第8話 複製鍵ルート(“緊急”は便利な嘘)
鍵は増える。
疑いも増える。
そして胃の負担は、なぜか雪だるま式に増える。しかも加速度つきで。
「複製鍵がある」
その一言が、生徒会室の空気に刺さったままだ。
紙の匂いの中に、金属の冷たさが混ざっている感じ。嫌。
私はフロー図の余白に、太い字で書いた。
「鍵の複製ルート」
書いた瞬間、胃が「うわ」って言った。
言うな。言っても進まない。進め。
ミレイユが淡々と補足する。
「複製できる場所は三つ。学園工房、外部職人、施設管理担当経由です」
クラウディアがぴくりと眉を動かした。
「施設管理担当は……“緊急修繕”名目で例外が通る」
私の中で、嫌なピースがぴたりとハマる。
“緊急”。
台本が一番好きな言葉だ。
副会長が柔らかく笑う。
「皆さん、落ち着いて。合鍵など、そう簡単に」
「簡単に通すのが“緊急”です」
私は即答した。
「そして、簡単に通ったものほど、後から誰も責任を取りません」
副会長の笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
今日も固まる。胃が元気になる。単純。
レオニス殿下が短く言う。
「施設管理担当へ行く。私も同行する」
殿下が同行。
胃が喜ぶ……はずなのに、胃はなぜか暴れる。
恋は手順外。胃は抗議する。うるさい。
私はペンを握り直した。
「鍵そのものを追うと、雰囲気に逃げられます。先に“依頼書”です」
「依頼書?」
クラウディアが聞く。
「合鍵が増えるのは、どこかで“依頼”が通ったからです。物は嘘をつかないけど、人は紙で嘘をつける。だから紙を捕まえます」
ミレイユが無言で頷く。
殿下も頷く。
副会長は微笑んだまま、言った。
「そこまで踏み込むと、学園の秩序が」
「踏み込まないと、相手の思うつぼです」
私はにこっと笑って返した。
相手の思うつぼの顔をした人が目の前にいるときほど、笑顔が必要だ。
◇◇◇
廊下を歩きながら、私は小声で言った。
「鍵は事件を呼ぶ顔。帳簿は事件を飼う胃」
「帳簿は胃ではありません」
ミレイユが真顔で返す。
「胃には見えるんです」
クラウディアが肩を震わせた。
殿下は息を一つ吐いた。笑ったか堪えたか、ぎりぎりライン。
私は内心で自分に言い聞かせる。
殿下が笑いかけると手順が乱れる。
手順が乱れると胃が死ぬ。
胃が死ぬと私も死ぬ。
つまり、今は胃が最優先。
施設管理室の扉を開けると、金属と油の匂いがした。
鍵棚。工具。台帳。
胃が「ここ、嫌い」って言う。分かる。
担当の職員さんが、恐縮した顔で出てきた。
「え、殿下!? こ、これはその……」
「台帳を見せろ」
殿下の声は低い。
低い声は“緊急”の嘘を黙らせるのにも向いている。便利。
職員さんは慌てて台帳を出した。
分厚い。紙が詰まってる。事件を飼ってる胃だ。うん。
私は台帳を受け取る前に宣言した。
「先に、外観記録。ページの欠け、修正跡、インクの色、筆圧の癖。見ます」
「そこまで?」
職員さんが目を丸くする。
「そこまでです。後から“偶然”の顔をされると、相手の思うつぼです」
私は淡々とページをめくる。
インクが濃い。薄い。
筆圧が強い。弱い。
行間が狭い。広い。
……急に広がる行がある。ここだ。
「このページ、書く人が変わってますね」
職員さんが青ざめる。
「え、そ、それは……」
私は指で該当行を押さえた。
そこに書かれていたのは。
「殿下名義の緊急依頼」
胃がひゅっと縮む。
嫌なほど正しい字。嫌なほど整った文言。
依頼内容は、さらに最悪だった。
「文書室保管庫関連の鍵、複製」
クラウディアが息を呑む。
「……そんな」
殿下の目が冷える。
「私は出していない」
職員さんが慌てて両手を振る。
「し、しかし、印がありましたので! 殿下の印が!」
私は台帳から目を離さずに言った。
「印は正しい顔をします。問題は運用です」
依頼書の写しを出してもらう。
封。紙質。文言。
……やけに“それっぽい”。
それが一番危ない。
「受付番号の書き方も、余白も、文言も、正しい匂いがします」
クラウディアが唇を噛む。
「本物、では……」
「印は借りられます。番号は盗めます。書式は真似できます」
私は依頼書の端を指差した。
「でも、運用はズレます」
立会い欄。空欄。
緊急依頼なら、立会いは必須。
それが空欄。つまり、押し切った。
「緊急なのに立会いがない。ここが穴です」
殿下が短く頷く。
「印の管理の穴だ」
職員さんが震える声で言った。
「でも、殿下の印があれば、止めようが……」
「止められます」
私は即答した。
「止める手順を、作ってなかっただけです」
言い切った瞬間、胃が少しだけ落ち着く。
現実は胃に厳しいけど、手順は胃に優しい。
◇◇◇
私はその場で紙を広げた。
「鍵複製依頼照合表、作ります」
ミレイユが無言で罫線を引く。
この人、罫線が強い。胃に効く。
「依頼書番号」
「依頼者」
「承認者」
「受領者」
「日時」
「立会い」
「備考(修正跡)」
私は台帳の番号を書き写しながら言った。
「番号を信じるのは、番号を照合した後です」
職員さんがオロオロしながら言う。
「照合って、どこと……」
「別の台帳です。修繕依頼、備品購入。番号が一度しか使えないなら、衝突します」
職員さんが別の台帳を出す。
私は同じ番号を探す。
……あった。
同じ番号が、別案件で使われている。
しかも、日付が少し前。
「番号が衝突してます」
クラウディアが顔を強張らせる。
「つまり……」
「番号の先取り、流用」
私は淡々と言った。
「“緊急”で押し切ると、番号が雑になります。台本の穴です」
職員さんが真っ青になる。
「そんな……そんなことが、うちの台帳で……」
「台帳は悪くありません」
私はきっぱり言った。
「台帳を使って、人が悪さをするだけです」
殿下が低く言う。
「受領者は誰だ」
依頼書の受領者欄。
そこには、略号が書かれていた。
生徒会内でしか使わない、役職者の略号。
また来た。
胃が「またか」って言う。私も言いたい。
「受領者欄が略号です。本人確認の署名ではありません」
ミレイユが淡々と補足する。
「省略が多い人ほど、痕跡が少ない」
「省略が通る立場」
私は呟く。
「つまり、“空気で通せる顔”」
副会長の笑顔が脳裏に浮かぶ。
浮かぶだけで胃が痛い。やめて。
殿下が短く言った。
「工房だ。複製した“手”を見に行く」
◇◇◇
学園工房は、金属と火の匂いがする。
私は扉の前で一度止まった。
「……胃が鉄の味してます」
「胃は味覚を持ちません」
ミレイユが真顔で返す。
「持ちます。今日だけ持ちます」
クラウディアが吹き出し、殿下がまた息を吐いた。
殿下の息は私の手順を乱す。乱れる。胃が怒る。だめ。
工房の責任者が出てきた。
手が煤で黒い。目が真っ直ぐ。こういう人は嘘が下手だ。ありがたい。
「鍵の複製? 依頼書が正規だったので受けました」
「記録は?」
私が聞くと、責任者はすぐに記録を出した。
材料の受領。工具の貸出。作業者。試し回し。受領。
……整っている。
整っているのに、怖い。
整っている偽装が一番怖い。胃が言っている。胃が正しい。
「受領者は……」
責任者が該当欄を指差す。
そこに書かれていたのも、例の略号。
私は目を細めた。
「また略号」
責任者が首を傾げる。
「受領者は立会い不要の立場だと聞きました。『急ぎだから、いつもの通りで』と」
クラウディアが唇を噛む。
「そんな運用、聞いたことが……」
「“聞いたことがない”が残るものは、だいたい誰かが勝手に作った運用です」
私は淡々と言った。
「省略が通る立場として扱われた。つまり、空気で通した」
ミレイユが静かに言う。
「省略が多い人ほど、痕跡が少ない」
殿下の目が冷える。
「工房として、その人物の顔は」
「顔は見ていません。受領は代理が来ました。『殿下の依頼だ』と」
……出た。
殿下名義。偽権威。台本の定番。
私はその場で言った。
「“殿下の依頼だ”で省略が増えた。ここが台本の骨格です」
殿下が短く頷く。
「私の名が、道具にされた」
その瞬間、工房の外の通路がざわついた。
「殿下の印が偽造?」
「生徒会が鍵を増やした?」
「セシリアが……」
……また来た。
雰囲気で断罪。台本の十八番。
人が集まってくる。視線が刺さる。
私は一瞬だけ、胃が冷たくなるのを感じた。
その一歩前に、殿下が出た。
私の前に立つ。盾みたいに。
「私の名を使った。責任は私が取る」
胸が熱くなる。
胃じゃない。胸だ。困る。恋は手順外。
でも、ここで殿下が“責任を先に取る”のは危ない。
相手の思うつぼになる。
私は袖を軽く引いた。
「殿下。今それ言うと、相手の思うつぼです」
殿下が、わずかに動きを止める。
「……どうすればいい」
その声が、私に向いている。
私を信じている声。
胃が暴れる。うるさい。今は手順。
「事実だけ言ってください。殿下の名を、台本に貸さないで」
殿下が小さく頷いた。
そして、声の温度を落として言い直す。
「事実を言う。私は依頼していない。印は偽装だ。調査は生徒会が正式に行う。以上だ」
低い声が雰囲気を切る。
噂の速度が落ちる。
情報は雰囲気に勝てる。勝てると胃が助かる。
私は息を吐いた。
胸じゃない。胃に向けて。
◇◇◇
生徒会室に戻ると、私はホワイトボードに向かった。
今のままだと、また“緊急”で押し切られる。
押し切られると、相手の思うつぼ。
だから、先に潰す。
「“緊急依頼”暫定ルールを作ります」
クラウディアが頷く。
ミレイユがペンを渡す。
殿下が腕を組んで見守る。胃が落ち着かない。手順に集中。
私は書いた。
1)立会い二名必須
2)依頼番号は先に台帳で確保(先取り禁止)
3)後追い記入禁止(同日・同筆・訂正印・修正者署名)
4)受領者は本人確認と署名必須(略号禁止)
5)鍵の保管は二重確認(保管者と立会い署名)
そして、最後に大きく。
「調査優先札」
札と書くときは種類を明記。自分ルール。胃ルール。
紙を切って、順番を書いた。
「調査優先票:1 記録保全」
「調査優先票:2 依頼書照合」
「調査優先票:3 受領者確認」
「調査優先票:4 鍵の回収」
クラウディアが思わず呟く。
「……整ってる」
「整うと、噂は自然に静まります」
私は言い切った。
曖昧が噂を育てるなら、整備は噂を静める。
副会長が、穏やかに拍手するような口調で言った。
「素晴らしいですね。ですが、暫定ルールを増やすと、学園の秩序を乱しますよ」
「秩序を乱すのは、曖昧です」
私は即答した。
「曖昧な例外が、鍵を増やしました。つまり秩序を壊したのは、ルールの少なさです」
副会長は微笑んだまま、少しだけ刺してくる。
「あなた、殿下の隣にいるのが当然だと思っていませんか?」
空気が一瞬凍った。
こういう凍り方は嫌だ。恋と冤罪が絡む、嫌な芽。
私の胃が暴れる。
手順外の痛み。最悪。
殿下が淡々と言った。
「当然ではない。必要だからだ」
それだけ。
それだけなのに、胸が熱い。
胃が「やめろ」と叫ぶ。うるさい。
副会長の笑顔が、また一瞬だけ固まった。
固まる回数が増えるほど、私は「合ってる」と思える。胃が。
◇◇◇
夜。文書室に戻り、工房の記録と依頼書の写しをもう一度並べた。
並べると違和感が浮く。浮くと胃が落ち着く。胃って単純。
私は鍵の名称欄を指でなぞった。
「……あれ?」
工房の記録に書かれている鍵の名称が、微妙に違う。
文書室保管庫……ではない。
もう少し格が高い。
もう少し舞台が大きい。
「これ、文書室じゃない」
クラウディアが顔を上げる。
「どこ?」
私は静かに読む。
「……貴賓室の保管庫」
殿下の目が細くなる。
「貴賓室」
貴賓室。
式典。来賓。公開の場。
つまり、冤罪イベントの“本番”に使える場所。
私はフロー図の余白に、もう一つ書き足した。
「鍵は、記録じゃなく“舞台”を開けるためのもの」
殿下が低く言う。
「次は……式典か」
「はい」
私は頷いた。
「冤罪イベントの本番が来ます。証拠品を仕込むなら、あそこが一番“映える”」
映える。
雰囲気が勝つ場所。
台本が一番強い場所。
だからこそ、先に潰す。
手順で潰す。
記録で潰す。
私はペンを握り直した。
胃が嫌がるほど、正しい方向だ。
「次は、式典前の持ち込み物チェックと入室権限のフロー図です」
殿下が私を見る。
「行けるか、セシリア」
「はい、殿下」
鍵は増えた。
舞台も見えた。
胃には最悪。
でも、手順には最高。
つまり、勝てる。




