二部 第三十五話
「ニーナ……」
僕は両者の戦いから一瞬たりとも目を離さないようにしながら、ニーナたちの待っている場所まで後退する。
「エクセ、終わった……わけじゃなさそうね」
「ゴメン。僕じゃ無理だった。もう僕が入れるレベルを遥かに超えている……」
魔法剣なんて小手先の技術ではどうにもならない身体能力、体術、経験の差。戦闘において基礎の技術であるこれらが僕には根本的に足りていない。
……今の状態で突っ込んだところで、タケルにぶった斬られて死ぬのがわかり切っている。
奴を倒すのに命を懸けているのは事実だし、倒せるなら命くらいいくらでも捨てる覚悟はあるが、これでは無理だ。わずかな隙を作ることすらできずに無駄死にする。
「ニーナとカルティアは二人の攻撃を見ること、できる?」
「あたしはもう無理。途中までは見えたんだけど、ね……」
「私はカメラに録画しておけば後に見直すことができますが……。今は難しいです。彼らの動きは音速にも迫ろうという速さです」
思うのだが、そんな速度を出して人間の体は持つのだろうか。
「彼らの肉体強度は人間の水準を遥かに逸脱しています。問題はありません」
前半に言っていることが問題なんだとなぜ気付かない。
「……とにかく、始まるみたいだよ」
戦闘の余波を受けないように離れた場所だが、ここからでも二人の姿を見ることはできる。
三人で寄り添いながら、僕たちはこれから始まるであろう激戦に目を向けた。
「はぁっ!!」
先手を仕掛けたのは兄さんで、得意分野である抜刀術を中心とした構えは相変わらず。
今までと違うのは、受けの姿勢から攻めに変わったこと。兄さんはいつでも抜刀できる姿勢を保ちながら、タケルに向かって疾走する。
そして刀の範囲に届くか届かないか微妙なところで勢いを弱め、右足を地面に叩きつける。
「地崩!!」
途端、兄さんの叩いた地面から放射状に地面が砕け、タケルの足場が崩れて身動きが取れなくなった。
「はっ!」
しかしタケルも兄さんに近い実力を持つ手練。体勢を崩し切って動けなくなる前に後ろへ飛び、兄さんの地崩を避けていた。
「っしゃ!」
だが、兄さんはそれすらも予測していたように抜刀し、陸刀・閃光を放つ。
「っち!」
タケルは空駆を使い上空へ逃れることでそれを回避し、同じように抜刀する。
――参刀伍刀混合・夢幻陽炎。
刃を無数に生み出して辺りを斬り裂く伍刀・無限刃と刃そのものを伸ばして振るう参刀・陽炎が混ざり、伸ばした刃と同じ規格の刃が無数に生み出され、周囲一帯を斬り刻む。
「きゃあっ!?」
そして、その刃の嵐は僕たちにも容赦なく牙をむいてきた。
「ニーナ!」
カルティアがニーナをかばうように前に出たのを見てから、僕は魔力を集中させてクリスタルの壁を作り出す。
ガラスが砕けるような澄んだ音を立てながらクリスタルがバラバラに散っていくが、おかげで攻撃を防ぐことには成功した。
「……危なかった」
一秒でも反応が遅れていたら、三人仲良く肉塊になっていたに違いない。
「テメェ!」
こっちに攻撃が向かったことを見て、兄さんは激昂したように叫ぶ。
「何怒ってるのさ。戦いの中では当然のことだよ」
ごめん、こればかりはタケルに同意せざるを得ない。僕も割と戦いで手段は選ばない方だし。
「んなこと言ってんじゃねえ! ――他人を巻き込む攻撃をする余裕なんてあるのか、って言ってんだよ」
後半のゾッとするほど怜悧な声に、さしものタケルも表情を青ざめさせる。結構離れていた僕でさえ、思わず防御姿勢を取ってしまったくらいだ。
「――震えろ」
――七刀弐刀混合・鳴動扇
空間そのものを震わせて中にいる人間を問答無用に圧縮し、押し潰す鳴動と断空の組み合わせ。
つまりそれは、断空の軌跡に沿って鳴動が次々と起こり、全てを圧縮するというもの。
「二人とも伏せて!」
ただし、その攻撃は僕たちをも気にせず押し潰そうとするため、範囲から逃れるためには地面に逃れるしかない。
「キャアァッ!!」
もはや何が起こっているのかわからないニーナをカルティアが無理やり地面に押し付け、僕も地面に這いつくばる。
そのすぐ後で頭の上を何かがひしゃげる音が通過する。ちょっとでも反応が遅れていればグシャグシャだった……。
(二人ともメチャクチャだ! 周囲の被害をまったく考えてない!)
というか怖い。戦わず一方的に蹂躙される側の気持ちってこんなのだろうか。
「ニーナ、カルティア! いったん逃げるよ! このままじゃいずれ巻き添え食らって死ぬ!」
「異議なし! でも腰が抜けて動けないから助けて!」
「カルティア!」
「了解しました!」
命の危険が頭上を通り越したせいか、妙にハイテンションになっていた。
カルティアがニーナの体を抱え上げるのを確認してから、僕たちは一目散にその場を退散した。
「し、死ぬかと思った……」
二人の戦いの余波で原型すら留めていない村からかなり離れた丘までダッシュで逃げてきた僕たち。途中で無限刃が迫ってきた時は二人の盾になって死ぬことも覚悟した。
「その言葉、割とよく使うよね。口癖?」
距離を取ったことで余裕の出てきたニーナがそんなことを聞いてくるが、死ぬかと思ったが口癖の人間なんてご免被りたい。
「使わざるを得ない状況に追い込まれまくっているということで……。カルティアは大丈夫?」
「はい。ここに来る途中、バーニアに刃が当たりましたが問題有りません」
そう言ってカルティアは自分の足元に視線をやる。ばーにあ、というのが何を表しているのかはわからなかったが、とりあえず足に刃が突き刺さっているのはわかった。
「……大丈夫なの?」
人間だったら急いで刃を抜いて止血しないと命に関わりかねない傷なのだが。しかし見たところ、血が出ている様子はない。
「私の体内に循環するのは魔力ですから、後ほどクリスタルをいただければ大丈夫です。損傷自体もこの程度でしたら自己治癒可能です」
機械ってすごい、と生まれて初めてそう思った。こんなケガがクリスタル少しで治るなんて。
「お話はそれくらいにしときなさい。エクセ、はい、双眼鏡」
カルティアのケガを心配していた僕をニーナが一言で現実に引き戻し、双眼鏡を放り投げてくる。
「うわっと。……ニーナは見ないの?」
それを両手で受け取りながら聞いてみる。奴への思い入れが一番強かったのはニーナのはずだ。
「もう見えないのよ。最後まで見たいのは山々だけどね……。悔しいけど、戦う人間じゃないあたしでは追い切れない」
涙も流れていないし、表情も変わっていないけど、そうつぶやくニーナの声は本当に悔しそうな感じがした。
「……わかった」
そして、ニーナが見届けられないのならば最後まで見届けるのは僕の役目だ。
双眼鏡に目を当て、強化魔法を全て動体視力と視神経の強化に費やす。さらに持続的に放出できる魔力を最大まで引き上げて効果も水増しさせる。
そこまでいってようやく、双眼鏡越しに目まぐるしく戦う二人の姿がくっきりと見えるようになった。
(チッ、やはり強い!)
ヤマトはタケルの放った断空を袈裟懸けの斬撃で断ち切りながら、誰にでもなく舌打ちをする。
十年前の時点でもあまり技量に差はなかったが、それでも自分が紙一重で上回っていた。あの時戦っていれば、苦戦はしただろうが自分の勝ちは揺るがなかったはず。
しかし、今はもう互角だった。抜刀の速度、体術のキレ、咄嗟の判断能力。どれを取っても自分と遜色ない。
「っしゃぁ!」
独特の気合の掛け声から抜刀し、伍刀・無限刃を単発で放つ。空駆を使っているため、あまり小細工ができないのだ。
「っらぁっ!!」
タケルの方も同じ技を撃って相殺してみせる。その顔に余裕の笑みは――ない。
(本気を出してることはわかる。けど……っ!)
突破口が見出せない。自分と同じ技量を持っているのがわかってしまうからこそ、次元断層を貫いてダメージを与える方法が思いつかないのだ。
お互い余裕はなく、高位な技の応酬となっている。だが、ほとんどの攻撃を例外なく無効化できる次元断層がある限り、致命打を与えるのは難しい。
タケルの放った陸刀・閃光をタイミングよく合わせた断空で斬り裂くという離れ業をやってのけながら、ヤマトの思考は別のところに向いていた。
(どうすれば勝てる? 鉢刀は次元断層を突破できない。……やはり、これしかないか)
仇刀を使う。ヤマトは素早く決断し、仇刀が使えるタイミングを図る。
「兄さん、それはさせないよ」
しかし、タケルは兄の思惑を的確に見抜き、それを妨げるべく攻撃をより激しいものへと変える。
今までもお互いに余裕がないのは変わらなかったが、今度は明らかに違った。
そう、まるでその技が使われることを忌避しているような感じが見受けられた。
(それも当然だな。仇刀は限りなく最高位に近い剣技……! あれだけは次元断層でも受けられない!)
ヤマトはタケルの暴風雨のような攻撃を全て避け、あるいは相殺しながら獲物を狙う肉食獣のような冷徹な瞳でタケルを見据え続ける。
仇刀だけは移動しながらの発動ができないのだ。それが己の未熟ゆえなのか、技の特性なのかはヤマトにはわからなかった。
だが、条件として踏ん張れる足場が必要であることと、その場に立ち止まることが必要条件として満たさねばならないのは変わらない。
(さて、どうする……。どうやってこいつに最高の一撃を叩き込む……?)
ペロリと舌なめずりをしながらヤマトは軽く笑みを作ってみせた。
「ふむ……あれはどうしたものかな」
双眼鏡からいったん目を離して、瞼の上から眼球を揉みほぐしながら思案する。
兄さんが何かを狙っているのだけは理解できた。それ以外の攻防に関してはあまり理解できたとは言いがたい。
……いや、目で追うことはできるんだけど、頭の中でそれがどんな攻撃であるのかを分析する前に次の攻撃に移っているから、結果として何も考えずに目で追っていただけになってしまった。
「どうしたの?」
「いや、兄さんが何かやろうとしてるのがわかってね。どうやって援護しようか考えてるところ」
普通に考えれば魔法をこの距離から発動させるのが一番なのだろうが、細かい照準をつけられない僕の魔法では二人とも巻き込んでしまう可能性が大だ。おまけにどちらにもダメージゼロで終わるだろう。
そしてその時点で僕はまず間違いなくタケルに脅威とみなされる。直接的な戦闘力はなくても、時間稼ぎ程度はできる人間だ。真っ先に消しにかかるだろう。そうなったら僕に対抗する手段はない。
つまり、チャンスは一回だけ。失敗したら代償は自分の命。成功したらほんの僅かな時間を兄さんに提供できる。
「…………」
逡巡する時間は少しだった。
「エクセ……行くの?」
立ち上がった僕にニーナは静かに呼びかける。
「うん。兄さんと肩を並べて戦うのは無理だけど……、これが自分にしかできないことなら、やり遂げる」
今できることを全力でやるしかない。どうせ僕がいくら願ったところで、タケルと打ち合える力が手に入るわけでもなし。
「……あたしも行くわ。ダメとは言わせない」
僕の決意を聞いたからか、はたまた最初から決めていたのかはわからないが、ニーナも立ち上がる。
「……わかったよ。ニーナも数に入れるなら、成功の可能性は上がるはず」
今回に関してはほぼ奇襲の形となるのだ。ニーナが存分に動ける舞台となった以上、彼女を連れて行かない選択肢は存在しない。
「カルティアは……どうする?」
「愚問ですね。私の存在意義はマスターを守護すること。マスターの望む場所であれば、どこまでもお供します」
僕、ニーナ、カルティア。三人がいれば時間稼ぎくらい、何とかなるだろう。いや、何とかさせてみせる。
「よし……行くよ!」
僕たちにできることをするために、絶対に勝てない相手に立ち向かおう。