第9話 式典前チェック(善意の箱ほど、疑って丁寧に扱う)
式典は、雰囲気が強い。
雰囲気が強い場所ほど、台本が勝ちやすい。つまり、相手の思うつぼです。
そういう結論を、朝いちばんに胃が叩きつけてきた。
「……胃、うるさい」
私は生徒会室の机に紙を並べた。紙、紙、紙。チェック表、フロー図、掲示文の下書き。
紙は裏切らない。裏切るのは運用と、笑顔で近づいてくる“善意”だ。
ミレイユが無言で紙の端をそろえる。きっちり。ぴしっ。
この子の所作は、私の胃に効く。煮沸消毒レベルで効く。消毒じゃない、整うってこういうこと。
「式典の準備、始めますか」
クラウディアがいつもより少し硬い声で言った。
それもそう。今日は来賓が来る。貴賓室の周辺は人が多い。人が多いところは噂が速い。噂が速いところは、雰囲気に押し切られる。
私はペンを握り直す。
「始める、というより……仕込みに負けない日、です」
「仕込みって、また言う……」
「言う。だって台本って、“善意”の仮面をつけてくるのが大好きなの」
私は机の中央に、小さめの紙束を置いた。
「まずこれ。持ち込み受付票」
ミレイユが小さく頷き、すぐに罫線を引き始める。
番号欄、差出人、品名、受領者、立会い二名、保管場所、封印状態、重量、備考。
クラウディアが顔をしかめた。
「寄付品まで? 花束とか、お菓子とかまで?」
「寄付品だからこそ」
私は即答した。
「寄付品の顔をした証拠が、一番こわいです。……笑顔で来るの。危険」
そのとき、生徒会室の扉が静かに開いた。
「おはよう」
低く落ち着いた声。
レオニス殿下が入ってくるだけで、部屋の空気が“ちゃんとする”。
私は反射で背筋を伸ばした。胃も勝手に姿勢を正す。胃、そういうとこは素直。
「おはようございます、殿下。今日は、式典前チェックを仕上げます」
殿下は机の紙を一瞥し、すぐに理解した顔で頷いた。
「持ち込み物の管理と、入室管理か」
「はい。入室権限のフロー図も、ここで固めます」
言いながら私はホワイトボードへ向かった。
フロー図は、雰囲気に押し切られるのを止めるための“型”だ。型があると押し切られにくい。胃の防壁。
私はボードに大きく書く。
【入室権限フロー図】
目的:式典準備/保管物確認/緊急対応
必須:入室許可票+署名+立会い二名
鍵:所定の鍵のみ(複製禁止)
例外:なし(例外を作る場合は“発行者名と理由”を記録)
クラウディアが目を丸くした。
「例外、なし……強い」
「強くしないと、雰囲気に押し切られます」
私は言い切った。
「『緊急だから』『殿下の指示だから』『善意だから』で通った瞬間、相手の思うつぼです」
殿下が短く息を吐いた。笑ったのか、堪えたのか。ぎりぎり。
「私の名が便利に使われるのは、確かに厄介だな」
「厄介です。便利な権威は、台本の好物です」
私がそう言った瞬間、扉がまた開いた。
今度は柔らかい香りと一緒に、副会長が入ってくる。
「皆さん、お忙しそうですね」
穏やかな微笑。空気がふわりと軽くなる。
軽くなるのは良いことのはずなのに、胃が「やめて」と鳴いた。軽さは、押し切りやすさでもある。
「式典前に検査だなんて、来賓に失礼では?」
副会長はホワイトボードを見て、わざと驚いたように言った。
「入室許可票まで用意して。過剰ではありませんか」
クラウディアが言いかけた。
「でも……」
私は先に口を開いた。
「失礼なのは疑うことじゃなく、後で“事故”にすることです」
副会長の目がわずかに細くなる。
でも笑顔は崩れない。崩れない笑顔は、だいたい強い。
「事故?」
「式典の場で『偶然見つかった』が一番危ないんです。偶然は、台本が作ります」
私はボードを指で叩く。
「丁寧に扱うための手順です。守るための記録です」
副会長が、拍手するみたいに柔らかい声を出した。
「あなたの手順は、誰かを疑う前提ですよね?」
来た。
“疑う人=悪い人”の雰囲気で押し切るやつ。相手の思うつぼ。
私はにこっと笑った。
「はい。疑うのではなく、記録で守る前提です」
「守る?」
「誰が持ってきても、誰が受け取っても、誰が触っても。あとから『あなたがやった』って言われないように」
副会長は一拍置いて、微笑んだ。
「なるほど。……立派ですね」
立派って言葉は、丸めるときにも使われる。
胃が警報を鳴らす。ピピピ。
殿下が静かに言った。
「実務だ。続けてくれ」
副会長の笑顔が一瞬だけ固まった。
固まると、私の胃が落ち着く。単純。
◇◇◇
貴賓室前の廊下は、磨かれた床が光っている。
光っている場所は映える。映える場所は舞台になる。舞台になった瞬間、相手の思うつぼです。
私は小さく深呼吸した。
「開ける前に、封を記録します。触る前に、記録」
施設管理の職員が頷き、保管庫の前で立会いに入る。
ミレイユが無言で記録用紙を差し出す。クラウディアが筆記具を配る。
殿下がこちらを見て、短く言った。
「必要な署名なら、私もする。名を貸すのは、ここまでだ」
……胸が熱くなる。
胃が「今は手順」と叩く。うるさい。分かってる。
「ありがとうございます。殿下の名は“許可の道具”にされやすいです。だから、手順で守ります」
私は淡々と言いながら、封印確認チェックを始めた。
封蝋の印影。紐の結び。ラベルの位置。傷。埃。
埃は時間の証拠だ。拭き取られたら時間が消える。時間が消えると、台本が勝つ。
「封蝋、欠けなし。紐、結び目にズレなし。印影、二重押しなし」
ミレイユが淡々と読み上げ、私はチェック表に印を入れる。
「よし。ここは正常。次は、持ち込み受付です」
◇◇◇
式典準備室の入口には、すでに箱が積まれ始めていた。
花束、装飾布、菓子箱、寄付品、来賓の贈り物。
全部が“善意の顔”をしている。
胃が全部に反応した。
花束を見て「針金」。菓子箱を見て「重い」。布を見て「粉」。
胃、うるさい。ありがとう。
「持ち込み受付はこちらです」
私は笑顔で言った。笑顔は必要。
でも笑顔の下にはフロー図がある。これが私の盾。
クラウディアが持ち込み受付票を貼り、ミレイユが重量を測る。
番号を振って、立会い二名が署名して、保管場所を決める。
この流れが、気持ちいいくらいに整っていく。
「花束です」
来た。花束。
見た目はふわふわ、でも箱は妙に硬い。
「ありがとうございます。重量も測りますね。受付票に記録します」
「え、花束に重量……?」
「はい。花束の顔をした箱が混ざることがあるので」
言いながら自分で笑いそうになった。
花束の顔をした箱って何。……でも現実はだいたい、そういうふうに来る。
「お菓子です」
次。お菓子。
箱が鳴る。金属音。胃が「ほら」って言う。うるさい。助かる。
「ありがとうございます。番号はこちら。立会い署名、お願いします」
淡々と処理していくと、周囲の職員もだんだん安心した顔になる。
人は“ちゃんとした手順”が見えると、雰囲気の圧に流されにくくなる。
つまり、胃が楽になる。
そのときだった。
「どいてください。急ぎです」
入口がざわつく。
使者風の生徒が、封のある箱を抱えて入ってきた。箱は立派。封も立派。立派なものほど危険。
「殿下の指示です。急ぎで貴賓室へ」
……出た。
“殿下名義の緊急”。台本が大好きな二段重ね。
周囲の空気が一瞬で「通せ」に傾く。
これが雰囲気。これが押し切り。
私は笑顔で、前に出た。
「急ぎほど受付です」
使者が眉をひそめる。
「時間がないんです。式典が――」
「式典があるから受付です」
私は持ち込み受付票を一枚、さらりと切り離した。
「番号を振ります。差出人、受領者、立会い、保管場所。全部書きます」
「そんなの後で――」
「後がないための手順です。後回しは相手の思うつぼです」
使者の口角が引きつる。
周囲の空気が揺れる。
でも私は揺れない。フロー図が背中にある。
「責任が取れるのか」
来た。責任を先に背負わせるやつ。逃げ道を作るやつ。相手の思うつぼ。
私はにこっと笑った。
「責任は、記録で分けます」
そして受付票の署名欄を指差す。
「今ここで“誰の責任か”を書いてください。あなたの名前と、殿下の指示だという根拠を」
「……」
使者が言葉に詰まる。
私は箱の封を見た。
印影はそれっぽい。紙質もそれっぽい。
正しい顔をしている。正しい顔ほど危険。
「封は立派ですね」
私は優しく言った。
「だからこそ、運用を見ます」
持ち込み受付票を確認する。
受付番号、なし。立会い、なし。受領者、略号で書こうとした形跡。差出人は曖昧な“関係者”。
私は箱から目を離さず、淡々と言った。
「印は正しい顔をします。問題は運用です。運用がズレています」
「そんな……」
周囲がざわつく。
“失礼だ”の雰囲気がまた来る。来るな。
私は一歩引いて、宣言する。
「開封しません。隔離保管にします」
クラウディアが息を呑む。
「隔離……?」
「はい。隔離保管ラベルを貼ります。立会い二名で移送、署名。誰も触らない」
ミレイユが無言でラベルを差し出した。
黄色い紙に太字で書いてある。
【隔離保管】
受付番号:
理由:受付不備/立会い不備/受領者不明
触れた者:
立会い:
保管場所:
私はラベルを箱に貼った。
貼った瞬間、箱の“雰囲気”が死んだ。
雰囲気はラベルに弱い。胃が勝った。
「……貴賓室に運ぶ予定だったのに」
使者が悔しそうに言う。
「予定は、記録に負けます」
私は笑顔のまま返した。
「式典が無事に終わるための予定なら、受付を通してください。受付を通せないなら、式典に向いていません」
使者は黙り込んだ。
周囲の空気が、少しずつ戻る。
“ちゃんとした手順”の方へ。
◇◇◇
廊下へ出ると、噂はもう走っていた。
「セシリアが来賓を止めた」
「式典を邪魔してる」
「また揉めてる」
……“また”が胃に刺さった。
刺さっているのは雰囲気だ。私はそれを剥がしにいく。
副会長が、ちょうど良い場所に立っていた。
穏やかな声で周囲をなだめるふりをしながら、火種を残す。
「落ち着いて。皆さん、善意なんですから」
善意。
善意ほど、記録が必要。
「善意ほど、記録が必要です」
副会長が微笑む。
「あなたは、優しいんですね。だからこそ、疑うのが苦手で……」
違う。
“優しいから疑う”のではない。
“守るために記録する”のだ。
私は、掲示文の紙を取り出した。
事前に用意しておいた公式掲示。
【式典準備に伴う持ち込み物受付について】
・持ち込み物はすべて受付を通し、番号と保管場所を記録します。
・立会い二名による確認を行います。
・これは来賓および関係者の皆様を守るための手順です。
・個人を疑う目的ではありません。
個人名を書かない。
断罪の空気を作らない。
雰囲気に押し切られない。
私は掲示板に貼った。
貼った瞬間、噂の勢いが鈍る。
紙は強い。胃が喜ぶ。
◇◇◇
人の少ない廊下の角で、殿下が私を呼び止めた。
「セシリア」
名前を呼ばれると、胸が勝手に熱くなる。
胃が「手順」と叩く。うるさい。
「よく止めた。……ただ、責任の矛先が君に向く」
殿下は真っ直ぐに言った。
その真っ直ぐさは武器になる。だけど台本相手には、武器が裏目になるときがある。
「殿下、先に責任を背負うと、相手に逃げ道を作ります」
私は小声で言った。
「『殿下が責任を取る』って言った瞬間、相手は“殿下のせい”にできます。殿下の名を台本に貸したことになります」
殿下が一瞬だけ目を細めた。怒りじゃない。考える顔だ。
「……事実だけを言う」
「はい。事実だけが一番強いです。雰囲気より強い」
殿下は短く頷いた。
「任せる」
その一言が、妙に効いた。
胸が熱い。胃が騒ぐ。
でも私は言い返せる。
「任せられるなら、任されるだけ強く整えます」
殿下の口元がわずかに緩む。
私は見なかったことにした。見たら胃が暴れる。
◇◇◇
隔離保管室。
立会い二名。署名。封印確認。写真記録。
手順が並ぶと心が落ち着く。胃が静かになる。
「開封は最小限です」
私は言った。
「封は保存。印影は記録。中身は“何か”を確認するだけ。見せ場は作らない」
「見せ場……?」
クラウディアが小声で聞く。
「式典は見せ場が多いから、仕込みも見せ場に乗せてくるの」
私は箱の留め具を確認した。
二重。妙に丁寧。丁寧すぎるものは危険。
最小限で開ける。
中にあったのは、式典で使いそうな“象徴”のセットだった。
記念メダル用のケース。
来賓への献上品に見える台座。
布。飾り紐。
一見、ただの舞台道具。
でも重量が不自然。金属が多い。
布の端に、さらさらした粉が付いている。
そして台座の裏に、小さな隙間。
私は息を吐いた。胸じゃない。胃に向けて。
「これ、式典で“見せる”ための箱です。舞台装置」
ミレイユが淡々と付け加える。
「見せると人が集まります。人が集まると雰囲気が強くなります」
「そう。雰囲気が強いと、押し切られます」
私は台座を持ち上げずに、隙間だけを写真に撮った。
「ここに“何か”を仕込んで、誰かに見つけさせる。で、私に触らせる。触った瞬間、『あなたの指紋』って言う」
クラウディアが青ざめた。
「そんな……」
「できるの。台本は、穴だらけの筋書きを雰囲気で正解にする」
私は箱を閉め直し、封を復元する。
そして隔離保管ラベルの理由欄に追記した。
【中身:式典用物品(詳細は記録番号参照)】
【疑い:仕込みの可能性(確認中)】
【開封:最小限/封保存】
ペンを置いた瞬間、胃が少しだけ笑った。
よし、未遂。舞台に上げない。相手の思うつぼにしない。
◇◇◇
貴賓室前。
入室許可票の発行枚数を、私は机の上で数え直していた。
番号、001。002。003……
発行者署名。立会い署名。目的。時間。
全部そろっている……はず。
「……あれ?」
私の指が止まった。
票が、一枚多い。
紙の厚みが、ひとつ増えている。
ミレイユが無言で覗き込み、淡々と言った。
「発行記録と一致しません」
クラウディアが息を呑む。
「増えてる……?」
私は、その一枚を持ち上げた。
署名欄が“それっぽく”埋まっている。
文字もそれっぽい。印もそれっぽい。
正しい顔。
正しい顔は危険。
私は静かに言った。
「入室許可票が増えてる。鍵と同じです」
背後で殿下の気配が動く。
「つまり、式典当日に“誰かが入れる”」
「はい」
私は頷いた。
「舞台に上がる準備が整ってます。相手の思うつぼにしないために、当日の運用を、もっと固めます」
胸が熱い。
胃が「手順」と叩く。
うるさい。でも正しい。
私は入室許可票を机に置き、紙の端をそろえた。
雰囲気が強いなら、手順を強くする。
台本が来るなら、記録で受け止める。
善意の箱ほど、丁寧に扱う。
そして私は、今日もちゃんと生き延びる。
悪役令嬢の役は、もう降りると決めているから。
「……よし」
小さく呟いて、私は笑った。
胃も、少しだけ静かになった。




