第18話 事情聴取(たぶんは紙に書けない)
小会議室は、空気が乾いている。
机と椅子と背筋だけが真面目で、言葉だけがズルを覚えやすい。
目の前の人物は、さっきから「たぶん」を連発していた。
「……たぶん、誰かに頼まれて。えっと、たぶん、廊下で。たぶん、昼前くらいで……」
たぶん。たぶん。たぶん。
(便利な言葉だよね。“責任が消える”って意味だもん)
私はペンを持ったまま、机に一枚の用紙を置いた。
紙の角を揃えると、心が少し落ち着く。胃は落ち着かない。今日も元気。黙って。
「では、事情聴取記録票を使います」
相手が目を瞬いた。
「……え、そこまで?」
「そこまでです。言った言わないで揉めるのが、一番時間の無駄なので」
横でクラウディアが、背もたれに貼りつくみたいに座っている。
顔に「こわ……」って書いてある。書いてないけど書いてある。
反対側にはミレイユ。無表情。いつも通り。
無表情は、こういう場で強い。余計な燃料を投げないから。
そして少し離れた位置に、レオニス殿下がいる。
いるだけで空気が勝手に整う。ずるい。助かる。
私は用紙の上を指でなぞった。
【事情聴取記録票】
・氏名:____
・役割:____
・日時:____
・場所:____
・受け取った物:____
・渡した相手:____
・指示者(氏名/役職):____
・立会い:____
・備考:____
「たぶん、じゃなくて。日時、場所、物、相手。ここに書いてください」
「……いや、でも、ほんとに曖昧で……」
「曖昧でもいいです。曖昧なまま、“曖昧”って残します」
相手は嫌そうにペンを取った。
嫌そうな手つきほど、あとで効く。逃げ道が減るから。
……と、空気が「じゃあこの人が悪い」で片付けに寄りかけた、その瞬間。
「君は、誰に命じられた」
監査係らしい男性が、低い声で詰め始めた。
空気が「自白を取ろう」に寄る。危ない。
私は手を上げた。
「止めてください」
「は?」
「詰問は、結論を作ります。今日は確認です」
監査係が眉を吊り上げる。
「確認? 君は、何の権限で——」
殿下が、机の上に一枚の書面を置いた。
音が小さいのに、なぜかよく通る。
「この進行でやる」
それだけで、空気が一段静かになった。
静まったら、視線は紙へ。紙に向いたら、勢いは落ちる。
(よし。呼吸できる)
私は相手に向き直った。
「では、続き。受け取った物は?」
「……台本、です。司会の……」
「版数は?」
「……え?」
答えられない。
版数がない台本に触れた可能性が高い。
「誰から受け取りました?」
「それが……上から……」
「“上”は言葉です。人名と役職と時刻にしてください」
相手が口をもごもごさせる。
「たぶん……規律委員会の……誰か……」
(ほら来た。“たぶん”が仕事してる)
私は新しい用紙を出し、上に大きく書いた。
【指示経路確認票】
「選択式にします。思い出せないなら、候補を絞る」
クラウディアが小声で囁く。
「アンケートみたい……」
ミレイユが即座に返す。
「アンケートは記録です」
クラウディアが黙った。かわいそう。でも今は黙ってて。
私は候補欄を作り、相手にペンを渡す。
「役職。どれですか。丸をつけてください」
相手の目が泳ぐ。
泳ぐ目は、紙に弱い。
「……規律委員、か……顧問……?」
「丸。ひとつ」
「……顧問、です」
ペン先が震えた。
震えは正直だ。紙に残るとさらに正直になる。
「場所は?」
「……廊下、です」
「どこの廊下」
「……大ホール裏の……」
「時刻は?」
「……昼前」
昼前。雑。
雑な時刻は、だいたい嘘か、責任放棄。
私はミレイユを見る。
「入退室記録、お願い」
「あります」
ミレイユが紙束を出し、淡々と開いた。
角が揃った紙は強い。強い紙は、嘘の居場所を減らす。
「この時刻、あなたは別の部屋にいます」
「え?」
「あなた、備品室に入っています。出たのは、その十分後です」
相手の顔が白くなる。
「……じゃ、じゃあ、誰かに預けたんです!」
(出た。預けた。便利な逃げ道)
私はすぐに、記録票の下に欄を追加した。
先に書いたほうが、言い逃れができなくなる。
「預けた相手、氏名。渡した時刻。場所」
「……えっと……」
「書いてください。今」
相手は呻きながら書いた。
書けば書くほど、嘘は細部で折れる。折れたら、次の穴が見える。
◇◇◇
次の穴は「誰が読んだか」だ。
台詞が揃うのは、偶然じゃない。
誰かが読ませた。誰かが配った。
なら、読んだ痕跡があるはず。
私は文書管理の窓口へ向かった。
クラウディアとミレイユ、そして殿下も一緒。殿下がいると廊下が妙に静かになる。歩きづらい。胃が縮む。黙って。
窓口の担当者は、最初、渋い顔をした。
「閲覧記録は、個人情報に関わりますので……」
殿下が短く言う。
「照会する」
担当者が反射で背筋を伸ばす。
権威って便利。便利って怖い。
私は用紙を差し出した。
【閲覧記録照会票】
対象資料:司会台本(版不明含む)/式次第原本/式次第差し替え版
期間:本日を含む直近数日
目的:不正配布経路の確認
「必要な範囲だけでいいです。誰が、どの資料を、いつ閲覧したか」
担当者は書面を受け取り、印を確認して頷いた。
「……承りました。確認して、抜粋をお渡しします」
窓口を離れた廊下で、私は小声で息を吐いた。
紙で吸って、紙で吐くみたいな日だ。
「殿下の書面、重いです」
殿下が横を見る。
「重い方が守れる」
「守るのは、紙ですか、殿下ですか」
自分で言ってから、心臓が一瞬止まった。
言葉って、口から出てから刺さる。胃が「やめて」って言ってる。黙って。
殿下は一拍置いて、短く言った。
「両方だ。私は……君の味方だ」
声は静か。なのに胸の奥がうるさい。
クラウディアが遠くで「今の会話、尊い!」と叫びそうな顔をした。
ミレイユが無言でクラウディアの口元を手で覆った。慣れてる。強い。
私は、目線を紙束に落とした。
「……ありがとうございます」
殿下は、それ以上言わなかった。
言わないのが、逆に効く。ずるい。
◇◇◇
午後。掲示板の前が、ざわついている。
【規律委員会・臨時会議】
議題:秩序回復のための措置について
……“措置”。
決める気だ。裏で結論を作って、表で既成事実にする気だ。
(来たね。台本は壇上じゃなくて、会議室で書かれる)
私はペンを握った。
握ると、胃が少し落ち着く。今は“たぶん”じゃない。落ち着け。
その場で、会議議題票を作った。
【会議議題票(提案)】
1.台本の出所確認(版数・作成者)
2.配布経路(受領・受け渡し・配布資料管理表)
3.閲覧記録(照会結果)
4.証拠の保管(提出・保管番号・立会い)
5.再発防止(版数運用・変更手続き)
クラウディアが目を丸くする。
「議題を、作り直した……」
「作り直す。これがないと、会議が“決める会議”になる」
殿下が短く言った。
「会議はその議題で行う」
掲示の紙が、少しだけ弱く見えた。
弱い紙なら、強い紙で上書きできる。
◇◇◇
規律委員会の会議室は、椅子が硬い。
硬い椅子は発言を強くする。強い発言は空気を作る。
空気ができると、流れができる。流れができると、結論が先に来る。
(だから先に、枠。手順。議題)
私は会議の中央に、会議議題票を置いた。
置いた瞬間、何人かの顔が嫌そうに歪む。
「……また紙か」
来た。紙嫌い。
紙が嫌いな人は、だいたい責任が嫌いだ。
「今日は処分を決めません。確認します」
私は静かに言った。
「ですが、式典を止めた件は——」
「確認なくして処分はない」
殿下が言うと、反論が一度飲み込まれる。
権威は便利。だからこそ、私は紙を置く。殿下の一言に頼りすぎないために。
私は順番通りに進めた。
「議題1。台本の出所。版数は?」
相手側の委員が、薄い紙をひらりと出した。
「これが証拠だ。ここに——」
“見せただけ”。
出た。証拠を固定しないやり方。
私は、机に新しい用紙を置いた。
【証拠保管票】
・提出者:____
・証拠名:____
・保管番号:____
・立会い:____
・提出時刻:____
「提出してください。保管番号を付けます。見せただけは不可です」
委員が眉を吊り上げる。
「なぜだ!」
「後で差し替えできます。提出できない証拠は、証拠ではありません」
会議室がざわつく。
でもこれは怒りじゃない。戸惑いだ。戸惑いは、紙の味方。
委員は歯ぎしりして、紙を机に置いた。
私は保管番号を書き、立会い欄にミレイユの名前も入れた。ミレイユは無表情で頷いた。強い。
「議題2。配布経路」
私は配布資料管理表を提示した。
空白がある部分を指で示す。
「司会台本の配布が記録されていません。版数のない台本が混じっています。差し替え可能です」
「そんな細かい——」
「細かいほど嘘が入りません」
言い切ると、胃が少しだけ黙る。助かる。
「議題3。閲覧記録」
ちょうどその時、会議室の扉がノックされた。
文書管理の担当者が、封筒を持って入ってくる。
「閲覧記録の抜粋です。照会票に基づき、必要範囲のみ」
封筒が机に置かれた瞬間、空気が少し冷えた。
誰が読んだかは、言い訳の逃げ道を消す。
ミレイユが封筒を開き、一覧を滑らせるように見せた。
私は視線で追う。
……ある。
さっき「知らない」と言っていた人物の名前が、複数回。
しかも時間帯が、嫌なくらい綺麗だ。
私はその人物にだけ聞いた。余計な飾りはいらない。
「あなたが読んだ版は、何番ですか」
「……え?」
「版数。何番ですか」
答えられない。
版数のない資料に触れた。つまり、差し替え可能な資料に触れた。
その人物の目が逃げる。
逃げる目は、紙に弱い。
ミレイユが淡々と追撃した。
「閲覧記録は自動です。嘘は書けません」
会議室の空気が、じわじわ沈む。
沈む空気は勢いがない。勢いがないと、結論を押し付けにくい。
私は最後に、議題4へ進めた。
「では、指示経路です。口頭指示のままだと、責任の所在が曖昧になります。指示経路確認票に書いてください」
「……私は、命じられただけだ」
来た。“命じられただけ”。
責任を上に逃がす言葉。逃がすなら、逃げ先の名前が必要。
「命令者の氏名、役職、場所、時刻。ここに」
私は指示経路確認票を差し出した。
ペンが握られる。紙の上で震える。
数秒。
たった数秒が、長い。
そして、書かれた。
……会議室が凍った。
(やっぱり、上だ)
名前は、軽く口にしていい種類じゃない。
顧問。後援。繋がり。
学園の空気を作る側の名前。
誰かが小さく息を呑む。
その音が、やけに大きい。
殿下が立った。
声は低いのに、よく通る。
「その名は、私が預かる」
空気が動きかけた瞬間、殿下が続けた。
「確認は私が続ける。処分は決めない。まず事実だ」
私は胸の奥で一度だけ深呼吸した。
怖い。怖いけど、ここで引いたら負ける。
ここで消えたら、また台本が勝つ。
「私は、記録を残します。ここで曖昧にすると、次はもっと綺麗な台本が来ます」
自分の声が、意外と落ち着いていた。
落ち着いている時ほど、胃が静か。勝ってる時の胃は静か。助かる。
会議は結論を出せないまま終わった。
終わったというより、“正式な調査へ”に逃げた。
でもそれでいい。逃げた先に、紙を置けるから。
◇◇◇
夜の廊下は静かで、昼の空気が嘘みたいだ。
静かだと、やっと自分の鼓動が聞こえる。
私は紙束を抱えたまま、壁にもたれた。
「……疲れました」
口に出した瞬間、足の力が抜ける。
抜けると胃が「今だ」と鳴く。黙って。
殿下が温かい飲み物を差し出した。
香りだけで、少し救われる。
「飲め」
「……ありがとうございます」
一口飲んだ。
胃が黙った。勝利。
そこへクラウディアが駆けてくる。
「セシリア! 今日の会議、やばかった! あの名前、書かせたの!?」
「声が大きい」
「だって!」
ミレイユが後ろから来て、いつもの声で言う。
「本日の提出物、保管番号付与済みです。閲覧記録の写しも、封緘しました」
「好き。今の好きは仕事の好き」
「また言ってる」
「何回言ってもいい」
クラウディアが私の肩を揺すってくる。
「ねえ、次は何が来るの?」
私は紙束の一番上を見た。
指示経路確認票。閲覧記録。証拠保管票。
そして、最後に一通の封筒。
誰かが、いつの間にか置いていったものだ。
封蝋が綺麗すぎる。綺麗なものほど、怖い。
(次は、もっと綺麗な台本が来る)
殿下が私の手元を見て、短く言った。
「なら、先に枠を置け」
私は少しだけ笑いそうになって、こらえた。
「はい。手順を置きます」
封筒を開ける前に、私はペンを握った。
紙の入口を、先に塞ぐために。
綺麗な台本が来ても、拍手で決めない。
沈黙で負けない。
今日も、手続きで勝つ。




