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放課後が近付く午後のひととき。深夜霧は保健室の整理をしていた。辞めることになった以上、少しずつ片付けて、私物を持ち帰らなければならない。普段の仕事もあるから、合間を縫っての作業だ。整理をしながら、思い出を巡る。引越しの準備や、居候している姪の寮の手続きもしなければならない。やることはたくさんある。目が見えているうちに済ませてしまいたかった。
チャイムが鳴り、最後の授業が終わったことを知らせる。今日の作業は切り上げることにした。今日は通院のため、放課後は保健委員に任せ帰宅することになっていた。荷物をまとめる。白衣をハンガーにかけて、少し眺める。これを着るのも、あと何日だろうか。
職員室で少し挨拶をして、職員用の昇降口から外に出る。校門を抜けた瞬間、馴染みのある匂いが漂ってきた。タバコの匂いに混じった、甘い香り。思わず顔がその匂いの元を辿る。
「花子」
「あ、深夜。そっか、今日早引けの日だったっけ」
「あぁ」
「気をつけて」
「あぁ、ありがとう」
にこりと笑う花子はとても愛おしかった。その姿を近い将来見ることができなくなると、考えたくもなかった。花子に背を向けて、駅に向けて歩き出そうとしたときだった。
視線の先に、誰かが立っている。深夜をじっと見ている。周りには人はほとんどおらず、その人は間違いなく、深夜を見ていた。女性だ。一見若そうに見えるが、また同時に歳を重ねた雰囲気を漂わせる。緩く巻いた茶色のロングヘアーは艶やかで、ピンクベージュのワンピースはシックかつ女性らしさを演出している。
その顔に、立ち姿に、面影を感じて深夜は立ち尽くした。
「霧」
形の良い、ピンクのグロスを塗った唇が動く。その響きは少しハスキーで、色気を帯びていて。深夜は何故かほんの少し身震いしたのを感じた。
「久しぶり」
何か答えなければと思いながらも、何故か声が出ない。これは、驚愕の戸惑いだ。まさか、今、ここで、この女性と出会うなんて。
「忘れちゃったの? 私のこと。『亜紀』よ。『津幡亜紀 』」
「…やっぱり、そうか…。あぁ…久しぶり…」
「深夜、どうしたんだ? この人知り合いか?」
花子は訝しげに女性、津幡亜紀を見た。亜紀は確かに深夜を『霧』と、名前で呼んだ。それほど親しい仲なのか、と思っても当然のことだ。
「あー…高校の同級生でな。卒業以来会ってなかったから、最初全然分からなかった! いやー、しかし若いなお前…」
「何を言ってるのよ、霧。何で本当のことを言わないの?」
「え?」
「おい、津幡」
「あら? あの頃は『亜紀』って呼んでくれてたのに、ひどい人ね」
「え…?」
「私と霧はね、高校時代、付き合っていたのよ」
厚い唇が、少し意地悪く笑みを作った。