【第3話】貼り付けた顔
「第四ラウンド。先攻、レオン・シュタイン殿」
裁定者の宣告とともに、暗闇の中に金属音が微かに鳴り渡った。
レオンは優雅な手つきで手札を弄び、一切の躊躇なく『七』のカードを左皿へ叩きつけた。
「宣言は、【七】だ。……さて、神代君。君の選択は?」
レオンは脚を組み直し、心底愉快そうに蓮を見つめた。
彼の脳内では、もはや計算など必要なかった。向かいに座る青年は、己の観察眼によって完全に解読された「無力な被検体」に過ぎない。
蓮は力なく俯き、膝の上で両手を強く握りしめた。
(思考プロセスを意図的に滞留させる……)
蓮は前髪の影で、冷徹なタイマーを刻んでいた。
(レオンの中に確立された『右肩を掻く=ブラフ・葛藤のシグナル』という仮説。これを絶対の確信へと昇華させるには、彼自身の手で『分析の成功体験』を何度も積み重ねさせる必要がある。学習回路に完璧な成功報酬を与えるんだ)
蓮は苦しげに顔を上げ、小さく息を吐いた。
「……『パス』です。俺は【四】を出します」
「双方のカードが開示されました。勝者レオン殿。提出カード、レオン殿【七】、神代殿【四】。ベースコイン五枚を獲得します」
「クックック……実に素直で結構。無駄な抵抗をしてコインを削られるよりは、賢い選択と言えるな」
レオンは奪い取ったコインを自陣へ引き寄せ、悠々と背もたれに体を預けた。
「だが神代君、君の顔にはハッキリと書いているぞ。『強いカードを出して一逆転を狙いたいが、見破られるのが怖くて手札を抱え込んでいる』とな。……君の残存コインは一〇〇枚を切った。このままジリ貧で死を待つかね?」
「……っ」
蓮は言葉を詰まらせ、悔しそうに目線を切った。
その反応すらも、レオンにとっては計算通りの「敗北者の挙動」だった。
* * *
「第五ラウンド。先攻、神代 蓮殿」
運命の輪が回り続ける。
蓮は震える手で手札を選び、右皿へとカードを置いた。そして、視線を泳がせながら小さく息を吸い込む。
「……宣言は、【十】です」
【十】。このゲームにおける最強のカード。
その宣言が発せられた直後――蓮は苦悶の表情を浮かべ、右手を滑らせて**ボリボリと右肩を強く掻いた**。
(来た……! 来たぞ……!!)
レオンの体内で、歓喜の血が沸き立った。
瞳孔がカッと開き、眼鏡の奥で凶暴な光が跳ねる。
(視線の泳ぎ! 【十】というあまりに露骨なブラフ宣言! そして、完璧なタイミングで表出した『右肩を掻く』ストレスシグナル……! 奴は窮地に追い込まれ、一か八かの大ハッタリで私を降ろそうとしている……!)
「後攻、レオン・シュタイン殿。選択を」
「ハッ! 愚問! 愚問だなあッ!! 『ダウト』だッ!!」
レオンは立ち上がらんばかりの勢いでテーブルを叩いた。
「見苦しいぞ神代君! 一発逆転を狙って【十】のハッタリか!? だが君のその右肩は、隠しきれない破滅の警報を鳴らしているのだよ! 開示しろッ!!」
裁定者が静かに蓮のカードを裏返した。
そこに現れた数字は――**【一】**。
「ダウト成功。神代殿の宣言は偽りでした。ペナルティとして、神代殿からレオン殿へ一〇枚のコインが支払われます」
「ハハハハハハハッ!! 見たか! 見たかッ!!」
レオンは天を仰ぎ、高らかに大爆笑した。
「完璧だ! 完璧すぎる! 君の行動パターンは完全に私の手の中に収まった! 『右肩を掻く』――その単純極まりない敗北のスイッチを、君は己の意思で切ることができないのだ!」
「く……っ! ああ……あ……ッ」
蓮は頭を抱え、テーブルの上に突っ伏した。絶望に打ちひしがれ、全身を細かく震わせている。
(よし……完璧に刷り込まれた)
突っ伏した蓮の表情は、歓喜に震えるレオンとは対照的に、氷のように冷ややかだった。
レオン・シュタインの頭の中では今、不変の『完全真理』が完成している。
**『神代蓮が右肩を掻いた時=100%ブラフ(嘘)』**。
二度のダウト成功という強力な体験。プロファイラーとしての自尊心。
これらが複雑に絡み合い、レオンの思考から「もしこれが誘導だったら?」という疑念を完全に排除させていた。
(心理学や行動観察を過信・依存する人間ほど、己が構築した『法則』の奴隷になる。一度成功したパターンを、脳は決して捨てられない)
蓮は突っ伏したまま、手元で静かに残りコインを数えた。
持ちコイン。
レオン・シュタイン:一七五枚。
神代 蓮:二五枚。
(残りは二五枚。ベースコイン五枚を払えば、残りは二〇枚。……つまり、次の第六ラウンドで『ダウト失敗のペナルティ一〇枚』を相手に支払わせれば、一気に資金を奪い返し、逆転の足がかりを作ることができる)
蓮はゆっくりと体を起こした。
その顔には、青ざめ、涙目になった「完璧な敗北者の面影」が張り付いていた。
「……第六ラウンドへ、進んでください」
「クックック……まだやるのかね? 君のコインはもう風前の灯火だぞ。次でトドメを刺してあげよう」
レオンは手元に山高く積まれた黄金のコインを愛おしそうに撫で、嘲笑を深めた。
「次のラウンドで、君の全存在を私が買い取ってあげるよ。……感謝したまえ、神代君」
「……」
蓮は答えない。ただ、弱々しく手札を握りしめるだけだった。
裁定者が両者の間に立ち、無機質な声を響かせる。
「第六ラウンド。……先攻、神代 蓮殿」
暗い部屋に、静寂が満ちていく。
仕掛けられた罠の糸は、今やレオンの全身に強く絡みつき、あとは引かれる瞬間を待つのみとなっていた。
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