ep.
人気の無い、寂れた港町。夕暮れが町を照らす中、その光景を切り裂くようにタクシーが一台走っていく。タクシーはさらに人気のない場所へと向かっていた。そこは、港の桟橋に近い漁師小屋。潮風に晒されて朽ちかけた木の壁には所々穴が開いており、閉まりきっていない扉が風で揺れて軋んだ音を立てている。近くにタクシーが止まり、一人の女性が足早に小屋へ向かっていく。素早く中に入り、扉を無理矢理閉める。少し息が上がっていたが、その顔は平然としていた。
駅から逃げおおせた、津幡亜紀である。
「上品なご婦人の住処にしちゃあ、随分寂れてるじゃねぇか」
亜紀が振り向くと、いつの間にか小屋の中に一人の男が入っていた。開ければ音が鳴るのは必至の扉だが、音も無かった。
「あら…貴方…この間の。よくここが分かったわね」
「普通の警察じゃまず分かんねぇだろうけどな。『俺たち』だから分かったんだ」
「…貴方は警察ではないの?」
「いいや、警察っちゃ、警察だよ。ま、こんな普通の殺人事件に駆り出されるほど、俺たち便利屋でも暇人でもねぇんだけどな」
「え?」
「ホントなら普通に捕まって裁いてもらうべきなんだろうが、今のアンタじゃまともな刑事責任は問えないだろ。精神鑑定でアウトがオチだ。でもアンタみたいなのを社会に野放しにしとくと、何かと世のため人のためにならないってんで、『俺たち』が回収するように頼まれたってわけ」
「貴方、刑事さんじゃなかったの?」
「なあ、アンタさ、真っ暗闇に放り出されたらどうする?」
「え…?」
「自分が今立ってるところしか分かんねぇような真っ暗闇にさ、いるとするじゃん。そしたらアンタ、そこから一歩でも動くことができるか? 普通の人間はまずできねぇな。その一歩先に、何があるか分からないからだ」
「それは、自分を危険から守るためのものだ。何らおかしいことじゃない。見えないところには何かあるんじゃないかっていう先入観が備わってるわけだ」
「けどな、中には…見えないところには何も無いって信じて疑わないやつもいる。そういうやつに暗闇の恐怖は分からない」
「そういうやつに暗闇の恐怖を教えるために、『俺たち』はいるんだ。暗闇からぬっと腕が伸びてきて、闇に引きずり込む。そんな存在だ。恐怖による抑止力。それを与えるのが俺たちの仕事だ」
男は顔を大きく歪めた。それまでのイメージを塗り替えるように。
「やろうと思えばすぐにでもアンタを追い詰めることだってできたのに、潜入したからにはちゃんと手順踏んでやれって上司がうるさくってさぁ。回りくどくって超めんどくさかったんだぜ? でも、それも今日までだ」
「この日を最後に、『五十嵐春馬』は消える。お前と共にな」