二十話
残酷な描写があります。
「リア! 助けて!!」
やって来たのは、プロメイド。貴婦人に仕えるために綺麗に整えていた髪を振り乱し、台所へと駆け込んできた。
「きゃあっ!」
「待てっ」
続けて追いかけてきた男の太い腕が、メイドの喉を捕まえた。
羽交い絞めにされ、はくはくと口を開けている私の顔見知り。猫好きだとはにかみ、いつもの取り澄ました顔ではないのだなと思った彼女との邂逅が脳裏を過ぎる。
「……お? まだ、女がいたか」
青白くぐったりとしてしまったメイドを抱え、私に視線を向ける男。
男の恰好は庶民的なものだった。体格は立派だが、どうも荒稼ぎができると人気の少ない金持ちそうなお館を軒並み荒回ししてきた輩であるようだ、魔術書を掴みながら後退していると、もう一人。出没した。
「こっちは大体……、って、あれ、まだ居たんか。
……これはまたチンケな女だ」
第二の男は黄金色の壺を抱えている。
「……高く売れそうにもないな。
……ピチピチじゃないし、何より可愛げがない」
「だが奴隷にすりゃ少しは。この女みたいに」
「まあ、それもとうが経っているし。今は買い叩かれるだろうが……。
端た金ぐらいにはなるだろ」
失敬な奴らだ。
瞬時にして私とメイドの皮算用をしていたのである。
「ふん、大人しくしてろよっ、可愛がってやるからよお」
さて、どうやって叩きのめすべきか。
殺すと掃除が大変だ。メイドを後方に現れた男に手渡した野郎、私のほうへ近寄ってくる。さて、屋内戦闘である。といっても、
(すぐに、終わらせる)
私は、抱えた魔術書を使った。
二人纏めてやっちまうにしても、プロメイドさんを傷つける訳にもいかないから。力をコントロールしなければならなかった。魔法は繊細である。
私が大人しく後退りするばかりで。
何やら本を抱え睨みつけているのを不審に思ったのだろう、
「なんだ? 頭がおかしい女か?」
怯えない女は初めてかもしれない。凝視されている。
「それに……なんだ、それ。
光って……いる?」
かっ、と輝かんばかりの風が、一人の男へと駆け抜けた。
ガタガタと揺れる窓枠。急な気圧の変化にびっくりしたようだ、メイドを抱える男も。
「な、な、」
私は殺すつもりで空気の塊をガタイの良い男へぶつけた。
多分、胸骨はバラバラに砕け散っているはずである。真正面から当てにいったものだから、男は見事に吹き飛び、けたたましい音を立てながら壁にぶつかった。
(おお)
そして私も驚嘆した。思いのほか、立派な人の形をした穴が壁に出来上がったのである。
ふわ、と浮いた黒い髪。それは私の前髪。垂れ下がる黒髪の隙間から、キッともう一人の男へ怯ませる視線を投げるや、男はぎくりと固まり。ぷるぷるとした小刻みな足を頑張って動かし逃げ出した。
「ひえっ」
まるでさも化け物を見るかのような、恐怖をそのみっともない顔にべったりと貼りつかせながら。
大きく息を吸って吐いた。
かなり適当に投げ捨てられたメイドさん。走り去った男の後ろ姿を見送りながら、プロメイドさんの様子を確かめる。ぼうっとしているが、怪我はないようだ。青白い白面状態だが。
(怪我もなさそう)
さっと立ち上がろうとした、他にもとんでもないのがいるかもしれない。
(この様子では、他の召使いたちは)
僅かに残っている者たちは自ら逃げ出した可能性だってあるが、奴隷狩りに遭っている不幸者がいるかもしれなかった。
そのようなことを視野に入れていると、私の服を引っ張る手があった。
見下ろせば、メイドさん。
「い、行かないで、リア。
わたしを一人にする気?」
「だけど」
「奴隷なんて! あんな惨めな!」
恐怖が蘇って来たものらしい、確かにこの国の人々どころか大陸全体に奴隷に対する認識は酷いものだ。もし捕えられたらと思うと震えるのも無理はない。
「リア、リアは助けてくれるわよね?
普段から良いように親切にしてあげていたわ、」
必死だ。そりゃあ、自分の身を守る術がないんだもの。
「ねえ、見捨てないで!」
怖がりつつも、決してその手を離そうとしない。
「奥様は……」
「あんなの!」
ぐいぐいと力は強まっていく。
「あんなの、どうだっていいわ!
わたしたちを道具扱いして! リア、あんた馬鹿じゃないの!
金もなくなった人に、何ら魅力なんてものはない気位の高い女、
誰も助けやしないわよ!」
長年立ち働いたメイドに、泡を吐くようにして言い捨てられた奥様。
血走るような目で私に縋る視線を強く注いでくる彼女、私は何とも言いようがなく。男爵家の奥様。そりゃあ、そうだろう。金も何もなければ、普段から使用人たちをこき使ってきた。愛情のある素振りがあればまだマシだ、しかし……。
(私が魔法使いで。力があるから、大目に見られていた部分があっただけで)
他の使用人たちは、新しい道具を与えられずに古めかしい道具を使えと朝から晩まで使われ続けた。このメイドさんなんて、ベテランだからこそ働き方のコツを知っているというだけであって、本当の胸の内は腹の底に溜まっていたんだろう。思えば、彼女たち使用人は私よりも休みは少ない。
お料理メイドがいなくなったから、この女性が食事係になって。
洗濯メイドがお掃除メイドもやっていたんだっけか。
さらには私には門番という役割が与えられた。
他にも僅かにいるが、いずれも家がなかったので屋根のあるお館で暮らすばかりの使用人たちばかりであった。奥様の持つわずかな蓄えを、爪の火を灯すようにして使い続けながら。
奥様は、必死だ。
取り繕う相手がいなくなった男爵家のお館に引っ込んでも、身支度は綺麗にしていたし。お料理メイドになった長年のメイドに支度を整えさせてはいたが、少しやつれた顔で使用人たちを眺めていた。
「……ミランダ」
私がぼさっとしている間に。
女性がひとり、ふらりとやって来た。私と相部屋の奴隷メイドだ。
「ふふ、久しぶりにお仕事しちゃったわ」
私は、この時ばかりは。酷く、自分が情けないものだと思った。
彼女の恰好は、いつものメイド服を少々……破られ、ていたのだ。
「ああ、これ? もう、仕方ないわ」
あっけらかんとして笑うミランダ。崩れた髪型も同調して揺れる。
「……っ、ごめん……」
「あら? 何を謝っているの?
私これでもメイドよ。ちゃんと館の主を守るためにやっておいたのよ」
お仕事がしづらくなるわね、なんて。
「……奥様は……」
「上にいるわ。
リア、リアって言うから、呼びにきたのよ。
……さあ、そのメイド長は私が預かるから。行って。奥様がお呼びよ」
「でも」
「隠れてるから。でないと、あなたも動けないでしょう?」
「…………うん」
何とも言いようのない歯がゆさ、がこみ上げてくる。これは、後悔だろうか。力があるくせに、私は。ミランダは元は娼婦だから気にしないと言い張るだろうが。そんなこと、あるはずもない。どうして私はいつも間に合わないのだろう。
ぐっと唇を噛み締め、理不尽さがまかり通る世界へまた、憎しみが募った。
諦めなければならない。
そうしないと、私は我慢できなかった。実際、嫌になるぐらいみてきたことだ、このような残酷な行為は。しかし……、顔見知りが被害に遭うのを目撃してしまうと、どうしようもない渦が私の中で暴れまわる。
「リア?」
俯いていた顔を上げると、ミランダは。聖母のような笑みを。
「さ、行ってらっしゃい」
「……分かった。
……あとは、お願い」
「ええ」
後ろ髪を引かれる私をミランダは片手を振って見送った。