十六話
誰かの奴隷である、という証があればいいんだろう。
それとお財布の中身と相談し、濃厚な金色の色味に合うものを猫耳少年にと選んだ。
「お似合いですよ」
店員さんもベタ褒めである。
装着する際、フードをとらなければ身に着けられないので外してつけさせてもらったが、周囲の視線がすごい気になる。獣族への品定めと、雇い主である私への剥き出しな好奇な目線があっちこっちから飛ばされる。ひそひそ声もする。じわじわと目立ち始めているようだった、入り口から入った人間が私たちを、特に獣耳の少年をガン見している。呆気にとられたものか、口を開けたまま。
(居づらい……)
目立ちたくない私は手早くそれを買い受けたあと、足早に出入口を潜る、が。
案の定呼び止められた。
「あんさん」
ぎくりと顔を向ければ、にやりとした奴隷商人。
「それ、どんぐらいで売ってくれはるんかい?」
仕立ての良い上着を纏う小太りの男で、背後には子供と女性が複数。いずれも奴隷の証である腕輪が豪華に嵌められ、宝石が据え付けられている。ムキムキな玄人護衛もいるあたり、本格の奴隷商だ。笑っているが、その前歯は金歯である。ギラりと光っていた。
「アイヤ、こっちでくれれば言い値で買うよ」
これまた別の方向から、一人の奴隷を連れ歩く年老いた男がいた。
女性奴隷の顔には刻まれた奴隷の証、雇い主の名前が彫られていた。顔を伏せる奴隷女はそんじゃそこらの女では太刀打ちできない綺麗さを持つ美女だった。豊満な胸元にも、刻まれた絵柄は清楚な花の形。ぞっとする。
「う、売りませんっ!」
後退り、猫耳を引っ張って駆けだした。
幸いに、彼らは追いかけてこなかった。もし、しつこくついてきたり襲撃しようものなら、私の魔術書の餌食にしてやるつもりだった。
走る猫耳少年の首には、真っ赤な色の首輪がかかっていた。
柔らかい皮で出来ていて、決して肌を傷つけない素材である。それでいて、少し緩さのあるブカブカ具合が私の気持ちの表れで、いつでも抜け出せるような長さであった。幅もあり、猫の首輪というよりかは犬の首輪にも見えるかもしれない。鈴付きの涼やかな音色を奏でる首輪もあるにはあったが、前借金という巨大ローンと猫耳にはあまり良いものではないかもしれないというささやかながらの親切心も相まって、一番安くって目立つものを所望した。
私と獣耳はしばらく走り、どこにも誰にも四方八方見られていない大通りへ。兵やら商人主婦らでごった返す市場へと入り込み、壁際へと背を預けてほっと息をついた。
(……疲れた)
ずるずると地面にお尻をつける。ぺたり。
疲弊して肩を上下している私と違って、傍らにいる猫少年は呼吸ひとつ乱しもせず。
与えたばかりの首輪を興味深そうにいじくっていた。お菓子を与えたあのときよりも、執拗に。
男爵夫人に報告すると、
「あらあら。ふふ。リア、ご苦労様なことね。
ああいった手合いは面倒だけれど。
その首輪があれば、奴隷だと分かるものだし。
毅然とした態度で迎えなさい」
他の使用人たちは、
「可愛い」
多分、その単語しか私の耳に入っていない。
相部屋奴隷のミランダは、
「ああ、とうとう私の仲間入りを果たしたのね。おめでとう、新人奴隷君」
などと、なんだかニヤニヤとした笑みを浮かべた。
私が睥睨していると、
「あららん、そう疎ましく思わないで。
奴隷君は、やっとあなたのモノになったとご満悦よ」
「はあ?」
「ふふ、雇い主っていうものには種類がいるのよ。
ひとつは、本格の奴隷主。
私を売り払う程度には人間をモノとして扱う人間よ。
ふたつ目は、目的のための奴隷主。
言われるがまま命令を遂行しなければならない。
中には奥様のように、良心的な目的のために使役なさる方も
いらっしゃるけれど。基本的に労働のために利用される。
一部、奴隷を扱う免許を国に取り上げられてしまう程度には、
奴隷を苛め抜くご主人様もいらっしゃるわね。
みっつ目は、あんた。
リアのことよ」
「私?」
「そう。
不本意ながら、受け入れる。
どうすればいいのか途方に暮れているご主人様よ」
実質、その通りだ。
彼に毎日同じ服を着させるわけにはいかないと、仕立て屋にもいってあれこれと買い付けたり、靴を購入するときだって、獣耳特有の猫耳とその目立つ容貌に誰もが釘付けになり、質問攻めにあう。とてもじゃないが、日々、静かに暮らしてきた私には苦労ひとしおだった。
人間とは決して目を遭わせない彼、メルキゼデクは私が名前を呼ぶときだけははっきりとした意志を持って私を見据える。だが、何か期待外れなのか、私の言葉にはまったくもって聞く耳を持たず。その猫耳をぴくりと動かすだけ動かし、そそくさと安静できる場所にその身を隠すばかりであった。
そうして、たまさかに私にじゃれつく。いずれにせよ、私の近くに必ずいる。振り向いてもいる。ぴゃっと隠れて顔半分出してるけど。
(本当、猫みたい……)
この北の国には野良猫という存在がいるにはいる。
だが、普通の猫がお手水の天井に隠れて先回りしたり、風呂場にも突入してくるもんだろうか。とにかく、私と離れたがらない。性別は違うから、下手したらセクハラになりそうなものだが私のほうが明らかに見栄えの面において格下な上に、彼は美少年。おまけに奴隷少年という立場であるからして、逆に私が訴えられかねない。いや、よそう。私の倫理は、この世界では通用しない。そういうプレイが好きなのね、と言われそうだ。いや、実際の話、それが在り得るのが奴隷制の恐ろしいところだ。
「はぁ……」
もう何度目か分からない嘆息。
もはや数えるのが億劫だ。
ミランダは、そんな一人と猫耳少年を見やりながらほくそ笑む。
「ふふ……、みっつ目のまこと、それは、
奴隷が主を自分のモノとして縛り付けるためにやっていることよ。
……それを、あのリアは気付いていらっしゃらない。
くすくす、ふふふ」
言いながら、乾いた洗濯物を取り込む。
リアと名乗る彼女は今現在も、あのアイロン部屋に屯っているんだろう。大体のスケジュールは同じ。似たような行動で毎日動くので、使用人たちもリアがどこに今の時刻いるのか把握できている。
それを理解していないのは、彼女ばかりだ。
そして、歌う。
「ふふふ、愚かな女は気付けない。
獣は求める、唯一無二のご主人様を。
特に家で飼われ続けていた獣は、主を求める。
ご主人様、主様、自分だけの王様になって、と。
名前を呼んで欲しいと。
籠から飛び上がった鳥は、番を求める。
鳥もまた、唯一無二の相手を。
ららら、ららら。うふふ、ふふ。
人間だって、負けてはいられない!
くすくす、くすくす……」
くるくるとその太くなった二の腕でシーツを抱えながら、脳裏に浮かび上がる詩を舌にのせて世界にからげる。そうして、足をぴたりと半端に止めて。ひっそりと嘯く。
「リア。
あなた、ようやく自覚が出てきたのかしらね。
獣も、鳥も。あなたの味方で、唯一の者よ」