第12話 搬入経路変更(入口が増えると、台本も増える)
紙は、たまに刺してくる。
資料室の机に広げた進行台本の端が、昨日よりきれいに揃っている。揃っているのに、胸が落ち着かない。
落ち着かない理由は、字だ。字が違う。筆圧が違う。癖が違う。
「……搬入経路、変更?」
声に出した瞬間、胃が鳴いた。
空腹じゃない。警報だ。危険の鳴き声だ。
搬入経路が変わる。つまり入口が増える。
入口が増えると手順が薄まる。
手順が薄まると雰囲気が勝つ。
雰囲気が勝つと台本が笑う。
台本が笑うと、私はだいたい冤罪にされる。
「うん、無理。入口増やさない」
私は台本を閉じて、すぐに紙を出した。
紙に対しては紙で対抗する。これが私の健康法。胃の健康法。
まず作るのは、搬入経路フロー図。最新版。
線は少なく。矢印は太く。例外は小さく。
そして、例外の横に大きく書く。
【変更申請票がない限り、変更は存在しません】
強い。いい。胃が深呼吸できる。
◇◇◇
生徒会室に人を集めると、空気が少しだけ軽くなる。
軽い空気は仕事を回すのにちょうどいい。重い空気は台本の餌だ。
「おはようございます。今日の敵は、搬入経路変更です」
クラウディアが真顔で手を挙げた。
「敵って言うと怖い」
「怖いから敵です。怖いものは見ないと勝てません」
ミレイユは無言で記録用紙の束を机に並べた。並べ方がきれい。胃がうれしい。
同席の職員が、少し困った顔で言った。
「搬入経路は、現場判断で変えることもあるんですよ。混雑とか」
「だから紙です」
私は一文で固定する。固定すると、空気が流れにくくなる。
「変更は、変更申請票がない限り、存在しません」
職員が瞬きをした。
クラウディアが小さく頷く。ミレイユはすでに、変更申請票の欄に線を引いている。
「役割を振ります」
私は机の上に三枚の紙を置いた。
「クラウディア。変更申請票の受付。票がなければ止める。言いにくい相手でも止める」
「うっ」
「うっ、じゃなくて止める」
「……止める」
次。
「ミレイユ。記録照合。入室記録、閲覧記録、配布番号。数字がずれてたら止める」
ミレイユが淡々と頷いた。
「止めます」
最後。
「私。最終判断。止めた後の説明を引き受ける。嫌われ役も引き受ける」
クラウディアが顔をしかめた。
「それ、一番損じゃない?」
「損だけど必要です。胃のために」
職員が苦笑して、少しだけ空気が柔らかくなった。
柔らかくなるのは良い。台本が入りにくくなる。
「あと」
私はフロー図を掲げた。
「裏側の搬入口も、今日から“入口”として扱います。裏口担当を新設」
職員が目を丸くする。
「裏口担当?」
「入口として扱わないから穴になります。穴は台本の家です」
家なら潰す。入口に戻す。胃が勝つ。
◇◇◇
入口付近に移動すると、空気が一段固くなる。
その固さの中心に、レオニス殿下がいた。
「状況は?」
短い。無駄がない。
私は簡潔に、でも肝だけは濃く答える。
「進行台本に搬入経路変更の書き込みがありました。票なしで動線を変えて、受付を回避する狙いです」
殿下の眉がわずかに動いた。
「私の名が出るか」
「出ます。だから先に言っておきます。殿下の名で通すのが一番危険です」
周囲が静かになる。言い過ぎたかと思った。
でも殿下は怒らなかった。
「同意だ」
その言葉だけで、胃が少し楽になる。
殿下が続けた。
「なら、例外を作るのではなく、止める権限を渡す」
「……止める権限?」
殿下は紙を一枚、机に置いた。
すでに職員が用意していたらしい。殿下の手際は腹立つほど良い。胃は複雑。
【停止権限委任票】
手順不備がある場合、セシリアは受付・搬入・展示を一時停止できる。
異議は記録の上で扱う。口頭での例外は認めない。
胸が熱くなる。胃が叩く。今は仕事。今は手順。分かってる。
「……書面だと、強いですね」
「君は紙を信じる」
「紙は裏切りません。人は裏切ります。台本はもっと裏切ります」
殿下が小さく息を吐いた。
「なら紙にする。私の名は、突破ではなく停止に使え」
私は委任票に署名した。
殿下も署名した。
職員が立会い署名を入れた。
これで、止めることが“正義”になる。
止めないといけないときに、止められる。
胃が拍手した。今度は気のせいじゃない。たぶん。
◇◇◇
次は紙の管理だ。
台本は紙の顔をしている。だから紙は、味方にも敵にもなる。
私は資料室に戻り、進行台本と配布物を全部“追える形”に変えた。
「配布番号を振ります」
用紙の右上に小さく番号を入れる。A-01、A-02。
控えを作る。原本は封印して保管。
閲覧は必ず閲覧記録。立会い付き。
やりすぎ? いいえ。台本がやりすぎだから、こっちもやりすぎでちょうどいい。
そして、私は“釣り”を仕込んだ。
搬入経路フロー図を三種類作る。
線は同じ。でも細部だけ違う。
・版①:裏側動線の矢印の角度が少し違う
・版②:倉庫前のチェックポイントの順番が入れ替わっている
・版③:控室前の停止ポイントの文言が違う
分かる人には分かる。分からない人には分からない。
つまり、書き換えが起きたときに、どの版が触られたかで“近い人”が分かる。
進行担当には版①。
副会長には版②。
印刷担当には版③。
(次に台本に現れる版が、触った手の近く)
胃がうなずく。
うん、陰湿。でも合理的。胃は合理性が大好物。胃、性格悪い。
◇◇◇
午前。裏側の搬入口。
最初の突破は、口約束だった。
「今日だけ搬入口、こっちに変わりました。急ぎなんで」
係の生徒が、当然の顔で言う。
当然の顔ほど危ない。台本は当然の顔が得意だ。
クラウディアが一歩前に出た。
喉が動く。肩が上がる。
でも、止まらない。
「変更申請票はありますか?」
係の生徒がきょとんとした。
「え、今から運ぶんですけど」
「変更申請票がない変更は、変更じゃありません」
クラウディアが言えた。
言えた瞬間、胃がちょっと泣いた。感動で。たぶん。
「上の指示で……」
クラウディアは、少しだけ息を吸ってから言い切った。
「変更申請票がないなら、それは“正式な指示”じゃないです。口だけの指示は、あとで誰も責任を取りません」
係の生徒の視線が泳ぐ。
泳ぐ視線は台本の匂い。良い匂いじゃない。
私はにこやかに、枠に戻す。
「変更申請票を出してください。理由と責任者名と承認者。立会い署名も。出せないなら、ここで止まります」
「時間が……」
「急ぎほど手順です」
背後から殿下の声が落ちた。
「手順に従え」
それだけで、係の生徒は黙った。
黙ると穴が広がらない。よし。
荷物は元の動線に戻された。
入口を増やさない。入口に戻す。
胃が勝つ。
◇◇◇
第二の突破は、荷物そのものが“流れ”に紛れた。
人が動く。台車が動く。声が飛ぶ。
こういうとき手順は薄まる。薄まったところに、小箱が滑り込む。
「それ、どこ行き?」
ミレイユの声は小さいのに、止まる。
彼女の“止め”は音じゃない。視線と間だ。胃が尊敬している。
台車を押していた生徒が言い淀む。
「臨時展示の……」
ミレイユが淡々と手を出す。
「番号がありません」
箱の角には何も貼られていない。
ラベルなし。番号なし。つまり入口を通っていない。
私は即断した。
「隔離保管します。封印写真、重量、立会い署名」
「え、でも、すぐ必要で……」
「臨時展示ほど受付です」
私は笑顔を崩さない。
私が折れた瞬間、場の流れに飲まれる。飲まれたら、相手の思うつぼです。
殿下がこちらを見る。
私は停止権限委任票を軽く示した。
殿下が頷く。職員が立会いに入る。
小箱は隔離された。
台本は舞台に上がれない。
◇◇◇
昼。人の少ない廊下。
殿下が、少しだけぼそっと言った。
「君の言い方の方が刺さる」
「刺さるのは嫌です。痛い」
「必要な痛みだ」
殿下は歩きながら眉を寄せた。
「私はいつも『手順に従え』で止まるが、止まらない相手もいる」
「……止まらない相手?」
「台本を握っている相手だ」
胃が鳴いた。うるさいけど正しい。
「だから、君の横で学ぶ」
私は顔を見ないようにして言った。
「学習は閲覧記録に残りませんけど?」
「残したいか?」
「残したら後で恥ずかしいので残さないでください」
殿下が小さく笑った。
笑いが胸の奥に温かい。胃が叩く。今は仕事。今は手順。分かってる。
◇◇◇
午後。展示スペースに人が集まる。
盛り上がりの前に、私は紙を貼る。紙は雰囲気より先に置く。これがコツ。
【搬入はこの線】
【例外は変更申請票がある場合のみ】
【不備があれば停止し、記録確認】
人が「なるほど」という顔になる。
盛り上がりが少し落ちる。落ちた盛り上がりは台本を痩せさせる。いい。
進行担当が焦った声で言った。
「搬入経路が変わったので、こちらへ……」
「変わってません」
私は即答した。
即答すると雰囲気が止まる。止まった雰囲気は手順に戻る。
「変更申請票がないので、変わってません」
進行担当の口が一瞬止まる。
その止まり方は、“知らない”ではなく“言いたくない”。
胃が小さく拍手。陰湿でごめん。
その直後、声が上がった。
「あれ? この箱、さっき裏から……」
来た。
“偶然の発見”の舞台。台本が一番おいしいところ。
ざわざわ。視線が集まり、断罪の雰囲気が立ち上がりかける。
立ち上がったら負ける。
私は一歩前へ。
「展示を停止します」
大きな声じゃない。淡々と。淡々は強い。胃が信じている。
「触らないでください。動かさないでください。記録を確認します」
「でも、皆見てるし……」
「見てるから止めます。ここで断罪が始まると、相手の思うつぼです」
私は机に三点セットを置いた。
持ち込み受付票。
入室記録。
閲覧記録。
「この箱、受付番号は?」
クラウディアが番号欄を追い、首を振る。
「ありません」
ざわつきが変わる。
「すごい」じゃない。「おかしい」だ。
「番号がないものは展示できません。以上です」
単純なルールは折れにくい。
雰囲気は折れる。台本も折れる。胃が勝つ。
殿下が一言で場を締めた。
「記録に従え。展示は中止だ」
空気が冷える。良い冷え方。
冷えると人は考える。考えると台本は薄くなる。
◇◇◇
夕方。
私は資料室で、進行台本を確認した。
そして見つけた。
搬入経路の書き換えが、どの版の癖で書かれているか。
「……版②」
倉庫前のチェックポイントの順番が、版②と同じだ。
版②を渡したのは、副会長。
配布番号も一致する。
ミレイユが淡々と控えの台帳を差し出した。
「配布番号、A-17。閲覧記録もあります」
「……よし」
ここで断罪はしない。
断罪は台本の得意技。私はやらない。
私は枠に入れて、事実で追う。
そのときだった。
控室の方から慌てた足音。クラウディアが紙を抱えて飛び込んできた。
「セシリア! これ……変更申請票が、出てきた!」
紙の上には、私の名前。私の署名。
……っぽいもの。
胃が全力で叩いた。
うるさい。分かってる。これが冤罪の王道。
「落ち着いて」
私は紙を受け取った。
署名を見た瞬間、心が静かになった。
真似ている。真似すぎている。だから違う。
「署名は真似できます。でも癖は真似しきれません」
私は指で文字の“ずれ”を示した。
「私の癖は、ここが少し下に落ちる。ここは落ちない。筆圧の抜け方も違う」
ミレイユが淡々と追撃する。
「作成時刻が矛盾しています」
「え?」
「閲覧記録の控えに、同じ用紙番号の記入があります。こちらは二十分後に閲覧されています。つまり、この票は“その時点で存在していない”」
クラウディアが息を呑んだ。
「……紙が、嘘をついた」
「紙じゃない。紙の顔をした台本が嘘をついた」
控室の外がざわつき始める。
誰かが「セシリアの署名がある」と言い、空気が断罪に寄りかける。
寄ったら押し切られる。
殿下が扉の前に立ち、紙を一枚掲げた。
停止権限委任票。
「この票により、彼女の停止命令は正当だ。騒ぐな」
空気が止まる。
止まった空気は、手順に戻る。
私は続けた。
「今は犯人探しではありません。事実確認です。記録を出します。入室記録、閲覧記録、配布番号。矛盾がある紙は、紙として失格です」
強い言い方だ。
でも今日は強くていい。台本が強いから。
ざわつきが、確認のざわつきに変わっていく。
断罪の空気が、痩せていく。
よし。胃が勝つ。
◇◇◇
夜。生徒会室。
机の上には、今日整えた紙が積まれている。紙の山。紙の城。胃の要塞。
クラウディアが小さく言った。
「……誰かが、わざと噂を流してる気がする」
その言葉で、私は気づいた。
入口は紙や扉だけじゃない。
人の口も、入口だ。
噂は入口から入って、頭の中で勝手に舞台を作る。
舞台ができると断罪が始まる。台本はその舞台が好き。
「噂は、紙で痩せさせます」
私は当日運用ボード用の紙を一枚出した。
胃が静かに頷く。うるさくない。珍しい。
「事実を貼る。時刻と記録だけ貼る。感情は貼らない」
ミレイユが淡々と付け足した。
「貼る前に控えを作ります」
「それは貼らなくていい」
クラウディアが笑った。小さく。
その笑いで、部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。
柔らかい空気は、眠れる空気だ。今日は眠りたい。胃が言っている。珍しく一致。
殿下が窓際で言った。
「君が止めるなら、私は支える」
私は頷いた。
頷きながら、胸がまた少しだけ熱くなる。
胃が叩く。今は手順。今は手順。分かってる。
「入口は増やしません」
増えた入口は、入口に戻す。
台本が人の口から入ってくるなら、そこにも入口を置く。
紙で。記録で。事実で。
私は紙の角を揃えた。
揃うと心が揃う。胃も静かになる。
「……よし」
次の入口は、人。
だから次は、人の動きを“入口”として扱う。
台本より先に、手順を置く。




