた。


 「ふふふ、どうやらおいでなすった。

  別の大陸の方々が」

 「どうもそのようだ」


青年も同意し、

 

 「竜、か」


ぽつり、と。頭上を覆う、続々と現る大きな影を見上げながら呟いた。

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