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第三話(騙す) 8

8.


「課長!」ハンドルを握る駿平が助手席に向って大声で叫ぶ。

中国出張帰りで日本に着いたばかりの課長を空港に迎えに出向き、会社に戻る車中で事の事態を掻い摘んで話す。出張くらいで態々迎えに行くことはないが、状況が状況なだけ致し方ない。

「訊いてますよね? 奈津美から」

「ああ、そうガミガミ怒鳴るなよ!」緊張感のない返答だ。「疲れてるんだからな。――でも、そのこと訊いたのは藤沢からだけどな」緊急事態だというのに能天気に鼻を穿る。

「え! 藤沢さんから……、ですか?」

「ああ、そうだ。以外か? あんなふうでも人一倍気にかけているんだ。あ!」銜えた煙草から灰が落ちる。

 薄く開けた窓の隙間から流れ込んだ風に煽られ銜えていた煙草を落す。山根は慌てて背広に落ちた煙草を慌てて拾う。すると車内で灰が広がる。「課長! 何してるんですか! まったく」駿平はパワーウインドにのスイッチに手をかける。

「で、どうします? いったいどうしたらいいんですか?」自分にもかかる煙草の灰を払いながら聞き返す。

「で? じゃないだろ! わ! 突然、窓開けるなよな」課長の右手が自分の頭を抑えている。「開けるなら開けるって言ってくれなきゃ困るじゃないか」煙草の煙を車外に出す為に窓を全開にした事に文句を言う。

「はあ」

「まあ、待て。こういったことはな。――しかし、だいたいなお前がもっとしっかりしていればこんな事態にならなかったんだ」拾い上げた煙草を灰皿で揉み消す。

「え! 何でですか!」その言い草と責任転嫁に駿平はすぐに反応し、目を剥き大声を出す「僕に責任を擦り付けるですか? それって上司の言うことですか?」課長の顔を睨みつけて言う、思わず腹が立って言い返してしまった。出張やら忙しいと事欠いて。そもそも彼女は課長の知り合いからの入会会員なのだ。俺に責任を擦り付けるのはおかしいよ。

 山根はズレそうになった鬘を丁寧にそっと整える。

「そうだったな。悪い、悪い」そう言いながらも平然と悪気がない顔つきで神妙さが全く見えない。感じ悪い! このくそおやじ。惚ける課長に気付かれないように睨む。

「お、前、まえまえ!」ひっくり返った声でフロントガラスに指を突き刺す。駿平が慌てて正面に視線を戻す。二人を乗せた社有車はセンターラインを超え、対向車に向っている事態に気付く。慌ててハンドルを切る駿平が狼狽している。

 なんとか車を立て直すと「す、すみません」駿平の声が上ずっている。

「で、どこまで話たっけ?」危うく死ぬところだったにも関らず平然とした口調で駿平のスーツに手を突っ込みガサコソと探っている。「あ!」とおやじにカッときて吠える。

「なんだなんだ! どうした?」背広に手を突っ込んだままの課長が今度は狼狽して慌てふためいている。

「課長! 俺の! なにやってるんですか?」駿平のスーツを左指さして言う。

 すでに煙草を銜え悠長にライターを探している山根。胸やズボンのポケットをポンポン叩いている。いったい……。本当にムカつくおやじ。今この手にハンドルが無ければ、このおやじのぶよぶよと脂肪の詰まった太い首を絞めつけてやりたい。両手でも納まらないくらいの太さだろう。恐らく本気で締め付けても息の根を止められるかどうか難しいだろう。だが、山根は駿平の殺意など全くといった感じであるし、一向にお構いなしのようだ。探し当てたライターで煙草に火を点け、銜え煙草のまま食い込むシートベルを剥ぎ取るようにし、体を捻る。出張帰りの黒いボストンバッグのファスナーを引くとガサゴソと乾いた音がする。

「ところで、どうだ? これ食べるか? 美味しいぞ。土産だ。沢山買ってきたからな」乾燥ナツメグの入った袋の裏包みを見て呑気に言う。

「げっ! 騙された!」カサカサと音を立て、声を荒げる。

「どうしたんですか?」

「これ、台湾じゃねーか。ちぇっ、参ったな。ほんとによ、あいつら詐欺だな」

「はあ、そうですか」気のない返事を返す。俺の話訊いているのか?

「で、そのイカサマ詐欺師野朗は?」急に会話を戻す課長。

「え? あ、はい。その男は明後日会う段取りをつけています。そこで突きつけてやろうかと思います。素直に正体を明かせば話し合いをしますが、追求を逃れるようであれば警察に突き出すつもりです」

「そうか……」短い腕を組み「その対処もう少し待てんか? 俺に考えがある。任せてくれ」

「え! でも、それって不味くないですか? もし、本社に事の内容が知れるとただじゃ済まないのでは? 喩え課長でもヤバイですよ。早いとこなんとかしないと」

「ああ、分かってる。でもな、この件は頼む」

「私情を挟むと適切な判断を失うのでは?」

「それも分かっている。だが、そこを無理言って頼んでいるんじゃないか」

 いつもの課長ではない。いつもなら意味分からんおやじだが、今目の前にいるのは訳ありのおやじだ。当然のことだろう、彼女は課長の紹介だから。娘を想う父親のような素振りだ。

――ふと、滅多に会わない田舎の親父と課長が重なる。最近、田舎に帰ることの少ない。いや、避けているのだ。いつも後姿をみて育った親父が一人で生活しているのは分かっているから、あえて会わないようにしている。なんとなくだが。

「あの方、課長の知り合いでしたよね」

「ああ、そうだ」頭を掻いて腕を組み呻る「はあ……。しかし、紗江ちゃんには申し訳ないことをしたな」

「そうですね。うちに落ち度がありますからね。彼女から言われても仕方ないですね」

「いや、それだけじゃなく――」課長が溜息交じりの呟くと窓の外に目をやる。

「なにか他に?」

「いやな、紗江ちゃんな。昔、男に騙されたことがあるんだ。それは今回の状況とはやや違うが、まあ近いものはある。蒼井さんから後に訊いた話なんだ」

「そうですか」

「こんな事態だから、お前にも話しておいてほうが良いかも知れんな。彼女の今後の幸せを、と思ってのことだったのだが、これじゃ彼女も昔のことを蒸し返すみたいだからな。これ以上の事態は避けたい」

 窓の外を流れる景色を見入っている課長の後ろ頭が少し歪んで、いやズレて見える哀愁漂う後頭だ。突き出た下腹であるが器用に体を捻り全身で窓に向ける姿。

「昔付き合った男がな、妻子のあることを隠していた」ボソッと課長が話した。「彼女との仲が深まりつつ最後の最後、結婚しようと話が持ち上がっていた矢先、男が失踪。妻子を残して失踪したんだ。恐らく自分の仕出かした事の大きさに耐え切れなかったのだろうな。彼女も家族に悟られることなく男を探していた。それから、半年後経ってからだったかな、隣町の高尾山ってあるだろ! 割と目立たない」

「高尾山? ああ、パッとしない山でしたが、最近ハイキングコースや遊具施設ができて、小学校の遠足や家族連れで週末賑わっているみたいですよ」

「その高尾山の中腹にだいぶ前だけどな休憩所があった。裏手に一際目立つ立派な枝ぶりの松の木、今は山が切り開かれて残念だが伐採されたと訊いた。その太く立派な枝にロープをかけて。そこで……」そこまで話すと課長は自分の首に両手をかける。そして、グイっと締め付けた。顔を歪ませ白目を剥く、半開きの口からだらしなく舌を出す。突然、車が揺れた。車道に段差があったのだろう。

「ゴホゴホ」と山根は思いっきり咽る。

「何してるんですか?」

「自殺! おえー。首吊り自殺だよ」

「自殺?」

「おえー。おー。おい! しっかりと運転頼むぞ。死ぬところだった。おー」課長が自分の首に力を込めた瞬間吐きそうに咽る。車の揺れた衝撃で自分の喉仏を圧迫したのだ。何もそこまで思いっきり締めなくても。咽ながら話す。

「男が自殺? 彼女のせいで? じゃ、それで罪を受止めて?」駿平が唾を飛ばしながら聞き返す。

「おいおい、汚ねーな。 ――ばーか、誰も男が自殺したとはいってない。信じてるの? そんなこと!」

「今、課長そう言ったじゃないですか!」

「わるい、冗談冗談。男は、自殺はしてないけど、ひと騒動あった。彼女は妻子ある男に振り回されたことは事実だ」

 相変わらず調子狂うな。どこまで本気で訊いていれば良いのか半信半疑である。

 彼女の若き頃、ひと騒動あったということは分かった。それに彼女に対する課長の申し訳けなさも十分に受け取れる。

「ともかく、この件は黙ってもう少し時間をくれ」

 ハンドルを握る手に汗が滲む。溜息を着くと一人頷く。

「分かりました。じゃ」

「ああ、すまんな。無理言って」

「いえ、いいんです」

「これ食べるか?」振り返る課長の顔。いつの間にか開封したばかりの乾燥ナツメグを口いっぱいに頬張っている顔は山猿みたいである。挙句の果てニコッと笑うと歯茎と歯の隙間にナツメグの食べカスが、びっしりとこびり着いている。

「課長!」このおっさん本当に大丈夫か? さっきまでの会話がぶっ飛んだ。ハンドルを握りなおしアクセルを踏む右足に力を込めた。それから又、パワーウインドにそっと手をかけた。

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