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三十話

 ル、キゼ……、


 「おお、

  このすべすべな褐色肌に輝かんばかりの金色の髪は魅惑的だ。

  想像以上に高値がつくだろう」

 「……柔らかい髪だ。しっかりと手入れされていて、触り心地が良い。

  で、この魔法使いの女はどうする……?」

 「しばらく手元に置いておこう。

  でないと、この獣耳は暴れる。

  くく、良いな、その瞳は。憎しみに濡れた目を持つ奴隷は、

  嬲りがいがある。ますます吹っかけやすい……ふふ、ふ。

  さて、高値で売れたら何を買おうか」


 どうやら、あの子は逃げる選択をしなかったようだ。

体中におもりがぶら下がった感覚に苛まれる。

 (どうしよう……)

視界が役に立たず、聴力だけで現状を把握する。

 痛む喉。先ほど痛めつけれた上、何かで覆われている。足首をきつく縛り付けられていて、私の胸に当たるところで両手を縄のようなもので戒められている。地面に横たわっている私。ルキゼはそんな私の惨状を目の当たりにしながら大人しくしている、ということになる。

 可哀想なルキゼ。

 (ますます……人間を憎む)

 私は長生きしてきた。

通常の人間よりは。だから、呆気なく路傍の石になるかも、とは旅の途中ぼんやりと考えてはいた。この寿命を誰かのために使用してやれるなら。それもいいかもなんて。思ったことは数知れず。

 ――――私は、あまりにも寂しく生き過ぎたのだ。

だから……、ルキゼが不意打ちを食らってしまったのを、冷静に判断できなかった。まさしく悔しいが奴隷狩りどもの言う通りだった。いつもの私なら、こんな失敗は。

 (否、ミランダのためにとか……、)

 優しげに私の頭を撫でてくれたこと。

ずっと私に寄り添ってくれた耳猫ルキゼ。

 (……結局、温かみが恋しいんだ)

 苦しい。悲しい。

空しい。嫌だ。疑うのも、悲惨なものを目の当たりにするのも。

 人が人を蹂躙する。

いつまでも変わらない倫理。反吐が出る事件、争い。

 醜さ。

 もう、こんな思いを抱いて見知らぬ異世界の旅路を眺めて歩きたくはない。

 ずり、と再び足を蠢かす。

地面を削るだけだった。そして、そんな私の様子なんて気にも留めず、彼らはこれからの段取りを相談し合っていた。草原の匂いが染み込んだ空気を吸いながら、どくどくと脈打つ心臓の高鳴り。少しずつ、それは私の中で高まっていた。緊張する。


 「北に戻るか?」

 「ううむ、南も捨てがたい」

 「国境に近いからな」


 (……もしかしたら、ルキゼに辛い思いをさせてしまうかもしれない……)

 ワンチャンス、あるとしたならば。

 それは、私の懐にある天地創造というタイトルの本だけ。彼らは気付かなかったようだが、これもまた魔術書である。ただ……、正直使いたくないというのが本音だ。どんな力が眠っているのか。今まで使ってこなかったのは、あまりにも異質だったから。食べられるがエグイ見た目ばかりが記載されていた奪われた本は分かりやすく風、を巻き起こしてくれるが、この天地創造だけは……、タイトルがタイトルなだけに、触るだけでも恐れ多い。

 しかし、好機は今。このタイミングしかない。

手首は動かせないが、指だけはわずかに動かすことができる。ただ、ルキゼに注意を促すことができないのがネックだ。どんなエネルギーが暴発するか。分からないけれど、でも、このままじゃいけないことは分かる。拷問されたら私は痛みに耐えかねず、ルキゼを譲り渡してしまうかもしれなかった。

 もしそうなってしまったら。魔法のスクロールの効力は強力だ、刻まれた名前はたとえ私の凡人名だったとしても。拘束力があるのだ、主には奴隷がどこに逃げたか分かるしその動きを支配する。

 そっと手首を私の胸に押し付け。

心臓に当たる場所に置かれた、それに触れる。

 (……くっ)

 案の定、それは力を籠めれば、私が男爵家の館でやってやった大魔法のようなものだった。

思わず指を離した。すぐに発動できるものではない。

 (けど、やらなきゃ……)

 キツくまとめられた手首から先にある指を動かし、天地創造の本、その表面をなぞる。

 ルキゼ……、待ってて。

私が、助ける。だから、もう少し……、今少しだけ……、

 時折、ルキゼの何か我慢する呻きが私を辛くさせた。

 




 「その魔法は使ってはならない」

 

 あと少し、集中すれば発動できる――――その時だった。

涼やかな声がしたのは。まるで耳元で囁かれたような。

 そんな気がして、身を思わず小さくする。 

 同時に、風を切り裂く、何か。私の魔法とはまた違う、空気を割り裂く音だ。


 どす、とす、と。 


 何かが刺さったようだった。

聞き覚えがある。あれは、弓矢だ。


 「あ、あああ、痛い!」


 一人の奴隷狩りが叫んだ。


 「てぇ、誰だ、誰かがいる!?」


 襲撃されたらしい。

戦時ではよくよく耳にしたものだが、まさかの弓である。

 同様に、私の手首や手足に誰かが触れた。


 「助ける」


 それは、何よりも望んだ声。

救いの声だった。

 




 視界はちかちかとして、相手が誰かは分からない。

けれど、私の傷跡を痛ましそうに撫でながら、戒めを解いてくれたことに礼を言う。


 「ありがとう……」


 相手は無言だった。

けれど、ばさ、ばさと。


 「ん?」


 何か、羽ばたく音がするではないか。

目元を擦り、耳をそばだてるが、さっぱり分からない。

 おまけに、ぽたぽたと、何か生暖かい液体が私の手の甲に当たる。


 「……阿呆……」


 え?


 「こんな目に遭ってしまうなんて……、

  ううう……馬鹿者がっ……!」


 ――――なんだろう、この既視感。

おまけになんというか、まるで羽毛布団にでも包まれているかのように、私の身体全体に何かで包まれている。冬ならいいんだが、気温が平温なここで布団に包まれたら熱いというか、汗をかく。ついでに、鼻がむずむずする……何かに抱きしめられているようだが。


 「おい、アウフィエル。

  人前に出るなと口を酸っぱくして言っただろう」

 「っ……!」

 「森の中で隠れていろ」

 「しかし……!」

 「あの羽つけた人間、お前にまで目を付け始めたぞ。

  お前の存在は目立つ。

  人間の追手が増えるから、早く立ち去れ」


 目が見えないというのは、これほどまで不便なのか。

私は何が起きているのかまったくもって把握はできていなかったが、私を助けてくれた人は、何やら文句を言いたくてもでもできなくて口の中をモゴモゴとさせたのち、ばさばさ、と。

 謎の物音を羽ばたかせながらいなくなった。

 なんとはなしに。

 (いや、まさか?)

 あの、じっと私を睨みつける天使の姿が脳裏に浮かんだが……。


 「ほら、これを使え」

 「え、」

 「飲み薬だ。

  エルフの飲み薬は高値で貴重で人間に使ってやるのはもったいない位だが、

  とにかくあのアウフィが泣いて泣いて仕方ないからな。

  いや、どっちにしろ泣くか、あいつは……」

 「はあ……」


 エルフ?

と思ったが、天の助けを断る理由はなかった。小瓶を両手で預かる。つるつるな表面、確かに胡散臭いがあの弓の音は明らかに敵を打ちつけた音だし、それに何より。

 

 「ほお、あの猫耳。

  すごい跳躍力だな。人間があんなに空を飛ぶなんて初めて知ったぞ」


 上に飛ばしてさらに蹴り飛ばし、蹴鞠のようだ。

なんて実況中継をしてくれるのだ、ルキゼのことが気がかりだった。打撃音がする。さく裂するようなほどの連撃。少年と奴隷狩りの男の声が混じって聞こえる。


 「はあっ!」

 「ひぎゃあっ」


 ルキゼの気合の入った奮闘ぶりが、私の目が見えないばかりのところで展開されているらしい。躊躇したが、

 (もし私のことを嫌うなら、そのまま放置するだろう)

 ぐっと息をつめ、受け取った小瓶の蓋が開いていることを指腹で確かめたあと。

嫌な臭いが鼻を掠めたが、一気に飲み干した。


 「ああ、それ美味しくないから少しずつ……って遅かったか。

  ま、気付け薬でもあるが、効き目はばっちりだから、安心しろ」

   

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