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三十二話

 「へ、ご、ご主人様?」

 「だって、ボクは君の奴隷だし」

 「それはそうだけど」


呆気にとられているうちに、猫耳は私の手の平を両手で掴んだ。


 「教えて。ボク、君の名前が知りたい。欲しいんだ」


 少年の指は温かく、挟まれてこそばゆい。息を呑む。

それでいて、褐色肌の手の甲には擦り傷があった。すでにかさ蓋にはなっていたが抵抗の証だ。

 

 「ルキゼ、怪我が」

 「大丈夫。これぐらい、平気」

 「でも」

 「舐めたら治る。

  耳長の薬は飲みたくないし」


 獣耳にも、あの味わい深さを知られていたものらしい。


 「そう。それなら、いいけど」


 しかし、名前?

私の名前はリア、だ。それ以下でもそれ以上もない。苗字はこの世界では必要としないものだし。魔法使いの女のリア。それが私のすべて。ほかには何もない。知恵も力もないので、世界のどこかでひっそりと生き伸びてきた異世界の人だった、人間。年齢不詳だ。三十年以上は長く息を吐いてきたし吸ってもきたが、老いというものが小じわ程度だし、どうも自分という存在が宇宙人のように感じるときがある。

 私のこの自意識、自我というものそのものが、もはや不必要なほどに。熱を感じなくなった、というか。

 だから、ルキゼが。

 ここまで、何かを籠めた願いを発するなんて。

 それも、私の名前を欲するという。

何を知りたい? 何を考えている?

 魔法があるのだ、私の名前で何かができるとは思えないけれど、猫耳のルキゼにとってはそれは何よりも大事なことらしい。ここまで下出したでに出るなんて、どういうことか。 


 「くすぐったい」


 少年の言葉に、私は目を見開いた。

無意識に彼の、その傷跡を触れていたものらしい。なぞってた。


 「あ、ごめん。痛かった?」

 「ううん、優しく撫でてくれたから」


 ルキゼはますます、両手に力を籠め――――掴んだ私の指を、フード(帽子)の奥へと入れ込み。彼の、前髪がかる額にぴたりとくっつけた。指の節が、ルキゼの眉間あたりを何度も撫でつけられて押し付けられた。少年の吐息が、私の手首にかかる。

 (くすぐり返されている?)

 次に、するりと撫で上げるかのように、猫耳の柔らかな頬に私の手の平が収まった。添えられたルキゼの手は、意図してそうやっているようだった。すりすりと擦り付けられる。


 「ねえ、ボクには教えてくれないの?」

 「え、ああ……でも、ルキゼ、

  あの奴隷になるための紙に、手をつけただろうに」


 かのスクロール紙に私の名前が書かれていたはずである。


 「ボクは、君の声で、口で、僕に教えて欲しいんだ」

 「名前を?」

 「うん」


 頷かれた。


 「そう……」


 何故、私が名乗らねばならないのか分からないが。

魔法のような世界である以上、言霊のようなものがあるかもしれないが。今まで生きてきた年数、経験からいっても、リア、と己の名前を呼んで見知らぬ他人、あるいは同じ護衛仲間として、盗賊討伐のメンバー紹介の一人として、自己紹介したことは何度も何度も腐るほどあったのである。

 今更、どうってことはない、はず。

よくよく考えてみたら私は、彼に名乗っていなかったような気がする。勝手についてきた猫耳をどうすればいいか、路銀や生活費、そればかりに頭を悩ませていたものだから。


 「そうだね、私はルキゼに名前を伝えていなかった」


 言うや、彼は妙に緊張の面持ちでいた。

おまけに、

 (指が……、震えている?)

 あんなにも、敵とみなした輩には勇ましく戦う猫耳が。

私に名前を教えてもらう、それだけのことにここまで神妙に、神経質になるなんて。

 (何か、ある?)

 けれど、私の名前ってあちこちで名乗ってるのに。謎だ。彼は私の名前を知っているはずなのに。それなのに。ここは証文所ではない。ましてや、奴隷の証として必要な魔法の紙だって無いのだ。

 森の奥で戯れるにしては、猫耳少年の挙動がおかしいと首を捻るが。

 

 「ルキゼ、そんなに大事なことなの?」

 「……うん」


 ふぅん、と零しつつ。

 (ルキゼなら、まあ。大丈夫だろう)


 「私の名前は、――――」


 根拠はないけれど、今まで一緒に生活してきた短い邂逅から導き出した、なんとかなるという直感を信じ、いつものように。旅をしているさ中、仕事を見つけたとき、私を雇うと言ってくれた人に伝える気軽さで、私は名乗りを上げた。 





 「リア……。

  そう、それが、君の名前なの」


 猫耳は、言いながら。

どこか残念そうに呟いた。

 と同時に。

ばさり、と。白い羽が、空から舞い落ちてきた。


 「ふ……、

  猫耳とやら。

  残念だったな」


 魔法使いに似たローブを纏い、どこぞの宗教画のように降りてきた天使。

滑らかに金色の髪を宙に舞わせ、すっくと地面へと降り立った。

 (え、どこから?)

 と思ったが賢明にも私は口にしなかった。

私と同じ出入口から出てきたはずなのに、彼は空から翼を使ってやってきたのだ、明らかに私とルキゼの会話を盗み聞きしていた。

 感想は一緒だったのだろう、猫耳少年はフードの中でもその猫耳をぴんとさせて私の手を解放し。

振り返りざま、鳥の言動に思いっきり警戒して言い放った。


 「うるさい!」

 「……私はいつまでも寛容ではない。

  その人間は……、未だお前の番いではないのだから」


 まるで憐れむように。

彼は、純白な頬に手を当ててほう、とため息をつく。


 「お前は駄目だったんだ。

  ルキゼとやら。

  獣耳は……、猫耳は確か、一夫多妻制だったか、マスティガ」

 「ああ」


 どこからともなく、エルフも顔を出してきた。

彼はちゃんと私が使った、木の穴から姿を現している。


 「猫耳、お前の父の噂は森の賢者たちの噂によって耳にしている。

  浮気を許さん正妻を持ち得ながら、年に数回浮気による大喧嘩が

  絶えないと」

 「違う!」


 ルキゼは吠えた。


 「毎月だ!」

 「……そうか」


 苦労してるんだな、少年。

そんなことを言いたそうに、マスティガと呼ばれたエルフは同情の視線を向ける。


 「だもんで、人間、」


 今度は私に声をかけてきた。


 「人間、だからこそ、分からない風習や文化が我々にはあるのだ。

  そうやすやすと己の名前を告げるとは、軽薄としか言いようがない」

 「え」


 (私が名前を名乗るということが、それほどまでに重大な?)

いや、確かにルキゼは真剣そのものだった。

 猫耳に視線を落とすと、彼は悔しそうに、勢いよく私の腰に縋りついてきた。

フードがはらりととれ、金髪の、輝かんばかりの色が零れた。


 「ルキゼ?」

 「ボクは諦めない。

  ボクは、父様のようにはならない。

  ボクは、リア、君のモノだし。

  君はボクのモノだ。

  それは永久に変わらない」


 赤い首輪ごと、ぐりぐりとその猫耳を擦りつけてくる。

その姿をみて何か気に病むところでもあるのか、


 「っ、人間!」

 

 天使がすごい形相で私を睨みつけてきた。


 「私というものがありながら!

  そんな、年端もいかぬ子供を番いに据えようなどと!

  絶対に認めない! 浮気だって!」

 「え、浮気?」


 人差し指を私に突きつけてまで、怒りを露わにした。

 (う、浮気……)

 私は、見下ろした。いや、どう見ても、縋りついているだけのルキゼだ。

猫耳の裏側の、血管通っていて痒いところをかいてやって、私の膝でゴロゴロするのが最近のお気に入りだ。だらけた姿で寝るのも見慣れたものだし、私のために戦ってくれたりもする、人ではない人。


 「おい、アウフィ。

  こいつは人間なんだ、お前の気持ちを理解できていないぞ、一欠片も」

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