十七話
ローン返済のため、さらなる長期契約を結ばねばならなくなった。
男爵夫人はほくほく顔だが私はげんなり顔だ。今頃であれば手にした路銀を片手に、こんな紛争に巻き込まれそうな北の国に居続けずに別の平和な村や街へ避難しているところだった。それなのに、奴隷少年という、若い身空の奴隷を雇わねばならなくなったのである。それも、ほとんど私が拠出。解せぬ、と首を傾げるしかないが、傾げたところで金は湧いてはこないし。
「あら、それならその子、働かせたら良いじゃない」
なんて現役奴隷は言うが、そんなことしたくはなかった。心情的に。
「変な人ね。リア、あなた、
なんのために奴隷が存在してると思っているの?」
笑われた。
(まぁ、そうだよね)
この世界の奴隷制は働かせて雇い主は無駄な労力から解放されるために存在している。
ちら、と陽の光に照らされて輝く金色。その耳を撫でてやれば、またぴくりと動く猫耳。褐色肌の少年は、なんとも不思議な姿勢でゴロゴロと眠りこけていた。すっかり私のベッドがお気に入りらしく、せっかくの整えてやった寝床は新品同様である。
「あらま。この子、ご主人様のベッドで変わった姿勢で眠っているわ。
ふふ、野性を忘れた猫みたいよ」
確かに。
へそ出してまで熟睡って野良ではできまい。私は布をかけてやった。あら優しいわね、なんてミランダは言う。
「女の子なら刺繍とか。色々させられるけれど。
男の子ではねぇ。客をとらせるには……嫌よね、リアが」
緩く首を横に振った。
そんな私に、ミランダはややため息交じりに。
「……あなたも存外に、優しいわね。つっけんどんで、
情け容赦なく敵を屠るけれど」
「護衛なんだから当たり前。でないと、私は殺される」
「まあ、そうよね。あなた、一人で生きてきたんだもの」
窓に霜がつくようになってきた。
ふう、と温かい息をつきつければじわりと滲んで水滴になる。私がしていることを獣耳はじっと見詰めている。そして温められて見えるようになった向こうの景色を覗き込む。
「ちょ、」
私を押し退けてまで見ようとしなくてもいいだろうに。
ぐいぐいと私の顎をその獣耳つきで押し上げてくる奴隷少年を叱りつけた。
最近、こいつは私の喉から顎のあたりを後頭部でぐりぐりしてくるようになった。背中は飽きたものらしい、ぴゃっと逃げる回数も少なくなった。人慣れしてきたんだろう、ご飯も同じ食卓で並んで食べられるようになったし。
「やめなさい、いい加減! ここは私の場所!」
メルキゼデクは避けようとしない私の膝上に乗っかって、
「イヤだ」
と応える。そしてぐいぐいが始まる。顎が痛い。天井が見える。白眼になりそう。さわさわと猫耳が私の頬を嬲り、金色の髪が柔らかい。温かいが邪魔くさい。
(こいつ……)
元々べったりであったが。さらにその頻度が高まったような気がする。
それでいて、喋る頻度が増えた。
仕方ない。
私は、己の膝の上をこの少年に提供することにした。重たくってまた痺れるけれど。私たちがセットでいると、お菓子のおこぼれ貰えるし。何も悪い事ばかりではない。落ち着いたらしい、その猫耳と猫耳の間にある後頭部に自分の顎を乗せる。柔らかな感触が喉に当たって心地よい。人肌が温かく、このような状況の私たちを館の使用人たちは姉弟だといって噂し合って笑う。
護衛の仕事は幾度かあった。
そのたびに、獣耳に強く言いつける。
「ルキゼ、」
本名はメルキゼデクだけど、とてもじゃないが長ったらしいので省略して呼びかける。
「私はこれから護衛の仕事として、奥様についていくから。
決して私のあとをついてこないように」
前に眠りこけているからと、この猫耳奴隷をおいて職務を全うしていたら、気付けば真正面にいたことがあったのだ。その卓越した足でもって、どういう経緯でたどり着いたのかは不明だが、ひどく狼狽した顔で私の腰に腕を回してひっついていた。ぎょっとして尻もちついた。
あれ以降、私はこのルキゼにあれこれと出かける理由を教えておかないとならなくなってしまった。
でないと仕事に差し支えがある。
獣耳はその耳が飾りではないらしく、出かける支度をして馬車に乗ったあと窓枠から覗きこめば。
あの金色の瞳をこれでもかと爛々と輝かせ、出入口で頭を下げる使用人たちの後方のドア、その暗がりからひっそりと私を見送っていた。
(……何も、そんなドアの隙間で顔半分出して見守らなくても)
やっぱ猫ではないか。
そんな印象が拭いきれない。
「リア、晩餐会よ。護衛、しっかりね」
「はい」
ベテランメイドがそう言い忙しく立ち去った。
どうやら急な催し物らしく、ドレスはあれこれ、髪型はあれこれと悩ましげに足音鳴らす。いつもは後輩メイドにあれこれと廊下を走ってはいけませんと、叱りつける役目なのに。
(珍しい……)
いつもなら私の傍にいる猫耳少年を構おうとして、逃げられてばかりいるのに。本当に今日はとんでもなく仕事が立て込んでいるもののようだ。
「ね、ルキゼ」
相槌をささやかながら願ったが、猫耳をぴんとさせてばかりで私の声にはとんと頓着せず。
じっと、あのメイドさんがいなくなった廊下を見詰めている。おやおや?
(ピンときた)
私は意地悪そうに口の端を上げて、
「もしかして、寂しいの?」
含み笑い込みで聞いてみると、獣耳の少年はその金色の瞳を大きくさせ。次に、私の視界からぴゃっと消えた。いや、消えたといっても、私の隣に移動してるだけだが。どうやらあまり羞恥を煽るような発言はしないほうがいいらしい。それからというもの、しばらく私と目が合わなかった。
晩餐会用のドレスを纏い、優美に歩き出す奥様の後方を守るべく護衛の任に就く。
ルキゼにはあれこれと、今日も仕事だから、と言い含めては来たがどうもふて腐れてしまったものか、私の言葉を聞いているんだかいないんだかの態度で姿を見せさせしなかった。気配は感じる。だが、それだけだ。
(やれやれ)
なんだか分からないけれど、あの猫耳少年は小馬鹿にすると駄目らしい。
カタカタと石畳を走る車輪。メイドと男爵夫人は、これから行われる晩餐会についての話に華を咲かせていた。主だった貴族たちのみならず、末端まで呼び寄せられた、とのこと。
「とうとう、戦争かしらん」
「さぁ、どうでしょう奥様。
もしそうなってしまったら……」
「ふふ、心配しなくても大丈夫よ。
もしそうなったらなったで、この国は負けないわ」
「そうですね、奥様」
南の国との戦いが始まるだろうか。
路銀が増え護衛契約が終了する前に、争いが行われるとは。逃げられない。
(はあ……)
繊細な私だもの。あまり人を殺すのは躊躇わなくはなってはきたけれど。それでも嫌なものは嫌だった。少しは図太くなった、とは思うのだけれど。
(厄介だなぁ……)
第五次戦争のときも、私は物見遊山だったからな。
対岸の火事でしかなかった。だから、我が身にその火の粉がふりかかるかもしれないと思うと憂鬱になる。燃え尽きる音。匂い。想像を絶する、何か。遠い場所にいるからこその、平穏だった。
「リア。頼むわね」
「……はい、奥様」
護衛は主を守らねばならない。
私は、気持ちを改める。契約は守らねばならないからだ。
ガラガラと揺れる馬車。その流れる景色は、どこもかしこも人の出入りがあって。明るい景色ばかりだ。とてもじゃないが私みたいな顔をしていない、こんなにも酷く嫌そうな顔じゃ。
(……せめて、あの子。
ルキゼが助かるようにはしておかないと)
私は本当に、奴隷冥利尽きる雇い主だと思う。あんな、勝手についてきて、いつの間にか奴隷となってまで私から離れたがらない、主べったりな猫のために、金も時間もかけるなんて。以前の私であれば……いや。
(……あまりにも一人でいすぎた弊害か。
私は、もう……)
一度でも側にあった温もりを捨てられなくなったのだ。