第3話 泣く証人、泣き方が上手すぎ
朝の生徒会室は、静かであってほしい。
紙の音。椅子の軋み。羽ペンが走る音。
そういう「ちゃんと仕事してます」系の音だけで満ちていてほしい。
でも今日は、静けさが先に殴られた。
扉が、どんっ、と空気を叩くように開く。
「殿下! 証人を連れてきました!」
クラウディア・ノックス。風紀委員長。正義の塊。
そして今日も、こちらの胃を置いていく人。
彼女の後ろに、もう一人。
小柄な女子生徒が、扉の陰から恐る恐る入ってきた。
制服の袖を握りしめ、指先が白い。目尻が赤い。鼻も赤い。今にも崩れそう。
……はい。出ました。
(泣く証人。台本、泣かせ方が丁寧すぎる)
私は息を吸った。
胃は深呼吸で治らないけど、酸素があるだけマシだ。
レオニス・アルブレヒト王太子は、机の前で背筋を伸ばしたまま淡々と言う。
「名前を」
女子生徒はびくっと肩を震わせた。
「え、えっと……エルナです。エルナ・リュード……」
泣き声を飲み込むように、彼女は続ける。
「わ、わたし……見ました。セシリア様が……リリア様を……」
その瞬間、生徒会室の空気が「終わった」へ傾いた。
視線が集まる。
刺さる。刺さる。刺さる。
矢の雨って、こういう感覚なんだろうな。体験版いらなかった。
クラウディアが胸を張る。
「やはり、目撃者がいたのです。これで――」
「待て」
レオニスの声が低く落ちた。
それだけで空気が一度、止まる。王太子、強い。
「証言は、手順通り取る」
クラウディアが口を開く。
「ですが殿下、泣いている彼女をこれ以上――」
「泣いているからこそ、手順がいる」
レオニスの視線が、私に向いた。
「セシリア。君はどうする」
どうするも何も。
台本の勝ち筋は見えている。
(涙で空気を固める。固まった空気で断罪する。検証は後回し。王道すぎて胃が反応する)
私は席を立ち、机の上に一枚の紙を置いた。
「聴取ルール、決めます」
クラウディアが眉をひそめる。
「またあなたの“遊び”ですか」
「遊びならもっと胃に優しいのを選びます」
私は紙を指で叩いた。
ミレイユが整えた“証言聴取シート”だ。
時刻/場所/見た・聞いた/距離/照明/遮蔽物/感情/根拠。
人間の曖昧さを欄に押し込めて、嘘がつけなくなる道具
「ルールは簡単。
一問一答。言葉を渡さない。YES/NOで誘導しない。復唱確認。途中休憩。
最後に“自分の言葉で一文”を書いてもらう」
レオニスが小さく頷いた。
「採用する。君の方法でやる」
……採用。
心の中で小さく拍手した。胃じゃなくて、心が。
「異論は?」
レオニスが室内を見渡す。
クラウディアは唇を噛む。けれど、王太子の“採用”に勝てる空気じゃない。
私はミレイユへ目配せした。
「記録、お願い」
「承知しました」
ミレイユは無表情で座り、ペンを構える。
あの人が書き始めると、証言が“逃げられない形”になる。怖い。味方でよかった。
私はエルナに向き直る。声の温度を整える。
優しすぎると台本が利用する。冷たすぎると人が壊れる。
ちょうどいい、を狙う。
「エルナ。今から聞きます。
答えられる範囲でいい。分からないなら“分からない”でいい。
泣くのもいい。休憩もする」
エルナの目が揺れ、少しだけ呼吸が整った。
「最初の質問。見たのは“誰”ですか」
エルナは涙を拭いながら言う。
「……セシリア様と……リリア様です」
「どこから見ましたか。あなたの位置」
「北回廊の……柱の影から……」
柱の影。
はい、舞台セット決定。台本、場所指定が丁寧。
「見えたのは、何ですか。“動き”で」
エルナは息を吸って、言葉を並べた。
「セシリア様が……リリア様の腕を掴んで……押して……」
……整いすぎている。
泣いているのに、文章の改行が見える。嫌な意味で。
私は続ける。ここで止まると空気が固まる。
「そのとき、声も聞きましたか」
エルナは頷いた。
「『邪魔なのよ』って……言いました……」
はい、決め台詞。
台本、便利な一言を用意しがち。
私は即、復唱確認に入る。
「確認します。『邪魔なのよ』は“聞いた”ですか。
それとも“そう見えた”ですか」
エルナの口が止まった。
「……え……」
涙が頬を伝う。
でも、言葉が詰まる。
詰まる場所に、台本の糊が見える。
「……き、聞いた……と、思います……」
思います。
出た。糊が剥がれる音。
クラウディアが声を強める。
「怖かったのです! 泣いている彼女に、そんな細かい――」
「細かいことが、命を守ります」
レオニスが冷たく言った。
クラウディアが黙る。王太子、強い(二回目)。
私はエルナに視線を戻す。
「大丈夫。思い出せる範囲でいい。
次。あなたが柱の影にいた理由は?」
「……人が、怖くて……」
「誰かに追われていましたか」
「……いえ……」
この辺は自然だ。
ただ、涙が妙に“続きすぎる”。
悲しい涙って、途中で息が乱れて鼻が詰まる。声がしゃくり上がる。
でもエルナは、崩れそうで崩れない。泣き方が上手すぎる。
そして鼻にツンとくる匂い。
(これ、涙を出すやつの匂いじゃない?)
確信はしない。確信はしないけど、記録は残す。
ミレイユのペンが走った。
“涙:持続/匂い:刺激”
怖い。味方でよかった(二回目、訂正。三回目)。
レオニスが言う。
「休憩。五分。水を」
クラウディアが「まだ――」と口を開きかけたが、レオニスの視線で消えた。
エルナは椅子に沈み込むように座る。
ミレイユが水を渡す。水がこぼれない。指が震えない。人間精密機械。
私はエルナの前に、少し距離を置いてしゃがんだ。
「エルナ。あなたを責めるためにやってない。
あなたが“間違って誰かを刺す”のも、あなたが“誰かに刺される”のも、どっちも嫌です」
エルナは水を握りしめ、小さく頷いた。
私はレオニスへ小声で言う。
「現場検証、行けますか」
「行く。今の証言は、現場条件を伴う」
そう。
言葉は場所に縛られる。
縛られない証言は、嘘に優しい。
◇◇◇
北回廊は、午前の光が入り込んでいた。
窓が多い。反射が多い。
つまり、人間の目が信用できない場所だ。
(台本、こういう場所が好き)
エルナが言った“柱の影”に、私が立つ。
レオニスが“第三窓付近”に立つ。
クラウディアは腕組み。納得してない顔。
私は柱の横からそっと覗いた。
視界に入るのは窓の光と床の反射と、通り過ぎる生徒の影。
「……顔、見えにくい」
私は正直に言った。
距離がある。光が強い。反射がある。
“揉めてる”は見える。でも“誰が誰の腕を掴んだ”は、かなり難しい。
レオニスが少し位置を変えた。
「ここから、君の顔は判別できるか」
「無理です。輪郭が白く飛びます」
クラウディアが言い返す。
「近づけば――」
「近づいたなら、柱の影じゃないです」
私は即答した。
「影にいる設定なら距離がある。距離があるなら細部は見えない。
両方取るのは欲張りです。台本みたいに」
「また台本!」
クラウディアが叫ぶ。
レオニスが淡々と言った。
「静かに。記録の邪魔だ」
クラウディアが黙る。王太子、強い(三回目)。
次は“聞こえるか”。
私は歩数で距離を測った。細かい数字はいらない。必要なのは体感だ。
「エルナ、ここに立って。柱の影の位置」
エルナが立つ。肩が小さく震える。
ここに立つだけで怖いのだ。だから聞こえない言葉を“聞いた気がした”のかもしれない。
レオニスが第三窓付近で、普通の声量で言った。
「邪魔なのよ」
廊下の足音。遠くの笑い声。窓の眩しさ。
言葉は……薄い。
私はエルナを見る。
「聞こえました?」
エルナは首を振った。小さく。
「……今は……」
「今も、だいたい同じ条件です。
あなたが聞いたと“思った”のは、後から混ざった噂か、誰かが渡した台詞か、どっちかの可能性が高い」
エルナの目が揺れた。罪悪感の揺れじゃない。恐怖の揺れだ。
そのとき、冷たい風が吹いた。
私は反射で肩をすくめた。くしゃみが出そうになる。
寒さは胃に来る。やめてほしい。
その瞬間、私の横の空気が少しだけ厚くなる。
レオニスが外套を“半歩”こちらへ寄せていた。
貸すほどじゃない。触れるほどでもない。
でも風が当たりにくくなる距離。
(……不器用)
台本より、この不器用な気遣いの方が刺さるのは、どういう仕様なんだろう。
仕様変更、胃に優しいやつでお願いします。
◇◇◇
生徒会室へ戻ると、空気が少しだけ落ち着いていた。
現場検証の後は、誰でも勢いが落ちる。
勢いが落ちると、嘘が居心地悪そうにする。
私はエルナの前に座った。
「エルナ。聞きます。答えたくなければ答えなくていい。
でも答えるなら、あなたの命を守る形で扱います」
レオニスが一度頷いた。
それだけで、“扱う”の重さが変わる。
「あなたは、“見た”より先に、“そう言え”と誰かに言われましたか」
エルナの目が大きく見開かれた。
沈黙。
涙。
唇が震える。
彼女は首を振った。
振って、振って……最後に、小さく頷いた。
「……手紙が……来ました」
クラウディアが息を呑む。
「手紙?」
エルナは嗚咽を噛み殺しながら言った。
「『あなたが見たことにしなさい』って……
……断ったら、家に連絡するって……」
その言葉が落ちた瞬間、生徒会室の空気が変わった。
断罪の空気じゃない。
脅迫の空気だ。
私は胸の奥が少し痛んだ。
(台本、泣かせる相手、違う)
エルナは悪人じゃない。使われた人だ。
私はできるだけ穏やかに言った。
「あなたのせいじゃない。
脅しは、脅した方の罪です」
レオニスが低い声で続ける。
「脅迫は学園規則の外だ。私が扱う」
クラウディアは言葉を失っている。
正義の矛先が、正しい方向へ向きを変える音がした。悪くない。
私はミレイユのシートを見た。ここからは“手掛かり”を取る。
「その手紙、紙はどんな感じでしたか。厚い?薄い?」
「……厚いです。白くて……つるっとして……」
「匂いは?」
エルナが少し考えて言う。
「……蝋みたいな匂い。甘い匂いも……」
蝋。甘い。
告発文。封印。礼拝堂。講堂。赤い幕。
線が繋がる音が、頭の中で鳴った。
「手紙を渡してきた人は見ましたか」
「……見てません。机の中に……」
よし。次。
「現場で、何か“確実に見たもの”はありますか。
あなたが自分の目で見て、自分の鼻で嗅いで、自分の耳で聞いたものだけ」
ここが大事。
確実だけを取る。確実は小さい。でも小さい確実は嘘を刺す。
エルナは目を閉じ、呼吸を整えて言った。
「……赤い布の匂いがしました。
あと、誰かが走って……何かを落として……」
「何を」
「……手袋。赤い手袋。
……拾おうとして、怖くてやめました」
赤い手袋。赤い幕。講堂。舞台関係。夜の作業。
それに、蝋の匂い。
私はレオニスを見る。レオニスも理解している顔だった。
「講堂の関係者を洗う。礼拝堂点検の立会いも確定させる」
私は頷いた。
「あと、エルナをこれ以上、晒さないでください。
証言は記録にあります。泣かせるために立たせる必要はない」
レオニスが短く言う。
「そうする」
エルナが泣きながら、でも少しだけほっとした顔をした。
救われた顔。台本が嫌う顔。
最後に、私は聴取シートの一番下を指した。
「最後に一文。あなたの言葉で。
今日言ったことを、あなたの責任でまとめるんじゃない。
“あなたが守りたい真実”を一文で」
エルナは震える手でペンを持ち、書いた。
『わたしは、こわくて、言わされました。ほんとうに見えたのは、はっきりじゃありません』
私はその一文を見て、胸の奥で静かに頷いた。
これでいい。
これが人間の証言だ。
完璧じゃない。だから、嘘が混ざると目立つ。
◇◇◇
夕方。生徒会室の机に、また紙が届いた。
ミレイユが布を挟んで回収する。
素手で触らない。世界も見習ってほしい。
レオニスが紙を開き、読み、目を細めた。
『次は、殿下が“隠している”ことを暴く』
『協力者は裏切る』
……台本、恋愛パートも同時進行する気だな。
私は乾いた笑いを漏らす。
「揺さぶりですね」
レオニスが静かに言った。
「揺さぶりだ。だが、揺れない」
私は紙を見下ろして、言いかけて飲み込む。
手順。そう、手順だ。台本に勝つにはそれしかない。
「……手順、守らせます」
レオニスが少しだけ眉を緩めた気がした。
「無理はするな」
胸が、ちくっとした。
胃じゃない。胃はいつも通りだ。
このちくっ、は厄介。
「命令ですか」
「要請だ」
要請。
その言い方、ずるい。
私は小さく息を吐いて、心の中で台本に言った。
(いいよ。来いよ。殿下を揺らすなら、私の前でやってみな)
だって、もう黒板がある。
記録がある。
証拠保全箱もある。
そして何より。
手続きを信じる王太子がいる。
台本の敵が、また一人増えた。




