二十六話
(貴族たちが逃走するならば、庶民だって逃げるよね)
館の使用人たちが喋くっていた通り、大きな道はとびきりに混んでいた。肩にも足にも誰かとの接触が常にあり、圧迫される。小さいルキゼもそのようで、ずーっと私の背にへばりついている。ぎゅうぎゅうである。人間で敷き詰められた道の中を歩く。地面がまるで見えないぐらい、人と荷物で埋め尽くされていた。間にいる馬車の馬なんて、可哀想に。ヒヒン、と鳴いて足を動かしても動かせなくてストレスがたまっているのが目に見えて分かる。寒さのせいか、体中から湯気が出ている。暴れ馬にならなければいいんだけど。
「ううー」
猫耳、呻く。
南へ進む道もそれなりに混んでいたが、北ほどではなかった。戦況の悪化が著しく庶民を刺激していた。財産なんだろう、牛に荷を運ばせてゆっくりと首都までやってきた人もいたし、道端にはあまり見たくない類のものがあった。そこに、誰かの祈りが捧げられた草花が置かれている。
(……死体を処理する手間さえないのか、それとも私のような孤独な……)
段々と南へと進むにつれ増えていくことに、兵士らが片付けにあちこちを歩き回っていることになんとも、この国の終わりを感じずにいられない。
最前線まで、ミランダまで間に合うだろうか。
彼女は馬車での歩みであった。それに、あの幌馬車の中にはまだ人が少なく。荷が軽ければ、馬だって足早に動くだろう。
(でも、途中で拾い集める奴隷商であれば、なんとか)
私たちの足でも届くかもしれない。
ふと思い出して鞄の奥底に手を入れるや、やはりあった。しばらく他の人の手に渡って満足してまた戻ってきたものらしい。
薄暗い木陰に隠れて眠る私たち。ルキゼもまた傍らに横になる。
火はつけない。目立っても良いことはないからだ。
「んむ、」
むにゃむにゃと。お菓子を食べる夢でも見ているらしい、私の背を依り代に眠っている。その温かさは少しずつ、私からも独りという言葉を奪い去る。ぎゅっと歯噛みをしたのは、私。
(……まずいなあ)
本当は、良くないことだ。良くない傾向である。
つっけんどんに扱ってやったのも、こういうことになることを恐れて、であった。
にぎにぎと自分の両手をグーパーと動かし。はあ、と嘆息するや、森の奥からフクロウの鳴き声がする。ほう、ほう、と。ずっと、孤独な私に付きまとっていた鳥の声だ。何度も数え、眠りについた森の賢者。ばささと羽の音がする。飛び立ったものらしい……、餌でも見つけたのだろうか。
(あいつは……あの羽の生えた泣き虫は、どうしているかな……)
無事に生きていればいいのだけれど。
少し、夜は冷える。新たに新調した毛布をルキゼにかけてやると、見事に丸まった。
道中、久方ぶりの足の裏のくたびれと仲良くしながら、歩くが資本とばかりに進んでいく。村から食料を買い求め、あるいは力作業のいる老夫婦に頼まれて手伝ってやったり。貰った牛乳をルキゼは美味しく飲んだ。私たち以外にも南へ行く者たちがいる。商人もそうだが、兵士も。そして、奴隷たちも。私たちは並んで、昼食を摂る。彼らが疲れた顔で歩いていくのを眺めながら。ぞろ、ぞろ。ぞろぞろ。
制圧専用や、最前線へ。
戦闘奴隷として使われる彼らは決して安くはない。だが、国に所属する騎士に比べたら格段に安い。奴隷商人たちはひっきりなしに今現在、奴隷狩りを敢行しているらしい。第三者の、まったく関係のない奴隷狩りらもいるらしいが、とにかく二人きりの旅は危険には違いない。これを恐れ、私はいつも争いの煙が立ち昇る場所には絶対に近づかなかった。いったい何に巻き込まれるかわかったもんじゃないからだ。
しかし、私は、ミランダを探しながらの旅をしている。
(あの奴隷の証をなんとかしてやりたい)
そして、自由にしてやるんだ。
幸い、ミランダは自分を解放させるためのお金を幾つも蓄えていた。あと少しであった、あともう少しで彼女は自分を買い取ることができたはずだった。その少しが洗濯メイドには辛い金額ではあったが、いずれは好きに歩ける一般庶民になれるはずだったのに。
ぴく、とルキゼのフードが微動した。
猫耳が何かを捉えたものらしい、後ろを振り返り。足を止めた。
「どうしたの」
声をかけるや、彼はじっと一点を見詰めていた。
そこには南へ向かう、陽気なおっさんたちがいた。私みたいな雇われ護衛の人たちなのかもしれない、抱えている弓や携える剣が物々しい。これからが稼ぎ時だと張り切っている。目と目が合いそうになり、視線を逸らした。無言なままのルキゼにどういうことかと促せば、
「……なんだろう、とても……、
ううん、なんでもない」
頭を左右に振り、ぐいぐいと私の袖を引っ張り、前に行こうと私を促す。
(誰かが、跡をつけている?)
そう確信めいたものを私が抱いたのは、ルキゼがなんとなくソワソワして猫耳をひっきりなしに動かし、フードの中で姿を隠してるのを隠れ蓑に、私にバレないよう後方の物音を集音しているのに気付いたからだ。
「……ルキゼ」
びくう、とこっちがびっくりするぐらい飛び上がった猫耳少年。
立ちっぱなしのまま、私を見返す。
「な、何?」
人の気配が密集する道中である。音をかき集めるのは不意な私の声かけによってびびらせるに相当することなんだろう、心臓がどきどきとしているらしい猫耳は胸のあたりを無意識に触れながら、私を見上げてきた。勿論、フードは被っている。南に近づいているのだ、人の山も少しずつ、物騒なものに成り代わってきていた。私たちのような、いかにも旅人なんて物見湯山な輩もいないでもないようではあったが、いずれにしても面倒そうな顔で見られるようにはなってきていた。馬車の裏で私たちを値踏みするような輩もいたし、あれは奴隷狩りの算段でもしているんだろう、距離を置いておかねば。
――――そこかしこに、人を人と扱わぬ者どもの気配がする。
「何か、気になることあるんでしょ」
「え、な、何がっ?」
挙動不審である。
しかし、私は魔術書を抱えつつ。いや、この南に近づくにつれ、身辺には気をつけねばならなくなった。
ガラガラと銀色に光るバケツをぶら下げて歩く馬使いを盾に、足早に私はルキゼの腕を引っ張った。
慌てて足を動かす猫耳に、私は。
「……誰か、ついてきてるんでしょう?」
「う」
「さすがに気付くよ、ルキゼ」
まさかバレてないと思っていたのか。
この調子だと、館で護衛としての仕事を彼はやろうとさえ視野に入れていたのかもしれない。すなわち、とっちめてやろう、と。自信があるのだろう、いくら腕が立つとはいえ無謀すぎる。
「ルキゼ、倒そうとは思わないように」
「え、なんで!」
「ああいった奴は、確かにいる。奴隷狩りなんだろうけど。
でも、ああいった輩はこの大陸じゃどこにでもいる。
厄介だけど、いちいち相手をしてるのも馬鹿臭い。
逃げられるなら、逃げた方がいい。
面倒だ、蛆虫のように湧いて出てくる」
ぽんぽん、と魔術書の表紙を叩いてやりながら、
「蛆はね、コピーするの。
自分の分身を。
腐った部分を食べ、蘇る。
だから、まとめて殺すことが肝要よ」
「殺す……」
「そうだよ。
ね……嫌になるでしょ?
ルキゼは貴重な種族。
奴らには、お宝にしか見えないでしょうね」
いったい何に使われるか分からない、なんて言ったら、彼は嫌そうに唇を曲げた。
「だから、この大陸が。人間の国が嫌になったら。
さっさと帰ったらいい。
ここは……、人間の国。
人間が、人間を苛む国。
……家族がいるなら、家族のいるところへ帰りなさい」
「え……」
すう、と息を吐いて、紡ぐ。
「戦禍は酷いものよ。
ね、ルキゼ。
惨たらしいもの。
人間が、自分の居場所を確保するために。
……見ない方がいい、ますます人間が嫌いになるから」




