第2話 試験後
「聖女様、おめでとうございます!!」
爆発するような、喜びの声が試験室から上がった。
ルミエールは弾けるように立ち上がる。
次の瞬間、その声を背後に聞きながら、ルミエールは控室を飛び出した。
「あっ、ルミエール様!」
試験控室の外で待機していた、護衛担当の聖騎士が慌てる。
「ベルリアーナ様が、見事、聖女になられました。わ、わたくしにはやはり無理なのです……っ! もう、試験を受けることも怖くてできませんわ、どうぞお許しくださいませっ……!」
涙を流しつつも、山で鍛えた足腰で、すばやく聖騎士の腕をかいくぐって、ルミエールは廊下を走り去る。
「ルミエール様、お待ちを!!」
持ち前のすばしこさと、体の強さで。ルミエールは息も乱さずに自分の部屋にたどり着いた。
部屋に戻った瞬間、時計台の鐘が十時を打った。
(急がなければ!)
ルミエールはドアをきっちり閉めると、ドア脇のキャビネットを引っ張って、ドアの前に動かした。
聖女候補の白のドレスを脱いで、床に放り投げる。
ベッドの下に隠しておいた平民の男の服に着替えると、鏡も見ずに、勢いよく長い栗色の髪にはさみを入れた。
ルミエールの部屋は一階。
切った髪は白のドレスにくるんで、窓から放り投げる。
自分も窓から体を出して、そのまま地面に飛び降りた。
ドレスは壁の下に開いている通気口に押し込めて隠した。
鐘はまだ鳴っている。
ルミエールは姿勢を低くして、裏庭を駆け抜けた。
裏道に出る鉄の門扉に飛びつき、つま先をかけて軽々と乗り越える。
裏道を駆けて、表通りに向かえば、そこには———。
「待って! 待って!」
背後から聞こえる、聞き慣れた声に、青年は足を止めた。
「ルミ……!?」
叫びかけて思わず口をふさぐ。
青年はまるで矢のように駆けてきて、自分に飛びついた少年をしっかりと抱きしめた。
二年前と変わらぬ、栗色の髪に、緑色の瞳。
髪は短くなり、男の子の服装をしてはいるが、腕の中で微笑む彼女を見違えることなどありえない。
レックは信じられないような顔をしながら、すばやく彼女の手を引いて、神殿から離れた。
そして宿屋に預けておいた馬を引き出すと、そのまま王都を出たのだった。
***
目の前に広がっているのは、緑の山。
大きな岩がゴツゴツと斜面に転がり、真っ白なヤギ達が楽しそうに走り回っている。
山のふもとから続く小道は、あっちに曲がり、こっちに曲がりながら、最終的には山の頂上に近い丸太小屋まで続いていく。
小屋が見えてきた。
煙突から白い煙がもくもくと立ち上がっている。
暮らしが続いている証拠だ。
ルミエールの表情が思わず緩む。
一番先に気づいたのは、牧羊犬のシップだった。
わんわんと吠え、しっぽをちぎれるように振りながら、突進してくる。
重い山用のブーツを履いたルミエールが、軽々と最後の上り坂を駆け上がっていく。
シップがルミエールに飛びついた。
「お父さん、お母さん!!」
小屋のドアが、バーンと開いた。
転がるようにして駆けてくる、男性と女性の姿。
シップは興奮して走り回り、ヤギに迷惑がられている。
「ルミエール!!」
抱き合って泣く三人の姿を、レックもまた、涙をこらえながら見守っていた。
***
「ルミエール! ルミエール!! お願い、娘を連れて行かないでください……!」
それは二年前の春のことだった。
山の雪解けとともにやって来た、王都の神殿神官達は、ルミエールを聖女候補として召し上げた。
「娘は聖女などではございません。ごく普通の、山の娘にございます!」
娘に追いすがる母親に、しかし神官は冷たかった。
「大聖女様のお告げでございます。聖女候補として二年間学び、最後の聖女試験に合格すれば、晴れて聖女として王都の神殿でお務めいただきます。王都の人々をその手で癒すのです。名誉なことですよ」
母の泣く声が響く山を後にし、山の隣人達がルミエール、ルミエール、と名前を呼んで別れを悲しむ。
山を降りて、ふもとの村に着いても、ルミエールを呼ぶ人々の声は途絶えることはなかった。
「ルミエール、ルミエール、どこに行くの?」
「ルミエール、あなたがいないと寂しいわ」
「王都へ行かないで」
「あなたは、いったいこの村で何をしたと言うのです? これほど別れを惜しまれるとは」
ルミエールを迎えに来た神官は、不思議そうに、エプロンドレスを着た田舎くさい少女を見下ろした。
その時、ルミエールの頭にあったのは、助けを求める村人達の姿ばかり。
ここは貧しい、辺境の村だ。
急病、けががあっても、医師を呼ぶ余裕もなく人は死ぬことがある。
雪に閉ざされて、医師を呼ぶことができない時もある。
そんな中で、ルミエールはある日癒しの力を使えるようになった。
その時のことをルミエールは忘れない。
彼女は祈ったのだ。
ただひたすらに。
無力さに涙を流し、胸が破れるほどの痛みの中。
ルミエールは女神に祈り続けた。
その人の命の強さを信じて。
女神の慈悲を信じて。
その人のことだけを想って祈った———。
「さあ……?」
ルミエールは無表情につぶやいた。
「わたしは、女神様に祈っただけでございます」
そして、その祈りは女神に届き、その人は癒されたのだ。
ただ、それだけ。
***
ルミエールは懐かしい丸太小屋の暖炉の前に丸くなり、うとうととしていた。
「疲れているようだね。眠らせておやり」
「レック様、この度は、娘を連れて来てくださり、本当にありがとうございました……」
「お礼には及びません。では私はひとまず家に帰りましょう。また、ルミエールの様子を見にお伺いしてもよろしいですか?」
「もちろんです、レック様」
ルミエールの耳に、小声で話す父と母、それにレックの声が聞こえた。
まもなく夕暮れだ。
暗くなる前に、レックは山を降りなければいけない。
(ベルリアーナは、あれからどうしただろう?)
眠りに落ちながら、ルミエールは思った。
神殿には、お互いに足を引っ張る聖女候補達がいた。
彼女達は、ただ自分のために、名誉のために、聖女になろうとしていた。
ルミエールはベルリアーナに自分の知っていることを教えた。
もし彼女がこれからも人のために祈ることができれば、聖女の力を使い続けることができるだろう。
もし、慢心したら?
その時、この国は聖女を一人失うことになる。
しかし、聖女候補は常に二十人いる。
毎年、新しい聖女が生まれるだろう。
ルミエールは彼女らの良心を信頼するのみだ。
(何度も、山に逃げ帰ろうと思った。でも、もし誰かが癒しを必要としているのなら……)
もしこれが最善の決断でなければ、女神様はきっと、ベルリアーナに癒しの力を使わせなかったはず。
彼女が試験に通ったということは、女神様はルミエールの決断を許してくださったのだ。
故郷の緑の山にいてもいい、と。
暖炉の薪がはぜて、かたん、と転がった。
暖かな炎を感じながら、ルミエールはこれまでにない、深く、満足な眠りに落ちていった。
***
翌日、ルミエールはヤギ達とともに山の牧場にいた。
抜けるような青空と、緑が輝く山の斜面。
ルミエールは両手を大地に広げて、祈っていた。
「女神様、どうぞベルリアーナを見守ってください。
彼女が立派な聖女であり続けますように」
さわやかな風が、吹き渡っていく。
「女神様、心より感謝申し上げます。
たとえ聖女と呼ばれることはなくとも、わたしが緑の山にとどまり、必要な人々を癒し続けられますように、お祈り申し上げます」
ルミエールは女神に祈り、自分の運命を女神に委ねたのだった。
その時、背後で重い山用のブーツの足音がした。
「本当に切ってしまったんだね」
ルミエールが顔を上げると、笑顔のレックがそこにいた。
「お弁当を持ってきたよ」
レックが右手に下げた包みを持ち上げた。
ルミエールが立ち上がると、ざんばらな栗色の髪が、山の強い風に吹かれて、さらにくしゃくしゃになる。
母親に泣かれて身に付けた、田舎風のエプロンドレスとはミスマッチだ。
男の子の服を着ていたのが、相当ショックだったらしい。
「またすぐ伸びます」
ルミエールが照れて笑うと、レックは彼女の手をしっかりと握りしめた。
「おかえり」
レックはルミエールの手をしっかりと握った。
ルミエールもレックの手を負けじとぎゅっと握る。
山育ちのルミエールの握力は、なかなかのものだ。
レックは楽しそうに笑った。
「そうだ。言い忘れていた」
「何、レック?」
「試験、頑張ったね」
ルミエールは一瞬、ぽかん、とした。
レックの言う試験が、自分がすっぽかした聖女試験だと気づいて、ルミエールは笑い出した。
「王都の新聞が村に届いてね。新たな聖女様の誕生に、王都の人々は大喜びをしているって」
もちろん、レックは詳しいことは知らないはずだ。
それでも、ルミエールが何かを頑張ったことは、気づいてくれている。
「うんうん、頑張りました」
ルミエールもそう答えて、二人は笑い続けた。
聖女試験に落ちてもいい。
聖女じゃなくてもいい。
愛する土地で、愛する人々に囲まれて、みんなを笑顔にできれば、それでいい。
ルミエールは、今、幸せだった。
心からほしいものを、ようやく手に入れたのだから。
☆☆☆ Happy♡End ☆☆☆
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