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二十一話

 男爵家の広々とした館は、どこもかしこも襲撃の嵐の憂き目に遭っていた。

時々出てくる暴れん坊を魔術書でもって窓から外に出してやったり、ズレた男爵家の先祖の額縁を元の位置に手直ししたり。元気な一部の使用人たちはもうやってられないとばかりに、少しでも高値で売れそうな小物をかっぱらって逃げたんだろう、以前からあれは高く売れそうだと思っていた代物が軒並み消えてしまっていた。襲撃者たちが奪い去っている可能性はなきしにもあらずだが。

 コツ、と足音鳴らして、魔術書を抱え直し。

こんこん、と。奥様がいらっしゃるはずの愛用部屋の扉を叩く。


 「入りなさいな」


 生きているんだろうか。

まず、最初の疑問である。ミランダが昔とった杵柄で奮闘したのは知っている。しかし、あの声は間違いなく奥様である。私の背後にある窓が割られて、豪華な館の内部に冷たい風が吹きすさんでも、いつも通りの声色で彼女は私を呼びつけていた。呼吸を整え、気を引き締める。


 「失礼します」


 ここ最近、とみに多かった。そのことを疲れと共に滲ませながら、ゆっくりと力をこめる。

すら、と素直に開いた扉。魔術書を掴む力を強める。いつでも発動できるように。

 (こういう時、防御能力は便利だ)

 誰かの腕が私に及ぶ前に、敵意から我が身を守ってくれる。

魔術書の表装の文字が、左から右へ光る。


 「くっ……」


 男のうめき声。魔法障壁に当たって飛びのいたものらしい、服装はやはり一般市民。金を奪うだけ奪う夜盗と化した人間……、異質な者を見る眼差しを受け止めた私は、みすぼらしい未来になるであろう男の姿を容易に予想しながらも、相手にほんのわずかな隙を見せずに力を解放した。

 輝く光と共に発生した夜風に男は巻き込まれ、壁にぶち当たった。

と同時に、ぐんと魔術書の厚みが薄くなった気がした。だが、コントロールは上手くいったようだった。

気を失い、倒れ込む男は一人だけ。壁に穴が開かなくて済んでよかった、と胸を撫でおろす。

 さて、肝心の奥様はといえば。

ソファの上で優雅に腰を下ろして私の技を観戦していた。


 「リア、ふふ、さすがは魔法使いね」

 「ひとり、ですか?」

 「ええ。他の野蛮な輩はいなくてよ。あぁ、嫌だわ、嫌。

  ……先ほどはミランダが奴隷が主のために人肌脱いでくれたのだけれど、」


 ほう、と頬に片手を当ててため息をつきながらも、隣の部屋にあるであろう寝室を見やりながらのその目は侮蔑の色に染まっていた。


 「あんな浅ましい姿を見せられるこっちの身にもなって欲しいわ」





 (嗚呼、嫌になる)

 私は怒りというものを、忘れたと思っていた。でもそうではなかった。ただ単に、身体の奥底にため込んでいただけだったのだ。彼女を殴ったところで、どうにもならないのは必然。なんせ、本当にどうにもならないことだから。人のために親切を施したり、その身を粉にして働いたところで返ってくるものはほんの僅か、なんてことはまあまあにあること。

 奥様にはここに居て護衛をするよう申し付けられたが、


 「いえ。もうひとり、私の奴隷がどこかにいるようですので。

  探してきます」

 「あら、あの猫耳ね。けれど、どれだけ貴重な獣だろうと、

  あなたはわたくしを守る約束よ」

 「……ええ。ですが、ここに居たらどうなります。

  火に煽られるかもしれない。

  未だ館の中に不逞の輩がうろついているのかもしれないのです。

  奥様。ここは、奥様のためにも調べに行ってきます。

  それで、私が出て行ったあと、部屋にはちゃんと鍵をかけてくださいね」


 今回男爵家に襲った不運。

それを取り除かねばならない。ここは、私の職場でもあるし、眠るところだ。不安そうな奥様であったが、館の中を制圧しきれていないのを察したのであろう、貴族の見栄をはってしまって青白い顔のままでいる奥様を置き、騒がしい音がする玄関ホールから先、出入口へと向かうことにした。

 





 途中、幾人か負傷した者たちもいたが、概ね、無事のようであった。

残念ながら亡くなった人もいたが、抵抗しただけ傷ついたようである。逃げたら良かったのに、なんて普段から仲の良かったらしいメイドが嗚咽をこぼしながら泣いている。 

 割れた窓ガラスから入り込む寒々しい風を頬に受けながら、汚れたカーペットの上をひた歩く。

 




 玄関へ戻った。

私が眠りこけていたソファは無事のようであったが、玄関が半分、壊れていた。

開閉されたそこに身を滑り込ませると、金色の髪が宙に舞っているのが分かる。

 (猫耳……)

 濃い金色、太陽の光のような髪を翻し、大地に着地する。

夜闇に彼の姿形は大層目立っていた。そして、その服の汚れも。ちゃら、と赤い首輪が揺れる。


 「ルキゼ」

 「……あ、」


 名前に反応して振り返るその顔色、は悪くはない。さほどの疲弊はしていないようだ。

少年は私の顔を見てどこか嬉しげにぱっと相好を崩したが、たちまちに真正面へと視線を戻し。あっという間に瞬発力をつけて金色の光のような線でもって駆け抜け、目の前で小さなナイフを構えていた男の懐に入り込み、しゃがみこんで立ち上がる力を利用して腹部を蹴り上げた。しなやかな筋肉を持つためか、地面に両手をついてバク転、男との距離を稼ぎつつも崩れた体勢を整えてしまった。

 ぐお、

という野太い声に私はこれ幸いと、その男に魔法をかけて吹き飛ばした。

 ついでに、

 

 「……面倒だし」


 魔法の力を引き出す。

がぱりと両開きにした魔術書。両手で抱えてページを開いた状態のままにすると、ぺらぺらとページが捲り上がる。私は、激怒していたのかもしれない。いや、苛立ちを募らせ過ぎたのかも、と。ふと自嘲するけれど……どうしようもない、こんな世界なんだもの。諦めることには長けていた。

 奴隷制があって、人への優しい感情が打算で出来ている。

たまには、そりゃ人間らしい人はいる。だが、扱っている奴隷へのやり方を思えば、私はこの世界の人間の考え方にまったくもって水と油が合わないがごとく、張り合うものだとガッカリする。

 

 「全部、綺麗にしてあげる」


 すべての神経を注がねばならない。

この力を使えば、魔術書のページをかなり消費してしまうし、がくんと体力を消耗してしまって走ることさえ困難な状態に陥る。常に酸欠状態で、立っていられるのもやっとな状況に陥るだろう。

 (私がたった独りなら、しなかった)

 いや、するはずがなかった。

だが、私の前にいるこの猫耳がずっと、私のために門番をやってくれていたのだとしたら。不安定になった奥様に朝から晩まで呼びつけられて相手をさせられていたのを心配してくれて。じっと、私の傍から離れないようにしていたのだとしたら。少しは、信じてもいいのかもしれない。ほら、今なお、遠くから私を見詰めている金色の瞳は私を捉えて離さない。

 ミランダ。

彼女は出来うる限りの最善の方法を選んできた。彼女の道は狭いものばかり。強要されたものが大半であったが、今回しでかしたことは彼女なりのやり方、身を守る術だ。そうやって今まで生き延びてきたのだ、親切なのかおためごかしなのかは分からないが、そのおかげで助かった人だっている。今までそうやって生きてきたのだろう、私への親切は忘れられない。

 奥様、は……、

まぁ、仕方ない。ああいった性格だもの。私を朝晩呼びつけては睡眠時間を削らせた腹いせぐらいはしたくなるが、お金を前借した手前人のことをああだこうだとは言えない。口では悪いことを言いながらも、彼女はミランダを拾ったのだ。悪いことをいいながら、良い行いをする。結局彼女のお蔭でミランダは生きていられるのだ、下手な場所へ売られでもしたら厄介なことになってはいただろう。下手したら生きてさえいない。浮気に耽る夫と向き直る勇気のない女性だ、なんだかんだで愛人に走ってしまっているけれどもベテランメイドからの情報では、彼女は夫とよく似た姿の愛人ばかりをこさえているのだという。その愛人への金払いも悪くなってしまったので、愛人契約はぶった切られたはずである。


 「さあ、て」


 数多のページが騒がしく捲り上がり、最後のページが閉じられた。裏表紙に五指を置き。

慌ただしい世界に、残っているであろう他の不貞の輩たちをすべてまとめて。

 空へ。

自由なる片手を平にし、天へと向けた。

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