第5話 偽印は雑、でも手口は丁寧(最悪)
生徒会室の机の上に、封のされた封書が置かれている。
紙は上質。匂いは甘い。
そして封の刻印が、「殿下の印に似ている」。
似ている、が一番嫌だ。
完全に違うなら笑える。完全に同じなら怒れる。
“似ている”は、雰囲気に押し切られる。
「開けません」
私は宣言した。
クラウディアが眉を跳ね上げる。
「……は?」
「開封は最後です。まず外側で取れる情報を全部取ります。焦った瞬間、相手の思うつぼです」
レオニス殿下は淡々としている……ように見える。
でも目だけが冷たい。冷たいんじゃない。たぶん燃えてる。
「君の敵は紙か」
「敵は台本です。紙は巻き込まれです」
ミレイユが無言で布を敷き、封書をその上へ移した。
素手で触らない。触る前に記録する。世界も見習ってほしい(今日も)。
「刻印、角度を変えて確認します」
封書をほんの少し傾ける。光が斜めに当たり、刻印の凹凸が浮き上がった。
私は紙を引き寄せ、線を引く。
本物(指輪紋)/本物(承認印)/偽印(今回)/特徴(線の太さ・角の丸み・欠け)
はい、刻印比較表、開始。
「線の太さが一定じゃない。押す力がブレてます」
私が言うと、レオニスは指輪を外し、机に置いた。
王太子の指輪。物理的に圧が強い。
「本物は線が細い。角が立っている。偽印は……角が丸い」
「丸いのに強そうな顔してるのが腹立つんですよね」
「……腹立つ、でいいのか」
「胃に悪い、です」
クラウディアが口を開きかける。
「あなたは、殿下の名が――」
「分かってます。だから開けないんです」
私は先に切った。
「開けた瞬間、書かれた言葉に引っ張られる。引っ張られると人が動く。人が動くと証拠が踏まれる。相手の段取りが通る」
レオニスの視線が、私に向く。
「正しい」
……殿下に肯定されると、胸が変に温まる。
胃は相変わらず冷たい。
「次。偽印がどこで作れるか、現物で当たります」
「講堂か」
「講堂です」
私は立ち上がった。
「台本の好物は“例外処理”。例外処理の巣は、講堂です」
◇◇◇
講堂の管理担当――顔が四角い先生は、今日も四角かった。
規則の角で人を切れそうな四角さ。
「講堂の鍵と台帳は学園の命です」
また命。学園、命が渋滞してる。
レオニスが淡々と言う。
「閲覧と写し、立会い付き。持ち出しなし」
権限が四角い先生を黙らせる音がした。便利すぎて怖い。
舞台袖の倉庫へ通される。
赤い幕。木箱。埃。甘い防虫香。
鼻がむずむずする。胃もむずむずする。むずむず大会は継続中。
「先生、古い保管箱の封を見せてください」
先生は渋い顔のまま頷き、倉庫の奥から古い箱を引きずり出した。封が残っている。
封の刻印を見た瞬間、私は「これだ」と思った。
角が丸い。線が少し太い。
押す癖が、さっきの偽印と同じ匂いをしている。
「……癖が一致してます」
ミレイユが布越しに刻印を確認して頷く。
「はい。角の崩れ方が一致しています」
レオニスの目が細くなる。
「この封は、何で押した?」
四角い先生が渋い声で答えた。
「昔の舞台顧問が使っていた封印具だ。今は使っていない……はずだ」
はず。
便利な言葉。穴が開く音。
「封印具はどこに?」
「倉庫の奥だろう。探せば――」
「探します。もちろん、触る前に記録します」
舞台係の部長格の女子が青ざめた。
「え、封印具って……誰でも触れたってことですか」
「今から“触れない”にします」
私はきっぱり言った。
「触れる環境にある限り、台本はそれを使います。使える物は使う。台本、ケチじゃないので」
部長格の女子が、ほんの少し震える。
怖いよね。自分の場所が、犯人の道具箱になってるって。
(でも、怖さで動くと相手の思うつぼだ。だから、整える)
ミレイユが棚の上段を探り、古い布に包まれた小さな金属の道具を見つけた。
「見つかりました」
早い。世界はミレイユに追いつけない(本日二回目)。
「動かさないで。そこに置いたまま、記録」
私は即座に言った。
発見場所、棚の上段奥。包布の状態。埃の量。周囲の物。
そして――封印具の柄の部分に、薄い蝋の粉。
「……使ってますね」
部長格の女子が顔色を失う。
「でも、最近は封なんて……」
「“最近は”は、記録がないと信用できません」
私は淡々と続けた。
「道具がある。紙もある。蝋の匂いもある。
で、記録がない。つまり、誰でも物語が作れる」
レオニスが短く言う。
「記録がないのは、罪だ」
四角い先生が苦い顔をした。
規則の角が、自分に返ってきた音。
「封印具は保全します。封印紐で封じ、立会い署名を――」
「待て」
レオニスが遮った。
「今、持ち出すと犯人に警告になる。動く可能性がある」
私は一瞬考え、頷いた。
「……なるほど。じゃあ二段構えにします」
舞台係の部長格の女子を見る。
「封印具は“ここにある”と思わせる。
でも、触ったら分かるようにする。触ったら、痕跡が残るようにする」
「どうやって……?」
「やり方は秘密です。相手に教えたくない」
ミレイユが小さく頷いた。
つまり、罠の準備は整った。
◇◇◇
生徒会室へ戻ると、私は大きな紙を壁に貼った。
貼り紙。とにかく紙。紙で殴る。
「それは?」
クラウディアが眉をひそめる。
「情報漏洩時系列表です」
誰が/いつ/何を知ったか/誰に伝えたか。
これを埋めると、嘘が落ち着かなくなる。嘘は落ち着きがない。
「講堂へ行くことを知っていたのは、私、殿下、ミレイユ、クラウディア、舞台係の部長」
私は線の上に書く。
「なのに、講堂へ行った瞬間、外で知ってる人が増えた。
つまり漏れた。どこからか」
クラウディアが言う。
「副会長を疑っているのですか」
「疑いじゃなく、矛盾を探してます」
私は即答した。
「矛盾は記録で取れる。疑いは雰囲気で増える。雰囲気は胃に来る」
クラウディアが「また胃」と言いたそうな顔をしたので、先に言っておく。
「はい、胃です」
レオニスが短く言う。
「副会長を呼べ」
ほどなくして、副会長が入ってきた。
感じがいい。柔らかい笑顔。声も穏やか。
場の空気を丸くする、上手な人。
だから厄介。
こういう人が一番、雰囲気で押し切れるから。
「皆さん、忙しいところすみません。講堂の件、心配で……」
「誰から聞いた」
レオニスが淡々と切る。
副会長の笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。
すぐ戻る。でも固まった瞬間は消えない。
「……風紀委員からです」
クラウディアが胸を張りかけたが、私は先に口を挟んだ。
「副会長。質問は一問一答でお願いします」
穏やかに、でも逃がさない声。
「講堂の封印具が倉庫にあること、知ってました?」
「封印具、ですか?」
「古い保管箱の封に使う刻印具です」
「詳しくは……」
そこで舞台係の部長格の女子が、ぽろっと言った。
「副会長、昨日『封印具には触らない方がいい』って……」
空気が止まった。
副会長の笑顔が、今度は少し長く固まる。
「それは……噂で。危ない道具だと聞いたので」
「誰の噂ですか」
副会長は笑顔を保ったまま言う。
「皆が話していましたよ。講堂の倉庫は危険だと」
“皆”。便利な言葉。穴が開く音。
レオニスが言う。
「皆、とは誰だ」
副会長は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……講堂の部長からです」
「私は言ってません!」
部長格の女子が叫ぶ。
私は目で合図した。今はそこじゃない。
「今は“誰が言ったか”より、“どの情報が漏れたか”です」
私は時系列表に追記する。
副会長:情報源に“講堂部長”を指名(真偽未確定)。
矛盾の匂いが濃くなる。いい。記録は嘘を嫌う。
「次。封書の開封です」
ミレイユが布越しに封書を持ち上げた。
「お嬢様、開封手順を」
「はい。今、開けます」
私は深呼吸した。
「開封はミレイユ。私は読む。殿下は内容の指示に従わない。
紙は保全。指示は無視。相手の思うつぼに乗らない」
クラウディアが「そんな……」と言いかけたが、レオニスが一言で切った。
「従うな」
ミレイユが封を切る。紙を傷つけない開封具。
手順が丁寧だと、胃が落ち着く。胃は手順が好き。
中から、一枚。
殿下名義。命令口調。
そして――私の名前。
「……『セシリア・ヴァレンティナは、礼拝堂にて確認のため単独で来ること。記録は残すな』」
背中が冷たくなった。
(台本、私を一人にしたい。踏ませたい。つまり、相手の思うつぼ)
クラウディアが青ざめる。
「殿下の名で……」
「偽命令書だ」
レオニスが即答した。
声が硬い。怒りが端っこから漏れている。
副会長が穏やかな声を作る。
「これは危険です。すぐに……」
「動かない」
私は先に言った。
「従って動けば、相手の思うつぼです。これは命令じゃなく誘導。誘導は無視して保全。
封と紙と匂いと筆跡と、印の差分が証拠です」
私は刻印比較表を示す。
「偽印の角の丸み、線の太さ、押し圧のブレ。
本物の運用と違う。殿下の指輪紋と一致しない」
クラウディアが苦しそうに息を吐いた。
「……分かりました。私の正義は、記録に従います」
お、進歩。
胃がちょっとだけ拍手した。
レオニスが私を見る。
「単独で動くな」
「命令ですか」
一瞬の沈黙。
「……要請だ」
ずるい。
でも、今日はそのずるさに救われる。
「はい。要請に従います」
◇◇◇
再び講堂。
封印具は“そこにある”状態を維持した。
ただし、触れば分かるようにしてある。
ミレイユが床の埃を見て、静かに言う。
「足跡が増えています」
「誰か来ましたね」
レオニスが周囲を見回す。
四角い先生が渋い顔をした。
「講堂に入れるのは限られている。鍵は管理している」
「鍵は管理している“はず”ですね」
先生の眉がピクリと動いた。
四角い先生にも刺さってる。いい音。
棚へ行く。封印具の包布が、微妙にずれている。
「触りました」
私は言った。
そして包布の表面に薄い蝋の粉。
ミレイユが布越しに採取する。
「蝋の粒が新しいです。乾いていません」
つまり、最近。
「……相手、焦ってますね。後片付けに走ってる」
レオニスが短く言う。
「誰が出入りした」
四角い先生が台帳を出す。
そして、ある行で指が止まった。
「……ここが空欄だ」
また空欄。
空欄は入口。入口は足跡。
私は台帳の写しを取り、鍵・入退室ログ照合表に空欄を丸で囲んだ。
「この空欄、今日の足跡と一致します。
つまり、出入りした人は“記録を残さない”選択をした」
部長格の女子が震え声で言った。
「記録を残さないなんて、普通しません」
「普通しない選択をする人が、こういう誘導を作ります」
私は淡々と言った。
「普通しない目的がある。目的は――冤罪」
レオニスが私を見る。目で合図。相棒の合図。
私は頷いた。
「ここから先は、講堂だけで追いません。
鍵の管理者、記録の書式、代理署名の癖。
“正式運用”を知る人に辿り着きます」
言って、自分で背筋が冷えた。
正式運用を知ってる人。つまり、内部の深いところ。
◇◇◇
生徒会室に戻ると、空気がまた動いていた。
嫌な動き。
鉄の匂い。焦りの匂い。
扉がノックされ、書記係の生徒が入ってくる。手に、もう一通の書類。
「殿下宛ての書類です。至急、と」
私は机に布を敷かせ、ミレイユが布越しに置く。
手順が、もう体に染みている。胃が偉い。
封を見る。
刻印。
……さっきより、上手い。
「……相手、やる気出しすぎです」
私が呟くと、レオニスが静かに言った。
「本物の運用に近い」
クラウディアが青くなる。
「それは……つまり……」
「内部者だ」
レオニスの声が、冷たく落ちた。
私は刻印比較表に新しい列を追加する。
本物(指輪紋)/本物(承認印)/偽印(雑)/偽印(上手い)/講堂封の癖
列が増えるほど、嘘が逃げ場を失う。
それは気持ちいい。怖いくらいに。
副会長が穏やかな声を作った。
「皆さん、落ち着きましょう。憶測で人を――」
「憶測じゃないです」
私は穏やかに言った。
穏やかに。逃がさない声で。
「記録です。差分です。時系列です。
それで矛盾した人だけを呼びます」
レオニスが短く頷く。
「次は、正式運用の知識源を洗う」
私はペンを握り直した。
重い。責任が重い。
でも、この重さは私の味方だ。
相手は強い。
でも弱点がある。
相手は、手順が嫌いだ。
記録が嫌いだ。
差分が嫌いだ。
そして私は、嫌いなものを集めるのが得意だ。
「……さあ。次は、どこに穴を開けてきますか」
胸が少しだけ熱くなる。
胃じゃない。胃は相変わらず冷たい。
レオニスが低く言った。
「行くぞ、セシリア」
「はい、殿下」
相手の敵が、またひとつ増えた。




