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第20話 王城封書(礼儀で刺す)

 封筒が、固い。


 白い紙。金の縁。触ると指がすべるくらい、つるっとしている。

 真ん中には紋章。封は押印というより、封そのものが圧だった。


「……王城名義、ってやつ?」


 声が裏返ったのはクラウディア。

 私は裏返らなかった。その代わり胃がきゅっと縮んだ。私より先に反応するな。順番を守ってほしい。


 机の上で封筒が堂々としている。

 断れない顔をしている。いや、断ったら“礼儀がない”扱いまでセットでついてきそう。


 隣でミレイユが淡々と感想を言った。


「紙質が良いですね」


「そこ……?」


「良い紙は、だいたい厄介です」


 そう。良い紙は、だいたい厄介。

 厄介な紙ほど、言葉が丁寧で、内容が曖昧。


 私は封を切った。切る手が少し震えた。

 震えても、紙は開く。紙は容赦ない。


『本日午後、王城にて事情聴取のため来城されたし。

 秩序と名誉のため、遅滞なき出席を望む。

 (以下略)』


「午後って……何時?」


 クラウディアが私の肩越しに覗き込む。

 私は紙を指でなぞり、ため息を飲み込んだ。


「書いてない」


「え?」


「“事情”も、書いてない」


「ええ?」


「同席者も、記録も、書いてない」


「……こわっ」


 クラウディアが小さくなった。分かる。私も心の中で小さくなっている。

 でも小さくなってる場合じゃない。こういうのは引いたら、そのまま押しつぶされる。


(今日の敵は、学園の空気じゃない。王城の礼儀だ)


 礼儀は、笑顔で刺してくる。

 「穏便にしましょう」で、首を落とせる。比喩じゃない。形として。


 私は椅子に座り直し、紙を机の真ん中へ置いた。

 紙を置く。置くと、頭が動く。


「……穏便、って言われたら一番危ない」


「穏便が危ないって、どういう世界?」


 クラウディアが半泣きで聞く。


「穏便って言いながら、反省文とか誓約書にサインさせる世界」


 ミレイユが頷いた。


「先に認めさせて、後で“事実”にします」


「そう。紙は書いた方が強いけど、書かされたら負ける」


 私はペンを取った。

 ここで迷ったら、相手の思うつぼ。


「先にルールを決めます」


 口に出すと、少しだけ呼吸が戻る。

 怖い時ほど、言葉は短く。


 私は紙を引き寄せて、一気に書き始めた。


【王城面会 事前確認票】

・日時(時刻まで):____

・場所(部屋名):____

・議題(事情の範囲):____

・同席者(立会い/記録担当):____

・記録方法(面談記録票に双方署名):____

・提示資料の扱い(提出/保管番号):____


「え、これ持っていくの?」


 クラウディアが目を丸くする。


「持っていく。これが前提になる」


「前提、って、王城相手に……?」


「王城相手だから」


 ミレイユがさらっと追い打ちした。


「相手が強いほど、前提が必要です」


 私は確認票を折らずに、クリアケースへ入れた。

 折ると癖がつく。癖がつくと「差し替えましたよね?」が始まる。始まってほしくない。


 そこへ、レオニス殿下が静かに来た。

 封書を見て、内容を読み、眉をほんの少しだけ動かす。


「……本日か」


「はい。急です。わざとです」


「行く」


 即決。

 即決なのに怖さが増えない。隣に立つ人が決まると、怖さの形が変わる。


 殿下が確認票を見て、短く言った。


「これを持っていく。これが前提だ」


 私は小さく頷いた。

 言葉の中に逃げ道がない。なのに押しつけじゃない。ずるい。


「……殿下にご迷惑を」


「迷惑ではない。必要だ」


 また、その言い方。

 必要。合理的。優しい。逃げ道がない。


「……はい。必要です」


 クラウディアが口を押さえている。叫びたい顔。

 ミレイユがクラウディアの背中を軽く叩いて落ち着かせた。手慣れてる。


◇◇◇


 王城の廊下は、長い。


 物理的に長いのもあるけど、言葉も長い。

 案内の侍従が完璧な笑顔で言う。


「このたびは、貴殿におかれましては、誠にご多忙の折にもかかわらず、かくのごとき……」


(つまり、こっち来い、だよね?)


 私の脳内で勝手に翻訳が走る。

 走るけど口には出せない。王城では、翻訳を声にすると無礼になる。便利。


 クラウディアは敬語が限界で息が浅い。

 ミレイユは平常運転で周囲を観察している。頼もしいというか怖い。


 案内が止まったのは小会議室の前。

 扉の前で、侍従がにこやかに言う。


「聴取は、ご本人のみで」


 来た。

 孤立させるやつ。笑顔で。


 私は一拍置いて、クリアケースから紙を出した。

 出す動きはゆっくり。ゆっくりだと相手は止まる。止まると紙が勝つ。


「同席者を付けます。記録担当が必要です」


「王城の作法では……」


 侍従が柔らかく返す。

 柔らかいほど圧が強い。上品な圧は肌に残る。


 殿下が前に出た。


「作法どおりに進める。そのために記録を残す。異論はないな」


 短い。

 侍従の笑顔が一瞬止まった。止まったら勝てる。


「……承知いたしました。では、記録担当の方も」


 クラウディアが私の袖を掴む。袖が震えてる。本人も震えてる。


「セシリア、殿下、強い……」


「強いのは殿下です。私は“書いて残す”のが得意なだけです」


 ミレイユが淡々と付け足した。


「得意は武器です」


「……はい。武器、落としません」


 自分に言い聞かせて、扉をくぐった。


◇◇◇


 部屋の中は、静かだった。

 静かすぎて、私の心臓の音がうるさい。


 机の向こうに監査官らしき文官。隣に書記。

 書記の前には、きっちり揃えられた紙束。揃いすぎて怖い。


 監査官が柔らかく微笑んだ。


「本日は、穏便に済ませましょう。あなたの将来のために」


(来た。穏便。危険ワード)


 机の上に出されたのは反省文と誓約書の雛形。

 美しい文字。美しい余白。美しい罠。


 私は視線を落としたまま、最後の行だけを見る。

 サイン欄の手前。そこにいる。


『上記内容を認め、今後同様の行為を行わぬことを誓う』


 はい。終わり。

 ここに署名した瞬間、事実確認は不要になる。認めたことになるから。


 私はゆっくり息を吸った。

 吸える。まだ負けてない。


「反省文は、事実確認の後にします」


 監査官の眉が、ほんの少しだけ動いた。


「……質問の意図が、よく分かりません。あなたは穏便に……」


「穏便にするために、確認します」


 私は別の紙を出して、机の上に置いた。


【面談記録票】

・議題:____

・確認できた事実:____

・未確認事項:____

・提示資料(提出の有無/保管番号):____

・次回までの提出物:____

・次回日程:____

・双方署名:____


「失礼にならないように、確認事項は書いて残します」


 言い終わった後、自分で自分に拍手したくなる。

 拍手はしない。ここは王城。拍手は拍手。承認じゃない。


 クラウディアが横で“失礼じゃない笑顔”を必死に作っている。

 笑顔が引きつってる。心の中で助けてって言ってる。分かる。私も言ってる。


 監査官がゆっくり面談記録票を見た。

 見た。紙に目が向いた。勢いが落ちる。


「……よろしい。では、まず事情を」


「“事情”の範囲を確認します」


 私は先に事前確認票を差し出した。


「本日伺うのは何についての聴取ですか。範囲を議題として記載してください」


 書記がペンを止めた。

 止めると、こっちが焦るようにできる。焦らない。焦ったら負け。


 監査官が小さく咳払いをした。


「……対象は、学園内での一連の混乱に関して」


「“混乱”では範囲が広いです。具体の事象名と日時を」


 自分でも容赦ないと思う。

 でも容赦しない方が優しい時がある。曖昧は、人を殺すから。


 監査官は言葉を選び、ようやく具体に寄せた。

 書記が面談記録票に記載する。

 記載されると流れが固定される。固定されると台本の自由度が減る。


(よし。今のところ、押されてない)


◇◇◇


 しばらくして、監査官が資料を一枚持ち上げた。

 それっぽい紙。見慣れた形。見慣れた言い回し。


「こちらが、証拠となる文書です」


 見せるだけ。提出はしない。

 提出しなければ、後で変えられる。差し替えられる。消せる。


 私は間を置かず、別の紙を出した。


【証拠提出受付票】

・資料名:____

・作成者:____

・提出者:____

・提出日時:____

・保管番号:____

・返却条件:____

・控えの有無:____


「提出してください。保管番号を付けます。提示だけでは検証できません」


 書記の目がわずかに揺れた。揺れたら効いてる。


「王城の資料は、外部に……」


「外部に出しません。王城内で保管し、番号で参照します。控えは双方に必要です」


 言いながら思う。

 私、いつからこんなに“紙の人”になったんだろう。いや、最初からだ。紙がないと生きていけないタイプだ。


 ミレイユが淡々と補足する。


「提出がない資料は、面談記録票に“参照”として記載できません」


 監査官の眉がまた少し動いた。

 動いたら、もう一押し。


 私はさらに一枚置いた。


【文書差し替え防止票】

・版数:____

・作成日:____

・修正履歴:____

・作成者署名:____

・回収先:____

・控えの配布先:____


「版数を振ります。修正があるなら履歴に残します」


 書記が、ほんの少しだけ悔しそうな顔をした。

 美しい書式で勝負されると、書記は燃えるタイプらしい。職人魂ってやつ。


 クラウディアが小声で耳打ちしてきた。


「セシリア、今、王城相手に書式勝負してる……」


「美しさで殴ってくる相手には、美しさで返す」


「怖いけど、ちょっと頼もしい……」


 頼もしいのは紙。私は胃が泣いてる。

 でも、泣きながらでも進める。紙があるから。


◇◇◇


 監査官は、少しだけ声の温度を下げた。


「あなたは、王城の裁量を理解しているか。ここで手続きを省略し、穏便に……」


 来た。“裁量”。

 例外は便利だ。例外は責任を消せる。


 私は口を開きかけた。

 でも殿下が先に言った。


「例外にしない」


 空気がきれいに止まった。

 止まったら視線は殿下へ。殿下へ向いた視線は、私を刺しにくい。


「記録に残る手順で進める」


 殿下の声は静かだ。静かな声は強い。

 強い声は空気を作る。でも殿下は、空気じゃなく手順を作ってる。そこが怖くない。


 胸の奥が、ふっと軽くなる。


(この人、私を守ってるんじゃない。“やり方”を守ってる。だから、私も怖くない)


 私は小さく、でもはっきり言った。


「……ありがとうございます」


 殿下がこちらを見て頷いた。

 それだけで胃が少し静かになる。胃って単純だ。


◇◇◇


 その後は、確認の積み上げだった。


 証拠は提出。保管番号付与。版数記載。

 面談記録票に、確認できた事実と未確認事項を分けて書く。

 “未確認”を未確認のまま残す。これが今日の勝ち。


 監査官は反省文をもう一度机に置こうとした。

 私は視線を落とさず言った。


「今日は、結論を出す場ではありません。確認の場です」


 監査官は黙った。

 黙ったら勝てる。


「……では、次回までに提出物を」


「はい。提出物と期限を、面談記録票に記載してください」


 書記がペンを走らせる。

 走ったら固定される。固定されると逃げ道が減る。良い。


 最後に、双方署名。


 監査官が署名し、書記が控えを作り、ミレイユが控えを受け取る。

 私は自分の署名欄を見て、息を吐いた。


(これで、今日の“穏便”は、変な形にできない)


 署名した瞬間、胃が静かになった。

 勝った時の胃は、本当に分かりやすい。


◇◇◇


 王城の回廊を戻る。

 さっきまで長かった廊下が、少しだけ短く感じる。錯覚でもいい。錯覚は心を助ける。


 外に出た瞬間、クラウディアが限界を迎えた。


「む、無理……! 敬語が肺から抜けない……!」


「落ち着いて。肺は抜けない」


「抜ける気がしたの!」


 ミレイユが淡々とまとめた。


「記録は揃いました。提出物も確定。次回日程も確定」


「好き。今の好きは仕事の好き」


「また言ってる」


「何回言ってもいい」


 殿下が私の横で、少しだけ声を落とした。


「次は、社交の場で来る」


 私は反射で眉を寄せた。


「……礼儀の皮が厚い場所」


「そうだ」


 馬車の前で、侍従がまた一通の封筒を差し出した。

 白い。固い。光ってる。高級な圧。


「王妃主催の茶会への招待でございます」


 クラウディアが凍った。


「……茶会? え、茶会って、あの……笑顔で戦うやつ……?」


「笑顔で刺してくるやつ」


 私は封筒を受け取り、重さを確かめた。

 重い。紙が重い。圧も重い。王城の圧は、やっぱり磨きが違う。


(次は、笑顔にも記録を置く必要がある)


 私はペンを握った。

 開ける前に、先にルールを決めるために。


 礼儀が勝つ場でも、拍手で決めない。

 沈黙で負けない。

 今日も、手順で勝つ。


 ……そして、できれば、胃も勝ってほしい。

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