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ミュージの悪夢

魔王という名のセイレーン

-ミュージの悪夢-



「…嫌だ…止めろ…」

ある家のベッドで、悪夢にうなされる青年がいた。

「…!」

青年はベッドの上で飛び起きた。

その視線はしばらく宙を彷徨い、自分の手元に落ちた。

「はぁ…」

夢だと分かった青年は、まだ暗い家の中を見渡し、床を見た。

床には端正な顔立ちの青年が寝ていた。

「…大丈夫なんて、よく僕の口から出たもんだ」

悪夢にうなされていた青年が独り言を言う。

青年は、この端正な顔立ちの青年と『契約』を交わしていた。

その時に、自分が言った言葉。

『大丈夫だから』

青年は自嘲的に笑う。

青年が、ずっと自分に言い聞かせてきた言葉。

「僕は、音楽があれば…大丈夫」

呟いて、青年は再び横になる。




「大丈夫ですか?ミュージ」

私はベッドにいる青年に尋ねた。

「ちょっと熱出て来たかも…まぁ大丈夫かなぁ」

(嘘だな…)

答えた青年は、赤い顔をして答えた。

その顔は笑ってはいるが、だいぶつらそうだ。

「…でも、気持ちのいいもんじゃないから」

「すみません。その感覚が分からなくて…人間じゃないんで」

そう。私は人間ではない。

魔王と呼ばれていた、セイレーンだ。

「熱があるって感覚も?」

「そもそもだるいって感覚も…あまりに長い間歌わなければ」

「…ちょっとこっち来てみて」

「?」

私がミュージの元に来ると、ミュージは私の手を自分の額に付けた。

「…うあつっ!」

私はすぐに手を引いた。

「でしょ?まぁ、シュベルツには、ずっと契約の力が流れてると想えば」

「契約の力…」




私はミュージと契約を交わしていた。

この『契約』が発動した時、ミュージの命令は絶対だ。

そして、その発動は、私の体を熱くさせる。

ミュージ自身もその熱さは感じるようだった。

それと同じ感覚が今のミュージにあるとしたら…。

(相当辛いんだろうな…)

「風邪とか…苦手なんだよね。嫌な夢見るし」

「嫌な夢?」

「うん、特に意識してるワケじゃないんだけどね」

「…例えば?」

尋ねたが、ミュージから答えは返ってこなかった。

「ミュージ?」

ベッドを覗くとミュージは眠っていた。

私はため息をついて、ミュージの額に濡れたタオルを置く。

(ミュージがこんなに弱っている姿は、初めてだ…)

ミュージはいつも音楽のことを考えていた。

私があの子を殺すために、ミュージに力を使った時も。

その体が死に惹かれていても意識はあの子のことを思い。

(…すぐに歌を書けるほどの、強い意識で…)

あの時の元の楽譜は、ミュージは破り捨ててしまった。

だけど私の中にははっきりと残っている。

『子守歌』。そう書いてあった。

私は子守歌を歌われた覚えはないけれど、その優しさは深くて。

「ゆっくりと、眠ってくださいね…」




僕は、夢の中を彷徨っていた。

その手段はそれぞれ違うけれど、人が次々死んでゆく夢だった。

こんなものを見せられて、平気でいられるほど僕は強くない。

そして、やがて僕は自分が机に向かっているイメージに辿り着いた。

五線紙が、目の前にある。

真っ白な五線紙。

僕はペンを取り、頭の中の音を書いていく。

けれど、そのペンの跡は、さらさらと消えていく。

(え…)

僕は焦って頭の中の音を探す。

書きとめなくては。

けれど、消えていく。

書いても書いても消えていく。

(そんな…)

気がつくと、頭の中からも音が消えていた。

さっきまで確かにそこにあったはずなのに。

(シュベルツ…シュベルツ!)

シュベルツなら僕の歌を歌ってくれる。

そこにあると思わせてくれる。




僕は夢の中でシュベルツを呼んでいた。

その返事はなく、沈黙が耳をつんざく。

その沈黙はやがて一つの声になる。

『誰もお前を必要としない』

『音楽がなければお前は生きられない』

『お前の中の音楽は死んだ』

『死んだ』

『死んだ』

『死んだ』

(やめろ!やめてくれ!)

『死んだ』

『死んだ』

『死んだ』

(音楽がないと、僕は…!)

僕はたまらず、机の上のペンを取り、自分の手首に突き立てた。

「…ミュージ?」

痛みと共に眼を覚ますと、僕はベッドの上にいた。

自分の手首は、枕元にあったペンの先がその皮膚を切っていた。

「ミュージ?何を…何をしているんですか?!」

シュベルツが僕を責める声。

痛みよりも、その声に安心した。

「良かった…シュベルツが、いた…」

僕は泣いていた。

シュベルツが、僕の音楽を証明してくれる存在が、いた。




私はミュージの手首に包帯を巻いていた。

そこには古い傷もあった。

私と契約するのに使った傷痕だ。

「ミュージ…何を見たんですか?」

そう尋ねるのは何度目だろうか。

ミュージは答えてくれなかった。

『嫌な夢』というやつなのは、涙で分かっていた。

泣きたいと言っていた、あの子の死の時にも見せなかった涙で。

(質問を変えるか…)

「ミュージは…なんでこの傷を?」

「…」

「私は、私が好きなもので誰かを傷つけるのが嫌でした」

「前に…同じだって言ったでしょ」

「はい、ですが」

私が言葉を続けようとした時、ミュージが遮った。

「僕は、歌で、人を傷つけてしまった」

「…どんな歌だったんですか?」

「僕は…僕は嘘の気持ちなんか書きたくない!」

ミュージが叫んだので私は驚いた。

「だけど、僕が書いた歌は、人を傷つけるって…」




「え?前に言ってたのは、難しすぎるからって」

「それもあったけど」

叫んだ反動でミュージの呼吸は乱れていた。

私は手当ての終わったその手を片手で握った。

もう片方の手でミュージの背中をさする。

「…人の心に潜む影の歌で…たくさんの人が傷ついたと言った」

その声は、また泣きそうで。

私は思わず言ってしまった。

「自分に嘘をつくのは、良くない」

いつもの敬語が取れてしまったことに、口を出た後に気がつく。

だけど。

「私が歌ってきたミュージの歌は、誰かを楽にする歌だから」

ミュージが呟く。

「音楽は、音を楽しむって書くでしょ?だけど僕のは」

「音で楽にするって意味にも取れませんか?」

ミュージは意外そうに私を見ていた。

「その歌で…楽になる存在が、あったんでしょ?それが自分でも」

それは自己満足とも呼ばれるものだけど。

「自分も救えない歌で、誰かを救えるとは思いません」

私は夢中になってそう言った。

その直後ミュージはまた泣きだした。

その様子はまるで小さな子どものようだった。

「音楽が…音楽がなかったら僕は誰にも必要とされないのに…」

しゃくりあげながらミュージが言う。

「音が、消えていく夢なんて、耐えられなかったんだ…」




僕は数十分をかけて、涙を止めなくてはならなかった。

その間、シュベルツはずっと背中をさすっていてくれた。

もう片方の手は、傷を作ったその手を握っていた。

最初にその暖かさを知ったときと同じように、暖かかった。

正直、情けないと思った。

だけど、僕はずっとこんな風に泣きたかったのかもしれない。

僕が涙を止められたころ、シュベルツが言った。

「音がない世界なんて、私には考えられませんが…」

僕は鼻をすすりながら聞いていた。

「例えば耳が聞こえなくなったとしても、声は出ます」

頭はぼおっとしていたけれど、その言葉は力強くて。

「声が出なくなっても肌で音を感じることも出来ます」

「うん…うん、そうだね…」

僕は笑おうとした。

けれど、上手く笑えなかった。

その様子を見たシュベルツは、僕の頭を撫でた。

「こんな時まで笑わなくていいんですよ」

「…ごめん」

「なんで謝るんですか。あなたは私のマスターですから」




「マスター…」

「それ以上に私はあなたをかけがえのない存在だと思ってます」

「そうだね…契約なんて、関係ないよね…」

君が僕を必要として。

僕も君が必要で。

それだけで、いい。

「なんか、疲れちゃった…」

「…今は、ゆっくり眠ってください。大丈夫、ですよ」

そう言って、シュベルツはゆっくりと僕をベッドに横たわらせた。

そして、優しい声で歌い始めた。

「子守歌…」

(覚えていたのか…あの子のために、作った最初の歌…)

あの時は、殺すための歌だったから、僕をも死の影を見せた。

けれど、今は、ひたすら心地よい。

シュベルツは、音楽そのもののようだ。

シュベルツの歌が僕は必要で。

いや、シュベルツがもし歌えなくなっても、きっと僕は…。

そんなことを考えていると、眠気が襲ってきた。

恐怖は感じない。

優しい夢を、見ることが出来るような気がした。

(きっと…大丈…夫…)

『大丈夫、ですよ』

シュベルツのさっきの声が、耳に響いた。



10


ミュージは深く眠っていた。

いつもなら、私の力はあまりミュージには効かない。

けれど、今のミュージには少し効きやすいようだ。

それだけ今のミュージは弱っているということだろう。

私は、ミュージのために何が出来るか、考えていた。

(私には、歌しかない…)

作られた、その音をなぞるしか、出来ないのか。

だとしたら私は、ミュージがいないと何も出来ない。

それで、いいのか。

何か、出来ないのか。

ふと、五線紙が目に入った。

私がミュージに出来ること。

音楽しか、ないから。




11


「ふわあぁぁ…」

(あれ?なんかすごいすっきり…)

僕は、ベッドで体を起こした。

あの晩の、シュベルツが子守歌を歌っていたのは、夢だったのか?

手を見ると、その手首には包帯が巻かれている。

(夢じゃない、よね?)

包帯をそっとほどく。

傷はもうほとんど痛みがない。

(…僕、何日寝てたんだ?)

覚えがない。

(仕方ない…シュベルツに聞くか…ん?)

そういえば、シュベルツの姿が見えない。

不安になった僕は、その名をそっと口に出す。

「シュベルツ?」

「は…はい…」

声は、僕の足元からかすかに聞こえた。

「え」

シュベルツは僕のベッドの足元辺りによりかかっていた。

僕は慌ててベッドから降りる。

まだふらふらする。

かろうじて何メートルもないシュベルツの元へ行く。

「ど、どうしたのシュベルツ?」

シュベルツの目の下にはクマが出来ていた。



12


「ボロボロじゃないか…」

「ミュージ、良かった…元気になったんですね」

「あ、うん、すごいすっきりしたけど…もしかして」

(ずっと歌ってくれてたから…?)

「それより…ミュージに見てもらいたいものが…」

シュベルツは立とうとしたが、力が入ってないようだ。

そういえば、長い間歌い続けると、だるくなるって。

「…それじゃあ、シュベルツが風邪ひいたみたいじゃないか…」

「はは…そうかもしれません…」

シュベルツは力なく笑った。

僕も、半分呆れつつも、笑った。

今度は上手く笑えているだろう。

「で?見てもらいたいものって?」

「机の、上に」

「あ、いい。僕が取る」

僕はなんとか机のそばに行ってそれを取った。

(五線、紙…?)

そこには僕の文字ではない、いびつな楽譜があった。

そして、それは聞いたことのない曲だった。

「これ、シュベルツが?」

「ええ…酷いもんですが」

「『音のない世界』…か…」

想像するしかないけれど。

僕も、シュベルツも。

僕はクスリと笑って、シュベルツに言った。

「たまには、僕が歌おうか。酷いもんだけどね」



13


その日に生まれた歌は、とても切なくて。

だけど、大切な人を想って、優しくて。

そこに書いてあることが、不可能でも、嘘の気持ちじゃないから。

とある家に響く、いつもとは違う歌声。

ベッドに座った歌声の主は笑顔だった。

同じ家にいる、いつもとは違う聞き手。

聞き手も、笑顔だった。

『うん…やっぱり、音のない世界なんて、考えられないね』

歌い終わった青年は言った。

『そうですよ。そんなことになったら私は』

『“喉を潰す”って?』

青年は、楽譜に書いてある文字を読みあげて、考えた。

『僕は…さみしいな』

『まぁ、ミュージがいるなら、そんなことにはなりません』

二人は顔を見合わせて、笑った。

二人は、今日も傷痕を抱えて、生きている。

互いに互いを求めあって。

音楽という、絆を持って。




2010.06.28

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