19
深夜の剣幕に押され亜紀は一歩後ずさった。相変わらず目を見開いたままである。
「どうして…?」
「どうしてもこうしてもない。…もう、お前は俺の知ってる津幡亜紀じゃない」
「……そうね、私は津幡亜紀ではないわね」
「え?」
亜紀は驚いたことに、再び微笑みを取り戻していた。
「あのとき…あの子に手をかけたとき。睡眠薬で眠らせて車で山まで運んで。首を絞めて殺した。文字通り、私が手をかけたの。そのとき、津幡亜紀も死んだんだわ。私はもう何者でもない」
「…お前、何を…」
今度は深夜が驚き恐怖を覚える番となった。
「ねぇ、まるでロミオとジュリエットのようじゃない? 許されない愛の末に、二人は名や命を捨てようとするのよ。私は今、津幡亜紀を捨て去って、自由になったわ。あぁ霧、貴方もその忌まわしい名前を捨てて、私を見てくれたなら!」
「く、来るな…っ!」
「霧!!」
アレックスの叫び声で気が付くと、亜紀は袖口から折りたたみナイフを取り出していた。亜紀の言動に恐れおののいていた周りは一瞬、動き出すのが遅かった。亜紀はナイフを振りかざし、立ちはだかっていた五十嵐を一瞬の隙をついて押しのけ、深夜に飛びかかる。
かと、思われた。
「あっ!?」
「しまった!!」
深夜に向かって突進したと思われた亜紀は、深夜のすぐ横を通り抜け、ホームから線路に飛び降りた。この駅はホームのすぐ隣が踏切になっている。亜紀は線路を踏切に向かって走っていく。
「待ちやがれ!!」
「ダメだ隆弘!」
『電車がまいります。白線の内側までお下がりください』
アナウンスとチャイムが響き、踏切の遮断機が下り始める。そのまま追うのは危険だと判断しアレックスが隆弘を制する。その間に亜紀は踏切から道路へと駆けていった。電車の音に紛れて大声が聞こえてくる。
「駅の外にも張り込んでいてくれたようだね、ありがたい。後は警察に任せよう、隆弘」
「っ…! くそっ!」
「………………津幡……」
「………ん…?」
直樹が辺りを見渡すと、深夜のすぐ傍にいたはずの五十嵐が忽然と姿を消していることに気が付いた。慌てて制服のポケットから何かを取り出そうと視線を下に落として、自分の足元に何かが転がってるのに気が付いた。
それが何だか分かったとき、直樹の顔には、今まで見たことのないような、驚愕と若干の怒りがない交ぜになった感情が浮かび上がった。
「………っ!」