二部 第二十話
「…………」
「…………」
エクセルです。どうにも先日の一件からニーナと気まずい状態です。
「本当に困ったな……。ニーナがここまで落ち込むとは……」
「おまけになかなか戻らないしね……」
前方を歩く僕と兄さんはお互いにため息をつく。さすがに困ったなあ……。
別に落ち込んでいることを責めているわけじゃない。むしろあんな出来事があった後だ。落ち込むのは当然だ。
しかし彼らを埋葬し、出発してからすでに十日は経つ。こちらとしてはそろそろ立ち直ってほしいところでもある。
「……やっぱ、同性じゃなきゃわからないかもな。オレたちじゃ手に余る……」
「……たぶん、無理だと思うよ」
ニーナが今、何に悩んでいるのか、こっちは薄々とではあるがわかっている。自己嫌悪だ。
村の仇を討ちたい。ニーナのその思いは同郷の僕よりも遥かに強く、大きい。それを成し遂げるために行った努力は相当のものになるだろう。
それが無駄になった。……ちょっと語弊があるな。正確には意味のないものになっている。
焼け落ちた村、というトラウマを呼び起こすものを見るだけで血反吐を吐くくらいなのだ。もし村の仇当人と出会った場合、どんな状態になるのか想像もできない。
そして、ニーナもそれを理解している。だから落ち込んでいるのだ。
自分は村の仇に負けるような人間なのではないか? と。
……僕個人からの意見を言わせてもらえば、これはぶっちゃけ特に気にする必要もないと思う。
僕も焼け落ちた村を見ただけで吐き出すほどのトラウマを持っているが、おそらく当の本人に会ったら怒りで全部塗り潰してしまうと思う。
たぶんではあるが、ニーナは少し考え過ぎなんだと思う。あまり感情の起伏が大きい方ではない僕でさえ、怒りで心を塗り潰してしまうほどなのだ。ニーナならそれはもう恐ろしい形相で奴に迫るのが目に浮かぶ。
とはいえ、それをどう伝えたものか……。適当にバカ話をしても意味があるとは思えないし、何が一番効くのか、まったくわからない。
「……兄さん、どうすればいい?」
「……わからねえ。オレたちが男であることがこんなに悔しいとは思わなかったな……」
兄さんの意見に同意する。僕も男であるから彼女の気持ちを本当に推し量ることができない。
(……本当、どうすればいいんだろうな)
僕の内心のつぶやきは、誰にも聞かれることなく己の心に霧散した。
「おっと……、大きな街が見えてきたぞ」
「え? ……あ、ホントだ」
兄さんの言葉に対し、今さっき気付いたかのようにニーナが驚く。すでに目と鼻の先に来ているというのに。
「エクセ、ここはどんな街だっけ?」
「えっと……図書の街マイラだね。ほら、大図書館で有名な」
「大図書館? 何だそりゃ?」
あれ? 知ってるの僕だけ?
「いやいや、脳筋の兄さんは知らなくてもニーナは知ってるよね? 有名でしょ? ここにある大図書館なら欲しい知識が全て手に入るって」
脳筋ってひどいな!? という突っ込みが聞こえるが無視させてもらう。割と事実でもあるし。
「ゴメン……あたしも知らない」
おかしいな。ひょっとしてここに大図書館があるというのは意外と誰も知らない情報なのだろうか?
いや、それはないはず。ティアマトにいた頃はそれこそ魔闘士志望のディアナまで知っていたし、ロゼやガウスは常識として覚えていた。
……待てよ。あの場所の特徴を思い出してみろ。何か忘れてる。
(ティアマトは魔導研究都市……って考えられる要因はそれしかないか)
ティアマトに住んでいる人間ならマイラの大図書館は常識だ。僕も二年間あそこにいるうちにすっかり染まってしまったらしい。
「そうだったね。確かにあれはティアマトで勉強した人間しか知らないと思う。……まあ、それはどうでもいいんだよ。これから行くんだし」
肝心なのはあそこに行けば全ての知識が手に入ると言われているところだ。そこに行けば、僕の知りたいことがたくさんわかるかもしれない。
「そうだな。じゃあ、読書を楽しみにしますか」
「え? 兄さんって本読むの……?」
ウソでしょ。僕がいた時に本を読んでいた姿を一度も見た覚えがない。
「失礼だなお前も! 剣術指南書ぐらいは読むんだよオレだってな!」
ある意味兄さんらしいと思ってしまった。
「ニーナも行こう? こうしていたって始まらないよ」
「……そうね。行きましょうか」
ニーナの顔にも無理していることがわかるものの、笑顔が戻った。悪くない兆候だ。このまま気を持ち直してくれればいいのだが……。
そして再び三人で歩き出し、僕たちはマイラの門をくぐった。
「ほへぇ……すごい街だなあ」
街に入っての第一声がそれだった。もう驚きのあまり開いた口が塞がらないよ。
見渡す限り本屋ばかり。もうどうやってこの街の経済成り立ってるの? と突っ込みたくなるくらいだ。
「色んな街を見てきたが、これはすごいな……圧巻だ」
「こんな街があるのね……。世界は広いわ……」
先日から落ち込みっぱなしだったニーナもこれには驚いたようで、キョロキョロと辺りを見渡している。これで少しでも気が紛れてくれれば重畳だ。
「さて……、まずは宿取りだな。これはオレがやっとく。ニーナとエクセは少し本屋巡りでもしたらどうだ?」
「いいの? 僕としては大歓迎だけど」
これだけ広ければ魔法書の一つや二つ置いてあるだろう。それに新しい魔法理論が出ているかもしれない。
「あたしは……行くわ。いつまでもこのままじゃいられないし、エクセは誰かが目をつけてないとすぐどっか行っちゃうから」
人を子供扱いしないでほしい。
「失礼だな。僕がそんなすぐどっか行っちゃうようなこと……ないよね?」
おかしいな。どうも自信が持てない。というかあちこちにある魔法書に釣られてフラフラと歩いてしまう未来なら予想できるのだが……。
「自分の胸に聞いてみなさい。ほら、行くわよ!」
僕の疑問混じりの言葉にニーナは厳しい言葉を投げかけて、僕の手を掴んで歩き出す。
「う、うわわっ!」
「シャキッとしなさい! あんたがあたしをエスコートしてくれるんでしょ?」
「いや、そんな甲斐性は僕にはないと思うんだけど……」
「自分で言うな! 虚しくならないの!?」
結構虚しい。なんかダメ人間になった気分だ。
しかしここで落ち込み、ニーナに全て委ねてしまったらそれこそ本当のダメ人間だ。
素早く体勢を立て直した僕はニーナの前に出て、その手を引っ張る。
「んじゃ、行こうか。……まずは僕の魔法書ね」
「却下。まずはあたしの暇潰し用の小説よ」
傍から見れば仲良く手を繋いで歩く二人組にしか見えないだろう。だが、その実僕たちはかなり鋭い目でガンの付け合いをしていた。
「……僕が先」
「あたし」
「女の買い物は長過ぎる……」
三時間後、そこにはニーナが買い込んだものをしこたま持たされ、疲労困憊の僕がいた。
結局あの口論は僕が折れた。延々と口論を続けて両方の望みが叶えられなくなるより、サッサと折れてサッサと終わらせれば僕の方にも時間が来ると思っていたのだが……。僕の見込みが甘かった。
「もう根を上げたの? だらしないわね」
僕が両腕全部を使って六つほどの袋を持ってどうにかこうにかバランスを取っているのに対し、ニーナは両手とも手ぶらのままこちらを見ている。
「だったら、持ってみろ……! 重さがわかるから……!」
正直シャレにならない。今だって密かに強化魔法使ってるんだ。
「まあ、二つくらいは持ってあげるわよ。それにしても買い込んだわね――食料」
「まったくだよ……。ここ、物価が予想以上に安かったからね」
ニーナに袋を二つ渡しながら、僕はさっきまでニーナの買い物に付き合って買ったものを思い出す。
最初は確かに本を見ていた。それは間違いない。
『うーん……面白そうだけど、かさばるのが難点よね……』
しかし、ニーナはそう言って本を諦めたのだ。
理屈としてはわかる。むしろその理屈でいくと、本当に自重すべきは分厚くてかさばる魔法書を買おうとしている僕になる。
そのため、ニーナは図書館の街に来たにも関わらず、本屋で何か買うのはやめて食料の買い込みに走ったのだ。
なぜだか知らないが、この街は物価がやたらと安い。おまけに鮮度が妙に一定に保たれている。なので安く大量に調達することができたのだ。
……そのおかげで僕は今、死にそうな思いをして袋を持っているのだが。
「にしても……、ここって何だか他の街とは違うよね」
「そりゃそうでしょうよ。こんなに本屋ばかりの街なんて世界中探したってないと思うわよ?」
「いや、そういうことじゃなくて」
まあ、それも他の街との違いであると言えばその通りだが。何だかもっと根本的に違う部分があるような気がするのだ。
「えっと……そう、違和感があるんだよ。この街、やたらと物価が安いし、おまけに食料の品質がここまで一定してるなんておかしいよ」
魔法を使えばある程度コントロールすることはできるが、それでもあそこまで一定にすることは不可能だ。
「それは確かにおかしいけど……、悪いことじゃないでしょ。あたしたちからすれば恩恵を受けているんだしさ」
「うん……」
ニーナの言葉も正論で、僕はうなずくしかない。しかし、完全に納得できたわけではない。
(この街……何かある……)
それも確実に現代の技術を遥かに凌駕するような何かが、だ。
ニーナはとりあえず利点を享受できればそれでよしと考えているようだし、あまり長居しない人間としてはそれが正解だ。
けど、どうにも気になってしまう。一度でも気にしてしまうと止まらないのは僕の悪癖だ。
「ほら、少しぐらいだったらあんたの魔法書を見てってもいいわよ? 行かないの?」
「この荷物持ってさらに魔法書まで見ろと!? 鬼畜過ぎるわ!」
長居はできないけど、少しの間だったら時間があるのだ。その間に大図書館に寄って見ればいい。というか今はこの荷物を宿に置くことしか考えられない。
「あはは、それじゃ戻りますか! 兄さんも宿を手配した頃だと思うし」
ニーナは僕の突っ込みを軽やかに笑って受け流し、両手に袋を持った状態で歩き出す。その様子から、さっきまでの落ち込んだ感じはパッと見ないように思える。
(……まあ、少しでも元気が出たならよしとするさ)
無理やりにでも前向きに思考を持っていかないと心が折れそうだった。いや、もう腕が限界なんだって。
あと少し、あと少しだと自分に言い聞かせながら、重たい荷物を持って宿までの道をニーナと歩いていった。




