第11話 式典当日(臨時展示の“偶然”を、記録で潰す)
入口は最強。
今日は、その最強が「本気」を出す日だ。
朝の空気は澄んでいる。澄んでいるのに、会場の周りだけ妙にざわついている。
人が集まる場所には雰囲気が湧く。雰囲気が湧く場所には台本が泳ぐ。
そして台本は、泳ぎながらこちらの足を引っ張る。
「……よし」
私は準備室前の壁に、掲示用の大きな紙を貼った。
【当日運用ボード】
・当日運用手順書(1枚版)
・役割割当(担当者名)
・連絡先(職員/生徒会)
・例外処理は書式必須(発行者名と理由)
紙は偉い。
紙は雰囲気に負けない。
胃は紙が好き。胃は紙を見ると落ち着く。胃、単純。
「これが今日の盾です」
クラウディアが紙を見上げて深呼吸した。
「盾って言い方がもう怖い」
「怖い日は盾が必要。今日は怖い」
ミレイユは無言で受付用の机を拭き、用紙を整え、筆記具の位置をそろえた。
彼女の“そろえる”は、私の胃の呼吸を整えてくれる。ありがたい。
そのとき、足音が近づいてきた。規則正しい足音。空気が締まる足音。
「おはよう」
レオニス殿下。
朝の光が殿下の肩に当たって眩しい。眩しさは強い。強いものは雰囲気を引っ張る。
今日は、その強さを“通行証”にしない。仕組みのために使う。
私は紙のカードを一枚差し出した。
「殿下、本日の役割です」
殿下が受け取って目を落とす。
【止め役】
一瞬だけ、殿下の眉が動いた。笑うのを堪えた顔。たぶん。
「……目立つな」
「目立ちます。だから効きます」
クラウディアが目を丸くする。
「殿下、本当に入口に立つんですか?」
「立つ」
短い返事。短いほど強い。胃が背筋を伸ばす。胃、働き者。
「では、入口運用を開始します」
私は手順書を机の中央に置いた。
紙があるだけで、言えることが増える。
「今日は“ちょっと待ってください”が正義の日です」
クラウディアが苦笑いする。
「……言いにくい日だよ」
「だから言う日です。言わないと、相手の思うつぼです」
胃が「それそれ」と鳴いた気がした。気がしただけ。たぶん。
◇◇◇
第一波は、来賓の一行だった。
遠くからでも分かる。歩き方が“慣れている”。周囲の職員や生徒が、自然と道を作る。
周囲の空気が「例外で通す方向」に流れる。
流れた時点で、入口の手順は崩れる。
クラウディアが一瞬、固まった。
喉が動く。肩が上がる。胃に悪い顔。
私は何も言わない。
ここは彼女の役割だ。役割は、本人が立つと強くなる。
クラウディアが息を吸った。
「来賓相手に『ちょっと待ってください』って言える? 言いにくくない?」
……自分で自分に言い聞かせる形。いい。
そして、そのまま一歩前に出た。
「恐れ入ります。受付をお願いします。持ち込み物がある場合は、番号を発行します」
来賓側の随員が少し驚いた顔をした。
「我々は……」
言いかけたところで、殿下が一歩前に出た。
「手順に従え」
それだけ。
それだけで空気が変わる。
さっきまでの「通して」が、「従うしかない」に落ちる。落ちた空気は安定する。胃が勝つ。
来賓の年配の方が、むしろ感心したように頷いた。
「結構。こういう場は、手順がしっかりしている方が安心だ」
堅い。
褒め言葉。台本に対しては。
クラウディアが、すぐに持ち込み受付票を差し出す。
「こちらへお願いします。差出人、品名、受領者、立会い署名をいただきます」
随員が「花束だけだ」と言いかけたが、クラウディアは崩れない。
「花束でも受付します。番号がないと、後で混ざります」
混ざると偶然が起きる。偶然は台本が作る。
つまり、相手の思うつぼです。
来賓側は案外あっさり従ってくれた。
雰囲気は、強い人が正しい方向に押すと素直になる。
殿下の正しさが、今日は“私たちの正しさ”になっている。
胸が少しだけ熱くなった。
胃が叩いた。今は仕事。今は手順。分かってる。
◇◇◇
午前の中盤。
台本の好きなカードが、早速飛んできた。
封のある箱。抱えているのは使者風の生徒。顔が焦っている。焦りは雰囲気を作る。
雰囲気は「急げ」を連れてくる。
「急ぎです。臨時展示の追加物で……殿下の指示です」
出た。
“急ぎ”と“殿下”の二段重ね。
台本は盛り付けが上手い。胃が嫌な音を鳴らす。うるさい、でも正しい。
私は笑顔で机を指した。
「急ぎほど受付です。持ち込み受付票をお願いします」
「時間がないんです。すぐ展示に……」
「展示ほど受付です」
私は声の温度を落とさず、言葉だけを固くする。
「番号、重量、封印状態、立会い署名。これがないと展示できません」
使者が歯噛みしたように言う。
「殿下の指示なんですよ!」
殿下が入口の位置から淡々と言った。
「私の名で例外を作るな。手順に従え」
空気がまた固まる。良い固まり方。胃が勝つ。
私は例外処理の用紙を取り出して差し出した。
「どうしても例外なら、こちらに“発行者名と理由”を書いてください。署名も」
「……」
使者の手が止まる。
理由が書けない。根拠が出せない。
つまり、その箱は“正しい顔”をしているだけ。
私は頷いた。
「では隔離保管にします。立会い二名。封は保存。写真記録」
「隔離……?」
「展示物の顔をした“何か”が混ざるのが一番危険です。だから丁寧に扱います」
クラウディアがすぐに隔離保管ラベルを貼り、ミレイユが番号を振った。
職員が立会い署名を入れる。私も署名を入れる。殿下も必要な欄だけに署名を入れた。
箱は舞台に上がらない。入口で止まった。
胃が小さく拍手した。たぶん。
◇◇◇
次は“見るだけ”の攻めだ。
見るだけ。触らない。置かない。取らない。
だから記録は要らない。そういう顔をする。
貴賓室前。保管庫の周辺は忙しい。忙しいと、人は手順を飛ばしたくなる。
飛ばしたい気持ちは、台本のエサだ。
「中身だけ確認したい」
進行担当の職員が言った。悪い人ではない。むしろ真面目。
真面目な人ほど、急ぐと飛ぶ。
私は断らず、枠に入れた。
「できます。閲覧記録に書いてください。立会いもつけます」
「閲覧記録……」
「入室記録だけだと、“誰が何を見たか”が消えます。消えたところに台本が入ります」
職員は渋い顔をしたが、殿下が遠くから一言だけ投げた。
「手順に従え」
渋さが消える。
雰囲気は、こういうときに役に立つ。正しい方向に押す雰囲気なら。
ミレイユが閲覧記録の用紙を差し出す。
「閲覧者名、対象、開始時刻、終了時刻。立会い署名」
職員が書き始めた。
その手元を、私は見ていた。見ることも仕事。胃が警戒を続ける。うるさい。
書かれた名前。
名簿の表記と、わずかに違う。
字体は似ている。似ているけれど、筆圧が途中で揺れる。
ミレイユが淡々と耳打ちした。
「癖が違います」
「……うん」
当たり。
台本側の手が現場にいる。
私は顔色を変えずに言った。
「開始時刻、書いてください。終了時刻も必ず」
相手の手がほんの少し止まった。
止まるのは焦り。焦りは歪み。歪みは穴。
「立会いの署名も」
立会いの職員が署名する。
その署名は、いつもの癖。癖は正しい。正しい癖は守る。
閲覧は最小限で終わった。
終わった時に、終了時刻が慌てて書かれた。数字が汚い。
数字が汚いとき、人は焦っている。焦りは台本の香りだ。
(見つけた。まだ掴んでないけど、見つけた)
胃が「いいね」と鳴いた気がした。気がしただけ。たぶん。
◇◇◇
昼。
入口はずっと忙しい。忙しさは体力を削る。体力が削れると判断が飛ぶ。
判断が飛ぶと台本が勝つ。
人の少ない廊下で、殿下が壁に背を預けた。ほんの数秒の“疲れ”。
殿下も人だ。そういう当たり前が、今日だけは眩しい。
私は水の入った瓶を差し出した。
「殿下、倒れると手順が減ります。困ります」
殿下が受け取り、少しだけ口角を上げた。
「……君は、私を“人”より“役割”で見ているな」
「役割が崩れると雰囲気が勝つので」
「雰囲気を敵に回しているな」
「敵じゃないです。扱いが難しいだけです。強い犬みたいな」
殿下が小さく笑った。
笑うと空気が柔らかくなる。柔らかい空気は、良い。今日は。
殿下は水を一口飲んで言った。
「なら、私も手順の一部になる。君の横で」
胸が熱い。
胃が叩く。今は手順。今は手順。分かってる。
私は顔を動かさないようにして言った。
「……手順に、殿下は強すぎます」
「強い方がいいだろう」
「強いのは、使い方を間違えると台本が喜びます」
「だから、君に任せる」
短い。短いのに妙に重い。
私は逃げ道を作るみたいに軽口を混ぜた。
「任されたなら、入口で回収します。殿下も、焦りも、雰囲気も」
「回収が好きだな」
「好きじゃないです。必要だからやってます。胃が」
殿下はまた少しだけ笑った。
私は見なかったことにした。見たら手順が乱れる。胃が怒る。
◇◇◇
午後。
いよいよ“舞台”が作られ始めた。
「このあと、臨時展示を行います!」
進行担当の声が会場に響く。
人が集まる。視線が集まる。
雰囲気が濃くなる。濃くなると押し切られやすい。
つまり、相手の思うつぼです。
私は先に見せる。盛り上がりより先に、運用を見せる。
臨時展示スペースに紙を貼った。
【臨時展示 運用】
・展示物は受付番号があるもののみ
・開封は立会い三名(職員/生徒会/殿下)
・封印状態は写真記録
・異常があれば即停止し、記録確認
紙が貼られた瞬間、空気の温度が少し下がった。
盛り上がりは落ちる。けれど安心が上がる。私は安心が好き。胃も好き。
クラウディアが小声で言う。
「……面倒って言われない?」
「言われます。だから最初に言います。“面倒は安心の代金”って」
「そんな言い方、絶対嫌われる」
「嫌われても手順は残る。手順が残れば勝てる」
ミレイユが淡々と補足した。
「嫌われた記録も残ります」
「残さなくていいよ!」
思わず突っ込むと、クラウディアが笑って、緊張が少しだけ解けた。
笑いは胃にいい。今日は大事。
◇◇◇
そして、罠が発火した。
「あれ? これ……封が違うんじゃない?」
誰かの声。
声が上がると視線が集まる。視線が集まると断罪の雰囲気が生まれかける。
台本は、その瞬間を待っている。
ざわ。ざわざわ。
空気が「見つけた」に寄る。寄ったら危険。寄ったら押し切られる。
私は一歩前に出た。
胸は熱い。胃はうるさい。
でも足は止まらない。止まったら相手の思うつぼです。
「展示を停止します」
声は大きくしない。淡々と。淡々は強い。ミレイユが教えてくれた強さ。
「記録を確認します。触らないでください。動かさないでください」
「え、でも……」
「盛り上げたい気持ちは分かります。でも盛り上がりは、台本の好物です」
私は机の上に三枚の用紙を置いた。
見せる。記録は、隠すより見せた方が強いときがある。
ひとつ。持ち込み受付票。
ふたつ。入室記録。
みっつ。閲覧記録。
「この箱、受付番号は?」
クラウディアが番号欄を追う。
ミレイユが淡々と首を振る。
「ありません」
ざわつきが一瞬で変質した。
「すごい」じゃない。「おかしい」だ。
「番号がないものは展示できません。以上です」
単純に言い切る。
単純なルールは折れにくい。雰囲気は折れる。台本は折れる。胃が勝つ。
誰かが言った。
「でも、ここにあったんだぞ? 誰かが……」
来た。
“ここにあった”=“誰かが置いた”=“誰かが悪い”。
断罪の雰囲気へ、一直線。
私は断罪しない。断罪は台本の得意技。私はやらない。
私は枠に戻す。
「だから、記録です」
私は入室記録を指で叩いた。
「この時間にこの場所へ入った人。立会い。使用鍵。全部残っています」
続けて、閲覧記録。
「見た人も残ります。見るだけでも残ります」
最後に、持ち込み受付票。
「持ち込んだ人は、番号で追えます。番号がないなら、持ち込まれていません」
殿下が前に出た。一言だけ。
「記録に従え。展示は中止だ」
空気が、しゅっと冷える。冷えた空気は正しい。少なくとも今は。
ざわつきは残った。
でも断罪のざわつきではない。確認のざわつきになった。
確認は時間がかかる。時間がかかると盛り上がりは落ちる。
盛り上がりが落ちると台本は弱る。胃が勝つ。
私は箱を隔離保管用の台に移した。
「動かします。立会い三名。写真記録。封は保存」
紙で縛る。人で縛る。時刻で縛る。
縛るのは守るため。
守り方が正しいとき、人は案外納得する。
◇◇◇
夕方。
台本は最後に悪あがきをする。悪あがきは記録を狙う。
記録がなければ、雰囲気が勝てるから。
控室で、ミレイユが淡々と私の袖を引いた。
「用紙が一枚、なくなりかけました」
「……どれ」
「閲覧記録です」
心臓が一瞬だけ跳ねた。
胃が「だから二重化」と叩く。うるさい、分かってる。
私は机の引き出しから控えの束を出した。
原本は保管庫。現場は控え。
紙は増える。手順も増える。増えた手順は味方だ。
「控え、あります」
私がそう言うと、ミレイユは淡々と頷いた。
「破棄は成立しません」
クラウディアが息を吐いた。
「……こわ」
「こわいよ。だから紙を増やす」
「紙が増えると胃も増える?」
「胃は増えない。仕事が増える」
「それが一番いや」
笑いそうになった。
笑いはいい。今日は大事。
でも笑いすぎると、手順が乱れる。胃が怒る。ほどほど。
◇◇◇
最後に、私は“癖”を見に行った。
入室記録の署名欄。
昼の短時間入室。閲覧記録の筆圧。
それらの癖と、余計な入室許可票の癖。
同じだ。
ほんの少し下にずれる。
筆圧が途中で揺れる。
急いでいるのに、字だけは整えようとしている。
「近い」
私は小さく呟いた。
誰が、とは言わない。言った瞬間に台本になる。
今は確保。確認。立会い。事実だけで追う。
殿下が隣で頷いた。
「事実だけでいい」
「はい。事実が一番強いです。雰囲気より強い」
殿下が短く息を吐いた。疲れが混ざっている。
その疲れが、今日一日“入口”を守っていた証拠だと思って、胸がまた熱くなる。
胃が叩いた。今は仕事。今は手順。分かってる。
◇◇◇
夜。
会場の片付けが進む中で、私は資料室に戻った。
進行台本。舞台の台本。
台本は紙の顔をしているから油断すると負ける。紙は味方だけど、紙は敵にもなる。
紙は中立。中立は怖い。
私はページをめくって、指が止まった。
「……書き換えられてる」
臨時展示の欄。
展示場所が変わっている。
搬入経路が変わっている。
しかも字が違う。筆圧が違う。癖が違う。
つまり、台本が次のページをめくった。
私は深呼吸した。胸じゃない。胃に向けて。
「台本が、まだ諦めてない」
殿下が後ろから静かに言った。
「なら、先に入口を作り直そう」
入口。最強。私の味方。胃の味方。
私は進行台本の端をそろえた。
紙の角が揃うと心が揃う。胃も静かになる。
「……よし」
今日は、舞台で“偶然”を潰した。
でも台本は、別の入口を作ろうとしている。
なら私たちは、その入口の前に、もう一枚の紙を置く。
紙は増える。
手順も増える。
増えた手順は、私たちの味方になる。




