十八話
貧しい暮らしは心を疲弊させる。魔法が使えるとはいえ、仕事がないときは路銀が減るばかり。人の多い都会ならともかく、田舎や中途半端な街だと食べれるものさえ路外に出されることはない。よそ者扱いは基本だが、奴隷狩りの襲撃に遭いやすくもなる。
(盗むことだけは……)
本当にまずいときは、そうするだろう。でないと私はどこぞの仏様になってしまう。何度か危険な目には遭ってきた。身づくろいでさえきちんとできず、油っぽい髪とべたつく身体、それと歩きすぎて皮がむけてひどく痒い足の裏がみじめで、眠れぬ夜に少し、泣いた。
――――未だ殺すことに躊躇していた頃のことを思い出した。
「南の国と戦争だって……」
「とんでもないこと」
ざわざわとざわめく晩餐会。
控えである召使専用の部屋ではあちこちで人の塊ができ、あれやこれやと相談という形の華を咲かせる。食べ物にいつもは群がる貧乏家の使用人でさえも興味の矛先がこれから行われるであろう戦争について、であった。
(生き死にが関わってくることだからねえ)
それでいて、彼らは皆、他人事のように。口々に戦争について南の国なんて、と扱き下ろすことに熱心である。さもありなん、ここは国の中央、首都である。ここが落とされたらもはや国としての存在意義が失われるので、北の国の召使いどもは口では勇ましいことを言いながらも、実のところ自分たちは高見の見物と洒落込んでいるのである。
(……あー……路銀さえ、あれば)
私はさっさと枕を高くして眠れる場所に潜み、戦況結果によっては南の国へ移住するのに。
厄介なことになったもんだ、と、そそくさと大図書館へ向かうことにした。
腹ごしらえは済んだのだ、
(獣耳について、調べるか)
やることはやっておこう。私みたいな立場の人間が高等な情報を入手できるはずもない。もっといえば貴族でもないし、伝手というものがさほど持ちあわせがないので身軽といえば身軽だが、こういう機会でなければ私はこの世界の叡智にさえ触れるタイミングがない。
テレビやラジオも何もない異世界では、暇なことが多い。
喋ることが唯一の娯楽のような面もあるにはある。だが、私には自分の生まれ故郷を語る相手なんて存在しないし、まるで夢や幻のように感じることがある。私は生まれながらに、こうして根無し草なのではないか、と。そう思う時がある。そういうとき、とてつもない穴が私の足元にぽかりと開いていて、いつ落ちてしまいかねないかと冷や冷やする。
夜会のときのように、
(30分、)
と、決めた。
あまり読み込むと、私の頭も具合が悪くなる。いや、元からかもわからない。
前と変わらず、大図書館はそびえていた。
やや埃臭いのは主が帰ってこないから、なのかもしれなかった。趣味である本を集めるわりに読むこともせず、この国の王は戦争について頭を悩ませているんだろうか。いや、そんなことはないだろう。自分から、鳥の人を捕獲にいったのだ。
王自らの奴隷狩り。
なんとも気持ち悪く、えげつない行為。あの鳥人のためにも祈っておこう、さっさと消えてしまえばよい、と。世代交代すれば少しはマシになるかもしれない。王子が幾人かいるんだったけ。何、少々の内乱ぐらい、どうってことはない。ただし、南の国から攻め入られたら、隙を見せたら終わりだが。財産は散々に搾り取られるであろう、壁や家は隠しごとがないかと破壊され尽くされるであろう。
この国の人間は銀の髪に紫の瞳と、それなりの容姿の白っぽい人間が多い。奴隷狩りの人間にしてみたら、高値で売れるか? いや貴重なほどの種類ではないから薄利多売か。
(……この世界を理解しているように錯覚させられる)
絶滅危惧種、の背表紙をさらりと撫でゆき、まとわりつく薄気味悪さを耐えて息をつく。
さて、足早に控えに戻ってきたが、未だ晩餐会は終わりがみえない様子だ。
あまりにも長く足止めされてしまってるがゆえに手持ち無沙汰で眠たそうな年かさメイド相手に、話を聞いてみる。静かな一角にて、彼女はぼんやりとしていた。声をかけると、ゆっくりと私を見上げるうつらうつらとしていた瞳。
「あら、おたくも?
わたしのところのご主人様もそうなのよ」
頬に手を当て、欠伸をしながら椅子に腰かけている。
「なんでも、幻の王族様……公爵様が、戦争はやめようとおっしゃってるの。
でも、王様が駄目だって怒ってるわ」
どうやら衆目の面前でそんなやりとりが行われていたものらしい。
しかし、いつまでもブツクサと文句を言いあう訳にもいかない、王様は場の仕切り直しに終始した。のだが、そこでも公爵は。有力貴族たちの取り成しにもめげず、公爵様はあれこれと戦争反対を訴えた。
「……あら、ご主人様だわ。
さ、わたしはもう眠い。さようなら、見知らぬ人」
一気に人が増えてきた。出入口に向かう眠そうなメイドの後姿を見送っていると、入れ替わりに奥様つきのメイドが私の姿を発見して手招きしてくれる。
「リア。帰るわよ、支度なさいな」
馬車もせわしい。
ロータリーのように順繰りに貴族のお偉いさんを乗せていく。男爵夫人の番になるのは当分先だが、その待っている間、奥様とメイドが例の噂をこそこそと話し合っている。他の人たちも似たようなもので、今回の晩餐会での顛末があちこちでひそひそと垂れ流していた。
「やっぱり戦争になってしまうのね。
公爵様、それはそれは端正なお方でしたが、
先見の明がなかったわね」
奥様、それはもうゆったりとしたスカートをソファに沈みこませてアレコレと酒に当てられたものか頬を染めて。扇をぱたぱたと煽いでいる。
「南の国と和平交渉だなんて!」
「公爵様はお若い方です」
「それはそうなのだけれど。あの王陛下を怒らせてまで……、
若すぎる。いいえ、若すぎたのよ」
「……このままでは」
「そうね。良くて軟禁、悪くて最前線かしら」
(哀れ)
私の願いは別の人間に直撃してしまったようだ。王ではなく、公爵と呼ばれるカッコ良い人が頑張ってみたもののようだが、結局は権力闘争に負けてしまったようだ。いや、真正面からぶつかったようだったから、ただのアホだと見るべきか。馬鹿正直者といえばそうだが。
(……なんて、無慈悲な人たち)
ようやくやってきた男爵家の家紋が入った馬車に奥様が入り込む。
私もまた、周囲を見渡し。抱える魔術書を撫でながら、メイドの次に座る。
「リア、あなたはしばらくうちに居るつもりよね?」
「はい、奥様」
「ふふ、それは重畳。お金を前借りしたものね」
続く話は、私をさらにつまらなくさせる。
「これから、この首都から男の人手が少なくなる。
戦争ですもの。
こういうとき、魔法使いの女は便利よ」
(さっさと消えたいな)
奥様は計算づくで私を雇っていた。
それはまあ、分かりきっていたことだが。こうして正面切って言われると、なんとも言いようのない気持ちがこみ上げてくる。見捨てたくもなる。自分の身は自分で守ってくれりゃいいのに。
(……けれど、それはそれで傲慢かもしれない)
魔法という力があるからこそ、私は己の身を守ることができた。もし力がなければ。私はもう、この世に存在なんてしていないだろう。
街並みは暗い。
晩餐会の時間があってもなお、街の人々は眠る。貴族ではない彼らは大人しく日々を過ごしている。お偉いさんの考えは分からないと、平穏無事な生活さえ送れれば良いと考えている。選挙権も何もない世界だ、蹂躙されるだけされるのは運がなかったという、ただそれだけ。市民革命の歴史もない世界だ、人権なんて想像力さえ働かないのかもしれない。それなら奴隷制を否定するか。
ますます、気分が悪くなりそうだ。
無理をして本を読みこまなかったが、せめて争いが私の契約期間以外に起きてくれることを祈るばかり。