第13話 噂の搬入(口は入口、紙は盾)
口って、入口なんだよね。
廊下を歩いているだけで、勝手に入ってくる。
視線。ひそひそ声。言葉の切れ端。
それが耳から入って、頭の中で勝手に舞台を組み立てる。
「……ねえ、聞いた?」
「うん。なんか、偽造……」
「殿下を操ってるって……」
私の胃が、きゅうっと鳴いた。
空腹じゃない。警報。
噂は証拠より早い。
噂は事実より軽い。
軽いから飛ぶ。飛ぶから増える。増えるから太る。
(はいはい。冤罪の入口、こっちね)
私は足を止めない。
止まった瞬間、視線が刺さる。
刺されたら顔が固まる。
固まったら雰囲気に飲まれる。飲まれたら、相手の思うつぼです。
だから、歩きながら考える。
入口が増えたなら、入口に戻す。
口が入口なら、口の前に紙を置く。
紙は盾。紙は枠。紙は、噂より重い。
噂を殴る道具は、噂じゃない。
事実だ。時刻だ。記録だ。
(よし。今日の私は、紙の女)
私は生徒会室へ向かった。
◇◇◇
生徒会室に入ると、空気が少しだけ落ち着く。
机がある。椅子がある。紙が積まれている。
こういう“整ったもの”は、胃に効く。
クラウディアが先に来ていて、扉が閉まるや否や頬をふくらませた。
「ねえ、セシリア。噂、ひどくない?」
「ひどいね」
私は即答した。
怒鳴らない。まず分類。まず手順。
「噂は放置すると太る」
「太るのズルくない? 食べてもないのに太るとか、最悪」
「最悪。でも仕組みは単純。味の濃い言葉ほど太る」
ミレイユが静かに席についた。
無言で、用紙の束を机に置く。
きれいに揃っていて、胃がちょっと元気になる。
「用意しました。聞き取り票。掲示物管理台帳。情報提供票」
「好き。ありがとう。……好きって言い方、今は仕事の好き」
クラウディアが眉をひそめる。
「今の、殿下の前で言うやつ?」
「言わない」
「言ったら死ぬやつ?」
「死なない。でも胃が死ぬ」
私は机の上に大きめの紙を広げた。
「今日、整えるものは四つ。事実掲示ボード、聞き取り票、噂の流れフロー図、掲示物管理台帳」
クラウディアが目を丸くする。
「噂の流れ……フロー図?」
「うん。噂は流れる。流れる場所で太る。太る場所を見つけたら、そこに枠を置く」
ミレイユが淡々と補足する。
「同じ言い回しが繰り返される地点が“増幅器”です」
「増幅器って言い方が怖い」
「怖いけど便利。噂は感情の機械だから」
クラウディアが腕を組んで唸った。
「じゃあ、噂はどうやって止めるの?」
「止めない」
「えっ」
「止めようとすると燃える。燃えたら派手。派手になると噂が勝つ。だから、噂を痩せさせる」
私は指を一本立てる。
「事実を短く貼る。根拠の“種類”だけ書く。言い訳は書かない。感情は書かない」
「……つよ」
「紙は強い。噂は軽い。軽い方は、風で飛ぶ」
私は立ち上がった。
「行こう。人が多いところに盾を置く」
◇◇◇
掲示スペースは、人の流れが止まらない。
通る人、立ち止まる人、覗く人。
噂はこういう場所で太る。
だから、こういう場所で痩せさせる。
私は板面の真ん中に白い紙を貼った。
見やすい字。短い文章。余白は多め。
【事実掲示】
【時刻】
【事実】
【根拠(種類)】
【次の更新予定】
クラウディアが小声で言う。
「なんか……役所みたい」
「役所は強い。噂より強い」
私は最初の掲示を書く。
【時刻】10:40
【事実】臨時の搬入経路変更は受理されていない
【根拠(種類)】変更申請票、立会い署名
【次の更新予定】12:00
人の足が止まる。
ざわざわが、少しだけ“確認”に寄る。
続けて貼る。
【時刻】10:45
【事実】匿名の情報は、根拠確認が取れるまで“未確認”として扱う
【根拠(種類)】情報提供票、受領台帳
【次の更新予定】12:00
クラウディアが顔をしかめた。
「噂がここに貼られたら嫌じゃない?」
「貼らない。噂は貼ると育つ。貼るのは事実だけ。噂は“未確認”って枠に入れる」
ミレイユが頷く。
「枠があると、人は安心します」
そう。
安心が増えると、噂は痩せる。
噂は不安が好きだから。
私がペンを置いた、そのときだった。
「あれ、これ……誰が貼ったの?」
疑う声。疑いは自然。
大事なのは、疑いの向き。
「貼った人は掲示物管理台帳に記録します」
私は横の机に台帳を置いた。
見える位置。隠さない。
隠すと噂が勝つ。
「貼付時刻。貼付者。立会い者。剥がされた場合も、発見時刻を記録します」
クラウディアが目を瞬かせた。
「剥がす人も書くの?」
「分かれば書く。分からなくても“いつ剥がれたか”が分かるだけで十分」
ミレイユが淡々と台帳に線を引いた。
「台帳が消えたら、それも記録します」
「……怖」
「怖いけど、効く」
私の胃も、静かに頷いた。
◇◇◇
昼前。
妨害は、分かりやすい形で来た。
「セシリア!」
クラウディアが駆け寄ってきて掲示を指差す。
「剥がされてる!」
角がめくれている。
さらに、下の紙が一枚なくなっていた。
私は息を吐いた。
怒りじゃない。確認の呼吸。
「いつ気づいた?」
「今! さっき通ったときはあった!」
「じゃあ、この十数分が範囲」
私は台帳を開いて淡々と書く。
【剥離発見】11:18
【発見者】クラウディア
【対象】事実掲示(2枚目)
【立会い】ミレイユ
ミレイユが頷く。
「剥がす行為は、焦りのサインです」
クラウディアが小声で言った。
「噂側、事実の紙が嫌なんだ」
「嫌ってことは、効いてる」
私は新しい紙を出して、同じ内容を貼り直す。
そして一行、太い字で足した。
【注意】掲示物の無断剥離は記録し、確認します
人のざわざわが、少しだけ冷える。
冷えると人は考える。
考えると噂は痩せる。
……と思ったところで、次が来た。
◇◇◇
中庭。
人だかり。
中心に、泣いている生徒がいた。
「ひっ……ぐす……こわかった……」
泣き声は強い。
言葉がなくても空気を作る。
断罪の雰囲気が立ち上がりかける。
(来た。泣けば詳細が消えるやつ)
私は一歩前に出た。
声は柔らかく。枠は固く。
「大丈夫。まず座ろう。水、持ってくるね」
クラウディアがさっと動いて水を渡す。
ミレイユは立会いの位置につく。
この二人がいると、胃が助かる。ありがたい。
泣いている生徒が震える指で私を指した。
「……わたし、見たの……あの人が、紙を……」
周囲がざわつく。
「見た」は噂に骨を入れる言葉。
ここで雑に反論すると雰囲気に飲まれる。飲まれたら相手の思うつぼです。
だから私は頷いた。
「教えてくれてありがとう。確認するね」
聞き取り票を取り出す。
「これに沿って、ゆっくりでいい。思い出せる範囲で」
生徒が戸惑った顔をする。
泣いているのに戸惑う。
台本は泣かせるけど、質問には弱い。
「……こういうの、書くの?」
「うん。誰かを守るためにも、あなたを守るためにも」
私は項目を読み上げる。
「いつ。どこ。誰がいた。何を見た。触った? 聞いた? それは“見た”? それとも“思った”?」
生徒が涙を拭いながら言う。
「えっと……たぶん……」
「大丈夫。“たぶん”は推測として書くね。推測は悪くない。混ぜるのが良くない」
クラウディアが小声で感心する。
「やさしいのに、こわい」
「やさしいのは人に。怖いのは台本に」
聞き取りを進めるほど、曖昧さが増える。
場所が揺れる。時刻が揺れる。
“見た”は、いつの間にか“聞いた”へ、さらに“誰かが言ってた”へ変わっていく。
私は責めない。
ただ、分類する。
「今のは“聞いた”だね。誰から?」
「……友だち……」
「友だちは誰?」
「……えっと……」
視線が泳ぐ。
泳ぐ視線は、噂の匂い。良い匂いじゃない。
私はそっと結論を置いた。
「ありがとう。あなたは悪くない。今分かったのは、“見た”部分が少ないってこと。だから確認が必要」
周囲の空気が変わる。
「泣いてるから正しい」から「確認しよう」へ。
雰囲気が痩せる。台本が痩せる。胃が勝つ。
◇◇◇
生徒会室に戻ると、私はすぐ紙を広げた。
今度は噂の流れフロー図。
丸と矢印。短く、はっきり。
A:最初の一言
→ B:広がった場所(廊下)
→ C:言い換えが起きた場所(食堂)
→ D:結論が太った場所(中庭)
「噂は、場所で太る」
クラウディアが唇を尖らせた。
「食堂、最悪じゃん」
「食堂は悪くない。待ち時間が悪い。暇が噂を育てる」
ミレイユが淡々と言った。
「繰り返しが起きる地点が増幅器です。今日は中庭でした」
「増幅器って、やっぱり怖い」
「怖いけど便利。怖いものは見えると弱くなる」
そのとき、扉がノックされた。
「入るぞ」
レオニス殿下が入ってきた。
空気が一段固くなる。
でも今日は、その固さを盾にできる。
「噂が動いている」
殿下は短く言う。
私は頷く。
「口が入口になっています」
「なら、その入口に枠を置け」
「置きます。事実掲示ボードを運用します」
殿下の視線が机の上のフロー図と台帳と票をなぞる。
少しだけ、目が柔らかくなった気がした。
気のせいでもいい。今日はそれで胃が助かる。
「人前で、一つ言う」
殿下はそれだけ言って立ち上がった。
「……殿下、言葉が強いです」
「強くないと、雰囲気に押し切られる」
私は小さく息を吸った。
「……その言い方、覚えておきます」
殿下が一瞬だけ口元を緩めた。
胸が熱い。胃が叩く。今は仕事。今は手順。分かってる。
◇◇◇
掲示スペースには人が集まっていた。
噂は人を集める。
でも今日は、事実も人を集める。
殿下が掲示の前に立つ。
ざわめきが止まる。
止まると、言葉が入る。
「ここに記載された更新を基準とする」
殿下の声は、落ちる。
落ちた言葉は跳ねない。跳ねない言葉は噂に混ざりにくい。
「憶測で人を裁くな。確認のない話は未確認だ」
人の表情が変わる。
ざわざわの種類が変わる。
断罪のざわざわではなく、確認のざわざわになる。
私は小さく肩の力を抜いた。
殿下が“私のやり方”を公式にした。
公式になると噂は痩せる。
痩せた噂は、声が細くなる。
殿下が私にだけ聞こえる声で言った。
「続けろ」
私は頷いた。
顔は崩さない。崩したら胃が暴れる。今日は暴れないでほしい。
◇◇◇
夕方。図書室前。
今度は匿名が来た。
投書箱の前に人が集まり、紙が回っている。
内容が妙に整っている。読み上げたくなる文章。
つまり、台本の匂いがする。
「……告発ですって」
「こわ……」
「本当なの?」
私は近づき、紙を受け取った。
燃やさない。破らない。否定しない。
そこをやると雰囲気に飲まれる。飲まれたら相手の思うつぼです。
「投書は受領します」
私は淡々と言った。
「ただし、これは“情報提供票”として扱います。根拠が確認できるまで未確認です」
人が「え」と言う顔をする。
告発は劇的であってほしい。
でも劇的は台本のご飯。私は食べさせない。
クラウディアが小声で言う。
「匿名って最強カードじゃなかった?」
「最強は、時刻と根拠」
ミレイユが受領台帳を開いた。
「受領時刻。受領者。保管番号」
私は投書に番号を振った。
投書箱の中身は、外に出た瞬間から運用に縛られる。
匿名でも、手順には勝てない。
掲示ボードに新しく貼る。
【時刻】17:20
【事実】匿名の情報提供を受領
【根拠(種類)】受領台帳、保管番号
【次の更新予定】19:00(根拠確認の有無を掲示)
ざわざわが、少しだけ弱くなる。
弱くなるのは、安心が増えた証拠。
私は投書を胸に抱え、生徒会室へ戻った。
◇◇◇
夜。机の上に投書を置き、私は読み直した。
文章は整っている。
整いすぎている。
整いすぎている文章は、誰かが“整えた”文章だ。
(これ、書いたというより、配った感じ)
胃が小さく鳴く。うるさい。分かってる。
そして気づく。
言い回しの癖が、噂と似ている。
語尾の切り方。妙に丁寧な断定。
同じ匂いが混じっている。
クラウディアが覗き込んだ。
「何それ、同じ人?」
「断定しない。同じ人じゃなくても、同じ台本を読めば似る」
ミレイユが淡々と言った。
「台本が配られている可能性」
「うん。入口がある」
私はフロー図のAに、新しい丸を足した。
“台本配布役”
→ “噂の入口”
→ “増幅器(場所)”
「次は、配布の入口を潰す」
クラウディアが不安そうに言う。
「どうやって?」
「入口として扱う。つまり」
私は紙を一枚取り出し、書いた。
【案内・配布動線 確認票】
・どこで
・誰が
・何を
・何枚
・いつ
「配るなら、配った記録を残す。口に入る前に、紙に落とす」
ミレイユが頷く。
「入口に戻ります」
そのとき、扉がノックされた。
「届け物です」
職員が差し出したのは、派手な紙。
招待状。式次第。告知文。
“公開の場”の匂い。
私は受け取って、紙の角を揃えた。
揃えると心が揃う。胃も少し静かになる。
窓際に立っていた殿下が、私にだけ聞こえる声で言った。
「次は、公開の場で試される」
私は頷く。
「公開ほど手順です」
入口は増やさない。
増えた入口は、入口に戻す。
口が入口なら、口の前に紙を置く。
雰囲気より先に、手順を置く。
私は招待状を台帳に挟んだ。
新しい入口の、最初の記録として。




