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二十九話

 パッと素早い動きで私から目を逸らしたルキゼ、森の奥を見据えた。

茂みがある。緑深き複数の草で覆われた一部、葉が擦れていた。微細な動きではあったが、明らかに風の悪戯ではない。獣か、あるいは。眉を顰めた。

 ルキゼは立ち上がり、座ったままの私の前に陣取って背を向けた。


 「へへ……」

 

 (男の、笑い声)

ここは広々とした、四方八方が小さいながらの草原である。丸く円を描くように天から降り注がれる温かな場所が、あっという間に緊張感に包まれた。

 私もまた腰にある魔術書を前に持ち直し、立ち上がって身構えれば、やはり。


 「奴隷狩り……」

 「これはこれは、良い奴隷になりそうなのがふたぁり……、」


雑草を特徴的なとんがり帽子に引っ付けながらも出てきたのは、やはり奴隷狩りであった。それも、相当な腕前の。知らず知らずのうちに、私は背筋に冷や汗を浮き立たせた。

 (あの飄々とした態度……)

 つんつるてんのズボンを身に着けているおっさんのようだが、物腰が不審だ。明らかに年季が入った風である。それに、あのとんがり帽子。羽が、ついていた。とても大きな白い羽だ。一羽の羽だが、毛羽立っているのもわかるぐらいには骨があってしっかりとしたものであるのが明白ではあった。

 ごくり、と唾を飲みこむ。

一番気をつけねばならない相手だと、私の直感が告げる。


 「ルキゼ……、気をつけなさい、あれは、ベテランの奴隷狩り」


 こく、と前を向きながら頷くルキゼの耳が、全方位を警戒するためにあちこちにその中を見せている。ぴん、と張り詰めた私の空気が伝わっているのだろう、本人も何かが違うのを感じてはいるようだ。

 猫耳の様子に、あの奴隷狩りは、ひゅう、と口笛を吹く。


 「やっぱり獣耳か。

  噂には聞いていたが、本当にいたとは。

  それに、おまけの魔法使いの女」


 にやにやと、軽い物腰でいる男。


 「ずいぶんと躾がされているな……」


添えた武器は片手剣のみのようだが、油断はできない。


 「黄色の瞳に、黄金の髪色。

  顔は将来のマダムや貴族連中に可愛がられるに十分な端正さ。

  ふむ、肌色は褐色……、神秘的だ。美少年、と富豪どもに売り込めそうだな。

  獣耳の者はどんな奴にもこびない、気に入ったヤツにだけ懐く。

  そこだけが厄介だが……、魔法使いを人質にすれば命令されるがままだ」


いや、と顎を撫でながら、男は呟く。


 「あるいは、その魔法使いが持つ奴隷の証明を奪えば良いか。

  所詮は女、拷問に耐えられず手放した高級奴隷は数知れず」


 まるで諳んじるように、男は下種な言葉を羅列していった。

ルキゼの赤い首輪を愉悦そうに、目を細めながら視認する。


 「……ああ、いいな。たとえば、

  ご主人様を甚振いたぶれば、ペットがどんな声でわめくのか。

  嗜虐趣味なお客様にはたまらないだろうなあ……、

  あるいはペットがやせ我慢しているのを、

  歯を食いしばるご主人様に見せつけてやろうか」


 ぶわ、と肌寒さがやってくる。怖気おぞけからくるものだ。

 (まずい。あれは、本格の奴隷狩りだ……)

 実際、ああいった手合いの人間は見たことがある。己の利益のためなら、なんでもする人間の屑。甘い顔で、相手を自分の意のままに動かす姿は気持ち悪いものがあるが、負けたら終わりなのがこの世界のルール。奴隷の底に叩き落とされてしまい、どんな目に遭うかたまったもんじゃない。卑怯な手を使う、相手の心根を利用する、弱ったところをかみ砕く。本当に、人間を人間と思わぬ所業をやるのだ、ああいった手合いは。弱者を食い物にする、化け物。気味の悪い生き物。

 なまじ、頭の回転が良すぎるのもいけない。

 (まさか、一目で私が魔法使いだって分かるなんて)

 珍しい存在であるというのに。ぎっと唇を横に結び、ルキゼの背を見詰める。

彼はずっと、私を庇って立っている。私よりも小さい少年だというのに。


 「へへぇ、やけにびっくりしとる。

  こちとら20年以上はこれ、やってるもんだからな。

  どんな強気な人間も無様な奴隷にしてやったよ。

  おかげさまで祝20年だ! 勤続祝いも貰いたいところだ。

  そのご褒美が、ちょうど目の前を歩いていたもんだから旨い具合だ」


 愉悦そうに、しかし、その目は獲物を狙う蛇のように。

絶対に私たちの挙動を離さぬとばかりに視界の中に閉じ込め、その片手剣を持って歩いてくる。雑草を踏んで忍び寄ってくる音が恐ろしい。ゆっくりと下がるルキゼに合わせ、私もまた後方へと下るが、靴の裏にある地面を踏みしめる感触さえ末恐ろしく。やけに現実的ではなかった。

 男のとんがり帽子に備え付けられたアクセサリーである白い羽が、ふさふさをして揺れている。

奴隷狩りの自称プロが動くたびに、それは蠢いていて。羽飾りが、どことなく……、不気味でさえあった。いや、一等気色悪い。

 (やって、しまおうか)

しかし……、ぎゅっと魔術書を抱えながら必死に打開策を練る。

 (……やけに、冷静ではないか?)

何か、仕掛けられているのでは?

 そう思った、そこへ考えが至る時間があまりにも遅かった。

 ルキゼが、私の方を見やる。

唇をあけて、私に手を伸ばそうとした。

だが、彼は私に届く前に。

 

 「ひっ」


 背後に、人がいた。

それは、私の防御魔法に気付いたのか。あるいは私の声にまずいと思ったものか、すぐに距離を置いた。私は咄嗟の判断で、その人物に魔法をぶつけようとした。しかし、しゃらり、と。鉄の走る音がして、振り返ればルキゼの胴体に分厚い鎖が巻かれていた。


 「ルキゼ!」


 私は、一瞬、迷ったのだ。


 「へへっ……、魔法使いは孤独だ。

  しかし……複数いる場合、警戒心を失うからな。

  同時に魔法を使うことなんて、できない。

  なぜならば、仲間のためにその魔法を使うからな」


 とんがり帽子はにやりと笑う。ルキゼは巻かれた体のままに瞬間、草原に倒れたが、驚くほどの俊敏さで身を起こし、帽子の男へ自由になる足で蹴り倒そうとする。


 「おっと、」


しかし、男もまた機敏だった。横に体をずらし、鎖を引っ張ってルキゼの動きを封じようとする。

当然、ルキゼもどうにか戒めから身を解放しようともがくが、


 「おっとっと、と。いいのか?

  猫耳少年、おまえの大事なご主人様が……うわっと!

  あぶねぇ」


引っ張られた推進力を利用してその身を丸めて体当たりをしようとしていたが、敵もさるものだ、その片手剣を使い、ルキゼを痛めつけようとした。切りつけようとしたのだ。

 私の喉の奥から、ひ、と。引き絞るような悲鳴が上がる。もはや、第二の敵を気にしている場合ではない。風の魔法を使う。

 そして、それは同時に。私が捕まることを意味した。

防御魔法が間に合わず後頭部を鈍器の鈍器のようなもので殴られ、視界が一瞬にして白く染まった。


 「あ……、」


 それでも魔術書を手放さないようにしていたが、弱弱しい手から、唯一の武器であり最大の防御である魔法の本が強引に奪い取られた。

倒れ込む私に、猫耳少年の悲鳴のような、それでいて泣き出しそうな声が滲んで聞こえた。


 「うっし! これで一丁上がり、だな」


 私は、気を失いかけていた。

しかも……、私の首に、太い男の腕が回っていた。

耳元で交わされる言葉が、遠くに聞こえる……。


 「さあ、この女を大事に思うのなら。

  大人しく捕まれ。魔術書を持ちあわせていない魔法使いなんぞ、

  ただの女。顔が悪ければ商品としての価値さえ下がる」


 ぐい、と喉を締め付けられ、私の意識がますます渦の中にいるかのような。

ぐわんぐわん、とした眩暈がして。私の瞳には、空がさも万華鏡のように輝いて見えた。キラキラとした、異世界。滲んでいるようだった。私の、世界。


 「……ルキゼ……、逃げて……」


 私が辛うじて発言できたのは、この程度だった。

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