第1話 匿名告発、喋りすぎ
朝の学園は、だいたい平和だ。
靴音、笑い声、「おはよう」の乱射。あと、パンの匂い。
……その平和が、私の胃を直撃するまでは。
王立学園の中庭。
今日はいつもより空気が荒い。ざわめきが、ざわめきで上書きされていく。
原因は、掲示板だ。
人だかりの中心に、白い紙が一枚。
紙一枚で群衆を作るなんて、紙も出世したものだと思う。
「見た? あれ……」
「やっぱり、あの人……」
「聖女様が可哀そう……」
ほら、始まった。
私は人混みの外側で立ち止まり、深呼吸してから掲示板を見た。
焦って近づくと肩がぶつかる。肩がぶつかると面倒が増える。面倒が増えると睡眠が死ぬ。
(まず読む。状況把握。台本の点検)
私は歩幅を小さくして、文字が読める距離まで寄った。
紙には、達筆な文字。
『告発』
タイトルが強い。
強いタイトルはだいたい中身が弱い。私は知っている。
『昨夜、北回廊第三窓付近にて、リリア・フェンネルが階段から突き落とされかけた。
時刻は十九時十分。巡回当番が交代した直後で、周囲は無人だった。
現場にいたのは、セシリア・ヴァレンシュタイン……』
私は、そこで読むのをいったん止めた。
そして、心の中で拍手した。
(はい。出ました。冤罪イベントの開幕)
断罪の予告状。
私が悪役令嬢として吊るし上げられるための、丁寧な下準備。
分かってる。分かってるけど。
(匿名のくせに、喋りすぎ)
これ、匿名告発じゃない。内部向けの議事録だ。
北回廊の「第三窓」って何。観光案内でもしてる?
「十九時十分」って何。時計、持ってる人の文章だよね?
「巡回当番が交代した直後」って何。内側の事情、知ってるよね?
つまり――
(書いた人、学園の“中”にいる)
もっと言うなら――
(現場にいたか、現場を作った側)
周囲の噂が、勝手に育つ。
「やっぱり悪役令嬢だわ」
「婚約者なのに……王太子殿下も大変」
「聖女様を守らなきゃ」
うん。分かる。
私の顔は無駄に強い。紅い髪に金の瞳。笑うと余計に怖いらしい。
それに公爵令嬢。立場が強い。噂が育ちやすい。
悪役令嬢って便利だ。
誰かの不安を、まとめて投げる先になる。
(投げるならボールにして。証拠にしないで)
――そのとき。
空気の温度が、一段下がった。
ざわめきがすっと引く。代わりに、靴音だけが響く。
人だかりが、道を作った。
現れたのは黒髪の青年。背筋が真っ直ぐで、顔が少しだけ疲れているのに品がある。
王太子、レオニス・アルブレヒト。生徒会長。
そして私の婚約者――という「設定」の人。
(主催者、来た)
もちろん本当に主催者なわけがない。
でも、王太子が動くと話が“儀式”になる。儀式になると台本が映える。
映えると、面倒が増える。そういう世界の仕様だ。
レオニスは掲示板の紙を一瞥し、周囲へ淡々と告げた。
「触るな。誰も」
短い。強い。
伸びかけていた手が止まる。風紀委員の腕章をつけた生徒たちが慌てて前へ出た。
風紀委員長、クラウディア・ノックスが一歩進む。
「殿下、このような掲示は秩序の乱れです。即刻、犯人を――」
「順番が逆だ」
レオニスは遮った。高圧的ではない。ただ、決めたことを曲げない声。
「掲示物は原本を保全する。まず回収。次に確認。最後に裁定だ。
感情で先走れば、誰かが得をする」
……正論。
正論って武器だ。上手に使う人が持つと強い。
私は、思わず口を挟んだ。
「賛成です」
自分の声が思ったより通った。視線が一斉に刺さる。
(やだ、目立ってる。台本の都合で目立ってる)
でも言ってしまったものは仕方ない。私は続けた。
「触ったら、証拠が“思い出”になります。
それに、この告発文。匿名のくせに現場に詳しすぎます。書いた人は学園の中にいます」
空気が揺れた。
クラウディアが眉を吊り上げる。
「セシリア・ヴァレンシュタイン。あなたが言うことではないでしょう。告発されているのはあなたです」
「だから言ってるんです。私が“やったこと”にしたい人がいる」
私、今の言い方、めちゃくちゃ悪役令嬢っぽい。
でも、悪役令嬢っぽく言わないとこの場は聞いてくれない。
人は物語が好きだ。私はその物語の中で“悪役の席”しか与えられていない。
なら席に座ってから机をひっくり返す。
レオニスの視線が私に向いた。冷たいというより、静か。観察の目。
「君は妙に落ち着いているな」
はい来た。
ここは重くすると負ける。私は軽く返す。
「台本が穴だらけなので」
「台本?」
「独り言です」
レオニスが一瞬だけ目を細めた。笑いそうで笑わない。
……笑わないのに、空気が少し柔らかくなるのがずるい。
「風紀委員。回収する。だが素手で触るな。紙を傷める」
「了解!」
風紀委員が動く。
――その瞬間。
「え、私も見たい」
「ほら、ここにセシリアって……」
好奇心の塊が紙へ手を伸ばした。止める暇がない。指が紙の端に触れた。
私は反射で言った。
「触った人、数えました?」
空気が凍った。触った本人の指が引っ込むのが遅い。
「え……?」
「誰が、いつ、どこを触ったか。今からでも記録したほうがいいです。
触った人数が分からないと、のちのち全部が“たぶん”になります」
周囲がポカンとする。
私はそこでようやく気づく。
(あ、私だけ真面目に面倒くさいこと考えてるやつだ)
でも、面倒くさいことを考えるのが私の役目だ。
転生者とか関係なく、私はこういう“雑な流れ”が嫌いなのだ。
レオニスが小さく息を吐いた。ため息半分、納得半分。
「君の言う通りだ。ミスを増やすな。回収したら私が保全する」
――保全。
その言葉で、私の中の「整えたい病」がうずいた。
「殿下。保全するなら、箱を用意したほうがいいです」
「箱?」
「封印して、立会い署名をして、触った人の記録をつける箱です。
原本が揉まれたら、後から何を言っても“言い逃れ”になります」
レオニスが沈黙する。頭の中で手続きを組み直している顔。
「……できるのか」
「できます」
胸を張りかけて、思い出す。
(私、手先は器用じゃない)
だから即、切り札を出した。
「ミレイユがいます」
「……君の侍女頭か」
「はい。世界の整頓を神に誓ったタイプです」
レオニスがまた目を細める。
「呼べ」
「喜びます」
私は小さく手を鳴らした。
控え室の方向から足音が近づく。
現れたのは銀縁眼鏡の女性。姿勢が良すぎて、歩くたびに空気が直角になる。
「お嬢様、お呼びでしょうか」
ミレイユ。私の侍女頭。無表情で、たぶん心の中は燃えている。
「ミレイユ。証拠保全箱、作れる?」
「可能です」
即答。迷いゼロ。心強い。
「材料は?」
「箱、封印紐、封印蝋、署名欄の紙。
今から三分で揃えます。お嬢様は“触った人の記録”を作ってください」
指示が自然に出る。私より主人みたいだ。
「殿下。立会い署名、お願いできますか」
ミレイユが当然みたいにレオニスへ振った。王太子相手に。普通なら失礼で死ぬ。
でもレオニスは怒らなかった。むしろ、ほんの少し口元が動いた。
「……分かった」
(素直。王太子ってもっと偉そうなものでは?)
私たちは貴族用の控え室へ移動した。
風紀委員が掲示物の原本を布越しにそっと剥がし、机の上に置く。
紙の白さがやけに眩しい。
ミレイユが持ってきた箱は、ただの木箱じゃなかった。
蓋の端に紐穴、蝋の皿、署名欄まで貼ってある。
「……準備が早い」
レオニスが呟く。
ミレイユは無表情のまま答えた。
「お嬢様は人生がよく燃えますので」
「燃えないよ!」
即ツッコミを入れる。
ミレイユは表情を変えずに続けた。
「燃えます。主に周囲が」
やめて。私の評判がさらに悪役に寄る。
私は告発文を見下ろし、“喋りすぎ部分”を拾っていく。
「北回廊第三窓。十九時十分。巡回当番の交代直後。
……あとこれ、生徒会の内規まで引用してる」
レオニスが視線を上げる。
「内規?」
「『掲示板への貼り付けは承認制』の一文。
普通の生徒、そこまで知りません。つまり――」
私は指を折る。
「風紀委員、生徒会、教員。
もしくは、そこから情報を抜ける立場」
ミレイユが紙の端を一瞥して言った。
「紙質が良いですね。学園売店の“記録用紙”に近い」
私は頷いた。
「売店の高いほうだ。安い掲示紙じゃない」
レオニスが眉をひそめる。
「売店で買えるのか」
「買えます。誰でも。つまり、誰でも台本が書けます」
言ってから、自分で思う。
私、台本って言い過ぎ。でも止まらない。
レオニスが私を見た。
「君は自分が疑われているのに、なぜそんなに冷静なんだ」
今度は、理由を知りたい声だった。
私は一瞬、重い真実を言いそうになって飲み込む。
明るく。明るく。重くすると負ける。
「慌てると、相手が喜ぶからです」
肩をすくめる。
「それに、穴を見つけるのが先です。泣くのは勝ってから。
……勝ったら忙しくて泣く暇がないかもしれませんけど」
レオニスが小さく言った。
「君は変だ」
「よく言われます」
「悪役令嬢はもっと派手に怒るものだと思っていた」
「怒ってますよ。すごく」
私は告発文を空中で指す。触らない。そこは死守。
「匿名のくせに内部情報が詳しすぎます。
これ、犯人が“自分は現場を知ってます”って名乗ってるのと同じです」
レオニスが短く頷く。
「書いた人は現場にいた可能性が高い」
「はい。もしくは現場を作った側。
あと、これだけ具体だと“読ませたい相手”が決まってます。噂じゃなくて裁定を動かしたい」
クラウディアが勢いよく言う。
「殿下、これは重大です。すぐに審問を――」
「順番を守れ」
レオニスがまた止めた。
「封印する。立会いは私がする」
(よし。主催者が手続きに乗った)
ミレイユが封印紐を通し、蝋を温める。
溶けた蝋の匂いが控え室にふわっと広がった。
私は証拠品カードを書き始める。
品名:告発文 原本
発見場所:中庭掲示板
発見時刻:午前七時十五分
回収者:風紀委員
立会い:王太子レオニス・アルブレヒト
備考:触れた可能性のある者 多数(別紙)
書き終えたタイミングで、ミレイユが蝋を垂らす。
レオニスが署名をする。
その筆跡が、綺麗すぎて腹が立つ。努力の跡が見える綺麗さだ。
天才の雑な綺麗さじゃない。つまり彼もちゃんと疲れている。
ミレイユが淡々と呟いた。
「これで“都合のいい奇跡”は起きません」
「起きてほしいのはハッピーエンドだけです」
私が言うと、クラウディアが怪訝そうな顔をした。
「ハッピーエンド?」
「独り言です」
最近、独り言で済ませる回数が多い。
そのうち独り言税が来る。
封印が固まる。紐が固定される。
その瞬間、空気が少しだけ“整った”。
私はこの感覚が好きだ。
小さな整いが、誰かを守ることがある。
正義より強い整いもある。たまに。
控え室を出ると、廊下の向こうに人だかりが見えた。
中心にいるのは淡い栗色の髪の少女。
リリア・フェンネル。特待生。光属性が珍しいと持ち上げられている。
彼女は今にも泣きそうな顔で、周囲に囲まれていた。
守られているというより、物語の中心に固定されている感じ。
私と目が合った瞬間、リリアの肩が小さく震えた。
……分かる。
私の顔は怖い。
しかも今日は告発文で私は“加害者”にされた。
リリアが唇を動かす。
「わ、私……」
言いかけて止まる。
周囲が「無理しなくていい」「聖女様」と先に喋る。
(台本、勝手に進むな)
でもここで私が優しくすると、逆に燃料になる。
悪役令嬢が優しいと、噂が「裏がある」に進化する。
世界の仕様が意地悪すぎる。
だから私は、悪役令嬢っぽい微笑を作った。
鏡で練習したことのない、損な微笑。
「安心して。私はあなたに興味がないわ」
言った瞬間、胸がちくっとした。
守るための言葉なのに、刺さるのは自分。
リリアの目が丸くなる。傷ついた顔をした。
周囲がざわつき、私を見る目がさらに刺さる。
(はい。予定通り。悪役令嬢、今日も働きます。守るために)
廊下を歩き出した私の横に、レオニスが並んだ。
声を低くして言う。
「わざと突き放したな」
「巻き込みたくないので」
「君が?」
「ええ。私が。台本が中心にしたがってるから、私は中心からずらします」
レオニスが少しだけ黙った。
「器用だな」
「不器用です。だから腹が立つんです。台本が雑で」
レオニスの口元がまた少し動いた。
笑いそうで笑わない。笑わないのに目が少し優しくなるのがずるい。
夕方。生徒会室の前。
レオニスが私を呼び止めた。
「今日の件。私が預かる。君も協力しろ」
「命令ですか」
「要請だ」
「言い方が上手いですね、殿下」
「嫌味か」
「褒め言葉です」
軽口で返しつつ、私は思う。
王太子は王太子だ。立場の都合で動く人でもある。
それでも、今日、手続きで場を止めたのは事実だ。
レオニスがじっと私を見る。
「セシリア・ヴァレンシュタイン」
フルネームで呼ばれると背筋が勝手に伸びる。
この人、そういう声を持っている。
「君は……本当に悪役令嬢なのか?」
来た。
ただの疑問じゃない。観察の結論を出しかけている目。
私は一拍置いて肩をすくめた。
「悪役令嬢に転生した“設定”です」
「設定?」
「ええ。設定。
でも現実は穴だらけです。台本が雑です。だから直します」
レオニスは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……君は変だ」
「二回目ですね。今日は好調です」
「褒めてない」
「知ってます」
私は笑って背を向けた。
明日の作業が頭の中で動き出す。
紙とインク。筆跡。売店の購入記録。
誰が、いつ、買ったか。
(台本、詰ませる)
その夜。
私はミレイユに小声で言った。
「紙とインク。学園でどこで買える?」
ミレイユは即答した。
「売店です。購入記録が残ります」
私は息を吐く。
「台本、詰みそう」
「詰ませましょう」
淡々と言って、ミレイユは紅茶を置いた。香りが落ち着く。胃が少し生き返る。
私はカップを手に取りながら思った。
(明日から忙しい。でも悪くない)
物語が始まる。私は悪役令嬢。
そして同時に、台本の穴を見つけて潰す係。
――ただ一つだけ。
私はまだ知らない。
この告発文が貼られたのは朝ではなく、夜明け前だったことを。
そして別の部屋で、ランプの光の下、誰かがノートを開いていたことを。
ペン先が紙の上を走る。
『次は、証拠を売店から出す』
『皆が望む物語は、もっと派手でいい』
書き終えた指が、紙の端を押さえる。押しつぶすように。急ぐ人の癖で。
その跡は、今日の告発文の端と同じ形をしていた。
ページがめくられる。新しい白い紙。
台本は、まだ続きを書く気らしい。
(いいよ。来いよ)
私は知らない誰かに向けて、心の中でそう言った。
だって――穴だらけなんだ。
勝てるに決まってる。




