二部 第十八話
アインス帝国での騒動がようやく終わりを見せ、僕も一国から狙われる懸念をしないで済むようになったのが一週間ほど前。
そして僕たちが帝国を旅立ったのは昨日だ。予想以上に長く滞在したのだが、これは決して僕のケガが原因というわけではない。そもそも僕のケガ自体は輸血すればなんとかなるものだったし。
地下を探っていたのだ。魔法陣の有無を確かめるために。
答えから言ってしまえば、僕の予想は当たっていた。
見つけた魔法陣は僕が軽く調べてから、帝国の人たちに一任した。機械文明だとか言っているが、ちゃんと魔法の知識を持っている人もいたようで驚いた。
……まあ、魔法を否定するというのは魔法をある程度知らなければできないことだから当然といえば当然なのだろう。
帝国に関するウンチクはさて置こう。旅から旅の根無し草である人間にとってあまり意味のある情報でもないし。
魔法陣の効果はやはり魔力吸収だった。それも非常に広範囲な。
そしてここはティアマトと違い、接続の魔法陣――魔法陣と魔法陣同士の効果を重ね合わせる効果を持つ――があった。
世界規模でやる以上、起点となる魔法陣の他に中継点となる魔法陣も必要になるのはわかる。しかし、肝心の魔法陣が置かれる理由に関してはサッパリだ。
……それにこれもわずかではあるが魔力の残滓があった。魔力なんて一定の場所に留まり続けるものじゃないから、ごくごく最近のものとなる。
大統領は帝国に地下があったこと自体初めて知ったようだし、少なくとも帝国の人間がやったことではないはず。
相当の狸で僕が騙されている可能性もあるが、そこには目をつむる。権謀術数に関しては海千山千の大統領と僕が交渉で渡り合えるとも思えないし。
いやいやいやいや、今考えるべきはそこじゃない。現状知るべき情報は二つしかないのだ。
一つは兄さんの弟であるタケルの情報。それともう一つは世界中に点在する魔法陣の存在理由……。前者に関しては少し情報が集まったのだが……。
「エクセ! 何やってんだ? ちょっと離れてるぞ!」
そこまで考えて、視界の遥か先にいる兄さんが僕を呼ぶ。あれ? いつの間にこんなに距離が離れたんだっけ?
「え? ああ! ゴメン!」
ちょっと考え事をし過ぎていたらしい。兄さんとニーナからずいぶんと離れてしまっている。
「まったく……、あんたの考えてることなんて大体読めるけど、それは考えても答えの出ないことだってあんたが言ってたじゃない。そのあんたがドツボにはまってどうするのよ……」
「う……」
その通りだ。結局のところ、さっきまで考えていたことだって推論に推論を重ねただけのもの。情報の真偽を裏付ける確かな根拠があるわけじゃない。
「何事も考え過ぎるのはあんたの悪癖よ。……今は目の前のことに集中しなさい。ようやく……ようやくタケルの情報が掴めたんだから」
「…………うん」
ニーナの声は長い間一緒にいる僕でも聞いたことがないくらい昏く、淀んでいた。
「どうしたの? 歯切れが悪いわね。あんただって待ち焦がれてたんでしょ? 奴を引き裂ける瞬間をさぁ……」
否定はしない。僕だってこの七年間、奴を許すなんて選択肢はただの一度も浮かばなかった。
しかし、何だかんだ言って僕たちのムードメーカーであるニーナがそんな禍々しい表情をして喜んでいる姿を見てしまった以上、手放しには喜べない。
「……兄さん」
「ああ、わかってる。これはマズイな……」
どうやら僕たちはニーナの憎しみを浅く見積もり過ぎていたらしい。僕だってあいつを憎んではいるが、ニーナほどではなかったようだ。
……考えてみればそれも当然かもしれない。僕はただ漠然と奴が故郷を滅ぼした奴、という認識しかないが、ニーナは事の始終をハッキリと覚えているのだ。
両親が殺され、友達が殺され、何もかもが壊れていくのを……。
その時の絶望や抱いた憎しみの深さを推し量ることなど、僕たちにできるわけがなかったのだ。
「そりゃ……復讐をやめろ、なんて言えるわけないよ。僕だって同じ穴のムジナだ。でも、ニーナには復讐なんて考えないでほしかったな……。僕の勝手な思いだけど」
今実感させられた。誰かを傷つけようと考える人の顔は……あまり見ていて楽しいものではない。
僕はあんな顔をニーナに見せていたのか、と思うと情けない気持ちでいっぱいになる。自分よりも遥かに相手を憎んでいる人に対して、世界で僕より奴を憎んでいる奴はいないとばかりに振る舞ってしまった。
「あんま落ち込むな、エクセ。オレだってあいつの根の深さに気付いてやれなかった……。二年前に事情を話した時だってあんな顔はしなかったのにな……。正直、自分が今なんで生きているのかわからない」
確かに。全部の事情を知った時、ニーナだったら兄さんを殺すこともできたはずだ。
……というか事情を知った時でさえあの顔をしなかったというのなら、ニーナの心はどれだけ強いのだろう。
(いや……、強いというより自分を抑えつけ過ぎているのか……)
自己制御能力が並外れて高いのだろう。逆に言えば今の彼女が本当の彼女ということになるのだが……。
「……ニーナ」
「ん? なぁに?」
ニーナについて色々と考え、落ち込んだため意味もなく名前を呼んだだけなのだが、ニーナはいつも通りの表情で僕に向き直ってくる。
「あ、いや……呼んでみただけだよ」
「ふぅん? 変なエクセ」
とっさに上手い言い訳も思いつかず、正直に答えるとニーナは訳がわからないといった顔をした。
その表情にさっきまでの凶相は――ない。
(気のせいだった……? いや、それはさすがにあり得ない。じゃあどっちが――)
――本当のニーナなんだ?
そんな僕の疑問は、口に出されることなく胸の奥に残ることとなった。
前振りというか僕の悩み吐露というか、とにもかくも僕たちは現在東に向かっていた。
あまり出し惜しむ情報でもないので言ってしまおう。帝国でタケルの目撃情報があったのだ。それもごく最近に。
だからこそ、僕たちは多少焦っているとも言えるスピードで東に向かっている。なぜ東かというと、一番近い村のある場所がそこだから。
「兄さん、ちょっと休憩しない? そろそろ六時間ぶっ続けで歩いてるけど」
「ん? ああ、もうそんなに経っていたか。じゃあ少しだけ休憩しよう。ニーナ!」
「はいはい、わかってるわよ。……ん、敵はいないわ」
だが、僕たちは焦ってはいなかった。せいぜい、普段よりちょっと早めのペースで歩いているくらいだ。
なぜか? 答えは簡単。
僕があの国で時間を取ってしまったからだ。
アインス帝国にいた期間は一週間。そしてタケルの姿を見たという情報は僕たちが訪れる三日前のものだった。
つまり、国を出た時点で距離は単純計算にして十日分も離れてしまっているのだ。どこにいるかも正確にわからない以上、この差は大きい。
おまけに僕たちは三人で旅をし、向こうは一人だ。一日に進める距離も向こうの方が長い。
なのでサッサと割り切ってしまい、タケルが向かった村とやらで情報が集まれば御の字だと考えることにした。
「あーあ……。でも、今になって思うけどどうやってタケルを追い詰めるつもり? 向こうの行き先に先回りでもしないと難しいわよ?」
「それはそうだね。そもそも当てもなく旅して会える確率なんて低過ぎるし。これからは計画的に回った方がいいだろうね……」
「うぅ……、どうせオレは考えなしだよ……。何も考えずに里を飛び出したよ……」
僕とニーナの言葉で兄さんがどんどんしぼんでいく。今さらになって露呈した問題点に対し、解決策がまるでないらしい。
「あれじゃない? こう……適当に歩き回ってればいつかバッタリ、とか」
「ないわよ。それが成り立つのはお互い無計画に歩いている時だけよ。兄さんはともかく、向こうが無計画に歩いているとは考えがたいわ。あたしたちの村を燃やしたことからも考えてね」
「お前らさっきからオレをいじめて楽しいか!?」
僕たちの今後の方針を決める会議に見せかけた兄さんいじめに、とうとう兄さんがキレた。
「だってさぁ……」
「ねぇ……」
しかし今回は僕たちが文句を言っても咎められないはずだ。細かな問題を積み上げにしていたのは兄さんなのだから。
「まあ、三人でいるから動きが鈍くなるのはどうしようもないよ? 兄さんが単独で探すならともかく、僕たちもそれじゃ退けない理由があるからね。むしろ兄さんに置いて行かれたら独りでだってあいつを追いかける覚悟あるし」
「あたしもそうよ。たとえ二人が反対をしてもあたしはあいつを追いかけるわ。……兄さん、話の流れだから言わせてもらうわね」
兄さんはあいつを前にした時、本当に殺せる?
「……それは当然――」
「剣士らしく正面からぶつかり合って、その末に殺すなんて答えは認めないよ。本当に、そいつを殺すことだけを考えて動ける? あたしなら気付かれないうちに喉を抉るぐらいはやるし、エクセだって周りの人間がいないのなら遠くから魔法で吹っ飛ばすくらいやるわ。そうよね?」
そこまで言って僕に振るか。いや、心情的には当たってるけどさ。
そして兄さんはニーナの言葉を聞いて慄然としていた。
……悪く言いたくはないが、故郷を滅ぼされた人間の憎しみを甘く見ていないだろうか?
まあ、ニーナの内に秘めた感情に関してはさすがの僕も予想外だったけど。
「それは……心情的にはね。確信が得られたら即刻殺す。それぐらいの思いはあるよ? でも、僕はあいつに聞きたいことが山ほどある。だからすぐには殺せない」
タケルのやっていることが薄々ながら見えてきたのだ。何も聞かずに殺す選択肢は存在しない。
「で、兄さんはどう? 何だかんだ言ったけど、兄さんがあたしたちのリーダーであることに変わりはないからね。説得するって言ってもあたしたちは従うわよ。……いつまで自分を抑えられるかはわからないけど」
「あ、僕もニーナと同意見」
タケルが人間的な話をして、ちゃんと会話するに価する人物であると思えば、僕は腸が煮えくり返る思いをしながらも兄さんの指示があるまで決して手は出さない。
「二人とも……」
僕たちの意見を聞いた兄さんは静かに目をつむる。
そして、しばらく待ってから開かれたその瞳にはさっきまでの動揺が消えていた。
「お前らがダメだ、と思った時点で手を出して構わない。あいつと話をさせてくれ。……それがダメだったら諦めもつく」
「……わかった。でも、もし弟さんが説得に応じても、僕たちはそいつを絶対に許さないよ」
罪は懺悔すれば軽くなる? バカ言うな。そんなことでやったことの重さが変わってたまるか。
奴が最低でも村一つ壊滅させたのは間違いないんだ。たとえその裏にどんな理由があったとしても、僕とニーナはそれを許さない。絶対に――許さない。
「わかってる。あいつがどれだけやっちゃいけないことをやったのかはオレも承知の上だ。承知の上でお前たちに頼む。もし、あいつが説得に応じたら、あいつに時間をあげてやってくれ」
兄さんが真摯な表情で頭を下げる。僕とニーナはその行動にチクリとした胸の痛みを覚えた。
言ってしまえば妬ましいのだ。兄さんと血の繋がりがあり、そして今ここまで思われている人間の存在が。
「……そんな“もし”存在しないよ。説得に応じるような奴なら、自分から村を滅ぼしたりはしない」
「あたしもエクセに同意見。こればっかりは兄さんの頼みでも譲れないわ。兄さんの説得に応じたところで、殺し方が苦しみ抜いて死ぬ方から楽な方に変わるくらい」
「……わかった。肝に銘じておく」
兄さんは相変わらず表情一つ変えないですさまじいことを言う僕たちに戦慄しながらも、きちんとうなずいた。
「ん、なら僕たちから言うことは何もないよ。というか、基本的に僕たちは兄さんの意見に従うからね」
「そういうこと。さっ、出発しましょ」
僕たちは立ち上がって兄さんに手を差し伸べる。結局、兄さんが本気で僕たちを止めようとしたら為す術はないのだ。
「……そうだな。あいつに会わないことには何も始まらないよな」
兄さんも何度か頭を振って気持ちを取り直してから、僕たちの手を取った。
この時の覚悟を、僕たちはまだまだ甘かったとすぐに評することとなる。
――生存者が誰もいない焼け焦げた村を見せられることによって。