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第二話(応援) 5

5.


 玲子は喫茶店を出て小走りで駆けると大通りへと抜けた。病院から言われた時間に少々焦りがあったがすぐに運よくタクシーを拾えた。

「星和総合病院までおねがします」開いたドアへ転げ込みながら運転席に向って声をかけた。

 はぁ、息が切れた。深く深呼吸をした。

 私も分からず屋じゃない。

 改めて思い巡らせた。

 あそこまで詳しく話を訊いて、それに彼の気持ちが――。だから、本心を訊いて。そう、彼の本心が素直な気持ちが訊きたい。今はそれが一番だと考え、なにかしら心を決めようと思った。それのほうが吹っ切れる気がする。

 けれど、本当に彼は自分の口から語ってくれるだろうか? 時折、ハッキリとしないところがある。歯切れも悪く自分に自身を持てずに俯いて不安な表情をする。そんな仕草にイライラする自分がいる。決してせっかちな方ではないが、やはり気にする。もう少し男らしいく頼りがいがあれば言うことはないのだけれど――。やはり、贅沢なのかしら。

 そうこう考えているうちにタクシーは目的の病院正門を潜る。タクシー乗り場に停車すると料金メーターが丁度、一二〇〇円を表示していた。玲子は支払いを終えると後部ドアが開く。降りようとすると待っていたかのように看護婦に支えられ、杖をついた腰の折れた老女と目が合う。歳からして七十をゆうに超えているだろう。

 玲子は目が合ったままタクシーを降りる。看護婦がタクシーの運転手に向って老女が乗り込むことを告げる。看護婦に支えられた老女がヨタヨタと後部座席に乗り込む。『バタン』と音を響かせ閉まるドアを見ながら玲子は老女を見遣る。すると笑顔で頭を下げる老女を乗せたタクシーがするすると発車した。

「すみません。急かして」看護婦が玲子に向って頭を下げる。

「いえ、そんな――。おばあちゃん、まだまだお若いですね」手をヒラヒラとさせ、愛想笑いする玲子。

「それでも、もう九十ですよ。ああ見えても」

「え! そうなんだ」

「それじゃ」と言いながら看護婦は、もう一度お礼を述べてその場を離れる。

 誰とも知らない老女を乗せたタクシーを見送りながら、思い描いた。その母親の笑顔が浮かぶ。あの年齢まで元気に記憶を保ちながら生き永らえて欲しい。

 そうだ、腕時計の針に目を落すと十三時を少し回ったところだった。予約しておいた担当医師が気を利かして待っていてくれると言ったがいつも甘えてばかりはいられない。気持ちが有り難いからなおさら急がなければ、とバッグを脇に抱え、走った。

カタカタと小刻みにヒールの乾いた音を響かせ、総合案内のカウンターを越えて行こうとした時、急に呼び止められた。

「矢倉さん!」

 何? 誰? 私を呼んだ?

「矢倉さん! 矢倉さん!」

「はい?」思わず、その場に突んのめりそうになりながら急停止して声のする方へ振り返る。

「すみません。ちょっと待って」

 誰だろう? 中年男がこちらへ向って叫んでいる。総合案内カウンターのその先、自動販売機の前で手をヒラヒラとし、こっち、こっちと手招きしている。

 見覚えがない、というより誰? 訝しげに中年男を見る玲子。

 するとこちらへユタユタと走り寄る中年男性。左手には紙袋を持ち、歩くたびカサカサと音がする。

 誰? 記憶を呼び起こしても、全く持って思い浮かばない。

「いや、良かった気付いて。ほんと危うかった」クシャクシャのハンカチを額に当て、首から顎当りを拭う。

冷房の効いているはずだが、吹き出る汗? 油? どちらでも良い。それよりいったい誰なの? それに急いでいるところに何の用かしら?

「あの、どちら様、ですか? 私急いでいるんですが……」いったい何なのよ?

「お、そうだった。失礼しました。こういう者です」右手に持つハンカチへ左手を添えて丁寧に折り畳むと、紙袋を持つ左手でズボンの左後ろポケットへと終おうとしたが、なかなか上手くいかない。ハンカチを取り出し、今度は右手に持ち替えズボンの右後ろポケットへ捻じ込んだ。

 ああ、じれったい! さっさとして頂戴。大体紙袋を持つ手と反対の手を使えばいいじゃない。

 今度は背広のあちこちをパタパタと叩くと、お、と気付いたのか胸ポケットへ左手をまたもやも差し込もうとしたが、慌てて右手で左胸ポケットへ差込み名刺を取り出し、やっと玲子に差し出した。名刺はヨレヨレに折れ曲がっていた。何とも受け取りたくないようだが止むを得ず片手で受取る。

『ハッピーパートナー 山根』。肩書きは課長である。大丈夫かしらこの人? 

 玲子は山根に向って、思わず驚いたかのように「ああ」と頷いた。またもやハッピーパートナーか。で、何の用事なのだろうか? さきほど野呂という担当と話はついたはず、何もここまで押しかけてくるなんて。いったいどういうつもりなのだろう。

「で、何か?」溜息をつきながら言う。

「ええ、少しばかり」二カッと歯茎を見せ、手を揉みながら言う。

 そのまま山根は横に首を振り、視線を向ける。総合案内カウンターのその後ろにある待合室。その前に横に備えつけてあるベンチに座る二人の女性。一人は中年の女性、もう一人は若い。女性というより、女子高生呼んだほうがいいかもしれない。

 こちらの視線に気付くと中年の女性が女子高生に向って頷いた。すると女子高生がスッと立ち上がる。続いて中年の女性も立ち上がると直ぐに女子高生の手を引く。女子高生は突っ立ったまま、首を折り、ぼんやりと遠くをみるような、焦点が合わないような視線をしている。中年の女性がもう一度、女子高生に向って頷くと少し強引と言えるようだが、手を引いてこちらへと向ってきた。

 女子高生と思えたが、近づいてみると中学生くらいの子供と思う。その手を引く中年女性、二人にも見覚えはない。いったい誰なのだろう?

 対峙するように目の前にいる二人と山根へと向き合う。

すぐに中年女性は玲子に向って何も言わず深々とお辞儀をする。その中年女性をつい訝しげに見る。

「あー、あの――」

「あ、そうでした。この方、覚えていませんか?」山根が女の子を紹介した。

「いえ、どこかで遭った?」女の子を覗き込むように問いかけた。

 首を傾げる女の子がニコリと笑う。そう言われてもこの子に覚えがない。

「あの、私と何か?」山根に向って質問した。

「そうか、普段の格好じゃ分かり難いかもね。じゃ、こうしたら、どう?」

 山根は左手に持つ紙袋からガサガサと衣擦れの音を立て白、黒と膨らむ衣装を取り出した。その衣装を自分の胸に当てて見せた。

「うほん!」中年女性が山根を見ながら咳払いをする。

「おっと、失礼」その衣装を女の子の前から全身と重ね合せた。

 暫く考えた。その間の後「え、あの時の?」玲子はふいに思い出した。もしかして、それって『メイド衣装』? 

 そう、そうだ、覚えがある。

 そうだ、あのメイド喫茶の衣装を鮮明に思い出した。秋山が店のガラスに張り付き、凝視してみていた。私も傍から秋山の横顔とメイド衣装を着飾った女の子を何度も見比べるように見たからだ。

「え! なんで?」なぜここで? 

「思い出しました?」うんうんと歯茎をむき出し嬉しそうに女の子の後ろから頷いている山根が妙に危なっかしい中年に見える。

 横にいる中年の女性がメイド衣装を少し乱暴にグイグイと引き寄せると気付いた山根が急に真顔になる。

「うほん! 実は、この子、あなたが秋山さんと一緒に行ったメイド喫茶で無理やりアルバイトさせられていたのです」

「すみません。私はメイド喫茶には一緒に行っていません! 店の外から店内が見えただけです!」直ぐに言葉を返す。

「そ、そうでした。失礼、失礼」

「で、うちの野呂から訊いたでしょうが、この子を救ったのですよ。秋山さんが」

「ええ、まあ。一応そう訊きました」

「だから、お分かりでしょ! 秋山さんは、正義感溢れる人なんですよ」

 傍で山根の話を訊いていた中年女性が口を開いた。「これでなんとか誤解をとけますか?」

「ええ、まあ」もう大体のことは分かっていたから、敢えて言われなくても彼の人柄はだいぶ分かってきている。だから大丈夫。

「秋山さんは日頃の行動は頼りないかもしれません。それにオドオドするところがあるが、障害を持った人物に対しては人並み以上の接し方をする方です。好奇の目を持つ事も無く自然と接している。介護という職をするべく人物なのです。だから……」

「ええ、ありがとう。そこまでもして、あの人を――」

 中年女性は深く一礼した。改めて二人は自分たちの紹介をして日頃の秋山さんのことを話した。

しかし、良かった。彼は殴られたことについてはあまり触れなかったと思う。それは気分を害してつい酔った勢いで彼を殴ったことだ。全く記憶が無い。そんなことはない。サオリが言う酒癖が悪いことを多少は知っていたのだから私も十分に悪かった。

 もう十分だわ。玲子は、改めて秋山の全体の包むような優しさに惚れ直していた。ただ、これからもそんな一面をもっと理解してあげなきゃね。

 あっ、いけない! 母の担当医と面会だったことを急に思い出した。腕時計を見る。とうに約束の時間が過ぎている。

「すみません。私、行かなきゃ!」

「そうでしたね。引き止めて申し訳ありませんでした」マイペースに頷く山根。

「じゃ、私。今度ね!」そういい終わらぬうちに走り始めていた。

 エレベーターに向って走る。タイミングよく開くドア、飛び込もうと一瞬振り返ると山根が中年女性に叱られているように見えた。

 あの、山根とか言う課長、本当に大丈夫かしら。

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