二十二話
私の意志に従い、私を苛立たせる者たちは例外を除き、すべてが空へと巻き上げられた。叫び声もここまでくると、とても楽しい。
「ふ、ふふっ」
片手だけ上げていたが、もう片方の魔術書も持ったまま万歳。
大きく口を開けて大笑い。白い歯をみせてやった。
「あははははっ!」
びゅうびゅうと吹き荒れるのは、男爵家のお館のみ。
この家だけをターゲットにして円を描き、私は台風の目の真っ只中にいる。お館の窓ガラスは割れてしまって風通しがさぞ良いことだろう、そこから目に見えぬ手を伸ばして厄介な奴らを軒並み空へと舞いあがらせたのだ。ひとり、またひとりと風に遊ばれ、ぐるぐると円を描いて回っていく彼ら。人間が両手両足を投げ出し、叫び声を上げたり気を失ったり。人間以外に大きな物は飛ばしてはいないつもりだが、何かが当たっても私は自己責任で片付けるつもりだ。奴らは盗人。容赦はしない、たとえ貧しくてやったことだったとしても顔見知りを傷つけ、私の居場所を犯した。許しもしない、徹底的に絶望させてやる。
――――そして、もう二度と。私に近づくな。
「ねぇ、ボクも」
問題なのは私がさも魔女みたいだ、なんて悦っているさ中、私の上着を引っ張って強請ってくる猫耳のことだ。びゅうびゅうと吹き抜ける風の音に紛れ、甲高い少年の声が私に訴えてくる。
「ボクも、空、飛びたい!」
「はあ?」
「いいでしょ?」
ね、ね、と。
私の横腹あたりで頬を擦り付けてくる根性のある奴隷。怖がると思えばそうでもなかった、初めて出会ったときに魔法を見せたのだ、金色の頭髪、そのつむじを見下ろしてしまい、
……せっかくの高揚感も、台無しである。
全力で悪人をやっていたのに、ごっご遊びになってしまったようだ――――ため息をつきつつも魔法の発動はやめさせないでいる。今、ここで魔法を解いてしまうと真っ赤なスプラッタ状なものがお館と地べたに貼りついてしまうから。
「……コントロールが難しいのよ、魔法って」
「大丈夫、ボク、王の子だから!」
「……どこの王様の子よ……」
ニコニコと、しかし、その縦の瞳孔をぴかりと輝かせている猫の期待に、
(うっ)
眉を顰めてしまう。
「だけどね……、」
「いいでしょ! ボクも遊びたい!」
「……空に?」
「空に!」
確かに、さっきの戦闘は……良かった。
空を舞うようにして、舞踏でもするように。赤い首輪を首からぶら下げながらも、ひらりふわりと重力がまるでない動きをしてみせていた。
「ルキゼ、身体能力は高そうだもんね」
「うん、ボクはちゃんと学んできたし。
実践もしてきた。大丈夫だよ!」
自信満々で猫耳をぴんと立てて自己主張をしてくる。
(うっ)
その大きな瞳をうるうるとさせてまで、風の揺り籠に乗ってみたいと。
「けどねぇ……」
躊躇する。
正直、この獣耳を繊細な魔法で飛ばせるだろうか、と。そのしなやかな肢体を引きちぎってしまいかねないか。自分の力のくせして、私は自信がなかった。
「嫌?」
可愛らしく小首を傾げられる。
「嫌、とは言わないけれど……、
……はぁ、もう……」
これ以上、こんなところでゴネられて集中力が途切れては困る。
私は、ルキゼの頭をぐりぐりと撫でてやって、その猫耳をぐにゃりと曲げさせた。
「知らないよ、どうなっても」
結果的に、ルキゼは大喜びで空を飛翔していた。
私の弱弱しい風に胴体を巻きつかせ、足をばたつかせ。
歓喜の声を上げ、空を舞う。
そんな様子を下から見上げる私は、肩の力が抜けてきた。先ほどまでの怒涛な渦巻く感情が綺麗さっぱりなくなっていた。そもそも、余計に神経を尖らせなければならなかったのでそれどころではない。
(あらら、あんなに……はしゃいじゃってまあ)
ぐるぐると宙で回ったり、横に回転したり。忙しない。
(ああしてみると、本当猫だ)
すり抜ける泥棒らに威嚇して相手をびびらせたり、追いかけたりして飛び跳ねる。
魔法障壁も自動的にかかるよう力をさらに増して使ったので、ページがまた少し減った。だいぶ軽くなった魔術書を脇に挟み、頭をかきつつ。
(もう、いいか……)
台風の外側に居るであろう、こちらの様子を伺ってくる者たちの気配を探る。貴族区画のこちらにはあまり人はいないはずだが、引きこもっていたはずの彼らもまた顔を覗かせているようだった。
奴らの関係者も、当然。揺らぐ風の向こう側は人影しか見えないがそこにいるのであろう、親しき者たち。もしかしたら女子供かもしれない。やむにやまれぬ事情がある泥棒だっているんだろう、皆が皆、風向こう側で空を舞う気絶者たちを指差し、呆気にとられたり。怯えたりしていた。心なしか、魔法使いがどこかに、という言動も耳に聞こえる。いや、気のせいではない。風に乗って、私の耳に情報が届けられたのだ、私の姿は風の中にいるから彼らには見えないだろうが、ここまで派手にお館中心にやってしまったのである。いずれにせよ魔法を解いたらバレバレであった。
飛ばされた非道なる者たち。始末してしまいたい、本音は。
だが……、そんなことをしたところで、悲劇はなくならない。
復讐すべき者でもない。私はただの雇われ護衛。館から、透明な風の手を伸ばしてすべての窓から不当なる該当者を摘み、軒並み飛ばして気絶させただけ。コントロールは上手くいった。殺してもかまわなかったから、コツがつかめて良かった。その応用がルキゼである。
(鬱憤を、晴らせたし)
この汚い世界を軒並み水で洗い流してやったら、どんだけ気持ち良いことか。
気分は明るくなるだろう。
魔法を解いて、ゆっくりとルキゼを下ろす。
と、
「楽しかった!」
私の真正面から抱き着いてきた猫耳。よっぽど感激したものらしい、普段は闊達に喋らないくせして饒舌である。
「すごかった! ドビューって! ブワーって!」
「……どびゅわー?」
「ドビュー!」
赤い首輪が私の腹に地味に当たって痛い。
ちょうど位置が悪いようだった。にも関わらず、ルキゼは興奮状態のまま、あれこれと語る。
はいはいと頷き、周囲を見渡せば。
ばたばたと落ちた人に群がる人々。包むように落としてやったから、怪我をするにしても骨折ぐらいだ。その負傷音にまたびびっているギャラリーもいたが。ルキゼは気付いているようではあったが、無視している。私もそうしたいところなれども、魔法使い、という存在に、誰もが恐怖に引きつった表情を浮かべている。
ルキゼの容姿に、目を奪われている者たちもいたりするが。
「獣耳……」
「まさか……珍しい」
珍獣までも、知られてしまったようだ。
私はルキゼにフードを無理やり被せ、男爵家の館にいそいそと戻った。といっても、玄関の扉も魔法で取っ払ってしまったから、男爵家の玄関ホールが丸見えではあったけれど。ソファーは無事らしい。だが、それ以外の建物の中身が……シャンデリアがひっくり返って天井に引っ付いていた。
(ヤバイ)
ちょっと、羽目を外し過ぎたかも。
どうも、私の魔法のコントロールは変なところでポンコツらしい。確かに窓や出入口から、お館に入り込んだ不貞の野郎どもを飛ばそうと思い、実際上手くいったし、そうなるだろうと思ったが。想像以上に、ボロクソなお館になってしまった。窓は全部割れてしまっているし、恐らくこの北の国で一番風通しが良い家になっている。夜は寒そうだ。
玄関ホールに入ってもなお、追いかけてる背中への視線とざわめきに口元を引きつらせつつも、奥様にどう言い訳してしまおうかと頭を悩ませた。お金はないが、やることはやったのだ。言いつけどおりにしてやった。このお館には魔法使いがいる、というアピールは存分にしたしこれ以上、彼らのようなとんでもな奴らが入り込むことはないだろうが、ここまで涼しげな装いにするつもりはなかった。
つもりでした。はい。
(と、謝ってなんとかなるか? いや……)
ルキゼを脇に控えさせて、コンコン、と扉を叩く。
すると、鍵ががちゃりと開いた音がして、奥様がおそるおそるといった顔を見せた。
「……リア!」
「奥様、大丈夫です。これにて安全です」
「そ、そう……でも、ずいぶんと騒がしくて。
この世の終わりかと」
涙目である。
しかし、もっと恐ろしい現実が私の後ろに広がっていた。男爵家の奥様、自分の部屋の窓が壊れてしまったのはたまたま、といった気持ちでいるのかもしれない。まだ、気付いていないようだ。
館の内部はどこもかしこも見るに耐えぬものばかりで、見栄を張る奥様には刺激が強すぎる。




