第6話 正式運用の匂い(本物っぽい偽物)
生徒会室の机の上に、もう一通、封のされた書類が置かれている。
紙は上質。封の刻印は……上手い。
上手いのに、嫌な匂いがする。正確には、「正しい匂い」がする。
これが一番まずい。
私は封を見たまま、深呼吸した。
胸じゃない。胃に向けてするやつ。
「まず番号」
私が言うと、クラウディアが眉をひそめた。
「番号?」
「刻印はあと。刻印は目に入るから脳が喜ぶ。番号は地味だから嘘が混ざりにくい」
ミレイユが無言で布を敷き、書類をその上に置いた。
手順が丁寧だと胃が落ち着く。胃は現金。
私は、封の左下にある小さな記載を指した。
「ほら。受付番号の書き方」
そこに、細い字で番号が書かれている。
桁。区切り。位置。余白。
全部が、やけに“それっぽい”。
「この番号の振り方、知ってる人じゃないと無理です」
レオニス殿下が、淡々と頷いた。
「正式運用に寄せている」
「寄せてる、じゃないです。ほぼ沿ってます。だから危ない」
クラウディアが口を開く。
「しかし、印が本物に近いなら」
「雰囲気に押し切られると危ないです」
私は即答した。
「本物っぽい、は、だいたい相手の思うつぼです」
副会長が、いつもの柔らかい笑顔で頷いた。
「落ち着いて手順を、ということですね。さすがです」
……こういう人が一番怖い。
味方っぽい顔で、場を丸くするのが上手い。
丸いと、責任がどこかへ転がっていく。
レオニスが私を見る。
「どこから潰す」
「犯人当ては後です。先に“知り得る範囲”を削ります」
私は机の上の紙を一枚引き寄せた。
「誰が犯人か、じゃない。誰がこの番号を使えるか。誰がこの書式を知ってるか。誰がこの紙を手に入れられるか。そこからです」
レオニスが、短く言った。
「いい。生徒会案件として動く」
副会長の笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
すぐ戻る。戻るけど、固まった事実は消えない。
「……生徒会案件、ですか」
「そうだ」
レオニスの声は低い。
低い声は、余計な雰囲気を黙らせるのに向いている。便利。
私は紙に太い線を引いた。
「まず、フロー図を作ります」
「フロー図?」
クラウディアが怪訝そうに言う。
「公文書の流れ。作成、受付、番号、承認印、写し、保管、閲覧権限。どこで触れられるか、どこで抜け道があるか。穴は“流れ”に開きます」
私は言い切った。
手順で殴る時間だ。
◇◇◇
生徒会室の壁が、また紙で埋まっていく。
「作成者」
「受付担当」
「受付番号台帳」
「承認者」
「承認印の保管」
「写しの保管箱」
「閲覧権限」
「例外処理(代理受付/空欄/持ち出し)」
ミレイユが無言で紙を水平に貼り、文字を揃える。
揃う。揃うだけで胃が拍手する。胃って単純。
クラウディアは渋々、でも正確に補足を入れる。
「公的な書類は、必ず写しが文書室に残ります。生徒会経由のものも例外ではありません」
「例外は?」
私が聞くと、クラウディアが一瞬詰まる。
「……あります」
ほら。
例外はいつだって穴の形をしている。
レオニスが、フロー図の「閲覧権限」を指で叩いた。
「文書室の閲覧は、誰でもできない」
「はい。だから文書室へ行きます。正しい話は、正しい場所にしか落ちてません」
副会長が穏やかに言う。
「大事にしすぎると、学園内が不安になりますよ。生徒が噂を」
「噂が広がるのは、曖昧だからです」
私は笑顔で返した。
「曖昧を減らす。記録を増やす。そうすれば噂は自然に静まります」
副会長は、笑顔を保ったまま頷いた。
頷き方が上手すぎる。怖い。
◇◇◇
文書室は、空気が乾いていた。
紙の乾き。インクの乾き。規則の乾き。
扉を開けると、背筋が自然に伸びる。
ここでふざけると、紙が怒る。そういう場所。
カウンターの向こうに立っていたのは、年若くはないが老けてもいない、目の鋭い女性だった。
服の皺が一つもない。髪も一ミリも乱れていない。
人間というより“書式”みたいな人。
「文書室管理官、ハーゼルです」
名乗り方がもう、受付番号の声。
レオニスが短く言う。
「文書の偽装が出た。運用を確認したい」
ハーゼル管理官は、私の顔を一瞬見て、次にミレイユを見て、最後に壁の紙の束を見た。
……分かる。私もその順に見る。胃のために。
「生徒会でフロー図を作っているのね」
「はい。私はセシリア・ヴァレンティナです。こちらが」
「ミレイユ。殿下の補佐」
ミレイユが淡々と答える。
管理官が小さく頷いた。
「では、要点。受付番号を見せて」
私は封の左下の番号を指差した。
「この書き方が、やけに正しいんです」
管理官の目が、さらに鋭くなる。
番号を見て、数秒。
口角がほんの少しだけ動いた。
「……正しい。桁も区切りも、余白も。担当者の癖まで寄せている」
クラウディアが息を呑む。
「担当者の癖、まで……?」
「受付番号は機械じゃない。人が書く。人は癖を残す。癖が寄っている時点で、内側の匂いがする」
私は胃に手を当てた。
胃が「ほら言った」って顔をしている。
「台帳に該当があるか、見られますか」
管理官はすぐに、分厚い台帳を取り出した。
ページをめくる音が、規則の音。
「……該当なし」
私は即座に聞く。
「じゃあ、番号を“先取り”した可能性は?」
管理官の眉が、わずかに動いた。
「通常はあり得ない。番号は受付担当しか振れない。先取りは」
そこで、管理官が一瞬だけ言葉を止めた。
止めた。つまり、例外がある。
「……例外処理は?」
私が畳みかけると、管理官は小さく息を吐いた。
「代理受付」
クラウディアが顔をしかめる。
「代理受付……そんなものが……」
「ある。あるけど、使ってはいけない場面が多い。それでも、忙しい時は使われる」
管理官の声は平坦だ。
平坦なのに刺さる。
平坦な人の「忙しい時は使われる」は、だいたい地獄の入口。
私は紙を取り出し、すぐに項目を書いた。
「例外処理ログ表。代理受付の条件、必要な署名、確認の有無、記録の残り方。全部」
管理官が私を見る。
「……あなた、胃が強いの?」
「胃は弱いです。弱いから、先に整えます」
管理官が小さく笑った。
笑い方が控えめで、余計に信用できる。怖いくらいに。
◇◇◇
文書室の奥。写しの保管箱が並ぶ棚の前で、管理官は鍵を回した。
「写しは基本、同じ形式なら束で保管される。抜けるのは、事故か、意図か」
私は言った。
「事故は記録が残る。意図は記録を嫌う」
管理官が頷き、箱を開ける。
紙の束。
整っている。
整っているのに、……一枚だけ、空白がある。
そこだけ、紙の厚みが減っている。
「……欠けてる」
クラウディアが声を落とした。
私は、空白を見つめたまま言った。
「欠けた写しは、つまり、本物の流れに一回入り込んだってことです」
レオニスの視線が鋭くなる。
「外で作った紙じゃない」
「はい。外で作った偽装なら、写しの束は減らない。
写しが減ったなら、誰かが“ここ”に手を入れた」
管理官が淡々と告げる。
「この棚に触れるのは、文書室職員と、許可された閲覧者だけ」
私はフロー図を思い出す。
閲覧権限。ここが首だ。
「閲覧者の範囲、絞れますね」
管理官は、ほんの少しだけ首を傾けた。
「絞れる。でも、問題がある」
「問題?」
「閲覧記録が“紙”なの。あなたの嫌いなやつ」
私は即答した。
「嫌いじゃないです。胃に悪いだけです」
胃が「やめて」と言っている。
でも、やる。
◇◇◇
次は、購買と備品管理担当だった。
上手い偽装は、印だけじゃなく紙も“それっぽい”。
透かし。繊維。手触り。
紙は嘘をつかない。買った人が嘘をつく。
備品管理担当の先生が帳簿を出す。
「文書室指定の紙は、基本、教職員と生徒会だけが購入できる。数も限られている」
私は聞く。
「購入者リスト、見られますか」
先生が渋い顔をする。
「個人情報だ」
副会長がすかさず笑顔で言った。
「そうですよね。ここは慎重に。学園の秩序」
「閲覧する」
レオニスが一言で切った。
空気が止まる。
止まってくれると助かる。雰囲気に押し切られると危ないので。
「生徒会案件だ。必要な範囲で、必要な期間だけ」
先生が、観念したように帳簿を差し出した。
私は、見た瞬間に思った。
(……少ない)
購入者が限られている。
回数も少ない。
つまり、候補が削れる。胃が喜ぶ。
私は紙に書く。
「購入者:教職員枠/生徒会枠」
「購入日」
「数量」
「用途申請」
クラウディアが小声で言った。
「殿下がここまで」
「公に支える必要がある」
レオニスが淡々と言う。
「君の手順は正しい。だから公にする。曖昧にしない」
……それ、ずるい。
心がちょっと温まる。胃はまだ冷たい。
私は咳払いして、仕事に戻った。
恋をすると手順が乱れる。手順が乱れると胃が死ぬ。
胃が優先。
◇◇◇
生徒会室に戻ると、副会長がまた“丸い提案”を出してきた。
「ここまで分かったなら、あとは内部で静かに。学園の名誉のためにも、調査は最小限にしましょう」
言い方が上手い。
正論っぽい。
だからこそ危険。
私は、にこっと笑って言った。
「終わらせるのは簡単です。でも、それ、相手の思うつぼです」
副会長の笑顔が、また一瞬だけ固まった。
固まる瞬間が増えてきた。いい。記録に残る。
「相手は“記録を残すな”って書いてきた。
つまり、相手が嫌がるのは記録です。だから残します。増やします」
レオニスが短く頷く。
「手順で行う」
副会長が、柔らかい声で言う。
「手順は大事ですが、疑心暗鬼は」
「疑心暗鬼を育てるのは、曖昧です」
私は同じ言葉を繰り返した。
大事なことは二回言う。胃が覚える。
◇◇◇
罠の仕込みは、静かにやった。
文書室管理官ハーゼルの協力で、「新しい書式テンプレ」を一枚だけ、閲覧できる場所に置く。
ただし、触れたら分かるようにする。
ミレイユが淡々と言う。
「触れた痕跡は残します。見た目は普通に。触った人だけが気づかない形で」
「最高です」
私は即答した。
レオニスが眉を寄せる。
「危険だ」
「単独ではやりません。殿下の要請、守ってます」
私は胸を張った。
胸じゃない。胃を守ってる。
レオニスが一瞬だけ目を細める。
怒ってるのか、笑いそうなのか、分からない。
分からないのが、ちょっとだけ、ずるい。
◇◇◇
廊下。人の少ない場所。
私は、ずっと言おうと思っていたことを言った。
「殿下」
「何だ」
「殿下の印、管理が甘いです」
言った瞬間、空気が一回だけ固まった。
レオニスの顔が、ほんの一瞬、止まる。
止まった後、低い声が返ってきた。
「……君は容赦がない」
「胃に容赦がないので」
私は視線を逸らさずに続けた。
「殿下の名は、武器にされます。殿下が強いからです。
だからこそ、管理が甘いと、殿下の名が他人の剣になります」
レオニスが、短く息を吐いた。
「分かっている」
その声が、少しだけ柔らかい。
柔らかいと、私が困る。胃が。
「……私はそれが嫌です」
私が言うと、レオニスは一瞬だけ、視線を外した。
「嫌だ、か」
「嫌です」
私は言い切った。
言い切ると、胃が少しだけ落ち着く。
レオニスが、何か言いかけて、やめた。
呼び方が口の端で止まった気がした。
たぶん、「セシリア」と呼ぶ直前で。
ずるい。
◇◇◇
放課後。生徒会室の空気が、紙の匂いで満ちてくる。
ミレイユが静かに扉を閉め、私のところへ来た。
声は小さい。嬉しい報告の時の、あの小ささ。
「お嬢様。触れた痕跡があります」
私は、胃の奥がきゅっとなるのを感じた。
怖いんじゃない。進んだ、ってやつ。
「どこを?」
「テンプレの角。指先の粉が移っています。布越しに触った跡ではありません」
「つまり、素で触った」
私はフロー図の「閲覧権限」のところに赤丸をつける。
「触れた人は、閲覧できる人。候補が一気に減りますね」
クラウディアが呟く。
「……名前を出すのですか」
「まだです」
私は即答した。
「雰囲気に押し切られると危ない。だから、名前じゃなく動線で詰めます」
レオニスが短く言う。
「管理官に連絡しろ。閲覧記録を開く」
副会長が、穏やかな声で言った。
「閲覧記録まで開くのは、やりすぎでは」
「やりすぎの方がいいです」
私はにこっと笑って返した。
「相手は“ちょうどいい”の顔をして、私を単独にして、記録を消したい。
だから、こっちは“やりすぎ”で、記録を残します」
副会長の笑顔が、また固まった。
固まる回数が増えるほど、私の胃は元気になる。単純。
その時、文書室から、ハーゼル管理官が生徒会室へ入ってきた。
歩き方がもう書式。無駄がない。
「欠けた写し、確認した」
管理官は淡々と言った。
「欠けたのは、生徒会経由の案件に近い束。つまり」
クラウディアが息を呑む。
レオニスが結論を落とす。
「内部だ。しかも近い」
私は、フロー図を見つめながら静かに言った。
「近いほど、雰囲気に押し切られます。だから次は、名前じゃなく“見た記録”で詰めます」
管理官が小さく頷く。
「閲覧記録を開くには、鍵が要る」
「鍵は?」
私が聞くと、管理官は一瞬だけ視線を動かした。
その先にあるのは、生徒会の机だ。
「鍵を持てる立場の人間がいる」
生徒会室の空気が、紙より乾いていく。
レオニスが低く言った。
「……開けるぞ」
私はペンを握り直した。
重い。責任が重い。
でもこの重さは、私の味方だ。
相手は強い。
でも弱点がある。
相手は、手順が嫌いだ。
記録が嫌いだ。
差分が嫌いだ。
そして私は、嫌いなものを集めるのが得意だ。
「……さあ。次は、どの穴を塞ぎましょうか」
胸が少しだけ熱くなる。
胃じゃない。胃は相変わらず冷たい。
レオニスが言った。
「行くぞ、セシリア」
「はい、殿下」
相手の逃げ道が、また一つ減った。




