第10話 当日運用リハーサル(“急ぎ”は入口に戻す)
紙は増える。
疑いも増える。
そして胃の仕事も増える。まったく、雇用が安定しすぎている。
「……もう一回、数える」
私は生徒会室の机に、入室許可票を並べ直した。
番号。発行者署名。立会い署名。目的。時間。
指先で厚みをなぞる。角をそろえる。紙の匂いを吸う。
紙はしゃべらない。しゃべらないのに、言いたいことが全部ある。
「一枚、多い」
ミレイユが淡々と言った。淡々は強い。胃に効く。
「発行記録と一致しません」
「一致しないの、好きじゃない。胃も好きじゃない」
私は余計な一枚を、ほかの票から少し離して置いた。
それだけで机の上に“穴”ができる。
穴があると台本が入りたがる。つまり、相手の思うつぼです。
「今日は当日運用をリハーサルします」
クラウディアが顔を上げる。
「当日運用?」
「台本の得意技は当日です。雰囲気が勝ちやすいから」
私はホワイトボードの前に立った。
胃が背中を押す。うるさいけど正しい。
「まず、“当日運用手順書”を一枚に落とす。誰でも読める一枚」
「一枚にできるの?」
「できます。余計な説明を削ると、手順は強くなる」
ペンを走らせる。
【当日運用手順書(1枚版)】
1)持ち込みはすべて受付へ
2)持ち込み受付票を発行(番号/差出人/品名/受領者/立会い二名/保管場所/重量/封印状態)
3)封印確認(触る前に記録)
4)保管庫へ移送(立会い二名/署名)
5)入室は入室許可票+入室記録(時刻/目的/入室者/立会い/使用鍵/退出時刻)
6)閲覧は閲覧記録(誰が/何を/どれだけ)
7)例外は作らない。どうしても例外なら“例外処理書式”に発行者名と理由を残す
書き終える前に、クラウディアが不安そうに言った。
「来賓相手に『ちょっと待ってください』って言える? 言いにくくない?」
「言いにくいから、言える形を作る」
私は即答した。
「止められるように、止める役を決めます。決めないと雰囲気に押し切られる」
ミレイユが小さく頷く。
うん。私は今、胃の味方に囲まれている。
◇◇◇
次は役割だ。
人は役割があると強くなる。逆に役割がないと、“空気”になる。
私は机に小さなカードを並べた。カードと言っても紙。紙は最高。
「役割割当票、配ります」
クラウディアが引きつった笑顔になる。
「また胃に悪い紙が来た」
「胃に悪い役ほど、社会を守ります」
「社会って何。ここ学園」
「学園も社会です。噂は市場原理で動くから」
クラウディアに渡す。
「受付担当。止める役」
「うわ」
ミレイユには。
「記録係。数字と時刻担当」
ミレイユは無言で受け取った。絶対に崩れない顔。最高。
私は自分の分を指でトントン叩く。
「入室立会い。封印確認。最終判断」
クラウディアがじっと見てくる。
「セシリア、それ全部胃に悪いよ」
「だから私がやる」
言った瞬間、扉が開いた。
「おはよう」
低い声。
レオニス殿下が入ってくるだけで、生徒会室の空気が一段締まる。
私は反射で背筋を伸ばした。
胃も勝手に姿勢を正す。胃、そういうとこは素直。
「おはようございます、殿下。今日は当日運用のリハーサルです」
殿下は机のカードを見て、すぐ言った。
「私の役割は?」
私は一拍置いた。
ここが大事。殿下の名を“通行証”にしない。
「殿下は“止め役”です」
クラウディアが目を丸くする。
「えっ、殿下が止め役?」
「はい。殿下の名義で例外を作らせないための止め役です」
殿下が短く頷く。
「必要なら、私が“入口に戻せ”と言う」
胸が熱くなる。
胃が叩く。今は手順。今は手順。分かってる。
「ただし、殿下」
私ははっきり言った。
「『殿下が通せと言った』が一番危険です。殿下が言うのは『手順に従え』だけにしてください」
殿下は一瞬だけ目を細め、すぐ短く頷いた。
「分かった。事実と手順だけを言う」
その一言が気持ちよく強い。
胃が静かに拍手した。たぶん。
◇◇◇
リハーサル会場は式典準備室の入口。
入口は最強。入口で止められれば勝てる。止められなければ、その先は雰囲気に押し切られる。
職員が協力してくれることになった。ありがたい。
大人が手順の味方になると強い。逆もあるけど。
「では模擬の持ち込みを開始します」
私は手順書を掲げた。
一枚の紙が盾になる。いい。
一つ目の箱が来る。
「寄付品です。急ぎで中へ」
職員が“急ぎ役”を演じる。演技が上手い。胃が警戒した。
クラウディアが一歩前に出た。
喉が動く。顔が固い。胃に悪い顔。がんばれ。
「急ぎほど受付です。持ち込み受付票をお願いします」
言えた。
言えた瞬間、空気がふわっと整う。
私はうっかり拍手しそうになった。
胃が「今は作業」と叩く。うるさい。
「番号、振ります」
ミレイユが淡々と番号を書き、重量を測り、封印状態を記録する。
職員が立会い署名。クラウディアも署名。
保管場所を決め、移送ルートを決める。
手順が流れると、時間がきれいに進む。
時間がきれいだと台本が入りにくい。つまり胃が楽。
二つ目、三つ目。
“急ぎ”が何回入っても入口に戻す。
受付へ。番号へ。署名へ。保管へ。
クラウディアが小声で言った。
「……これ、慣れると気持ちいい」
「でしょ。手順は正義です」
「言い方が悪役」
「私は悪役令嬢だから」
冗談だ。冗談と言っておく。
胃は冗談が通じないので黙っている。
◇◇◇
次は、台本が一番好きなカード。
「殿下の指示です」
職員がそう言いながら箱を持ってくる。
周囲の空気が一瞬で「通せ」に寄る。
たった一言で寄る。だから危険。
殿下が前に出た。
歩幅は小さいのに、圧がある。胃が背筋を伸ばす。
殿下は言った。一言だけ。
「私の名で例外を作るな。手順に従え」
空気が固まった。
良い固まり方だ。雰囲気が止まる。胃が勝つ。
クラウディアがすぐ続ける。
「持ち込み受付票をお願いします。番号と立会い署名が必要です」
職員がわざと困った顔で言う。
「でも殿下の指示なんですよ?」
殿下が淡々と返す。
「だからこそ、手順だ」
それだけで、空気が「従うしかない」に傾いた。
私は内心で胃にガッツポーズをした。
胃も多分やってる。見えないけど分かる。
◇◇◇
午後。机上作業に戻る。
台本は当日だけじゃない。紙でも攻めてくる。
私は余計な入室許可票を明るい窓際に置いた。
光に透かす。紙質を見る。繊維を見る。端の裁断を見る。
“正しい顔”ほど、細部が揺れる。
「透かしが違う」
ミレイユが淡々と言った。
「公式用紙の透かしは端が滑らかです。これは荒い」
「荒いってことは……」
「配布ルートが違います」
クラウディアが顔をしかめる。
「つまり、どこかで紙を手に入れて作ったってこと?」
「作ったというより、“作らせた”かもしれない」
私は署名欄を指でなぞった。
「真似はできる。でも癖は揺れます。ここ、筆圧が途中で変わってる。手が迷った跡」
ミレイユが続ける。
「署名位置も一定ではありません。普段の署名はここに寄ります。これは少し下」
「下にずらしたのは、何かを隠したかった可能性がある」
私は小さく息を吐いた。
紙から、作った人の焦りが見える。焦りは台本の歪み。歪みは穴。穴は攻め返せる。
そのとき、廊下からふわりと香った。
副会長の気配。
「手順、素敵ですね」
副会長は穏やかに言う。
「私も手伝いましょうか?」
善意の顔。
笑顔の協力。
こういうのが一番危ない。胃が「やめて」と鳴く。うるさい。
私は丁寧に微笑んだ。
「ありがとうございます。では受付の立会い署名をお願いします。記録が残る形で」
副会長の笑顔が一瞬止まった。
ほんの一瞬。でも私は見逃さない。胃が大喜びする一瞬。
「立会い署名……ですか」
「はい。立会いは大事です。あとから『知らない』が出ないように」
副会長は笑顔を戻した。
「なるほど。では来賓対応は私が引き受けましょう。受付で止めるのは失礼ですし」
「対応は“手順に従う案内”だけで十分です」
私はやんわり、でも譲らない。
「案内が増えると例外が増えます。例外が増えると、相手の思うつぼです」
副会長は拍手するみたいに言った。
「徹底しているんですね」
「胃が徹底を求めるんです」
クラウディアが吹き出しそうになって咳払いで誤魔化す。
ミレイユは無言。無言の圧は強い。副会長の笑顔が少し薄くなる。
私は副会長を悪者だとは言わない。
断定は台本の得意技。私はやらない。
私は枠に入れる。枠は手順。枠に入れば誰でも同じになる。
◇◇◇
夕方。噂がまた走っていた。
「手順で縛るのは冷たい」
「来賓に失礼」
「生徒会、堅すぎ」
堅い。
それは褒め言葉だ。台本に対しては。
クラウディアが小声で言う。
「雰囲気、また来てる」
「雰囲気は来る」
私は掲示板に新しい紙を貼った。
【式典当日の受付について】
・持ち込み物はすべて受付を通します(来賓を含む)
・例外処理は発行者名と理由を記録します
・手順は来賓と関係者全員を守るためです
・個人を疑う目的ではありません
個人名を書かない。断罪しない。
雰囲気で押し切られない。
紙で押し返す。
「入口を閉める」
私は呟いた。
「入口は手順です」
胃が「いいね」と鳴いた気がした。気がしただけ。たぶん。
◇◇◇
そして、事件の手触りが来た。
触るなって言ってるのに、手触りって言葉が来る。言語の反抗。
貴賓室前で、入室記録を見直していたミレイユが淡々と指を置いた。
「短時間の入室が一回あります」
「目的は?」
「式典準備、となっています」
「立会いは?」
「署名が“それっぽい”です」
それっぽい。
それっぽいは危険。正しい顔の仲間。
私は署名を見た。
確かにそれっぽい。けれど筆の流れが違う。
真似はできる。癖は揺れる。
「立会いの人を呼べる?」
「呼べますが、本人の署名かどうか、本人が言えば終わりです」
ミレイユは淡々と言う。
終わらないようにするのが、私たちの仕事。
「終わらせない」
私は保管庫前の床を見た。
埃がほんの少しだけ乱れている。ほんの少し。
でも“ほんの少し”が台本の癖だ。大胆にやると目立つ。だから少し。
「入れた。入って、何かを置いたか、何かを見た」
クラウディアが青ざめる。
「じゃあ、もう仕込みが……」
「まだ断定しない。断定は台本が喜ぶ」
私は静かに言った。
「ただ、入室記録だけじゃ足りない」
ミレイユが淡々と続ける。
「閲覧目的なら、閲覧記録が必要です」
「そう。見ることも記録する」
私は一枚の紙を取り出し、その場で書いた。
【閲覧記録】
閲覧者:
対象:
開始時刻:
終了時刻:
立会い:
備考:
「明日から、これも必須にする」
クラウディアが頷く。
頷くと雰囲気が一段落ちる。人は“やることが決まる”と強い。胃も強い。
◇◇◇
夜。
人の少ない回廊は、昼の雰囲気を全部落として静かだ。
静かな場所は考えすぎる場所でもある。胃が警戒する。うるさい。
殿下がふっと足を止めた。
「式典で誰かが傷つくのは避けたい」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
焦り。
焦りは台本が大好き。焦りがあると判断が入口を飛ばす。
私は軽く笑ってみせた。
「殿下、焦ると台本が喜びます」
殿下がこちらを見る。
「……どうすればいい」
「焦りは入口で回収します」
「回収?」
「持ち込み受付票みたいに」
殿下が小さく息を吐く。笑った。たぶん。
胸が熱くなる。胃が叩く。今は手順。今は手順。
私は真面目に続けた。
「殿下が守ろうとすると、台本は“殿下のせい”にします。だから守るのは仕組みです。仕組みが守れば、誰のせいにもできません」
殿下が少し黙ってから、静かに言う。
「君は……強いな」
私は顔が熱くなるのをごまかして、即座に返した。
「胃が強いだけです」
「胃は強いのか」
「強くなるように働かされてます。雇用が安定しすぎです」
殿下の口元がまた少し緩んだ。
私は見なかったことにした。見たら心が騒いで手順が乱れる。胃が怒る。
◇◇◇
最後の仕事は資料室の確認だった。
式典の進行台本。舞台の台本。
ここに穴があると、最悪の場所で最悪の演出が起きる。
私は紙束をめくり、指が止まった。
「……これ、増えてる」
進行表の余白に、見覚えのない追記。
【臨時展示:来賓献上品の披露(貴賓室前)】
公開の場。
人が集まる。
雰囲気が最強。
つまり、相手の思うつぼです。
さらに目線を下げる。
「搬入担当……空欄」
担当が空欄は責任が宙に浮く。
宙に浮いた責任は落ちてくる。だいたい私の頭に。やめて。
私は紙を持ったまま、ゆっくり息を吐いた。
胸じゃない。胃に向けて。
「担当が空欄は、相手の思うつぼです。ここを埋めます」
殿下が隣で短く頷いた。
「当日、私も入口に立つ」
「入口は最強です」
私は即答した。
「入口で止める。受付に戻す。記録に落とす。雰囲気に押し切られない。台本に勝たせない」
紙は増える。
でも手順も増える。
増えた手順は、私たちの味方になる。
私は進行台本を机に置き、端をそろえた。
紙の角が揃うと心も揃う。胃も静かになる。
「……よし」
小さく呟いて、私は笑った。
明日は本番。
だから今日、入口を最強にする。




