↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つきの天秤  作者: 琴荘子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/5

【第5話】種明かし(カタルシス)

「……な……に……?」


  レオン・シュタインの口から、掠れた声が漏れ出た。

  彼の全身を、凍りつくような不快な汗が濡らしていく。テーブルの反対側に佇む青年の姿が、まるで異形の怪物であるかのように歪んで見えた。


「……何を言って……いる……? 嘘だ……そんなはずはないッ! 私は見破ったのだ! 君が嘘をつく際に出る右肩の緊張、微細な筋肉の収縮、瞳孔の変位……! それは心理学的に証明された『自他接触行動』の完璧な標本だったはずだッ!!」


  レオンは身を乗り出し、激昂した面持ちでテーブルを叩いた。

  だが、神代 蓮の表情には一切の動揺もない。彼は前髪を静かに整えると、どこか哀れむような眼差しでレオンを見つめ返した。


「レオンさん。あなたは心理プロファイラーとして非常に優秀だ。相手のわずかな視線の揺れや、指先の力みを見逃さない。……でも、だからこそ失敗したんです」


  蓮は手元のカードを静かに揃えながら、冷然と種明かしを始めた。


「人間が一番疑えないもの……それは『自分が苦労して発見したと思っている真実』です。他人に教えられた知識や提示されたデータなら疑う余地がある。でも、自分の鋭い観察眼で暴き出したと思い込んでいる法則に対して、人は驚くほど無防備になる」


「な……ッ!?」


「俺は第一ラウンドで、あなたが俺のどこを観察しているかをテストしました。あなたは俺の手元と顔の動き、そして目線を正確に追っていた。そこで俺は、あなたに『餌』を与えることにしたんです」


  蓮は右手を軽く持ち上げ、先ほどレオンを絶望へ突き落とした**『右肩』**を指先でトントンと叩いた。


「第二ラウンドから、俺は意図的に『右肩を掻く』というノイズを混ぜ始めました。あなたがその行動を目撃した瞬間、脳内でどういう思考回路が回ったか……想像がつきますよ。『こいつは焦っている』『葛藤している』『嘘を隠そうとしている』。プロファイラーとしてのあなたの知識が、勝手に都合の良い解釈を補完してくれた」


「く……ぐ……ッ!」


  レオンの頬が引きつり、呼吸が荒くなる。


「そして第三ラウンドと第5ラウンド。俺はあえて弱小カードでブラフを仕掛け、あなたに『ダウト』を成功させました。……これが決定打です。あなたの中に『神代蓮が右肩を掻いた時=100%ブラフ』という強固な成功体験(アルゴリズム)が完成した」


  蓮の言葉は、まるで鋭いメスのようにレオンの自尊心を切り刻んでいく。


「二度のダウト成功によって、あなたの脳は歓喜の快楽物質で満たされた。一度組み上がった完璧な法則を、あなたのプライドが否定することを許さなかった。……だから第六ラウンドで、俺が本物の【十】を出しながら右肩を掻いた時、あなたは疑うことすらできずに『ダウト』を叫ぶしかなかったんです」


「あ……ああ……あ……ッ」


  レオンのひざががくがくと震え、崩れるように椅子へと倒れ込んだ。


「俺が掻いていたのは右肩じゃありません。……俺がコントロールしていたのは、あなたの『観察眼』という名の過信そのものです」


  静寂が部屋を支配する。

  裁定者の無機質な声が、その死寂を切り裂いた。


「……ゲームを続行いたします。第七ラウンド。先攻、レオン・シュタイン殿」


「ヒ……ヒッ……!?」


  レオンは弾かれたように顔を上げた。

  彼の眼前に積まれた大量のコイン。だが、もはや彼にはそれらが輝く黄金ではなく、自身を呑み込む墓標のように見えていた。


(読めない……! 奴の顔が……手が……動作が読めない……! 何が本物で、何が嘘だ!? 右肩を掻くのが嘘でないなら、奴の『本当の癖』はどこにある!? 瞳孔か!? 呼吸か!? それとも……それすらも仕組まれた罠なのかッ!?)


  疑心暗鬼という名の毒が、レオンの思考能力を完全に破壊していた。

  相手の動作を観察すればするほど、それが「自分を誘導するための演技」に見えてしまい、カード一枚選ぶことすらできなくなる。


「……あ、ああ……宣言は……【五】……」


  レオンの手が震え、カードがテーブルの上に滑り落ちる。声はかすれ、覇気は微塵も残っていない。


「後攻、神代 蓮殿。選択を」


「『ダウト』です」


  蓮は即答した。一切の躊躇なく、冷ややかに。


「開示してください」


  裁定者がレオンのカードを裏返した。そこに現れたのは――**【二】**。


「ダウト成功。レオン殿の宣言は偽りでした。ペナルティとして一〇枚のコインが神代殿へ支払われます」


「ひっ……あああああッ!」


  崩れ落ちるレオン。

  もはや勝負の形を成していなかった。相手の心理を読むことを武器としていた男が、己の観察眼を封じられた瞬間、ただの哀れな愚者へと成り下がったのだ。


  続く第八ラウンド、第九ラウンド。

  蓮は完璧な確率計算と心理誘導によって、レオンの手元から残りのコインを容赦なく削り取っていった。


  そして――。


「第十ラウンド。……レオン殿の持ちコインがゼロとなりました。よって、本ゲーム《嘘つきの天秤》の勝者は、神代 蓮殿と決定いたします」


  カツン、と天秤が静かに水平の位置へ戻った。


  テーブルの上には、蓮の手元へ引き寄せられた二百枚の黄金のコイン。

  対するレオンの陣地には、一枚の硬貨すら残されていなかった。


「う……うあぁぁぁ……! 私の……私のプロファイリングが……完全な人間分析が……こんなガキに……ッ!!」


  レオンは頭を抱え、床に突っ伏して泣き叫んだ。

  かつて裏社会で恐れられた名プロファイラーの威厳は破滅し、ただの哀れな敗北者の姿だけがそこにあった。


「裁定に基づき、敗者の全資産および身柄を回収いたします」


  部屋の奥から静かにあらわれた黒づくめの男たちが、泣き叫ぶレオンの両腕を掴み、暗闇の奥へと引きずっていく。


「離せ! 離せッ! 私はレオン・シュタインだぞ! 私は人間を支配する観測者だあぁぁぁッ――!!」


  悲鳴が遠ざかり、重々しい鉄の扉が閉まる音が響いた。

  室内には再び、完璧な静寂が訪れる。


  蓮は積み上がった二百枚のコインを見つめることもなく、静かに立ち上がった。

  裁定者が仮面の奥から、静かに蓮を見つめている。


「……見事な手腕でした、神代 蓮殿。あなたは相手の観察能力そのものを利用し、勝利を構築した。……この十億円相当のコインは、あなたのものです」


「ありがとうございます」


  蓮は小さく一礼すると、黒いシャツの袖を整えた。

  その表情には、勝利の歓喜も、相手を破滅させた優越感も存在しない。ただ、一つの計算問題を解き明かした後のような、静かな淡白さだけがあった。


「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」


  裁定者が静かな声で問いかけた。


「あなたは本当に、窮地に陥った際にも一切のストレスサイン(癖)を出さないのですか?」


  蓮は足を止め、振り返ることなく薄く笑った。


「人間である以上、ストレスサインは必ず出ますよ」


「……では、あなたの本当の癖とは?」


  蓮はポケットに手を突っ込み、ドアノブへ手をかけた。


「――本当に追い詰められた時、俺は絶対に相手の目を見なくなります。……まあ、一度もそんな追い詰められ方はしませんでしたけどね」


  静かな言葉を残し、神代 蓮は暗闇の部屋を後にした。

  天井の裸電球が一度だけ明滅し、誰もいなくなった真鍮の天秤を静かに照らし続けていた。

ご拝読ありがとうございます。

もし読んでみて面白いと思っていただけたら、評価とブックマークをしていただけると幸いです


また、不明点やアドバイス、感想、アンチコメも受け付けてます。

皆さんの意見をぜひお聞かせください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。