二部 最終話
大泣きした直後、僕は赤くなっているであろう目と顔を洗うべく、水場として使っている小川に行こうとした時だった。
その際、ニーナたちの様子を見ておくべきだと判断した僕は寝床を経由して小川を目指すことにしたのだが、それが叶えられることはなかった。
「ニーナ……」
ちょっと様子を見に行く程度のつもりだったのだが、ニーナの激しくうなされる様子を見てしまい、顔を洗いに行く気分ではなくなってしまった。
毛布をはだけ、額に大粒の汗を浮かべながら身悶えする。そして閉ざされた瞳からは止めどなく涙が流れていた。
「兄さん……兄さん……!」
時おり動く腕は兄さんの影を求めているのだろうか。僕は胸の痛みに突き動かされるように体をニーナの方に向ける。
「僕じゃ兄さんの代わりになんてなれっこないけど……」
何かを求めてもがく手を取って優しく握り締める。途端にニーナの顔が安心に満ちたものに変わり、安らかな寝息を立て始める。
「……少なくとも、寝ているニーナをごまかすくらいはできそうだ」
誰にでもなく自嘲しながら、僕はニーナの手が力を抜いた頃合いを見計らってその場から離れた。
ずっと握っていてやりたいのは山々なのだが、僕にはやるべきことがある。申し訳ない気持ちで胸が詰まりそうになりながらも、ニーナから離れて開けた場所に出る。
「さて……」
僕は腰に差した波切を抜刀し、正眼に構える。
「……ふっ!」
目の前に仮想敵を作り出し、それを斬り裂くつもりで刀を振り下ろす。
すぐに刀を振り上げてみるが、どうにもしっくり来ない。体が無駄な動きをしているのが理解できる。
「ダメだ……。全然兄さんみたいに上手くいかない」
最初から上手くいくことなど考えてないが、糸の端くらいは掴めると思っていた。つくづく剣に関して非才の身が恨めしく思える。
「……でも、知ったことじゃない」
非才だろうが天才だろうが、やると決めたらやるしかないのだ。才能の有無で諦めるつもりはない。
(とはいえ、がむしゃらに剣を振っていたところであいつに勝てる見込みはない……。兄さんの使った剣技を模倣するにも、それに準ずる身体能力が必要だ)
強化魔法をいくらかけたところで、僕自身の身体能力が上がらなければどうしても限界が見えてくる。
ならば体を鍛えるしかないのだが、それもがむしゃらにやって良いものではない。
(……誰か、教えてくれる人がほしい。せめてあの動きに追従できる程度の体術と身体能力を鍛えるのに独学は無理だ)
考えている間も剣を振る手は止まらない。独学に限界があるのは周知の事実だが、何もやらないよりはやる方がマシだ。
「……っ、ぷはぁっ!」
気がつくと息を止めて剣を振るっていたらしく、肺に酸素を取り込みながら小休止を入れる。
「……え? 朝?」
スタミナのない我が身を呪いながら息を整えていると、朝日の柔らかな日差しがあることに気付く。
「ウソだろ……」
どうやら色々と考え事をしている間に朝になってしまっていたらしい。スタミナがないというのは撤回しよう。存外、やればできるらしい。
「いやいやいやいや……」
自分で言って自分で否定する。旅をしていて、接近戦の心得もある以上それ相応にスタミナはある方だが、一晩中剣を振っていられるほどではない。
「……ん?」
そこまで考えて、自分の体を薄い魔力の膜が覆っていることに気付かされる。これはどう見ても強化魔法の一種だ。
「いつの間に……」
無意識のうちに体が術式を組み立てて発動していたのだろうか。強化魔法は僕が最もよく使う魔法だから、体に染み付いていても不思議ではない。
「……ん、待てよ?」
これのおかげで僕は体に疲労を感じることなく剣を振り続けることができた。もう明け方で一睡もしていないというのに、眠気や倦怠感はほとんどない。
このことから、今僕の体にかけられている魔法は回復力を強化しているのだろう。おかげで僕は非常に体が楽になっている。
……この状態、四六時中続けていられないだろうか?
僕には時間が足りない。兄さんから剣を教わった期間もわずかだし、習得できたのは弐刀までだ。
参刀はあの戦いの中で何度も見たから、見よう見まねを続けていればいずれできる可能性もなきにしもあらずだが、それ以降はさすがにどうにもならない。
ともかく時間がない。牙だけでも習得するのに三ヶ月かけた僕だ。この調子で強くなっていたのでは気が長過ぎる。
だが、今の状態が維持できれば少なくともそれは解消できる。一日は二十四時間あって、寝ている時間が僕の場合は約六時間ある。
それを全て剣の修業に当てられるとしたらどうだろう?
(やってみる価値はある……というかこれぐらいやらないとあいつには勝てない……!)
一人でひっそりと決心を固め、僕はそのまま水を汲みに行くことにした。どうせもうすぐみんな目が覚める頃だし。
「……ん」
まず最初に目を覚ましたのはニーナだった。
「おはよう」
僕は水から煮詰めて作っていたスープから目を離し、ニーナの方を見る。
「エクセが起きてる……? いけない、寝坊した!」
「ずいぶんと失礼なことを言ってる自覚ある?」
「あんたこそいつもと違う行動してる自覚あるわけ?」
素晴らしいとしか言えない見事な切り返しに黙るしかなかった。
「む……。まあいいや。ご飯にしよう」
「え? 兄さんも――あ」
ニーナはいつも通りの朝を過ごすつもりだったのだろう。何気なく兄さんのことを呼び、すぐに思い出して痛ましげな顔をする。
「えっと……その……」
「……気にしないで。気持ちはわかるから」
僕の顔色をうかがうように上目遣いで見てきたニーナに苦笑しながら大丈夫だと言う。
「ほら、朝ご飯にしよう。もうすぐできるよ」
「あ……ええ、そうね」
取り繕うような笑顔を見せるが、当然その笑顔に覇気はない。
(やっぱり引きずってるよな……)
僕だってそんなすぐに吹っ切れるものでもないことは理解しているし、別段目くじらを立てるつもりもない。
朝食のスープをよそいながら、僕はどうしたものかと頭を悩ませる。
(……そういえば、僕はあまり悲しんでないな。悲しむ暇がないのかな)
兄さんがいなくなってからやるべきことが山のように多くなった。今は慣れるだけで精一杯だ。
ニーナのことを考えずに自分のことを考えているな、と思って少し自重する。
(とは言っても、この手の問題がどうにもならないのは事実……。時間が解決してくれるのを待つしかないか)
悲しいことかもしれないが、どんな辛いことでも時間が経てば少しずつ薄れていく。それを期待するしかない。
(……結局、時間頼みか……。くそっ)
もっと上手く気の利いたことを言えれば違うのかもしれない。だが、僕自身も悲しみから抜け切れていない以上、何を言っても無駄な気がしてしまう。
ともあれ、今はできることを積み重ねていくしかない。そう考えて思考に決着をつける。
「はい。熱いから気をつけて」
「ありがと」
ニーナにスープを渡した瞬間、天啓のごとき閃きが脳裏に走った。スープを渡すという行為からまったく関係のないことを思いついたが、それは気にしないことにする。
「ニーナ、これを預かってくれない?」
スープと一緒に僕は懐に入れていた布包みをニーナに見せた。
「なにそれ?」
「兄さんの遺髪」
「――っ!」
ニーナの目が見開かれ、布包みに集中する。
「これからの予定を決めてなかったけど、兄さんの故郷を目指そうと思う。できるなら生まれた場所まで行って、これだけでも埋めてもらいたい」
さすがに遺骨はかさばるから持ち運べないが、せめて遺髪だけでも持って行こうと思った次第だ。幸い、兄さんが住んでいたという島国の場所は特定できている。
「……で、どうしてあたしに預かってほしいわけ?」
「えっ?」
しまった。考えてなかった。僕としては兄さんの名残を持っていれば少しでも心が安定するかなー、程度の気持ちだったから。
「あー……それは……その……」
上手い言い訳が咄嗟に思いつかず、僕は視線を右往左往させる。
ニーナはそれをジト目で見つめていたが、すぐに小さな笑みに変えた。
「ふふっ、わかってるわよ。あたしのこと、気遣ってくれたんでしょ」
疑問の形を取っているものの、口調自体は断定のものだった。見透かされた僕としては自分が単純だと言われたようで釈然としない。
「預かっておくわよ。あんたが持っていたんじゃ落としそうだしね」
「……まあ、それでいいよ」
ニーナの中で僕はどれだけダメ人間となっているのだろう。しかし思い当たる節もないわけではないので強く出られない。
ニーナに遺髪を預け、二人で静かにスープをすする。ちなみにカルティアは未だ目覚めず。
「今日中にあいつ、目を覚ましてくれないかな……。カルティアを引きずって移動するのはさすがに面倒なんだけど」
「それには同意するわ。あの子、やたらと重いものね……」
二人でこんこんと眠り続けるカルティアを見て、同時にため息をつく。機械だからか、彼女は非常に重い。
本来なら女性に重いという言葉はタブーなのだが、カルティアは特に気にしていないらしい。だからこちらも遠慮せずに使わせてもらっている。
「……ニーナ」
そんな他愛のないことを話している途中で、僕は言うべきことがあったことを思い出して話を中断させる。
「……言ってみなさい。聞いてあげるから」
ニーナも声色から僕の話を察したのか、優しい目でこちらを見つめてきた。
「うん。……僕は兄さんから色々と託されたものがある。今後の旅はそれを達成することを目的にしたい」
「異存はないわ。兄さんの最期の頼み、ちゃんと叶えてあげないとね」
ニーナがうなずくのを見て、僕もうなずく。これはただの確認に過ぎない。
「それで、これからは僕がリーダーになろうと思う。ニーナはまだ本調子じゃないだろうし、カルティアは能動的に動かない」
「ん、特に文句はないわ。……で、本音は?」
回りくどく、なかなか本心を言わない僕に焦れたのか、ニーナが呆れたような視線を向けてくる。怒らずに呆れているあたり、信頼されているのかヘタレだと思われているのか……。前者だと嬉しい。
「…………僕が兄さんの代わりになる」
たったそれだけが言いたかったのに、ずいぶんと遠回りになってしまった。
「……どういう意味? 誰にも兄さんの代わりなんて……」
「ごめん、言い方が悪かった。……ニーナとカルティア。二人は……二人は――」
そこでなぜだか知らないが、言葉が詰まってしまう。だが、その原因に思い当たる前に僕は口を開いていた。
「――二人は、僕が守るよ」
これが僕の、魔法剣士エクセルとしての本当の始まりだった。
ようやく二部も終わりです。長かった……。
ここからしばらくは二・五部が始まります。エクセの修行編です。とはいえ、三部までのつなぎですからそこまで長くするつもりはありません。
……余裕で百話越えそうだ。いつ終わるんだろう。