第2話 盗まれたブローチ、戻ってる問題
朝の生徒会室は、静かであってほしい。
紙の音。羽ペンの音。たまに咳払い。
そういう「働いてます」系の音だけで満ちていてほしい。
でも現実は、だいたいこうなる。
扉が、ばん!と開いた。
「殿下! 重大案件です!」
風紀委員長クラウディア・ノックスが息を切らして飛び込んできた。
正義の人は朝から全力。こちらの胃が置いていかれる。
レオニス・アルブレヒト王太子は、机の書類から目を上げるだけで言った。
「落ち着け。まず状況を言え」
落ち着け、が言える人は強い。
私は言われたらだいたい落ち着けない側だ。胃が。
クラウディアが両手で布包みを机に置いた。
「物証が出ました。盗まれたブローチです」
布がほどかれる。
銀色の小さなブローチ。教会の紋章。控えめな輝き。
空気が一段、重くなった。
役員の視線がブローチに刺さる。
次に、その視線が私に刺さる。
はいはい。分かってる。そういう流れ。
クラウディアが宣言みたいに言った。
「セシリア・ヴァレンシュタインのロッカーから出ました」
……うん。
二話目で物証を投げる。台本はテンプレを守るタイプ。偉い。
(でも、その偉さは段取りだけ)
私は机上のブローチを見つめて、最初にこれを聞いた。
「そのロッカー、誰が開けました?」
クラウディアの瞬きが止まった。
正義の人は「その質問は台本にないです」って顔をするのが早い。
「風紀委員が……」
「誰が」
「……副委員長と、数名が……」
「承認は」
「風紀委員として必要な措置です!」
声が大きい。炎が強い。
でも炎って、燃え方が強いほど煙も出る。煙は目を曇らせる。
目が曇ると、台本が勝つ。
レオニスが机に指先を置いた。トントン、と小さく。
「順番を言え」
クラウディアが口を開け、閉じる。
言葉が詰まる。
つまり順番がぐちゃぐちゃ。
私は息を吸って、できるだけ穏やかな声を作った。
正義の人は、穏やかに言わないと殴ってくる。視線で。
「必要でも、順番が違うと証拠が弱くなります」
「……何ですって?」
「ロッカーは私物です。承認と立会いと記録がないと、“入れた”って言われても否定できない。
否定できない物証は、物証じゃなくて雰囲気です」
生徒会室が、しん……となった。
クラウディアの頬が赤くなる。
「あなたは告発されている側でしょう!」
「だから言ってるんです。私は“入れられた”って言える側でもある」
自分で言って、自分で思う。
(言い方が悪役令嬢すぎる)
でもここは、悪役令嬢っぽく言わないと通らない。
世界の仕様が意地悪だ。
レオニスがクラウディアを見た。
「捜索の承認者は誰だ」
「……いません。緊急でしたので」
「立会いは」
「……風紀委員のみ」
「記録は」
「……これから」
レオニスは一瞬、目を閉じた。
たぶん脳内で胃薬を飲んでる。
「その“これから”が遅い」
彼は私へ視線を移す。
「セシリア。君はどうする」
どうするも何も、やることは決まっている。
私は立ち上がって、小さく手を鳴らした。二回。
すぐ扉が開き、銀縁眼鏡の女性が入ってくる。
「お嬢様、お呼びでしょうか」
ミレイユ。私の侍女頭。
無表情。たぶん内心は常時火事。
「ミレイユ。証拠保全箱、お願い」
「承知しました」
返事が速い。
世界はミレイユの返事速度に追いつくべきだと思う。
机に置かれた箱を見て、役員が小さく息を呑んだ。
蓋の紐穴。封印用の蝋。署名欄。証拠品カードの束。
レオニスが眉をひそめる。
「……常備しているのか」
ミレイユが淡々と言う。
「お嬢様の人生がよく燃えますので」
「燃えないよ!」
私のツッコミは今日も元気。胃以外。
レオニスが小さく咳払いをした。
「ブローチを保全する」
クラウディアが頷きかけた、その瞬間。
「その前に確認。触った人、手を挙げてください」
私が言うと、生徒会室がまた凍る。
クラウディア、副委員長、数名の風紀委員。
役員の一人も、恐る恐る。
(はい。物証が早速揉まれてる)
台本、走りすぎ。息切れしてるよ。
レオニスが私を見る。
「……台本」
「独り言です」
ミレイユが証拠品カードを書く。字が、機械みたいに整っている。
品名:教会印ブローチ
発見場所:セシリアのロッカー(とされる)
発見者:風紀委員
立会い:王太子レオニス・アルブレヒト/当事者セシリア・ヴァレンシュタイン
備考:触れた可能性のある者 複数(別紙)
「とされる」が痛い。
でも濁さないのがミレイユだ。
ブローチは布越しに箱へ。
封印紐。蝋。署名。
レオニスの筆跡は綺麗すぎて腹が立つ。
天才の雑な綺麗さじゃなくて、努力の綺麗さ。つまり彼もちゃんと疲れてる。
封印が固まった瞬間、空気が少しだけ整った。
整うと、嘘が居心地悪そうにする。
私はそれが好きだ。
クラウディアが唇を噛んで言った。
「ですが、物証は物証です。ブローチがあなたのロッカーから出た。事実は変わりません」
「変わります」
私は即答する。
「“どの事実”かが変わる。
ブローチがあった事実と、私が盗んだ事実は別です」
クラウディアが息を呑んだ。
正義の人は、分けて考えるのが苦手だ。分けると燃料が減るから。
そのタイミングで、扉がノックされた。
「……失礼します」
入ってきたのは、淡い栗色の髪の少女。リリア・フェンネル。
空気が彼女へ寄る。中心が固定される。台本が喜ぶ。
彼女は私を見る。怯えと混乱が混ざった目。
誰かが小声で言う。
「聖女様……」
やめて。その呼び方は、彼女を物語に縫い付ける。
リリアが震える声で言った。
「そのブローチは……教会から頂いた大切なものです。礼拝堂の展示ケースに……」
「展示ケース?」
私は一度、息を整えた。
(はい。“昨夜”が来る)
「盗まれたのは、いつですか」
リリアが目を泳がせる。
「……昨夜、だと思います。気づいたのが今朝で……」
「“昨夜”って、いつですか」
もう一度。曖昧語は禁止。
周囲の視線が「責めるな」と殴ってくる。
違う。責めてない。具体化してるだけ。
レオニスが低い声で割って入った。
「時刻で言え。覚えている範囲でいい」
助かる。
この人は空気じゃなくて手続きで呼吸してる。たぶん肺に規則がある。
リリアが小さく言う。
「夕食のあと……礼拝堂で祈って……戻ったのが、十八時半くらいで……」
「そのとき、ブローチはケースに?」
「はい……たぶん……」
たぶん、が入る。敵だ。
でも今の彼女に、それ以上は難しい。
私はリリアに向けて、声の温度を少しだけ下げた。優しすぎないように。
「大事なら、記録を見ましょう。
あなたを責めるためじゃない。ブローチを守るためです」
リリアが少しだけ驚いた顔をした。
周囲も同じ。台本の予定外っぽい。
私は黒板の前に立った。
「時系列ボード、作ります」
「時系列?」
クラウディアが眉をひそめる。
「黒板に書けば、嘘が落ち着かなくなるので」
チョークを取って線を引く。カン、カン、と音がする。
音がすると頭が切り替わる。私はそういうタイプだ。
時刻/場所/出来事/根拠。四列。
まず既知情報を置く。
18:30 礼拝堂 展示ケース ブローチがあった(リリア:たぶん)
今朝 学園 セシリアのロッカー ブローチ発見(風紀委員)
そして気づく。
盗難時刻が、存在しない。
「盗まれた、とするなら。消えたのを確認した時刻は?」
クラウディアが言う。
「……今朝です」
「つまり今あるのは“今朝ロッカーにあった”という事実だけ。
礼拝堂から消えた事実は、まだ確定してません」
「でもリリアが……!」
「リリアは“たぶん”って言いました」
クラウディアが詰まる。
正義の炎が、一瞬だけ弱まる。
そのとき、またノック。
「……あの、失礼します」
入ってきたのは軽薄そうな男子生徒。
でも目が泳いでいる。軽薄というより小心。
ヒューゴだ。噂好き。でも噂の中心は怖いタイプ。
「言うと怒られそうなんですけど……」
レオニスが言った。
「言え。ここでは怒らせない」
断言できる人、強い。
胃が少しだけ落ち着くのは、たぶん気のせいじゃない。
ヒューゴが喉を鳴らす。
「昨夜……礼拝堂の前を通ったんです。二十時くらい。
……展示ケース、見えたんですけど……ブローチ、戻ってたと思って」
生徒会室がざわっ、と揺れた。
「盗まれたのに?」
「戻ってた?」
クラウディアがすぐ噛みつく。
「見間違いでは?」
「いや、あの……光ってたから……」
ヒューゴの声が小さくなる。
小心は正義に弱い。
私は黒板に向き直り、チョークを取った。
「書きますね」
20:00 礼拝堂 展示ケース ブローチがあった(ヒューゴ:目撃)
線が一本増えるだけで、矛盾が跳ね上がる。
盗難扱いなのに、二十時にある。
(盗難じゃないか、盗難時刻が嘘か、目撃が嘘か、全部嘘か)
私は黒板の前で、少しだけ口角を上げた。
「盗まれた物が“戻ってる”なら、盗難じゃなくて移動です」
ヒューゴが「はっ」とした顔をする。
クラウディアは険しい。
リリアが小さく呟く。
「……何のために……」
胸がちくっとした。
何のために。
台本のために。物語を動かすために。
でも私は口にしない。今は言葉が刃になる。
ミレイユが、封印前に取った記録用紙を差し出した。
「お嬢様。ブローチの状態記録です。スケッチと、付着物の位置」
ミレイユは仕事が早い。
世界はミレイユに追いつけない。
紙には簡単な絵と、汚れの位置。
「ここ、繊維が絡んでいます」
色は……赤っぽい。
私はゆっくり息を吐いた。
「礼拝堂の展示ケース、内張りは青いビロードですよね」
クラウディアが頷く。
「はい。学園の仕様です」
私は空中でその位置を示す。触らない。
「青い場所にあったなら、青が付く。
でもこれは赤。つまりブローチは“赤い布がある場所”を通ってます」
役員の一人がぽつり。
「赤い布……講堂の舞台幕……?」
講堂。赤い幕。リハーサル。人の出入りが多い。物が動きやすい。
私は黒板の端に小さく書いた。
赤い布の場所=講堂(舞台幕)?
クラウディアが眉をしかめる。
「こじつけです」
「こじつけは台本の得意技です」
反射で言ってしまった。
レオニスが私を見る。
「……台本」
「はい」
隠すのをやめた。便利だから。
台本って言うと、怒りを笑いに変えられる。胃が守られる。
私は黒板の四列を示した。
「次は根拠を増やします。記録です。
礼拝堂の鍵の貸し出し記録。売店の購入記録」
クラウディアが言いかける。
「個人情報です。簡単には——」
レオニスが被せる。
「私の権限で閲覧する」
空気が止まる。王太子、強い。
「ただし持ち出しはしない。写しを取る。
セシリア、同行しろ」
「条件付き協力、ですね」
「そうだ」
私は肩をすくめた。
「手続きで殴るの、好きですし」
レオニスが小さく息を吐いた。
「君のやり方は嫌いじゃない」
……今日の大事なセリフ。たぶん。
そのまま受け取るのは悔しくて、口が勝手に動く。
「“嫌いじゃない”は褒め言葉の下位互換です」
「黙って受け取れ」
即ツッコミ。即返し。
会話が噛み合うと、ちょっと楽しい。胃が少し生きる。
ミレイユが当然みたいに私の横へ付く。
「お嬢様、筆記具は」
「持ってる。今日は台帳写しの戦いだ」
「承知しました。胃薬も」
「それは余計に承知しなくていい」
私たちは売店へ向かった。
売店は朝から混んでいる。
パン、ノート、ペン、リボン。平和の匂い。胃が錯覚で元気になる。
カウンター奥の売店主ベルトラは、顔が四角い。
四角い顔の人は規則が好き。経験則。
「おや。殿下。どうなさいました」
「台帳を見せてほしい」
ベルトラの目が細くなる。
「台帳は命です」
言い方が怖い。台帳に魂でも入ってるの?
レオニスが淡々と言う。
「閲覧だけ。写しを取る。持ち出しはしない。立会いもする」
ベルトラが私を見た。私の顔を見て眉が動く。
「……悪役令嬢が、台帳を?」
「悪役令嬢でも記録は守ります」
ベルトラが鼻を鳴らす。
「悪役令嬢の割に、字が真面目」
「台本より真面目です」
私が即答すると、レオニスが額に手を当てた。
「また台本……」
「はい」
ベルトラが渋々、分厚い台帳を出す。
紙の匂い。嘘が落ち着かない匂い。
私は「購入記録チェック表」を広げ、写す。
昨夜から今朝にかけて、記録用紙を買った者。数量。時刻。
何件か出る。生徒会用。教員用。風紀委員用。普通の生徒用も。
(買った=犯人、ではない)
ここを飛ばしたら、私が台本になる。
私はペンを止めずに言った。
「買った人を、犯人扱いしないでください。
買った人が犯人じゃなくても、犯人に“使われた”可能性があります」
レオニスが小さく頷く。
「分かっている。だから記録を見る」
……話が通じる。ありがたい。胃が。
ベルトラがぽつり。
「記録は嘘をつきにくいですが、人は嘘をつきます」
「逆です」
私は言う。
「人は嘘をつく。だから記録が必要なんです」
ベルトラが一瞬だけ黙って、短く頷いた。
「……そうですね」
謎の達成感。ポイントカードが一枚増えた気分。
次は礼拝堂。
礼拝堂の鍵棚と貸し出し帳面は、空気が「簡単には見せません」って顔をしていた。
でもレオニスがいる。空気が引く。
「閲覧する。立会いもする」
先生が渋い顔をしつつ帳面を出す。
私はまた写す。
貸し出し。返却。署名。
そして見つけた。
「……例外処理」
帳面の端に、いつもと違う印。
先生が言い訳みたいに言った。
「昨夜、礼拝堂の灯りが消えなくてね。点検が入った」
「点検者は」
「用務員と……生徒会の誰かが立ち会ったはずだ」
生徒会の誰か。
便利な言い方。便利な言い方は穴が開きやすい。
私は時刻を見る。十九時台の終わり。
ヒューゴの目撃が二十時頃。
(点検って、物が動くイベントだよね)
私はペンを止めずに言った。
「点検の立会い、生徒会の誰か。名前は追えますか」
先生が困った顔をする。
「帳面には……」
「ないですよね」
私は頷いた。穴だ。台本じゃなくて学園の。
レオニスが先生に言う。
「今日中に確認する。関係者を呼ぶ」
礼拝堂を出ると、冷たい風が頬を撫でた。冬が近い匂い。
私は肩をすくめる。
「……殿下、学園、穴だらけですね」
「君が言うな」
「私が言うから直ります」
「直すなとは言ってない」
レオニスの返しが、ちょっとだけ優しい。ずるい。
帰路、講堂の前を通る。中から声。リハーサル。赤い舞台幕がちらり。
(赤い繊維。ここ、怪しい)
足を止めかけて、レオニスを見る。
「寄ります?」
「今日は戻る。まず整理しろ」
「……正しい。悔しいけど」
「悔しがるな」
生徒会室へ戻り、黒板の時系列ボードに追記する。
売店記録。礼拝堂の例外処理。講堂の線。
矛盾が形になる。
形になると怖さが減る。怖さが減ると台本が焦る。
だから私は整える。
……整えれば整えるほど、台本も次の手を打ってくる。
夕方。生徒会室を出て、廊下を歩く。
窓の外は薄暗い。静かな時間帯。こういう時間は好きだ。胃も静か。
教室前のロッカーへ向かったとき。
扉の隙間に、紙が挟まっているのが見えた。
白い紙。嫌な予感が胃の底から湧く。
私は触らずにミレイユへ目配せした。
ミレイユが無言で頷き、布を挟んで紙を抜き取る。
「……お嬢様」
「読む」
紙には短い文。
『台本を直すな』
『次は“証人”だ』
私は、思わず笑ってしまった。笑うしかない。
予告まで丁寧。ファンサが過剰。
(台本、親切すぎるだろ)
背後からレオニスの声。
「……脅しだな」
「はい」
私は紙を見たまま言った。
「次は泣く人が来ますね。台本はそういう構成が好きです」
レオニスが静かに言う。
「泣く人を、泣かせないために手続きをする」
言葉が一瞬、出なかった。
胃が、ちょっとだけ温かくなる。
「……殿下」
「何だ」
「その言い方、ずるいです」
「褒めてない」
「知ってます」
私は紙を見下ろして、心の中で台本に言った。
(いいよ。来いよ。証人でも涙でも。全部、順番通りにしてやる)
だって、もう黒板がある。
記録がある。
証拠保全箱もある。
そして何より。
手続きを信じる王太子がいる。
台本の敵が、増えた。




