第19話 招待状(断れない、が、書ける)
封蝋が、綺麗すぎた。
赤い。つやつや。完璧な丸。押印の紋章まで、丁寧に“圧”がかかっている。
これ、手紙じゃない。礼儀の顔した拳だ。
「……うわぁ」
声が出た瞬間、自分で自分に突っ込みたくなる。
うわぁ、って。お嬢様が言う言葉じゃない。いや、私は元からお嬢様に向いてない。
私は封を切る前に、いったん深呼吸した。
深呼吸は大事。深呼吸ができるうちは、まだ負けてない。
「セシリア、なにそれ?」
横から覗き込んできたのはクラウディア。目がきらきらしてる。封蝋が好きなタイプだ。
好きで生きていけるなら、それは才能だと思う。
「高級だね! これ、すごいところの……」
「高級な圧」
「圧も高級ってあるんだ……」
ミレイユが無表情で頷いた。
「あります」
あるんだ。断言された。
そして、こういう時のミレイユは当たる。外れてほしいけど当たる。
私は封を切り、紙を広げた。文字は美しい。言葉も丁寧。丁寧すぎて、逆に怖い。
『明日午後、関係者一同の前にて、貴殿の説明の機会を設ける。
秩序と名誉のため、出席を願う。
主催:——』
午後。関係者。説明。
綺麗な単語だけ並べて、中身が空っぽ。
(断ったら「やましい」扱い。出たら、現地で条件を変えられる。どっちに転んでも、相手の思うつぼ)
紙はきれい。でも、穴だらけ。
穴だらけの台本ほど、人を落とすのが上手い。
私は手紙を机に置き、指を折った。
「集合場所が書いてない。時刻が“午後”しかない。関係者の範囲が不明。説明の議題が不明。司会も議事録も質疑ルールも空白」
「うんうん……え、全部?」
「全部」
クラウディアが真顔になった。
「……それって、当日どうにでもできるってこと?」
「そう。現地で“変えた瞬間”に詰むやつ」
ミレイユがさらっと言う。
「変更は、責任の所在を消します」
「そう。消える。すごく消える。びっくりするくらい消える」
私は紙の端を押さえた。
こういう時、紙が相手なら、こっちも紙で殴り返すしかない。
「……殿下に見せます」
机の向こう側で、レオニス殿下が静かに手を伸ばした。
手紙を受け取る指が、ためらいなくまっすぐで、変に落ち着く。
殿下はざっと目を通して、短く息を吐いた。
「招待状の形をした命令だ」
「ですよね」
「行く」
即決。
私は胃がきゅっとなるのを感じた。怖い、が先に来る。けど、逃げるのはもっと怖い。
「ただし、先にルールを決める」
殿下の視線が私に戻る。
その目が「やれ」と言っている。命令じゃないのに、やる気が勝手に湧く。ずるい。
「……はい。先にルールを決めます」
◇◇◇
私はその場で紙を引き寄せ、書き始めた。
書くと落ち着く。落ち着くと、手が速くなる。手が速いと、勝てる可能性が上がる。
【招待状受領確認票】
・日時(具体時刻):____
・集合場所(単一):____
・主催者(署名):____
・目的(議題):____
・出席者(名簿):____
・司会者:____
・議事録担当(責任者):____
・質疑方法:____
・証拠の扱い(提出/保管):____
「……招待状に返事って普通、もっと柔らかくない?」
クラウディアが遠慮がちに言う。
「私は“喜んで!”より“確認して!”派」
「強い……」
ミレイユが一言。
「正しいです」
殿下が確認票を受け取り、頷いた。
「これで返す」
紙が机の上に置かれた瞬間、心の中で小さく拍手した。
拍手は拍手。承認じゃない。喜びだけ。
◇◇◇
返送は、文書管理の窓口を通した。
“受け取りました”だけで終わらせないために、通し番号と控えを作るために。
窓口の担当者は、受領確認票を見た瞬間、顔が一度だけ固まった。
「……このような確認は、通常……」
「通常は通常で良いです。今回は“通常”が壊れやすいので」
担当者は口元だけで笑った。上品な笑顔。上品な圧。
「学園の善意を疑っておられるように見えますね」
来た。
“疑うのか”で、こっちを悪者にするやつ。
私は笑顔を作った。作れる。人は追い詰められると笑顔が作れる。悲しい能力。
「疑っていません。忘れないために書きます」
ミレイユが横から淡々と刺す。
「忘れて困るのは、責任者です」
担当者の笑顔が一瞬だけ止まった。
止まったら、視線は紙へ。紙に向いたら、勢いは落ちる。
担当者は咳払いをして、控えに印を押した。
「……日時と集合場所は、こちらで確定します。議題と運用は、追って」
つまり、議題はまだ曖昧のままにしたい。
でも、時刻と場所が確定しただけでも大きい。
「ありがとうございます。『追って』は紙でお願いします」
私は控えを受け取り、丁寧に折って胸元にしまった。
紙は折ると強くなる。気持ちも、少しだけ。
◇◇◇
夜。机の上は、紙が増えていく。
私は招待状を横に置き、次の紙を作った。
【公開説明会 進行確認票】
・議題:____
・司会者:____
・議事録方法(双方署名/閲覧可否):____
・質疑(挙手→発言登録→要旨→根拠資料番号):____
・採決の有無(採決する場合:記録方法):____
・拍手の扱い(承認にしない):____
・証拠(提示のみ禁止/提出→保管番号):____
クラウディアが紙の山を見て、目を丸くした。
「これ、全部当日使うの?」
「全部使う。使えなかったら、“使わせてくれなかった”って記録に残す」
「こわ……いや、頼もしい」
ミレイユが頷く。
「枠があると、切り取りが難しくなります」
「そう。切り取りが一番怖い。言葉は切られる。記録は切りにくい」
私はペンを置いて、指先を揉んだ。
手は疲れる。でも、手順があると心は疲れにくい。
……それでも、胃は疲れる。胃は別。胃は協力してくれない。
私は小さく息を吐いた。
「公開の場、苦手です」
口に出した瞬間、自分の弱さが机の上に落ちた気がした。
拾うのが怖い。踏まれるのが怖い。
殿下が私の方を見る。すぐには答えない。間がある。
その間が、変にあたたかい。
「なら、私が隣に立つ」
私は反射で言った。
「殿下の隣は、目立ちます」
「目立つ方が、切り取られにくい」
合理的。ずるい。
合理的なのに、優しい。もっとずるい。
(隣に立つ、って。守る言葉にも、縛る言葉にもなる。……でも今は、守るの方で受け取りたい)
私は視線を紙に落とした。
「……お願いします」
クラウディアが遠くで口を押さえてる。叫びたい顔。
ミレイユがクラウディアの肩をぽんと押して、静かにさせた。慣れてる。強い。
◇◇◇
翌日。会場の下見。
大ホールは広い。広い場所は、空気が勝ちやすい。
空気は、広いほど流れる。流れるほど、勢いがつく。勢いがつくと、人は拍手で決めたくなる。
拍手は拍手。承認じゃない。何回でも言う。
私は控室の案内図を見て、眉を寄せた。
「……私だけ別室?」
案内係がにこやかに頷く。
「ええ。貴殿は特別な立場ですので。落ち着けるよう配慮いたしました」
配慮。
この単語も怖い。配慮の形をした隔離って、ある。今目の前にある。
案内図を見ると、私の控室は遠回りの導線。しかも会場に入る位置が、客席から丸見え。
“晒し物”にする導線だ。やさしい顔して、露骨。
私は紙を取り出した。
【控室・導線確認票】
・控室:____(同行者同席可否:____)
・導線:____(客席からの視認:____)
・同行者:____
・連絡係:____
・入退室記録担当:____
・立会い:____
案内係の笑顔が、また一度だけ止まった。
止まったら、視線は紙へ。紙に向いたら、勢いは落ちる。よし。
「同行者を付けます。ミレイユ。記録担当として同席」
ミレイユが無表情で頷く。
「承知しました」
「連絡係はクラウディア。呼び出し対応と、証人役の誘導」
「私、便利屋?」
クラウディアが目を細めた。
「便利屋は世界を救う」
「え、急にかっこいい」
ミレイユが淡々と追加する。
「便利屋は記録も救います」
「ほら、世界と記録。二刀流」
クラウディアが胸を張った。単純で可愛い。助かる。
私は最後に、案内係へ言った。
「導線、変更してください。客席から晒される位置で入場はしません」
「しかし、進行上——」
殿下が一歩前に出る。
「変更しろ」
短い。強い。
案内係の笑顔が、今度は完全に止まった。
「……承知しました」
言質は取れた。
紙にも残した。これで、当日変えられても“変えられた”が残る。
◇◇◇
本番当日。控室の外が騒がしい。
拍手の練習みたいな音がする。
司会の声が聞こえる。「皆さまの温かい反応が——」みたいな、丁寧で便利な言い回し。
(拍手を、承認に変換する練習してる)
私は紙を机に並べた。進行確認票、発言登録票、証拠提出・保管票、同意手続き票。
紙が並ぶと、心が少し落ち着く。胃は落ち着かない。胃は別。
殿下が私の手元を見て頷いた。
「準備はできている」
「準備はできてます。心は……たぶん」
クラウディアが小声で言う。
「“たぶん”って言った!」
「今のは許して。胃が反抗してる」
ミレイユが淡々と告げた。
「胃は議事録に残りません」
「残らないのが悔しい」
扉の外から呼び出し。
時間だ。
私は立ち上がった。立ち上がると、足が少し震える。
震えてもいい。紙がある。隣に殿下がいる。後ろに二人がいる。
(晒し物にはならない。ならせない)
◇◇◇
大ホールは、礼儀の匂いがする。
来賓席。司会席。前方の席ほど背筋が固い。
司会が丁寧に挨拶し、「秩序」「名誉」「皆の安心」を語る。
空気が“正しさ”に寄っていく。正しさは便利だ。正しさは人を殴れる。
そして、私の番が来る。
「では、関係者として——」
その瞬間、私は机の上に一枚の紙を置いた。
進行確認票。角が揃った紙。強い紙。
「今日の進行、これでお願いします」
司会が一瞬、言葉に詰まる。
「……え?」
殿下が短く言った。
「進行は確認票に従う」
空気が止まった。
止まったら、視線は紙へ。紙に向いたら、勢いは落ちる。
(呼吸できる)
司会は喉を鳴らし、紙に目を落として頷いた。
「……承知しました。では、議題に沿って進めます」
よし。入口を塞いだ。
最初の質疑で、案の定、名指しが飛んできた。
「彼女は場を乱した。皆の前で誠意を——」
誠意。
これも便利な殴り言葉。殴りながら“正しい顔”ができる。
私は発言登録票を差し出した。
「名指しするなら、発言登録票に要旨と根拠資料番号をお願いします」
「そんな堅いことを……」
相手が笑いながら言う。笑いは空気を作る。空気は拍手を呼ぶ。
ここで拍手が起きたら、相手の思うつぼ。
私は短く返した。
「堅い方が、嘘が入りません」
客席がざわつく。
でも、ざわつきは怒りじゃない。戸惑いだ。戸惑いは、紙の味方。
ミレイユが横で淡々と補足する。
「要旨と根拠がない発言は、議事録に残りません」
クラウディアが後ろで小さくガッツポーズした。
ガッツポーズは可愛い。助かる。
次に来たのは、証拠の“提示だけ”だった。
「これが証拠です」
それっぽい紙が掲げられる。
掲げるだけ。提出しない。保管しない。検証させない。
後で差し替えたい証拠の定番。
私は証拠提出・保管票を机に置いた。
「提出してください。保管番号を付けます。提示だけは禁止です」
「なぜそこまで——」
「検証できないからです」
私は、言い切った。
言い切ると胃が少しだけ黙る。助かる。
相手が渋る。
渋るなら、効いている。
殿下が決めの一言を落とした。
「検証できないものを、結論にするな」
拍手が起きそうな気配がした。
司会が“盛り上げ”を狙って息を吸うのが分かる。
私は先に釘を刺した。
「拍手は拍手です。承認にしません。採決するなら、記録を残します」
同意手続き票を示す。
票。署名。記録。逃げ道が減る。
司会が一瞬固まり、進行確認票を見て頷いた。
「……承知しました。採決は行いません。確認を続けます」
空気が、割れた。
割れた空気は、勢いが続かない。勢いが続かなければ、台本は踊れない。
私は一歩ずつ、確認を積み上げた。
名指しには登録。証拠は提出。議事録は双方署名。
そして、曖昧は曖昧のまま残す。
最後に、司会がまとめに入る。
「本日は、結論を出す場ではなく、確認の場とします。正式な審査は、別途——」
逃げた。
でも、逃げ先に紙を置ける。だから良い。
私は小さく息を吐いた。
吐けた。生きてる。勝ってる。
◇◇◇
控室へ戻る廊下は、静かだった。
静かだと、やっと鼓動が聞こえる。鼓動が聞こえると、疲れが出る。
疲れが出ると、胃が鳴る。胃は元気。黙って。
「……終わりました」
私が言うと、殿下が小さく頷いた。
「よく立った」
「立っただけです。たぶん……」
クラウディアが私の口を指さす。
「また“たぶん”!」
「今度は緊張の“たぶん”。許して」
ミレイユが淡々と告げる。
「本日の議事録、署名済みです。証拠は保管番号付与済み。発言登録票も回収済み」
「好き。今の好きは仕事の好き」
「また言ってる」
「何回言ってもいい」
クラウディアが肩を揺すってくる。
「ねえ、勝った? 勝ったよね?」
「“既成事実”にはされなかった。だから勝ち」
言った瞬間、胃が黙った。
勝った時の胃は静か。分かりやすい。助かる。
殿下が私を見て、少しだけ声を落とした。
「次も一緒に立つ」
私は一瞬、言葉が出なかった。
怖さが消えたわけじゃない。むしろ、次はもっと綺麗な圧が来る。
でも、隣があるなら、私は紙を置ける。
「……お願いします」
その時、ミレイユが封筒を一通差し出した。
白い紙。紋章。封が固い。
「王城名義です」
クラウディアが固まる。
「……え、王城?」
私は封筒を受け取り、指先で重さを測った。
紙が重い。圧も重い。高級な圧だ。間違いない。
(次は、もっと格の高い舞台。もっと綺麗な台本)
私はペンを握った。
開ける前に、先にルールを決めるために。
綺麗な台本が来ても、拍手で決めない。
沈黙で負けない。
今日も、手順で勝つ。




